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ISSN 2221-1969 中 華 日 本 研

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ISSN 2221-1969 中 華 日 本 研 究 第7期 2016 年6月 (論文) 田中大輝 並立助詞「や」を用いた「A や B」の意味 崔 栄殊 命題の確実度に合わせた韓国語の認識的推量表現の下位分類 28 齊藤 学 戸次大介 片岡喜代子 川添 愛 (実践報告) 飯田香織 台湾の大学4年生のプレゼンテーション授業の実践報告 51 第7期 2016 年6月 中華大學人文社會學院應用日語學系 中華民國・臺灣・新竹
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ISSN 2221-1969

中 華 日 本 研 究

第7期 2016年6月

(論文)

田中大輝 並立助詞「や」を用いた「Aや B」の意味 1

崔 栄殊 命題の確実度に合わせた韓国語の認識的推量表現の下位分類 28

齊藤 学

戸次大介

片岡喜代子

川添 愛

(実践報告)

飯田香織 台湾の大学4年生のプレゼンテーション授業の実践報告 51

第7期 2016年6月

中華大學人文社會學院應用日語學系

中華民國・臺灣・新竹

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田中大輝/中華日本研究/第7期/2016年6月/1-27

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並立助詞「や」を用いた「A や B」の意味*

田 中 大 輝**

要旨

本稿では、並立助詞「や」を用いた「A や B」という表現(「太郎や花子」など)の意

味について論じる。田中・林下(2008)などにおいて、「A や B」を含む文は「A、B、・・・

の『いずれも』」という意味(「連言解釈」)を表す場合と「A、B、・・・の『いずれか』」

という意味(「選言解釈」)を表す場合とがあることが指摘されてきた。本稿では、これ

らの解釈の分布を詳細に検討することで、「A や B」の言語的な意味は、「A」「B」を代

表とする集合全体のプロパティを表すことにあること、そして、どのようなプロパティで

あるかは言語外の要因によって決まることを主張した。さらに、「A や B」を含む最小の

節が時制を含む場合は必ず「連言解釈」となるのに対して、「A や B」を含む最小の節が

時制を含まない場合は原則的に「連言解釈」と「選言解釈」の両方が可能であることを指

摘し、それぞれの解釈が導かれるメカニズムについて論じた。

キーワード: 並立助詞、や、連言解釈、選言解釈、時制

目次

1.はじめに 4.「選言解釈」を生み出す条件

2.「連言解釈」と「選言解釈」 5.残された課題

3.「連言解釈」と「選言解釈」の場合の

「A」と「B」の役割の違い

* 2016年2月 29日受理、2016年5月 18日最終稿編集委員会審査通過、2016年5月 18日採択

本稿を執筆するにあたり、2名の匿名査読者の方々から、本稿の展開および結論の妥当性について、非常

に多くの貴重なコメントやご助言をいただいた。ここに記して感謝したい。もちろん、本稿の不備や誤り

はすべて筆者の責任である。

** 鳴門教育大学言語系コース(国語)

772-8502 徳島県鳴門市鳴門町高島字中島 748

[email protected]

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田中大輝/中華日本研究/第7期/2016年6月/1-27

