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第1週 月曜日...2 2016 Maria M. 第1週間 月曜日 早 課 カフィズマ...

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1 2016 Maria M. 大斎日替わり 第 1 週 月曜日 2016
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  • 1 2016 Maria M.

    大斎日替わり

    第 1 週 月曜日

    2016

  • 2 2016 Maria M.

    第 1 週間 月曜日

    早 課

    カフィズマ 第 1段<第 24、25,26 聖詠> 第 1段

    第二十四聖詠

    しゅ

    主よ、なんじ

    爾 にわ

    我がたましい

    靈 をあ

    擧ぐ。わ

    吾がかみ

    神よ、なんじ

    爾 をたの

    恃む、われ

    我によよ

    世世はじ

    愧なからしめよ、わ

    我がてき

    をわれ

    我にか

    勝ちてよろこ

    喜 ばしむるなか

    毋れ。およ

    凡そなんじ

    爾 をたの

    恃むもの

    者にもはじ

    愧なからしめたま

    給へ、みだり

    妄 にほう

    法をおか

    すもの

    者はねが

    願はくははじ

    愧をえ

    得ん。しゅ

    主よ、われ

    我になんじ

    爾 のみち

    道をしめ

    示し、われ

    我になんじ

    爾 のみち

    路をおし

    訓へよ。われ

    我をなんじ

    のしんり

    眞理にみちび

    導 きて、われ

    我をおし

    訓へたま

    給へ、けだし

    蓋なんじ

    爾 はわ

    我がすくい

    救 のかみ

    神なり、われ

    我ひび

    日日になんじ

    爾 をたの

    恃めり。

    しゅ

    主よ、なんじ

    爾 のめぐみ

    鴻恩となんじ

    爾 のあわれみ

    慈憐 とをきおく

    記憶せよ、けだし

    蓋こ

    是れえいえん

    永遠 よりあるなり。わ

    我がわか

    少きとき

    時の

    つみ

    罪とあやまち

    過 とをきおく

    記憶するなか

    毋れ、しゅ

    主よ、なんじ

    爾 のいつくしみ

    仁慈 によ

    依り、なんじ

    爾 のあわれみ

    慈憐 をもっ

    以て、われ

    我をきおく

    記憶

    せよ。しゅ

    主はじん

    仁なり、ぎ

    義なり、ゆえ

    故にざいにん

    罪人 にみち

    道をおし

    訓へしめ

    示す、けんそん

    謙遜 のもの

    者をぎ

    義にみちび

    導 き、けんそん

    謙遜

    のもの

    者におのれ

    己 のみち

    道をおし

    教ふ。およ

    凡そしゅ

    主のみち

    道は、その

    其やく

    約とその

    其けいし

    啓示とをまも

    守るもの

    者にあ

    在りてじれん

    慈憐なり、

    しんじつ

    眞實 なり。しゅ

    主よなんじ

    爾 のな

    名によ

    因りてわ

    我がつみ

    罪をゆる

    赦したま

    給へ、その

    其おおい

    大 なるをもっ

    以てなり。たれ

    誰かしゅ

    主を

    おそ

    畏るるひと

    人たる、しゅ

    主はこれ

    之にえら

    擇ぶべきみち

    道をしめ

    示さん。かれ

    彼のたましい

    靈 はふく

    福にお

    居り、かれ

    彼のすえ

    裔はち

    地をつ

    がん。しゅ

    主のおうぎ

    奥義はかれ

    彼をおそ

    畏るるもの

    者にぞく

    属し、かれ

    彼はその

    其やく

    約をもっ

    以てこれ

    之にあらわ

    顯 す。わ

    我がめ

    目つね

    常にしゅ

    主をあお

    ぐ、その

    其わ

    我があし

    足をあみ

    網よりいだ

    出すによ

    因る。われ

    我をかえり

    顧 み、われ

    我をあわれ

    憐 め、われ

    我ひとり

    獨 にしてくる

    苦しめらるる

    によ

    因る。わ

    我がこころ

    心 のうれい

    憂ますます

    益おお

    多し、わ

    我がくなん

    苦難よりわれ

    我をひ

    引きいだ

    出せ、わ

    我がくるしみ

    困苦 、わ

    我がつかれ

    労瘁をかえり

    み、わ

    我がもろもろ

    諸 のつみ

    罪をゆる

    赦したま

    給へ。わ

    我がてき

    敵をみ

    見よ、なん

    何ぞおお

    多き、かれら

    彼等がわれ

    我をうら

    怨むうらみ

    恨 はなん

    何ぞ

    はなはだ

    甚 しき。わ

    我がたましい

    靈 をまも

    護りてわれ

    我をすく

    救ひ、わ

    我がなんじ

    爾 にお

    於けるたのみ

    恃 にはじ

    愧なからしめたま

    給へ。ねが

    はくはむてん

    無玷とぎ

    義とはわれ

    我をまも

    護らん、われ

    我なんじ

    爾 をたの

    恃めばなり。かみ

    神よ、イズライリをその

    其もろもろ

    諸 のうれい

  • 3 2016 Maria M.

    よりすく

    救ひたま

    給へ。<25,26 聖詠省略>

    光榮は父と子と聖神に歸す。

    誦經、いま

    今もいつ

    何時もよよ

    世世に、「アミン」。

    第二十七聖詠 第2段<第 27、28、29 聖詠>

    しゅ

    主よ、われ

    我なんじ

    爾 によ

    呼ぶ、われ

    我のかため

    防固よ、わ

    我がため

    爲にもだ

    黙すなか

    毋れ、おそ

    恐らくはなんじ

    爾もだ

    黙さば、われ

    我ははか

    墓に

    くだ

    下るもの

    者のごと

    如くならん。わ

    我がなんじ

    爾 によ

    呼び、わ

    我がて

    手をあ

    擧げてなんじ

    爾 のせいでん

    聖殿 にむか

    向ふとき

    時、わ

    我がいのり

    祷 の

    こえ

    聲をき

    聆きい

    納れたま

    給へ。われ

    我をあくしゃ

    悪者およ

    及びふぎ

    不義をおこな

    行 ふもの

    者、すなわち

    即その

    其となり

    隣 とわへい

    和平をかた

    語り、その

    其こころ

    心 に

    あく

    悪をいだ

    懐くもの

    者ととも

    偕にほろぼ

    滅 すなか

    毋れ。かれら

    彼等のしわざ

    所爲、かれら

    彼等のあ

    悪しきおこない

    行 にしたが

    循 ひてこれ

    之にむく

    報い、かれら

    彼等

    のて

    手のな

    作すところ

    所 にしたが

    循 ひてこれ

    之にむく

    報い、かれら

    彼等のう

    受くべきところ

    所 をもっ

    以てこれ

    之にあた

    與へよ。かれら

    彼等はしゅ

    主の

    おこな

    行 ふところ

    所 と、しゅ

    主のて

    手のな

    作すところ

    所 とをかえり

    顧 みざるによりて、しゅ

    主はかれら

    彼等をやぶ

    敗り、かれら

    彼等をた

    建てざ

    らん。しゅ

    主はあが

    崇めほ

    讃めらる。かれ

    彼すで

    已にわ

    我がいのり

    祷 のこえ

    聲をき

    聆きい

    納れたればなり。しゅ

    主はわ

    我がちから

    力 、わ

    我が

    たて

    盾なり、わ

    我がこころ

    心かれ

    彼をたの

    頼みしに、かれ

    彼われ

    我をたす

    佑けたり、わ

    我がこころ

    心 はよろこ

    歡 べり、われ

    我うた

    歌をもっ

    以てかれ

    をほ

    讃めあ

    揚げん。しゅ

    主はその

    其たみ

    民のちから

    力 なり、その

    其あぶら

    膏 つけられしもの

    者のすくい

    救 のまもり

    衞 なり。なんじ

    爾 のたみ

    民をすく

    ひ、なんじ

    爾 のぎょう

    業 にふく

    福をくだ

    降し、これ

    之をぼく

    牧し、これ

    之をよよ

    世世にあ

    擧げたま

    給へ。<28、29 聖詠省略>

    こうえい

    光榮 はちち

    父とこ

    子とせいしん

    聖神 にき

    歸す。

    誦経者の「光栄は」に続いて 今も 何時 も

    ミン

    アリルイヤ、アリルイヤ ア

    イヤ

    神よ光栄は なん

    じ に

    帰-

    3回す

    主 憐れめ 主憐れめ主憐れめよ、

    光栄は 父と子と

    聖- 神

    誦経者の「今も」に続く

  • 4 2016 Maria M.