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1.はじめに

本稿では、「太郎や花子」「ビールや焼酎」などにおける並立助詞「や」1の意味につい

て論じる。従来、「や」の意味については、他の並立助詞との比較、特に「と」との違い

について論じられることが多かった。例えば寺村(1991)は「と」が「全部列挙」なのに

対して「や」は「一部列挙」であると論じ、益岡・田窪(1992)は「と」を「総記」(該

当する要素をすべて述べあげる並列表現)、「や」を「例示」(該当するものの中の代表

的なものを例として述べる並列表現)として異なるグループに分類している。確かに「太

郎と花子が来た」という文では来た者の全部が列挙(総記)されているように思えるのに

対して、「太郎や花子が来た」という文では来た者の一部が列挙(例示)されているに過

ぎないように思える。日本語教育の教科書や参考書でも「と」と「や」の違いをこのよう

に説明しているものが多い(『みんなの日本語』2、『初級を教える人のための日本語文法

ハンドブック』3など)。それに対して、市川(1991)、安藤(2001)、渡邊(2003)、朴

(2006)などは、「や」は必ずしも「一部列挙」とは限らず「全部列挙」の場合もあり得

ることを指摘している4。これらの研究では、「と」と「や」に部分的な意味の重なりがあ

ることを踏まえた上で、「や」(と「と」の)の正確な意味記述を提案することや、日本

語学習者への「や」(と「と」の違いについて)の新たな説明方法を提案することが目指

1 この「や」は、「並立助詞」(石綿 1965、京極 1967、寺村 1991、市川 1991、中川・武藤 1997、安

藤 2001、飯島 2001、渡邊 2003、半藤 2005、朴 2006、柏木 2006、川口 2012 など)、「並列助詞」(久

野 1973、中俣 2015 など)、「等位接続詞」(武藤・中川 1993a、武藤・中川 1993b など)など、様々

な名称で呼ばれるが、本稿では「並立助詞」と呼ぶことにする。また、田中・林下(2008)、田中(2009)、

田中・林下(2010)では、「太郎や花子」「ビールや焼酎」のような「A や B」という形式で表せる

名詞句(および、「A、 B など」「A やら B やら」「A とか B とか」)を「連接名詞句」と呼んでい

る。 2 『みんなの日本語 初級Ⅰ 教え方の手引き』p.121 では次のように説明されている。

助詞「や」は名詞を並列的に並べるのに用いる。「と」がすべてをあげていくのに対し、

「や」は代表的ないくつか(2つ以上)をあげるのに用いられる。(以下、略) 3 『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』pp.28-29 では次のように説明されている。

「と」は該当するものとして述べたい要素すべてを列挙するときに使います。(略)

「や」は挙げられているものの他に該当するものが存在する、つまり一部の例だけを

列挙するときに使います。(以下、略) 4 たとえば朴(2006)は、伊伏鱒二『黒い雨』の一節「もう池本屋も、広島や長崎が原爆されたこと

を忘れとる。」を例に挙げ、「項目の全てを取り上げているのに「と」ではなく「や」を用いる場合

がある。事実上、原爆投下地は「広島」「長崎」だけなのに、この例では「や」が用いられている。」

(p.52)と指摘している。

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されている5。

2.「連言解釈」と「選言解釈」

2.1.「連言解釈」「選言解釈」とは

「全部列挙」か「一部列挙」か、とは異なる側面で「や」の意味の特徴を指摘している

ものに、田中(2003)、田中・林下(2008)、田中(2009)、田中・林下(2010)、Hayashishita

and Bekki (2011)がある。これらの研究で指摘されているのは、例えば(1)と(2)における「A

や B」(「ジョンやビル」のように「や」に連結された名詞句全体を「A や B」と表現す

ることにする)の意味の違いである。

(1) a. ジョンやビルが来た。 (田中・林下 2010、(1))

b. オタゴ大学が九州大学や金沢大学に留学生を派遣した。

(田中・林下 2008,(2a))

(2) a. メアリーはマークやルークが来たら、お茶を出す。

(Hayashishita and Bekki 2011、(2b))

b. 火事や地震が起こったら、この警報器が作動する。

(田中・林下 2008、(4a))

(1a)は、ジョン、ビル、・・・のいずれもが来たという意味を表し、(1b)は、オタゴ大学が九

州大学、金沢大学、・・・のいずれにも留学生を派遣したという意味を表す。なお、前節で

述べた「全部列挙」か「一部列挙」かという違いは本節の主旨と関係しないため、ここで

は便宜的に「一部列挙」として表すこととする。ジョンだけしか来なかったという状況や

九州大学にしか留学生を派遣しなかったという状況では偽となることから、「A や B」は

概略「A、B、・・・の『いずれも』」という意味を表すと言える。それに対して(2a)は、マ

5 「や」に「全部列挙」の場合があり得るからといって、「や」を「一部列挙」として説明している

日本語教育の教科書や参考書が不適切であるということにはならない。特に初級の学習者を対象とす

る場合、正確な(細かな)説明よりも、さしあたって理解・使用できるための近似値的な説明が求め

られることがあるからである。安藤(2001)でも、「初級の文法説明に加えて、中級以降の学習者に

は、「や」に関する以下のような解説と指導を行う必要があるだろう。」(p.49)のように、正確な

説明を(初級段階ではなく)中級以降において行うことを提案している。

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ークだけ、あるいはルークだけしか来なかった場合でもメアリーはお茶を出すという意味