    誦經 いま

    今もいつ

    何時もよよ

    世世に、「アミン」。

    第 31 聖詠 <第 3段、30、31、32 聖詠>

    ふほう

    不法をゆる

    赦され、つみ

    罪をおお

    蔽われたるひと

    人はさいわい

    福 なり。しゅ

    主がつみ

    罪をき

    歸せず、その

    其しん

    神にいつわり

    譌 なきひと

    人は

    さいわい

    福 なり。われ

    我もだ

    黙ししとき

    時、わ

    我がしゅうじつ

    終日 のさまよい

    呻吟 によ

    因りて、わ

    我がほね

    骨ふる

    古びたり、けだし

    蓋なんじ

    爾 のて

    手は

    ちゅうや

    晝夜おも

    重くわれ

    我にくわ

    加はり、わ

    我がうるおい

    潤澤 のき

    消えしことなつ

    夏のひでり

    旱 にお

    於けるがごと

    如し。しか

    然れどもわれ

    我わ

    我が

    つみ

    罪をなんじ

    爾 にあらわ

    顯 し、わ

    我がふほう

    不法をかく

    隱さざりき、われ

    我い

    謂へり、わ

    我がつみ

    罪をしゅ

    主につうこく

    痛告 すと、なんじ

    爾すなわち

    我がつみ

    罪のとが

    咎をわれ

    我よりのぞ

    除けり。これ

    此によ

    縁りてもろもろ

    諸 のぎじん

    義人はべんぎ

    便宜のとき

    時におい

    於てなんじ

    爾 にいの

    祷らん、その

    とき

    時たいすい

    大水 のあふれ

    溢 はかれ

    彼におよ

    及ばざらん。なんじ

    爾 はわれ

    我のおおい

    帲幪なり、なんじ

    爾 はわれ

    我をうれい

    憂 よりまも

    護り、われ

    我を

    すくい

    救 のよろこび

    喜 にてめぐ

    環らす。われ

    我なんじ

    爾 をおし

    教へん、なんじ

    爾 にゆ

    行くべきみち

    路をしめ

    示さん、なんじ

    爾 をみちび

    導 かん、

    我がめ

    目なんじ

    爾 をかえり

    顧 みん。なんじ

    爾ら

    等は、たづな

    轡 とくつばみ

    鑣 とをもっ

    以てくち

    口をつか

    束ねてなんじ

    爾 にしたが

    從 はしむる、むち

    無知

    なるうま

    馬とうさぎうま

    驢 とのごと

    如くなるなか

    毋れ。あくしゃ

    悪者 にはうれい

    憂おお

    多し、しゅ

    主をたの

    恃むもの

    者はあわれみ

    憐これ

    之をめぐ

    環る。

    ぎじん

    義人よ、しゅ

    主のため

    爲によろこ

    喜 びたの

    樂しめ、こころ

    心 のなお

    直きもの

    者よ、みな

    皆いわ

    祝へ。

    こうえい

    光榮 はちち

    父とこ

    子とせいしん

    聖神 にき

    歸す、いま

    今もいつ

    何時もよよ

    世世に、「アミン」。

    「アリルイヤ」「アリルイヤ」「アリルイヤ」、かみ

    神よ、こうえい

    光榮 はなんじ

    爾 にき

    歸す。三次

    しゅ

    主あわれ

    憐 めよ。三次

  • 5 2016 Maria M.

    斎1 【坐誦讃詞セ ダ レ ン

    】 聖イオシフの作 第二の調

    われら

    我等ものいみ

    齋 のしんせい

    神聖 なるはつもの

    初實 としてたましい

    靈 のしょうかん

    傷感 をえ

    獲てよ

    呼ばん、しゅさい

    主宰 ハリストスよ、いの

    祈る、

    われら

    我等のきとう

    祈祷をこうば

    馨し きこうろ

    香爐のかおり

    香 としてう

    受け、われら

    我等をあくしゅう

    惡臭 のくされ

    腐敗とおそ

    畏るべきくるしみ

    苦難 よりのが

    脱れ

    しめたま

    給へ、なんじ

    爾ひとり

    獨かんゆう

    寛宥 にしてねがい

    願 をい

    納るるしゅ

    主なればなり。

    こうえい

    光榮 はちち

    父とこ

    子とせいしん

    聖神 にき

    歸す、いま

    今もいつ

    何時もよよ

    世世に、「アミン」。

    【生神女讃詞】

    じれん

    慈憐のいずみ

    泉 なるしょうしんじょ

    生神女 よ、われら

    我等にあわれみ

    憐をた

    垂れたま

    給へ、つみ

    罪なるひとびと

    人人 をかえり

    顧 みて、つね

    恒のごと

    如く

    なんじ

    爾 のちから

    力 をあらわ

    顯 したま

    給へ。けだし

    蓋われら

    我等はなんじ

    爾 をたの

    恃みて、むかし

    昔むけい

    無形ぐん

    軍のしゅ

    首ガウリイルのよ

    呼びしごと

    くなんじ

    爾 によ

    呼ぶ、よろこ

    慶 べよ。

    <戻る。枠 P12、 50 聖詠>

    斎2【三歌經のカノン

    規程】讃詞及び「イルモス」は聖イオシフ及び聖フェオドルの作 第二の調

    第一歌頌。イズライリ人の歌句、エギペトを出づる記十五章一至十九節

    右誦経句 しゅ

    主にうた

    謳はん、かれ

    彼おごそか

    嚴 にこうえい

    光榮 をあらわ

    顯 したればなり、かれ

    彼はうま

    馬とのりて

    乗者とをうみ

    海になげう

    投 て

    り。

    左誦経句 たす

    佑けまも

    護るもの

    者あらわ

    顯 れて、わ

    我がすくい

    救 とな

    爲れり。かれ

    彼はわ

    吾がかみ

    神なり、われ

    我かれ

    彼をほ

    讃めあ

    揚げん、

    かれ

    彼はわ

    我がちち

    父のかみ

    神なりわれ

    我かれ

    彼をとうと

    尊 みうた

    頌はん。

    右 句 しゅ

    主はいくさ

    軍 をやぶ

    破るもの

    者なり、その

    其な

    名はしゅ

    主なり、かれ

    彼はファラオンのいくさぐるま

    戰車 とその

    其ぐん

    軍とをうみ

    になげう

    投 てり。

    左 句 しゅ

    主よ、なんじ

    爾 がみぎ

    右のて

    手はちから

    力 をもつ

    以てさかえ

    榮 をあらわ

    顯 せり、しゅ

    主よなんじ

    爾 がみぎ

    右のて

    手はてき

    敵をやぶ

    破り、

  • 6 2016 Maria M.

    なんじ

    爾 はこうえい

    光榮 のおおい

    大 なるにもつ

    以てなんじ

    爾 にさか

    逆ふもの

    者をほろぼ

    滅 せり。

    右 句 その

    其とき

    時エドムのしょこう

    諸侯 はおそ

    恐れまど

    惶ひ、モアフのぼくはく

    牧伯 はふる

    戰ひおのの

    慄 き、ハナアンのきょみん

    居民 は

    みな

    皆のぞみ

    望 をうしな

    失 へり。

    左讃詞 われ

    我いま

    今いか

    如何にしてかみ

    神にはな

    離れしをな

    泣くべきか、われ

    我ほうとう

    放蕩 にひ

    日をおく

    送りしもの

    者はいか

    如何なるわ

    我が

    すくい

    救 のはじめ

    始 をた

    建つべきか。じんじ

    仁慈なるもの

    者よ、なんじ

    爾 がし

    知るところ

    所 のほう

    法をもっ

    以てわれ

    我をすく

    救ひたま

    給へ。

    右 句 ねが

    願はくはおそれ

    畏懼とおののき

    戰慄 とはかれら

    彼等におよ

    及ばん、ねが

    願はくはなんじ

    爾 がひじ

    臂のおおい

    巨 なるによ

    縁りて、

    かれら

    彼等はいし

    石のごと

    如くならん。

    左讃詞 み

    視よ、つうかい

    痛悔 のとき

    時なり、み

    視よ、すくい

    救 のひ

    日、ものいみ

    齋 にい

    入るもん

    門なり。たましい

    靈 よけいせい

    儆醒 し、しょよく

    諸慾

    のもん

    門をとざ

    閉してしゅ

    主をあお

    仰げ。

    右 句 なんじ

    爾 のたみ

    民のす

    過ぐるにいた

    至るまで、しゅ

    主よ、こ

    斯のなんじ

    爾 がえ

    獲たるたみ

    民のす

    過ぐるにいた

    至るまでしか

    然ら

    ん。

    左讃詞 しょざい

    諸罪 のあらなみ

    狂瀾 はわれ

    我をしつぼう

    失望 のふかみ

    深處にひ

    引きい

    入るれども、われ

    我なんじ

    爾 があわれみ

    憐 のふち

    淵にはし

    趨りつ

    附く。

    しゅ

    主よ、われ

    我をすく

    救ひたま

    給へ。

    右 句 なんじ

    爾かれら

    彼等をみちび

    導 きて、なんじ

    爾 がしぎょう

    嗣業 のやま

    山にう

    植え、なんじ

    爾 がおのれ

    己 のすまい

    住所としてそな

    備へしところ

    處 、

    しゅ

    主よ、なんじ

    爾 がて

    手のつく

    作りしせいしょ

    聖所 にう

    植えたま

    給へ。

    左讃詞 かんゆう

    寛宥 なることば

    言 よ、われ

    我ひとり

    獨つみ

    罪 のどれい

    奴隷となり、われ

    我ひとり

    獨しょよく

    諸慾 のため

    爲にもん

    門をひら

    開 けり。

    きゅうせいしゅ

    救世主 よ、なんじ

    爾 のじんあい

    仁愛 をもっ

    以てわれ

    我をあらた

    改 めたま

    給へ。

    右 句 しゅ

    主はおう

    王となりてえいえん

    永遠 にいた

    至らん。ファラオンのうま

    馬はその

    其くるま

    車 、その

    其のりて

    乗者ととも

    偕にうみ

    海にい

    入り

    しに、しゅ

    主はかいすい

    海水 をもつ

    以てかれら

    彼等をおお

    覆へり。

    又三歌頌、フェオドル師の作。同調、同イルモス。

  • 7 2016 Maria M.