を表すことができ、(2b)は、火事だけ、あるいは地震だけしか起こらなかった場合でも警

報器が作動するという意味を表すことができる。つまり、この場合の「A や B」は概略「A、

B、・・・の『いずれか』」であるように感じられる。田中・林下(2008)に倣い、前者を「連

言解釈」、後者を「選言解釈」と呼ぶことにする6。

2.2.「連言解釈」と「選言解釈」をスコープの違いとみる考え方について

(1)、(2)のような例を見る限り、「選言解釈」は、全称量化表現である「A や B」が条件

節よりも広いスコープを取ることによって得られる解釈であるように思われるかもしれ

ない。つまり、たとえば(2a)の場合、実際にこの文が表している意味は(3a)なのであるが、

(3a)は(3b)と論理的に等価なので、あたかも「A や B」が存在量化を表すように見えていた

という考え方である。

(3) 条件文における論理的等価関係((2a)を例として)

a. ∀x (x ∈ {m, l} → ∀w' (wRw' ∧ (x comes in w') → Mary offers tea in w'))

b. ∀w' (wRw' ∧ ∃x (x ∈ {m, l} ∧ (x comes in w')) → Mary offers tea in w')

(Hayashishita and Bekki 2011、(6)、(7)に基づく)

しかし、この立場を保つのは容易ではない。その理由は様々であるが、以下では先行研

究で指摘されている二つの問題点を挙げていく。

2.2.1.節外スコープ保証の問題

一つ目は、上記の立場を保つためには、従属節内の「A や B」が節を越えた範囲をスコ

ープに取ることができることを理論的に保証しなければならない点にある。

スコープと呼ばれる現象は、これまで、特に量化詞(Quantifier:QP)のスコープを中心

として、Computational System7のあり方を追究する研究でよく扱われてきた。一般に、量

6 田中・林下(2010)は同じものをそれぞれ「複数解釈」「単数解釈」と呼んでいる。

7 生成文法では、ことばの運用の背景に、単語を構造化して文を構築する計算体系(Computational

System)が存在すると仮定しており、Computational System によって LF 表示(語彙項目が Computational

System によって構造化されたもの)が出力され、これがさらに別のモジュールで「解釈」されること

により、最終的に人間は文を発したり文の意味を理解したりすることができると考えられている。

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化詞は節を越えた範囲をスコープに取ることができないと言われており、たとえば(4a,b)

の各文において(5a,b)のような解釈(量化詞が従属節より広いスコープを取る解釈)はでき

ない8。

(4) a. [寝る前に 2 種類以上のカフェイン含有飲料を飲ん]だら 眠れなくなる。

(田中 2009:p.68、(209a))

b. [(誰か)2 人の男の子がパーティーに来]たら 花子は喜ぶ。

(5) (4)の意味解釈として

a. *「「寝る前に x を飲んだら眠れなくなる」ということが、2 種類以上のカフ

ェイン含有飲料についてあてはまる」

(田中 2009:p.68、(210a)に基づく)

b. *「「x がパーティーに来たら花子は喜ぶ」ということが、(誰か)2 人の男

の子についてあてはまる」

したがって、従属節内の「A や B」が節を越えた範囲をスコープに取ることができると

いう立場に立つのであれば、量化詞とは異なるスコープの取り方を提案する必要がある9、10。

2.2.2.論理的等価性が成り立たない場合の「選言解釈」成立の問題

ただし、何らかの方法で従属節内の「A や B」が節を越えた範囲をスコープに取ること

8 量化詞が従属節より狭いスコープを取る解釈(以下の(i))は可能である。

(i) (4)の解釈として

a. ok「「寝る前に 2 種類以上のカフェイン含有飲料を飲ん」だら 眠れなくなる」

b. ok「「(誰か)2 人の男の子が(両方とも)パーティーに来」たら花子は喜ぶ」

9 田中(2003)は、顕在的なスコープマーカー(「も」「か」)のある不定語は、埋め込み文の中に

あっても主文の要素の量化詞よりも広いスコープを取ったり、主文の要素である「そこ」に対して束

縛変項解釈をしたりすることが可能であるという観察を提示し、この場合には量化詞とは異なる LF

移動が起こっている可能性を認めている。しかし、「A や B」にはそのような観察も見られないこと

を根拠とし、「A や B」の場合は「文全体をスコープにとっているという積極的証拠もなく、顕在的

なスコープマーカーもないのに節境界を越える移動ができると仮定するのは望ましくない」と結論づ

けている。 10

田中(2009)は、量化詞は局所性条件(「量化詞は節を越えた範囲をスコープに取ることができな

い」と c-統御条件(「量化詞αが別の量化詞βより広いスコープを取ることができるのは、αがβを

c-統御している場合に限る」)の両方が関わるのに対し、「A や B」はそのどちらも関係しないとい

う観察を提示している。その結果、「A や B」のスコープは Computational System とは別のモジュー

ルの働きによって決まるという分析を提案している。

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ができるメカニズムを提案できたとしても、それですべての問題を解決できたことにはな

らない。なぜなら、「全称量化子が広い作用域を取った場合」と「存在量化子が狭いスコ

ープを取った場合」とが論理的に等価とならない環境でも、「選言解釈」が可能な場合が

あるからである。(6)を見てほしい。

(6) a. 来年マークやルークが日本に来るかもしれない。

(Hayashishita and Bekki 2011、(9b))

b. 私の結婚相手の条件は東大や京大を出ていることです。

(田中・林下 2010、(4a))

(6a)では、マークだけ、あるいはルークだけが来るかもしれないという「選言解釈」が可

能である。しかし、「マークやルーク」を全称量化表現であると仮定し、この文が表して

いる意味を(7a)のように分析したとしても、(7a)と(7b)は論理的に等価ではないため、この

文で選言解釈が可能であることは導けない。(6b)についても同様である。したがって、論

理的等価性に基づく説明では、(6)のような場合に「選言解釈」が可能であることを扱うこ

とができない。

(7) 論理的非等価関係((6a)を例として)

a. ∀x (x ∈ {m, l} → ∃w' (wRw' ∧ (x comes in w')))

b. ∃w' (wRw' ∧ ∃x (x ∈ {m, l} ∧ (x comes in w')))

(Hayashishita and Bekki 2011、(10)、(11)に基づく)

3.「連言解釈」と「選言解釈」の場合の「A」と「B」の役割の違い

3.1.「特定のメンバー」か「集合全体のプロパティ」か

ここで、「連言解釈」が表している意味と「選言解釈」が表している意味とを改めて検

討してみよう。(1a)では、事実として「ジョン」「ビル」そのものが「来た」ことを表し、

(1b)では、事実として「九州大学」「金沢大学」そのものに「オタゴ大学が留学生を派遣

した」ことを表すので、「A や B」という表現において「A」「B」というメンバーそのも

のに焦点が当てられている。一方で、たとえば(2b)の「火事や地震」、(6b)の「東大や京大」

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が表しているのは、「火事や地震(のような災害)」、「東大や京大(のような一流大学)」

であり、「A」「B」そのものというより、「A」「B」を代表とする集合全体のプロパテ

ィ(「災害」「一流大学」)の方に焦点が当てられていると言える。つまり、「連言解釈」

のときと「選言解釈」のときとでは、「A やB」における「A」「B」の役割が異なるので

ある。

このような違いが見られるのは「A や B」に限ったことではない。たとえば、(8)を見て

ほしい。

(8) a. (アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、インドネ

シア、ロシア、キルギス、中国、韓国を渡り歩いたベテランのジャーナリス

トが自身のジャーナリスト人生を述懐している状況で)

私は 10 か国を渡り歩いた。

b. (将来の目標を聞かれた若きジャーナリストが、ただ漠然と、たくさんの国

を渡り歩きたいというような意味で述べている状況で)

私は将来、10 か国を渡り歩きたい。

(8a)では、「アメリカ」「カナダ」「オーストラリア」「ニュージーランド」「タイ」「イ

ンドネシア」「ロシア」「キルギス」「中国」「韓国」という具体的なメンバーを念頭に

置いて「10 か国」という表現が使用されているのに対して、(8b)では、「10 か国」という

表現で特に具体的なメンバーが念頭に置かれているわけではない。このように、ひとつの

言語表現が、明示的に特定のメンバーを指して使われたり、集合全体のプロパティを指し

て使われたりするというのは珍しいことではない。

興味深いことに、上記のような量化詞であっても、「A や B」と同じように「選言解釈」

が可能な場合があり、その可否には、具体的なメンバーが念頭に置かれているかどうかが

関わる。(9)を見てほしい。

(9) 「3 つの大学」の場合

a. ((10)のリストを見ながら)

(このリストによると)3 つの大学が移転したら 10 億円かかる(らしい)。

⇒ 「選言解釈」が可能

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8

b. ((11)のリストを見ながら)