    左讃詞 ひとびと

    人人 よ、きた

    來りて、こんにち

    今日ものいみ

    齋 のたまもの

    賜 をかみ

    神よりたま

    賜はりたるつうかい

    痛悔 のとき

    時としてう

    受け、これ

    によ

    因りてきゅうせいしゅ

    救世主 のあわれみ

    憐をえ

    得ん。

    右 句 ただ

    惟イズライリのしょし

    諸子はうみ

    海のなか

    中にかわ

    乾けるち

    地をゆ

    行けり。

    左讃詞 いま

    今きんろう

    勤勞 のとき

    時のぞ

    臨み、ものいみ

    齋 のみち

    途ひら

    開けたり。われら

    我等みな

    皆いさ

    勇み てこれ

    此につ

    就き、しょとく

    諸徳 をささげもの

    獻物

    としてしゅ

    主にたてまつ

    奉 らん。

    右 句 こうえい

    光榮 はちち

    父とこ

    子とせいしん

    聖神 にき

    歸す。

    左 聖三者讃詞 たんいつ

    單一 にしてさんこう

    三光 なるゆいいち

    惟一 のもの

    者、ひとり

    獨ばんゆう

    萬有 のつかさ

    宰 たるもの

    者、あた

    能はざるところ

    所 な

    きもの

    者、ばんぶつ

    萬物 にいのち

    生命をほどこ

    施すもの

    者、かみ

    神およ

    及びしゅ

    主、ぜんのう

    全能 なるちち

    父とこ

    子とせいしん

    聖神 よ、なんじ

    爾 をとうと

    尊 むもの

    をすく

    救ひたま

    給へ。

    右 句 いま

    今もいつ

    何時もよよ

    世世に、「アミン」

    左 生神女讃詞 われら

    我等かみ

    神のせいざん

    聖山 たるむてん

    無玷のマリヤをうた

    歌はん、かれ

    彼よりくらやみ

    闇冥 にお

    居るもの

    者のため

    爲にぎ

    のひ

    日ハリストス、ばんゆう

    萬有 のいのち

    生命はかがや

    輝 けり。

    右 句 われら

    我等のかみ

    神よ、こうえい

    光榮 はなんじ

    爾 にき

    歸す、こうえい

    光榮 はなんじ

    爾 にき

    歸す。

    左讃詞 ひ

    火のくるま

    車 はものいみ

    齋 をよそお

    装ひ たるきい

    奇異なるイリヤをと

    取り、ものいみ

    齋 はモイセイをい

    言ひがた

    難きこと

    をみ

    見るもの

    者とな

    爲せり。われら

    我等もこれ

    之をう

    受けてハリストスをみ

    見ん。

    右 句 われら

    我等のかみ

    神よ、こうえい

    光榮 はなんじ

    爾 にき

    歸す、こうえい

    光榮 はなんじ

    爾 にき

    歸す。

    左讃詞 アダムがかて

    糧をくら

    食ひ しに、たんよく

    貪慾かれ

    彼をちどう

    地堂よりいだ

    出せ り。ひと

    人をあい

    愛するしゅ

    主よ、われら

    我等ものいみ

    をう

    受けしもの

    者をかいかい

    悔改 にかな

    合ふもの

    者とあらわ

    顯 したま

    給へ。

    (詠)「イルモス」人人よ、來りて、海を分ちて、エギペトの奴隷より引き出しし民を過らせしハリストス神

    に歌を歌はん、彼光榮を顯したればなり。

  • 8 2016 Maria M.

    【小聯祷】

    我等復又安和にして主に祷らん。 (詠) 主憐めよ。 神よ、爾の恩寵を以て我等を佑け救ひ憐み護れよ。 (詠) 主憐めよ。 至聖至潔にして至りて讃美たる我等の光榮の女宰・生神女・永貞童女マリヤと、諸聖人とを記憶して、我等

    己の身及び互に各の身を以て、并に悉くの我等の生命を以て、ハリストス神に委託せん。(詠) 主爾に

    司祭高聲 蓋權柄及び國と權能と光榮は爾父と子と聖神に歸す、今も何時も世世に。(詠)「アミン」

    第八歌頌 三少者の歌句、ダニイル三章五十七至八十八節

    右誦經句 しゅ

    主のことごと

    悉 くのぞうぶつ

    造物 はしゅ

    主をあが

    崇めほ

    讃めよ、かれ

    彼をうた

    歌ひてよよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げよ。

    左誦經句 しゅ

    主のしょてんし

    諸天使、しゅ

    主のしょてん

    諸天 はしゅ

    主をあが

    崇めほ

    讃めよ、かれ

    彼をうた

    歌ひてよよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げよ。

    右句 しょてん

    諸天 のうえ

    上にあ

    在るみず

    水、しゅ

    主のばんぐん

    萬軍 はしゅ

    主をあが

    崇めほ

    讃めよ、かれ

    彼をうた

    歌ひてよよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げよ。

    左句 ひ

    日とつき

    月と、てん

    天のほし

    星はしゅ

    主をほ

    讃めあ

    揚げよ、かれ

    彼をうた

    歌ひてよよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げよ。

    右句 てん

    天のもろもろ

    諸 のとり

    鳥、やじゅう

    野獸 といっさい

    一切 のかちく

    家畜としゅ

    主をあが

    崇めほ

    讃めよ、かれ

    彼をうた

    歌ひてよよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げ

    よ。

    第1歌頌イルモスと

    海 を

    ギぺトの 奴隷より 引きいだしし 民を通らせし

    ハリス

    トス

    歌 を

    わん

    彼 光栄を 顕

    し た れ

    じに

    ミン

  • 9 2016 Maria M.