(噂によると、このリストに挙がっている 7 つの大学のうちのどこか)3 つの

大学が移転したら 10 億円かかる(らしい)。

⇒ 「選言解釈」が不可能

(10) 移転した場合にかかる費用リスト

大学名 A 大学 B 大学 C 大学 D 大学 E 大学 F 大学 G 大学

費用 10 億円 10 億円 10 億円 8 億円 8 億円 6 億円 4 億円

(11) 極秘リスト

大学名 A 大学 B 大学 C 大学 D 大学 E 大学 F 大学 G 大学

備考 ㊙ ㊙ ㊙ ㊙ ㊙ ㊙ ㊙

(9a)では、「3 つの大学」という表現で特定のメンバーが念頭に置かれており、(9a)全体で

は、そのうちどこかの大学が移転したら 10 億円かかる(らしい)という意味を表せるの

で、「選言解釈」が可能である。それに対して(9b)では、「3 つの大学」という表現で特定

のメンバーが念頭に置かれておらず、(9b)全体でも、その中のどこかが移転したら 10 億円

かかる(らしい)という意味は表せない。したがって「選言解釈」は不可能である11。

同じことが(12)-(14)にも当てはまる。

(12) 「5 人の男の子」の場合(田中・林下 2008、(27))

a. (花子は男の子に対して冷たい態度をとることで有名だが、僕は和美の方が

よっぽど冷たいと思う。)花子は、手を振ってきたら笑顔を返す男の子が数

人いて、尐なくとも、5 人の男の子が手を振れば笑顔を見せるが、和美は 1

人の男の子にしか笑顔を見せない(から)。 ⇒ 「選言解釈」が可能

b. 花子は(うちのクラスの中の誰か)5 人の男の子が手を振れば笑顔を見せる。

⇒ 「選言解釈」が不可能

11 (9b)が表しているのは、合計 3 つの大学が移転したら 10 億円かかる(らしい)、というような意味

であり、「連言解釈」に相当する。

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(13) 「2 人のボクサー」の場合(田中 2009、(358))

a. (そのチャンピオンは常に強い相手を求めている。毎年、その年の世界ラン

キングの 1 位か 2 位のボクサーとタイトルマッチを戦いたいと思っており、

そのため、)彼は世界ランキングのトップ 2 に入る 2 人のボクサーと戦えな

ければ、戦う意欲がまったく沸いてこないのであった。

⇒ 「選言解釈」が可能

b. そのチャンピオンは世界ランキングのトップ 10に入るうちの誰か 2人のボク

サーと戦えなければ、戦う意欲がまったく沸いてこないのであった。

⇒ 「選言解釈」が不可能

(14) 「4 つ以上の会社」の場合

a. (岡本財閥の資金運営は制限がきつい。A 社に投資するか B 社に投資するか

する場合には、必ず一族の長に相談しなければならない。しかし、もっとひ

どいのは上田財閥だ。)あそこは制限の対象となる会社が多くて、尐なくと

も、4 つ以上の会社に投資する場合に、一族の長に相談しなければならないこ

とになっている。 ⇒ 「選言解釈」が可能

b. 上田財閥は、(このリストの中の)4 つ以上の会社に投資する場合に一族の長

に相談しなければならないことになっている。

⇒ 「選言解釈」が不可能

このように、「選言解釈」そのものは、「A や B」に限らず、原則的には量化詞全般に

成り立ちうる解釈であり、その可否には「特定のメンバーを念頭に置いているかどうか」

が関わっている。ただし、「A や B」の場合は、「A」「B」を代表とする集合全体のプロ

パティに焦点が当てられている場合が「選言解釈」に相当するのに対して、量化詞では、

特定のメンバーが念頭に置かれている場合が「選言解釈」に相当するという違いがある。

3.2.逆スコープ解釈と特定の指示対象

先述したとおり、量化詞は Computational System のあり方を追究するのによく扱われて

きた。量化詞のスコープは当該の文の LF 表示を反映するものであると見なされてきたた

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10

め、量化詞のスコープを観察することによって、どのような LF 表示が出力可能であり、

どのような働きが Computational System に備わっているかを予測することができると考え

られてきたからである。しかし、一般に量化詞と呼ばれる表現でも、c-統御条件12に従わ

ないスコープの取り方をする場合があることが報告されてきた。たとえば、(15)では、下

線の量化詞は波線の量化詞を c-統御していないにも関わらず、破線の量化詞より広いスコ

ープを取る解釈(逆スコープ解釈)が可能である。このような場合には、下線の量化詞で

必ず特定の指示対象が念頭に置かれていることが指摘されてきた。

(15) 「量化詞」でも逆スコープ解釈ができる例

a. 誰かがうちのすべての選手を尾行している(ということは、全員が危険にさ

らされているということだ)。 (Ueyama 1998: p.41、(47))