    左讃詞 ハリストスよ、われ

    我かいらく

    快樂 にてや

    焚かれ、たましい

    靈 のめ

    目のくら

    昏まされしもの

    者を、なんじ

    爾 をおそ

    畏るるおそれ

    のひ

    火にてあらた

    新 にし、すくい

    救 のひかり

    光 にて、てら

    照したま

    給へ、わ

    我がなんじ

    爾 をよよ

    世世にさんえい

    讃榮 せんため

    爲なり。

    右句 ひと

    人のしょし

    諸子はしゅ

    主をあが

    崇めほ

    讃めよ、イズライリみん

    民はしゅ

    主をあが

    崇めほ

    讃めよ、かれ

    彼をうた

    歌ひてよよ

    世世にほ

    めあ

    揚げよ。

    左讃詞 わ

    我がいや

    卑しきたましい

    靈 よ、しょよく

    諸慾 にあ

    饜くことをにく

    悪み、しょぜん

    諸善 のかんび

    甘美なるかて

    糧をもつ

    以ておのれ

    己 をやしな

    へ、かいらく

    快樂 のにが

    苦きをさ

    避け、ものいみ

    齋 のあま

    甘きをたのし

    樂 みてよよ

    世世にながら

    存 へよ。

    右句 しゅ

    主のしさい

    司祭ら

    等、しゅ

    主のしょぼく

    諸僕 はしゅ

    主をあが

    崇めほ

    讃めよ、かれ

    彼をうた

    歌ひてよよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げよ。

    左讃詞 われ

    我たましい

    靈 のめしい

    盲 となり、しょよく

    諸慾 のよい

    醉にくら

    昏まされて、なんじ

    爾ゆいいち

    惟一 のかみ

    神をあお

    仰ぎみ

    見るをえ

    得ず、

    ゆえ

    故にあわれみ

    憐 をた

    垂れてわれ

    我をてら

    照し、わ

    我がため

    爲につうかい

    痛悔 のもん

    門をひら

    開きたま

    給へ。

    右句 しょしん

    諸神 としょせいじん

    諸聖人 のたましい

    靈 と、しょぎじん

    諸義人とこころ

    心 のけんぴ

    謙卑なるもの

    者としゅ

    主をあが

    崇めほ

    讃めよ、かれ

    彼をうた

    歌ひ

    てよよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げよ。

    左讃詞 ち

    地にぞく

    属するわれら

    我等のく

    朽ちやす

    易きせい

    性をてん

    天にぞく

    属するもの

    者とな

    爲ししいさぎよ

    潔 きもの

    者よ、なんじ

    爾 がねつせつ

    熱切

    なるきとう

    祈祷をもつ

    以て、わ

    我がいのり

    祈わ

    我がねがい

    願 をなんじ

    爾 とばんゆう

    萬有 とのかみ

    神およ

    及びおう

    王にむか

    向はしめたま

    給へ。

    右句 アナニヤ、アザリヤ、ミサイルはしゅ

    主をあが

    崇めほ

    讃めよ、かれ

    彼をうた

    歌ひてよよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げよ。

    左讃詞 しんじゃ

    信者 よ、われら

    我等よろこ

    喜 ばしくものいみ

    齋 のい

    入るをむか

    迎へ、うれ

    憂ふることなく、すなわち

    即むよく

    無慾のみず

    水をもつ

    てわ

    我がおもて

    面 をあら

    洗ひ、ハリストスをあが

    崇めほ

    讃め、よよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げん。

    右句 しゅ

    主のしょしと

    諸使徒、よげんしゃ

    預言者、ちめいしゃ

    致命者はしゅ

    主をあが

    崇めほ

    讃めよ、かれ

    彼をうた

    歌ひてよよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げよ。

    左讃詞 われら

    我等しんあい

    親愛 のあぶら

    膏 をたましい

    靈 のこうべ

    首 にぬ

    塗り、ことば

    言 をおお

    多くせずして、てん

    天にいま

    在すわれら

    我等のちち

    父に

    いのり

    祈祷をささ

    獻げ、かれ

    彼をあが

    崇めほ

    讃め、よよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げん。

  • 10 2016 Maria M.

    右句 われら

    我等しゅ

    主なるちち

    父とこ

    子とせいしん

    聖神 とをあが

    崇めほ

    讃めん。

    左 聖三者讃詞 しんじゃ

    信者 よ、われら

    我等えいざい

    永在 にしてむげん

    無原なるちち

    父、どう

    同むげん

    無原のこ

    子、ちち

    父よりどう

    同むげん

    無原にひか

    光り

    たるせいしん

    聖神 、ゆいいち

    惟一 のぜんのう

    全能 なるげんいん

    原因およ

    及びけんぺい

    權柄 たるさんい

    三位のいっせい

    一性 をうた

    歌はん。

    右句 いま

    今もいつ

    何時もよよ

    世世に、「アミン」。

    左 生神女讃詞 かみ

    神にめ

    召されたるマリヤよ、なんじ

    爾 はじつ

    實にしんじゃ

    信者 のきよめ

    潔浄のいずみ

    泉 なり、けだし

    蓋なんじ

    爾 によ

    りてつみ

    罪のゆるし

    赦 はゆたか

    豊 にしゅうじん

    衆人 にたま

    賜はる、もと

    求む、なんじ

    爾 をうた

    歌ふもの

    者のため

    爲になんじ

    爾 のこ

    子およ

    及びしゅ

    主にや

    息め

    ずしていの

    祈りたま

    給へ。

    右句 われら

    我等のかみ

    神よ、こうえい

    光榮 はなんじ

    爾 にき

    歸す、こうえい

    光榮 はなんじ

    爾 にき

    歸す。

    左讃詞 けいてい

    兄弟 よ、しゅ

    主はしじゅうにちかん

    四十日間ものいみ

    齋 して、いま

    今のひ

    日をせい

    聖にしてきよ

    浄めたま

    給へり、われら

    我等こ

    此のひ

    日に

    いた

    至りてよ

    呼ばん、ハリストスをあが

    崇めほ

    讃め、よよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げよ。

    (詠) われら

    我等しゅ

    主をほ

    讃め、あが

    崇め、ふ

    伏しおが

    拜みて、よよ

    世世にうた

    歌ひほ

    讃めん。

    「イルモス」むかし

    昔ほのお

    火焔のうち

    中にエウレイのしょうしゃ

    少者 につゆ

    露をそそ

    注ぎ、きい

    奇異にしてハルデヤじん

    人をその

    其うち

    中にや

    爇きししゅ

    主をうた

    歌ひ

    てい

    云はん、かれ

    彼をあが

    崇めほ

    讃めて、よよ

    世世にほ

    讃めあ

    揚げよ。

    第8歌頌イルモス我等 主を崇め讃め 伏し 拝みて世

    々 に う

    めん

    むか

    ほのお

    エウレイの少者に 露を

    しょうしゃ つゆ

    ハルデ

    -を

    其の中に 焼きし 主を

    わん

    彼を 崇め讃めて、世

    に讃

    め あ

  • 11 2016 Maria M.

    嗣ぎて司祭誦す、

    しょうしんじょ

    生神女ひかり

    光 のはは

    母をほめうた

    讃歌 をもつ

    以てほ

    讃めあ

    揚げん。

    (詠) [ヘルビムの歌]

    我が心は主を崇め、我が 靈たましい

    は神我が救主を悦ぶ。

    附唱 ヘルビムより尊く、セラフィムに並びなく栄え、貞操み さ お

    を破らずして神言かみことば

    を生みし、実の生神女

    たる爾を崇め讃む。

    第2句 その婢の卑しきを顧かえり

    み給へり、今より萬世よろずよ

    我を福なりと言はん、→ヘルビムより尊く

    第3句 権能ち か ら

    を持ち給へるものは、我が為に大なる事を為せり、其の名は聖なり、其の憐れみは

    世世 彼を畏るる者に臨まん →ヘルビムより尊く

    第4句 其の肘の力を表して、心の驕おご

    れるものを散らし給へり、 →ヘルビムより尊く

    第5句 権ある者を位より斥け、卑しき者を上げ、飢うる者を善に飽かせ、富める者をむなしく

    帰らせ給へり。 →ヘルビムより尊く

    第6句 其の僕、イズライリを納い

    れて、我が先祖に告げしが如く、アウラアムと其の裔を世世に

    憐れむ事を記憶し給へり、 →ヘルビムより尊く

    第九歌頌 聖ザハリヤの歌句、ルカ六十八至七十九節

    右誦經句 しゅくさん

    祝讃 せらるるかな

    哉、しゅ

    主イズライリのかみ

    神、けだし

    蓋その

    其たみ

    民をかえり

    眷 みて、これ

    之にあがない

    贖 をな

    爲し、

    左誦經句 われら

    我等のため

    爲にすくい

    救 のつの

    角をその

    其ぼく

    僕ダワィドのいえ

    家におこ

    興せり、

    右 句 こせい

    古世よりその

    其せい

    聖なるよげんしゃ

    預言者のくち

    口をもつ

    以てい

    言ひしがごと

    如し、

    左 句 すなわち

    即われら

    我等をわ

    我がしょてき

    諸敵およ

    及びおよ

    凡そわれら

    我等をにく

    悪むもの

    者のて

    手よりすく

    救ひ、

    第1句我が心は主を あが

    我が霊は神我が救主を 喜

    附唱

    ヘルビムより尊と

    - く

    セラフィムに並びなく さ

    -え

    貞操を

    破らずして神言を 生み

    -し

    実の生神女たる

    爾を

    -む

  • 12 2016 Maria M.

    右 句 もつ

    以てあわれみ

    矜恤 をわ

    我がせんぞ

    先祖にほどこ

    施 し、その

    其せい

    聖なるやく

    約、すなわち

    即わ

    我がそ

    祖アウラアムにちか

    矢ひたる

    ちかい

    誓 をきねん

    記念せん、

    左讃調 たましい

    靈 よ、ものいみ

    齋 のひ

    日はなんじ

    爾 のため

    爲につみ

    罪をた

    絶ちて、かみ

    神にかたぶ

    傾 き、これ

    之にした

    親しむもの

    者とな

    爲る

    べし、なんじ

    爾 があく

    悪のふち

    淵をのが

    遁れて、ただ

    唯か

    夫のあんそく

    安息 にいた

    至らしむるみち

    途をあい

    愛せんため

    爲なり。

    右 句 い

    謂ふ、われら

    我等にわ

    我がしょてき

    諸敵 のて

    手よりすく

    救はれしのち

    後、おそれ

    懼 なく、かれ

    彼のまえ

    前にあ

    在りて、せい

    聖をもつ

    てぎ

    義をもつ

    以て、しょうがい

    生涯かれ

    彼につか

    事へしめんと。

    左讃詞 われ

    我おもい

    意念にてつまづ

    躓 き、にくたい

    肉體 にてつみ

    罪をおか

    犯して、すすりな

    欷 き、さまよ

    呻 ひ、よ

    呼ぶ、しゅ

    主よ、われ

    我をすく

    ひたま

    給へ、ひとり

    獨かんにん

    寛忍 なるもの

    者よ、われ

    我をすく

    救ひたま

    給へ、われ

    我ていざい

    定罪 にあた

    當るもの

    者をか

    彼のじごく

    地獄のひ

    火にていざい

    定罪 す

    るなか

    毋れ。

    右 句 こ

    子よ、なんじ

    爾 もしじょうしゃ

    至上者 のよげんしゃ

    預言者ととな

    稱へられん、けだし

    蓋しゅ

    主のめんぜん

    面前 にゆ

    行きて、その

    其みち

    道をそな

    へん。

    左讃詞 われら

    我等ものいみ

    齋 のあきらか

    明 なるころも

    衣 をき

    衣て、よい

    酔のくら

    暗くしてい

    最とおも

    重きふく

    服をぬ

    脱ぎ、しんみょう

    神妙 のとく

    徳に

    てあきらか

    明 なるをえ

    得て、しん

    信をもつ

    以てきゅうせいしゅ

    救世主 のひか

    光りたるくるしみ

    苦 をみ

    見ん。

    右 句 かれ

    彼のたみ

    民に、その

    其すくい

    救 はすなわち

    即しょざい

    諸罪 のゆるし

    赦 にして、わ

    我がかみ

    神のあわれみ

    矜恤 によ

    因ることをし

    知らし

    めん。

    左讃詞 しじょう

    至浄 なるじょさい

    女宰 よ、きょうあく

    凶悪 なるまき

    魔鬼のもろもろ

    諸 のせめ

    攻によ

    因りてよわ

    弱りしわ

    我がくるし

    苦 めるたましい

    をいや

    醫したま

    給へ、けだし

    蓋なんじ

    爾 はいし

    醫師なるハリストス、なんじ

    爾むてん

    無玷なるどうていじょ

    童貞女 をう

    承けと

    認むるわれら

    我等の

    あがない

    贖 なるもの

    者をう

    生みたま

    給へり。

    右 句 こ

    此のあわれみ

    矜恤 によ

    因りて、あさひ

    東旭はうえ

    上よりわれら

    我等にのぞ

    臨めり。

    左讃詞 いま

    今せい

    聖なるものいみ

    齋 のとき

    時きた

    來れり、われら

    我等ぜんこう

    善行 をもつ

    以てこれ

    是をはじ

    始めん、けだし

    蓋い

    曰へり、ぎ

    議するを

  • 13 2016 Maria M.

    もつ

    以て、あらそ

    爭 ふをもつ

    以てものいみ

    齋 するなか

    毋れ。

    右 句 くらやみ

    幽暗 とし

    死のかげ

    蔭とにざ

    坐するもの

    者をてら

    照し、われら

    我等のあし

    足をへいあん

    平安 のみち

    道にむか

    向はしめんため

    爲なり。

    左讃詞 イリヤはホリフざん

    山にあ

    在りてものいみ

    齋 にきよ

    浄められて、かみ

    神をみ

    見たり、われら

    我等もものいみ

    齋 をもつ

    以て

    こころ

    心 をきよ

    浄むべし、しか

    然らばハリストスをみ

    見ん。

    右 句 こうえい

    光榮 はちち

    父とこ

    子とせいしん

    聖神 にき

    歸す、

    左 聖三者讃詞 われ

    我ゆいいち

    惟一 のしんせい

    神性 にこうはい

    叩拜 し、さんい

    三位をうた

    歌ひ、ゆいいち

    惟一 のばんゆう

    萬有 のかみ

    神、ちち

    父、こ

    子、せいしん

    聖神 、

    えいざい

    永在 のげんいん

    原因 をうた

    歌ふ。

    右 句 いま

    今もいつ

    何時もよよ

    世世に、「アミン」。

    左 生神女讃詞 いさぎよ

    潔 きもの

    者にしてこ

    子をう

    生み、どうていじょ

    童貞女 にしてちち

    乳をの

    飲ます、う

    生みてどうてい

    童貞 をまも

    守る

    に、いか

    如何にしてこ

    斯のふたつ

    二 のもの

    者あるか、これ

    是をおこな

    行 ひしもの

    者はかみ

    神なり、その

    其いか

    如何なるをわ

    我にと

    問ふなか

    毋れ。

    右 句 われら

    我等のかみ

    神よ、こうえい

    光榮 はなんじ

    爾 にき

    歸す、こうえい

    光榮 はなんじ

    爾 にき

    歸す。

    左讃詞 ち

    地にうま

    生れしもの

    者のいのち

    生命はいちにち

    一日 なりとい

    曰へり、あい

    愛をもつ

    以てろう

    勞するもの

    者のため

    爲にはしじゅうにち

    四十日 の

    ものいみ

    齋 あり、われら

    我等よろこ

    喜 びてこれ

    之をおく

    送らん。

    詠隊「イルモス」を歌ふ。

    われら

    我等しんじゃ

    信者 は、ちち

    父よりえいえん

    永遠 にひか

    光れるとこば

    言 をみ

    身にてはか

    測りがた

    難くはら

    孕みしもの

    者を、や

    息めざるうた

    歌をもつ

    以てあが

    崇めほ

    讃む。

  • 14 2016 Maria M.

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    斎3 【くづけ

    挿句のスティヒラ

    讃頌 】 第五の調

    句 しゅ

    主よ、つと

    夙になんじ

    爾 のあわれみ

    憐 をもっ

    以てわれら

    我等にあ

    飽かしめよ、しか

    然せばわれら

    我等しょうがい

    生涯よろこ

    歡 びたの

    樂しまん。

    なんじ

    爾われら

    我等をう

    撲ちしひ

    日、われら

    我等がわざわい

    禍 にあ

    遭ひしとし

    年にか

    代へて、われら

    我等をたの

    樂しましめたま

    給へ。ねが

    願はくは

    なんじ

    爾 のわざ

    工作はなんじ

    爾 のしょぼく

    諸僕 にあらわ

    著 れ、なんじ

    爾 のこうえい

    光榮 はその

    其しょし

    諸子にあらわ

    著 れん。

    ものいみ

    齋いた

    至れり、これ

    此はていけつ

    貞潔 のはは

    母、しょざい

    諸罪 をせ

    責むるもの

    者、つうかい

    痛悔 をつた

    傳ふるもの

    者、てんし

    天使ら

    等のどせい

    度生、ひとびと

    人人

    のすくい

    救 なり。われら

    我等しんじゃ

    信者 はよ

    呼ばん、かみ

    神よ、われら

    我等をあわれ

    憐 みたま

    給へ。

    句 ねが

    願はくはしゅ

    主わ

    吾がかみ

    神のめぐみ

    恵 はわれら

    我等にあ

    在らん、ねが

    願はくはわ

    我がて

    手のわざ

    工作をわれら

    我等にたす

    助けたま

    給へ、

    我がて

    手のわざ

    工作をたす

    助けたま

    給へ。

    致命者讃詞、

    てん

    天のおう

    王のぐん

    軍はあが

    崇めほ

    讃めらるるかな

    哉、じゅなんしゃ

    受難者 はち

    地にうま

    生れしもの

    者なりといえども

    雖 、てんし

    天使のくらい

    位 をえ

    得ん

    ことをつと

    務めて、にくたい

    肉體 をおもんばか

    慮 らず、その

    其くるしみ

    苦 にてむけい

    無形のもの

    者のそんけい

    尊敬 をう

    受くるにた

    堪ふるもの

    者とな

    れり。しゅ

    主よ、かれら

    彼等のきとう

    祈祷によ

    因りてわれら

    我等のたましい

    靈 をすく

    救ひたま

    給へ。

    こうえい

    光榮 はちち

    父とこ

    子とせいしん

    聖神 にき

    歸す、いま

    今もいつ

    何時もよよ

    世世に、「アミン」。

    第9歌頌イルモスれ

    父ち

    遠に光れる

    身にて測り難

    く は

    み しも

    息めざる歌を もって

    あが

    - む

  • 15 2016 Maria M.

    生神女讃詞、 われら

    我等うた

    歌のこえ

    聲をもっ

    以てなんじ

    爾かみ

    神のはは

    母、いさぎよ

    潔 きどうていじょ

    童貞女 、ヘルワィムよりもせい

    聖なるもの

    者をあが

    崇めほ

    讃む、

    けだし

    蓋なんじ

    爾 をう

    承けと

    認めてれいけい

    靈形 にしょうしんじょ

    生神女 たるもの

    者とな

    爲す、なんじ

    爾 はじつ

    實にじんたい

    人體 をう

    受けしかみ

    神をう

    生み

    たればなり。しじょう

    至浄 なるもの

    者よ、われら

    我等のたましい

    靈 のため

    爲にいの

    祈りたま

    給へ。

    <→戻る。枠 P19「至上者よ」へ>

    六時課

    斎4 預言のトロパリ

    讃詞 、第五の調。

    しゅ

    主よ、しゅ

    主よ、ばんぶつ

    萬物 はなんじ

    爾 をおそ

    畏れ、なんじ

    爾 がちから

    能力のまえ

    前におのの

    慄 く。ふし

    不死なるもの

    者よ、われら

    我等なんじ

    爾 にふふく

    俯伏し、

    せい

    聖なるもの

    者よ、なんじ

    爾 にいの

    祈る、なんじ

    爾 がしょせいじん

    諸聖人 のきとう

    祈祷によ

    因りてわれら

    我等のたましい

    靈 をすく

    救ひたま

    給へ。

    司祭 つつし

    謹 みてき

    聽くべし。

    【ポロキメン

    提綱 】第四の調、第一聖詠、

    主は義人の道を知る、悪人の途は滅びん。(第1聖詠:1) (句)悪人の謀に行かず、罪人の途に立たざる人は福なり。

    【預言書の読み】

    司祭 睿智

    誦経 イサイヤの預言書の讀。一章一至二十節。

    司祭 謹みて聽くべし。

    誦経誦す、

    アモスのこ

    子イサイヤのみ

    見しところ

    所 のいしょう

    異象 、すなわち

    乃 イウデヤとイエルサリムとのこと

    事なり、その

    其イウ

    デヤのしょおう

    諸王 オジヤ、イオアファム、アハズ、エゼキヤのひ

    日におい

    於てみ

    見しところ

    所 なり。てん

    天よ、き

    聽け、

    第1週 月曜日 (4調)義人の道を知る、悪人の 途は

    - ろ

    びん

  • 16 2016 Maria M.

    地よ、みみ

    耳をかたぶ

    傾 けよ、けだし

    蓋しゅ

    主これ

    之をい

    言う、われ

    我こ

    子をやしな

    養 い、これ

    之をたか

    高くせり、しか

    然れどもかれら

    彼等われ

    我に

    そむ

    叛けり。うし

    牛はその

    其かいぬし

    飼主 をし

    識り、うさぎうま

    驢 はその

    其しゅ

    主のうまぶね

    槽 をし

    識る 、しか

    然れどもイズライリはわれ

    我を

    知らず、わ

    我がたみ

    民はさと

    悟らず。ああ

    嗟乎ざいあく

    罪惡 のたみ

    民、ふほう

    不法のみ

    盈つるひとびと

    人人 、あくしゃ

    惡者 のぞく

    族、ほろび

    沈淪のしょし

    諸子よ、

    なんじら

    爾等しゅ

    主をす

    棄て、イズライリのせいじゃ

    聖者 をあなど

    侮 り、てん

    轉じてこれ

    之をはな

    離れたり。さか

    逆いてや

    息まざるもの

    者よ、

    なん

    何のところ

    處 かまた

    復なんじら

    爾等 をう

    撻つべき、こうべ

    首 はあまね

    徧 くきず

    痍をお

    負ひ、こころ

    心 はまった

    全 くおとろ

    衰 へたり。あし

    足のうら

    よりこうべ

    首 のいただき

    頂 にいた

    至るまでかれ

    彼にまった

    全 きところ

    所 なし、ただ

    唯いたみ

    傷損、ただれ

    腐潰、う

    膿みたるきず

    瘡のみ、あら

    洗はず、

    つか

    束ねず、あぶら

    膏 をもっ

    以てやわら

    柔 げざるもの

    者なり。なんじら

    爾等 のち

    地はあ

    荒らされ、なんじら

    爾等 のまち

    邑はひ

    火にや

    焚かれ、

    なんじら

    爾等 のた

    田はなんじら

    爾等 のもくぜん

    目前 におい

    於てがいじん

    外人これ

    之をくら

    食ふ 、みな

    皆あ

    荒れたること、がいじん

    外人 にやぶ

    敗られしあと

    後の

    ごと

    如し。シオンのむすめ

    女 はのこ

    遺れること、ぶどうえん

    葡萄園のいおり

    廬 のごと

    如く、はたけ

    菜園のこや

    舎のごと

    如く、かこ

    圍みせ

    攻めらる

    るしろ

    城のごと

    如し。も

    若ししゅ

    主サワオフわれら

    我等にすこし

    少許ののこり

    殘餘をとど

    留め ざりしならば、われら

    我等はソドムにに

    似、ゴ

    モラのごと

    如くな

    爲りしならん。ソドムのしょこう

    諸侯 よ、しゅ

    主のことば

    言 をき

    聽け、ゴモラのたみ

    民よ、わ

    我がかみ

    神のりっぽう

    律法

    にみみ

    耳をかたぶ

    傾 けよ。しゅ

    主いわ

    云く、なんじら

    爾等 のおお

    多くのいけにえ

    犠牲 はわれ

    我におい

    於てなに

    何をかな

    爲さん、おひつじ

    牡羊 のやきまつり

    燔祭

    とこ

    肥えたるかちく

    家畜のあぶら

    膏 とは、われ

    我これ

    之にあ

    饜きたり、おうし

    牡牛とこひつじ

    羔 とおやぎ

    牡山羊とのち

    血は、われ

    我これ

    之をほっ

    欲せ

    ず。なんじ

    爾ら

    等わ

    我がおもて

    面 のまえ

    前にきた

    來るとき

    時、たれ

    誰かなんじら

    爾等 にうなが

    促 してわ

    我がにわ

    庭をふ

    踐ましむる。また

    復むな

    虚しき

    ささげもの

    獻物 をたずさ

    攜 ふるなか

    毋れ、た

    焚けるこう

    香は、われ

    我これ

    之をにく

    憎む、しんげつ

    新月 とスボタ

    安息日とまつりび

    祭日 のしゅうかい

    集會 とは、

    われ

    我これ

    之をしの

    忍ばず、まつり

    祭祀にはなん

    何ぞふほう

    不法をか

    兼ぬべけん。なんじら

    爾等 のしんげつ

    新月 となんじら

    爾等 のまつりび

    祭日 とは、わ

    我が

    たましい

    靈これ

    之をにく

    憎む、こ

    是れわ

    我がため

    爲におもに

    重負なり、われ

    我これ

    之をた

    堪えがた

    難し とす。なんじら

    爾等て

    手をの

    舒ぶるとき

    時、われ

    我がめ

    目をなんじら

    爾等 よりおお

    掩う、なんじら

    爾等いの

    祈りをま

    益すとき

    時、われ

    我き

    聽かず、なんじら

    爾等 のて

    手にはち

    血み

    盈ちたり。おのれ

    をあら

    洗い 、おのれ

    己 をきよ

    浄め よ、なんじら

    爾等 のあくぎょう

    惡業 をわ

    我がめ

    目のまえ

    前よりさ

    去れ、あく

    惡をおこな

    行ふ をや

    罷めよ、ぜん

  • 17 2016 Maria M.

    をおこな

    行ふ をまな

    學べ、ぎ

    義をもと

    求めよ、しいた

    虐げ らるるもの

    者をすく

    救へ、みなしご

    孤子 をまも

    護れ、やもめ

    寡婦のうったえ

    訟 をおさ

    理め

    よ。しゅ

    主いわ

    云く 、その

    其とき

    時きた

    來たりてろん

    論ぎ

    議せん、なんじら

    爾等 のつみ

    罪も

    若しくれない

    紅 のごと

    如くならば、われ

    我これ

    之をゆき

    雪の

    ごと

    如くしろ

    白くせん、も

    若したん

    丹のごと

    如くあか

    赤くば、ひつじ

    羊 のけ

    毛のごと

    如くしろ

    白くせん。なんじら

    爾等も

    若しうけが

    肯 ひてしたが

    順 は

    ば、ち

    地のよき

    善もの

    物をくら

    食は ん、も

    若しうけが

    肯 はずしてさから

    逆 はば、つるぎ

    劍なんじら

    爾等 をか

    噛まん、けだし

    蓋しゅ

    主のくち

    口これ

    之を

    言う。 <→枠へ戻る P36>

    晩 課

    斎5【主よ、爾によぶとスティヒラ

    讃頌 】、聖イオシフの作 第二の調

  • 18 2016 Maria M.

    <続けて>

    誦経 しゅ

    主よ、わ

    我がくち

    口にまもり

    衞 をお

    置き、わ

    我がくちびる

    唇 のもん

    門をふせ

    扞ぎたま

    給へ、わ

    我がこころ

    心 によこしま

    邪 なることば

    にかたぶ

    傾 きて、ふほう

    不法をおこな

    行 ふひと

    人ととも

    共につみ

    罪のいいわけ

    推諉 せしむるなか

    毋れ。

    我がこえ

    聲をもっ

    以てしゅ

    主によ

    籲び、わ

    我がこえ

    聲をもっ

    以てしゅ

    主にいの

    祷り、わ

    我がいのり

    祷 をその

    其まえ

    前にそそ

    注ぎ、わ

    我がうれい

    憂 をその

    まえ

    前にあらわ

    顯 せり。わ

    我がたましい

    靈われ

    我のうち

    衷によわ

    弱りしとき

    時、なんじ

    爾 はわれ

    我のみち

    途をし

    知れり、わ

    我がゆ

    行くみち

    路におい

    於て、

    かれら

    彼等はひそか

    竊 にわ

    我がため

    爲にあみ

    網をもう

    設けたり。われ

    我みぎ

    右にめ

    目をそそ

    注ぐに、ひとり

    一人もわれ

    我をみと

    認むるもの

    者なし、われ

  • 19 2016 Maria M.

    にのが

    遁るるところ

    所 なく、わ

    我がたましい

    靈 をかえりみ

    顧 るもの

    者なし。しゅ

    主よ、われ

    我なんじ

    爾 によ

    呼びてい

    云へり、なんじ

    爾 はわれ

    我の

    かくれが

    避所 なり、い

    生けるもの

    者のち

    地におい

    於てわれ

    我のぶん

    分なり。わ

    我がよ

    籲ぶをき

    聽きたま

    給へ、われ

    我はなはだ

    甚よわ

    弱りたればな

    り、われ

    我をはくがい

    迫害 するもの

    者よりすく

    救ひたま

    給へ、かれら

    彼等はわれ

    我よりつよ

    強ければなり。

    句)しゅ

    主よ、も

    若しなんじ

    爾ふほう

    不法をただ

    糾さば、しゅ

    主よ、たれ

    孰かよ

    能くた

    立たん。しか

    然れどもなんじ

    爾 にゆるし

    赦 あり、ひと

    人に

    なんじ

    爾 のまえ

    前につつし

    敬 まんため

    爲なり。

    われ

    我もろもろ

    諸 のつみ

    罪をおか

    犯し、ほうとう

    放蕩 なることしゅうじん

    衆人 にこ

    超えたり、く

    悔いんとほっ

    欲すれどもなみだ

    涙 のながれ

    流 な

    し、いま

    今なお

    猶おこた

    怠 りてひ

    日をわた

    度らばくるしみ

    苦 にふく

    服せん。ひとり

    獨じんじ

    仁慈なるかみ

    神よ、われ

    我にかいかい

    悔改 をたま

    賜ひて、われ

    をあわれ

    憐 みたま

    給へ。

    句) われ

    我しゅ

    主をのぞ

    望み、わ

    我がたましい

    靈しゅ

    主をのぞ

    望み、われ

    我かれ

    彼のことば

    言 をたの

    恃む。

    ハリストスよ、ものいみ

    齋 のうるわ

    美し きひ

    日におい

    於てわれ

    我になみだ

    涙 のあめ

    雨をあた

    與へたま

    給へ、わ

    我がな

    泣きてかいらく

    快樂 によ

    由る

    けがれ

    汚 をあら

    滌はんため

    爲、かつ

    且しんぱんしゃ

    審判者しゅ

    主よ、なんじ

    爾 がひとびと

    人人 をしんぱん

    審判 せんため

    爲にてん

    天よりのぞ

    臨まんとき

    時、きよ

    潔ま

    りたるもの

    者としてなんじ

    爾 のまえ

    前にあらわ

    顯 れんため

    爲なり。けだし

    蓋なんじ

    爾 はしんぱんしゃ

    審判者かつ

    且ひとり

    獨ぎ

    義なるもの

    者なり。

    他のスティヒラ

    讃頌 聖フェオドルストゥディトの作 第五の調

    句) わ

    我がたましい

    靈しゅ

    主をま

    待つこと、ばんにん

    番人 のあさ

    旦をま

    待ち、ばんにん

    番人 のあさ

    旦をま

    待つよりはなはだ

    甚 し。

    しんじゃ

    信者 よ、ねっしん

    熱心 にしてきた

    來り、ものいみ

    齋 のけんご

    堅固なるぶき

    武器をたて

    盾のごと

    如くにと

    執りて、てき

    敵のいざない

    誘 のもろもろ

    のあざむき

    欺詐 をふせ

    防がん。しょよく

    諸慾 のかいらく

    快樂 にてや

    焚かれざらん、こころみ

    試 のひ

    火をおそ

    畏れざらん、けだし

    蓋ひと

    人をあい

    愛す

    るハリストスはこ

    此のこころみ

    試 によ

    依りてわれら

    我等にかんにん

    寛忍 のえいかん

    榮冠 をこうむ

    冠 らしむ。ゆえ

    故にわれら

    我等いさ

    勇み ていの

    祈り、

    伏してよ

    呼び、へいあん

    平安およ

    及びわれら

    我等のたましい

    靈 のため

    爲におおい

    大 なるあわれみ

    憐をもと

    求めん。

    こうえい

    光榮 はちち

    父とこ

    子とせいしん

    聖神 にき

    歸す、いま

    今もいつ

    何時もよよ

    世世に、「アミン」。

  • 20 2016 Maria M.

    別冊2 その週の調の生神女讃詞を歌ふ八調経

    <その日の調、水曜日の生神女讃詞を歌う>1

    【聖入なし】<誦経で>

    せい

    聖にしてふく

    福たるじょうせい

    常生 なる、てん

    天のちち

    父のせい

    聖なるこうえい

    光榮 のおだや

    穏 かなるひかり

    光 イイスス・ハリストス

    や、われら

    我等ひ

    日のいり

    入にいた

    至り、くれ

    晩のひかり

    光 をみ

    見て、かみ

    神ちち

    父とこ

    子とせいしん

    聖神 をうた

    歌ふ。いのち

    生命をたま

    賜ふかみ

    神のこ

    子や、

    なんじ

    爾 はいつ

    何時もけいけん

    敬虔 のこえ

    聲にてうた

    歌はるべし、ゆえ

    故にせかい

    世界はなんじ

    爾 をあが

    崇めほ

    讚む。<続けて>

    斎 6【晩課のポロキメン】

    輔祭 謹みて聽くべし。

    誦經 ポロキメン、第六の調。 (第三聖詠)

    すくい

    救 はしゅ

    主によ

    依る、なんじ

    爾 のこうふく

    降福 はなんじ

    爾 のたみ

    民にあ

    在り。

    (句)しゅ

    主よ、わ

    我がてき

    敵はなん

    何ぞおお

    多き。

    司祭、睿智。

    誦経、創世記の読み。 (1:1-13)

    司祭、謹みて聽くべし。

    誦経、はじめ

    元始にかみ

    神てん

    天ち

    地をつく

    造れり。ち

    地はかたち

    形 なくむな

    虚しくして、やみ

    暗はふち

    淵のおもて

    面 にあ

    在り、かみ

    神のしん

    神みず

    のおもて

    面 にふいく

    覆育せり。かみ

    神い

    曰へり、ひかり

    光 あるべし。すなわち

    即ひかり

    光な

    成れり。かみ

    神ひかり

    光 をみ

    觀てよし

    善とせり、かみ

    ひかり

    光 をやみ

    暗よりわか

    判てり。かみ

    神ひかり

    光 をひる

    晝とな

    名づけ、やみ

    暗をよる

    夜とな

    名づけたり。ゆう

    夕あり、あさ

    朝あり、こ

    是れ

    いちじつ

    一日 なり。かみ

    神い

    曰へり、みず

    水のなか

    中に、おおぞら

    穹蒼 ありて、みず

    水をみず

    水よりわか

    判つべし。すなわち

    即か

    斯くな

    成れり。

    1 大斎第 1 週奉事式ではすべて 1 調で代用している。本来はその週、その曜日の生神女讃詞。または月課経のその日の生神女讃詞。

    晩1-月1(6調)救いは 主に依

    爾の降福は

    爾の た

    みに

  • 21 2016 Maria M.

    かみ

    神おおぞら

    穹蒼 をつく

    造りて、おおぞら

    穹蒼 のした

    下のみず

    水をおおぞら

    穹蒼 のうえ

    上のみず

    水よりわか

    判てり。かみ

    神おおぞら

    穹蒼 をてん

    天とな

    名づけた

    り。かみ

    神これ

    之をみ

    觀てよし

    善とせり。ゆう

    夕あり、あさ

    朝あり、こ

    是れだいにじつ

    第二日なり。かみ

    神い

    曰へり、てん

    天下のみず

    水はひとところ

    一區

    にあつま

    匯 りて、くが

    陸あらわ

    顯 るべし。すなわち

    即か

    斯くな

    成れり。てん

    天下のみず

    水その

    其ところ

    區 にあつま

    匯 りて、くが

    陸あらわ

    顯 れたり。

    かみ

    神くが

    陸をち

    地とな

    名づけ、みず

    水のあつまり

    匯 をうみ

    海とな

    名づけたり。かみ

    神これ

    之をみ

    觀てよし

    善とせり。かみ

    神い

    曰へり、ち

    地は

    あおくさ

    青草 とたね

    種を、その

    其るい

    類その

    其しょう

    肖 にしたが

    從 ひてま

    蒔くくさ

    草と、ちじょう

    地上 にその

    其るい

    類にしたが

    從 ひて、おのれ

    己 のうち

    内にたね

    をいだ

    懐くみ

    實をむす

    結ぶところ

    所 のくだもの

    果 のき

    木とをしょう

    生 ずべし。すなわち

    即か

    斯くな

    成れり。ち

    地はあおくさ

    青草 と、たね

    種をその

    るい

    類その

    其しょう

    肖 にしたが

    從 ひてま

    蒔くくさ

    草と、ちじょう

    地上 にその

    其るい

    類にしたが

    從 ひて、おのれ

    己 のうち

    内にたね

    核をいだ

    懐くみ

    實をむす

    結ぶ

    ところ

    所 のくだもの

    果 のき

    木とをしょう

    生 ぜり。かみ

    神これ

    之をみ

    觀てよし

    善とせり。ゆう

    夕あり、あさ

    朝あり、これ

    之れだい

    第さんじつ

    三日 なり。

    輔祭 つつし

    謹 みてき

    聽くべし。

    誦經 ポロキメン、第五の調。 (第四聖詠)

    われ

    我よ

    籲べば、しゅ

    主はこれ

    之をき

    聽く。

    (句)わ

    吾がぎ

    義のかみ

    神よ、わ

    我がよ

    籲ぶとき

    時、われ

    我にき

    聽きたま

    給へ。

    司祭、睿智。

    誦経、しんげん

    箴言 のよみ

    讀。一章一至二十節。

    司祭、謹みて聽くべし。

    誦経、ダワィドのこ

    子、イズライリのおう

    王、ソロモンのしんげん

    箴言 。こ

    是れひと

    人にちえ

    智慧ときょうくん

    敎訓 とをし

    識らし

    め、めいてつ

    明哲 のことば

    言 をさと

    曉ら しめ、ちりゃく

    智略 とこうぎ

    公義とこうはん

    公判 とせいちょく

    正直 とののり

    規をう

    承けしめ、ぐもう

    愚蒙のもの

    者に

    めいさつ

    明察 をあた

    與へ、しょうしゃ

    少者 にちしき

    知識としりょ

    思慮とをあた

    與へんため

    爲なり。ちしゃ

    智者はこれ

    之をき

    聞 きてちしき

    知識をま

    益し、めいしゃ

    明者

    はめいぼう

    明謀 をえ

    獲ん、ゆげん

    喩言とげ

    解しがた

    難きことば

    言 、ちしゃ

    智者のせつ

    説とその

    其なぞ

    隠語をあきらか

    明 にせんため

    爲なり。ちえ

    智慧のはじめ

    晩1-月2 (5調)れ

    を 聴

  • 22 2016 Maria M.

    はしゅ

    主をおそ

    畏るるおそれ

    畏 なり、およそ

    凡 そこれ

    之にみちび

    導 かるるもの

    者はめいち

    明智なり、かみ

    神にお

    於けるけいけん

    敬虔 はしき

    識のはじめ

    なり、ただ

    唯おろか

    愚 なるもの

    者はちえ

    智慧ときょうくん

    敎訓 とをかろん

    藐 ず。わ

    我がこ

    子よなんじ

    爾 のちち

    父のおしえ

    訓 をき

    聽け、なんじ

    爾 のはは

    のいましめ

    誡 をす

    棄つるなか

    毋れ、けだし

    蓋こ

    此れなんじ

    爾 のこうべ

    首 のため

    爲にうるわ

    美し きかんむり

    冠 、なんじ

    爾 のくび

    項のため

    爲にかざり

    飾 なり。

    我がこ

    子よ、も

    若しざいにん

    罪人なんじ

    爾 をいざな

    誘は ば、したが

    從 ふなか

    毋れ、も

    若しなんじ

    爾 にすすめ

    勸 めて、こ

    請ふわれら

    我等ととも

    偕にゆ

    け、われら

    我等ひとごろし

    兇殺 のため

    爲にまいふくしょ

    埋伏所 をもう

    設け、ふ

    伏してゆえ

    故なきにむこ

    無辜のもの

    者をねら

    狙ひ、かれら

    彼等をい

    生けるま

    まじごく

    地獄のごと

    若くにの

    呑み、すこやか

    健全 なるままはか

    墓にくだ

    下るもの

    者のごと

    如くにの

    呑まん、もろもろ

    諸 のあたい

    價とうと

    貴 き

    さんぎょう

    産業 をうば

    奪ひ、かすめ

    掠もの

    物をもっ

    以てわれら

    我等のいえ

    家をみ

    充たさん、なんじ

    爾われら

    我等ととも

    偕になんじ

    爾 のくじ

    籤をと

    取らん、われら

    我等

    にひとつ

    一 のふくろ

    嚢 あらんとい

    云はば、わ

    我がこ

    子よ、かれら

    彼等ととも

    偕にみち

    路をゆ

    行くなか

    毋れ、なんじ

    爾 のあし

    足をかれら

    彼等のこみち

    よりさ

    避けよ、けだし

    蓋かれら

    彼等のあし

    足はあく

    惡にはし

    走り、ち

    血をなが

    流すため

    爲にいそ

    急ぐ。およ

    凡そとり

    鳥のめ

    目のまえ

    前にあみ

    羅をは

    張る

    はいたづら

    徒然 なり。かれら

    彼等はおのれ

    己 のち

    血のため

    爲にまいふく

    埋伏 し、おのれ

    己 のいのち

    生命をふ

    伏してねら

    狙ふ。およ

    凡そり

    利をむさぼ

    貪るもの

    のみち

    途はか

    此くのごと

    如し、こ

    是れその

    其もちぬし

    物主 をしていのち

    生命をうしな

    喪 はしむ。ちえ

    慧はまち

    街によ

    呼び、その

    其こえ

    聲をちまた

    衢 にあ

    ぐ。 <→枠へ戻る P55>

    斎7【くづけのスティヒラ

    挿句讃頌 】 第三の調

    <繰り返し略>

    句、てん

    天にお

    居るもの

    者よ、われ

    我め

    目をあ

    擧げてなんじ

    爾 をのぞ

    望む。み

    視よ、ぼく

    僕のめ

    目しゅじん

    主人 のて

    手をのぞ

    望み、ひ

    婢のめ

    目しゅふ

    主婦

    のて

    手をのぞ

    望むがごと

    如く、われら

    我等のめ

    目はしゅ

    主、わ

    吾がかみ

    神をのぞ

    望みてその

    其われら

    我等をあわれ

    憐 むをま

    俟つ。

    われら

    我等しゅ

    主によろこ

    悦 ばれう

    受けらるるものいみ

    齋 をまも

    守らん。まこと

    眞 のものいみ

    齋 はすなわち

    乃あくじ

    惡事をはな

    離れ、した

    舌をつつし

    慎 み、

    いかり

    怒 をと

    釋き、しょよく

    諸慾 をた

    斷ち、そしり

    毀謗、いつわり

    詐譌 、ちかい

    誓 にそむ

    背く ことをのぞ

    除く。こ

    此れまこと

    眞 のものいみ

    齋 にしてう

    けらるべきもの

    者なり。

  • 23 2016 Maria M.

    句、しゅ

    主よ、われら

    我等をあわれ

    憐 み、われら

    我等をあわれ

    憐 みたま

    給へ、けだし

    蓋われら

    我等はあなどり

    侮 にあ

    饜きた

    足れり。われら

    我等のたましい

    靈 は

    おご

    驕るもの

    者のはずかしめ

    辱 とほこ

    誇るもの

    者のあなどり

    侮 とにあ

    饜きた

    足れり。

    致命者讃詞、

    ハリストスよ、なんじ

    爾 がちめいしゃ

    致命者のちから

    力 はおおい

    大 なり、けだし

    蓋かれら

    彼等ははか

    墓にふ

    偃せどもあくま

    悪魔をとお

    遠ざく。かれら

    彼等

    はせい

    聖さんしゃ

    三者 をしん

    信ずるしん

    信をもっ

    以てけいけん

    敬虔 のため

    爲にくろう

    苦勞して、てき

    敵のけん

    權をむな

    空しくせり。

    こうえい

    光榮 はちち

    父とこ

    子とせい

    聖しん

    神にき

    歸す、いま

    今もいつ

    何時もよよ

    世世に、「アミン」。

    生神女讃詞、

    およ

    凡そきとう

    祈祷するもの

    者のてんたつしゃ

    轉達者 たるしょうしんじょ

    生神女 よ、われら

    我等なんじ

    爾 によ

    因りていさ

    勇み、なんじ

    爾 をもっ

    以てほこ

    誇る、われら

    我等

    のことごと

    悉 くのたのみ

    恃 はなんじ

    爾 にあ

    在り。なんじ

    爾 より、うま

    生れ しもの

    者になんじ

    爾 のふとう

    不當なるしょぼく

    諸僕 のため

    爲にいの

    祈りたま

    へ。 <→枠へ戻る P58「シメオンの祝文」>


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