b. (私が確認したところでは、)尐なくとも 1 本の矢が 5 つの的に刺さってい

た。 (Hayashishita 1999: p.3、(8))

c. 学部内選挙で、数人の学生が 2 人の教授に投票した。でもほかの教授には誰

も投票しなかった。 (Hayashishita 2008: (15))

(16) (15)の解釈として13

a. ok「誰かが x を尾行している」ということが、うちのすべての選手についてあ

てはまる」14

b. ok「尐なくとも一本の矢が x に刺さっていた」ということが、5 つの的につい

てあてはまる」

c. ok「学部内選挙で、数人の学生が x に投票した」ということが、2 人の教授に

ついてあてはまる」

「A や B」でも同様に、(17)のように逆スコープ解釈が可能である15。

12

脚注 10 参照。 13

(15)の文中の表現を一部省略して書き表している。 14

より正確には、「「x が y を尾行している」ということが『誰か』x に成り立つということが『う

ちのすべての選手』y についてあてはまる」のように書き表すべきであるが、ここでは簡略して表記

してある。以下の例も同様である。 15

もちろん、通常のスコープ解釈(「A や B」が量化詞より狭いスコープを取る解釈)も可能である。

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(17) 「A や B」で逆スコープ解釈ができる例

a. 3 人の先生が太郎や次郎を推薦した。 (田中 2009:p.70、(215a))

b. 4 つ以上の新聞社がトヨタやニッサンを訴えた。

(18) (17)の解釈として

a. ok「「3 人の先生が x を推薦した」ということが、太郎や次郎についてあては

まる」 (田中 2009:p.70、(217a))

b.

ok「「4 つ以上の新聞社が x を訴えた」ということが、トヨタやニッサンにつ

いてあてはまる」

また、逆スコープ解釈をしている場合の「A や B」は「連言解釈」となり、具体的なメン

バーに焦点が当たる解釈となることから、量化詞で逆スコープ解釈をしている場合と対応

する。

4.「選言解釈」を生み出す条件

4.1.言語使用者の世界知識、文脈等

では、「A や B」はどのような場合に具体的なメンバーに焦点が当たり、どのような場

合に集合全体のプロパティに焦点が当たる解釈になるのだろうか。2.1節で、「A や B」

が条件節にある文で「選言解釈」が可能であることを指摘したが、実は「A や B」が条件

節にあっても「連言解釈」が可能な場合がある。(19)を見てほしい。

(19) a. 鉛筆や消しゴムを受け取ったら試験を始めてよろしい。

(田中 2009:p.18、(50a))

b. 冷蔵庫にミンチやタマネギがあれば、ハンバーグを作ってあげましょう。

(田中 2009:p.19、(52a))

(19a)では、鉛筆、消しゴム、・・・のいずれもを受け取ったら試験を始めてよい、という意

味を表すことができるし、(19b)では、冷蔵庫にミンチ、タマネギ、・・・のいずれもがある

ならハンバーグを作ってあげる、という意味を表すことができる。また、次の例を見てほ

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12

しい。

(20) 社長や専務がいらっしゃったら会議を始めます。

(田中 2009:p.17、(43a))

(20)は、通常の文脈では、社長、専務、・・・が全員そろった時点で会議を始めるという「連

言解釈」が想起されるだろうが、(21)のような文脈のもとでは、社長、専務、・・・のいずれ

かという「選言解釈」が想起しやすくなる。

(21) (田中 2009:p.17、(45))

○×物産は、我が社のオファーに対する社内会議をなかなか始めてくれない。

先方の指定により、毎回、我が社から一人が出向いてお願いに行くことにな

っているのだけれど、係長が行ったときも、部長が行ったときも、まったく

会議を始めようという気配すら見せなかったらしい。とうとう部長がたまり

かねて「いったい誰が伺えば会議を始めてくれるのですか」と聞いたところ、

先方は「社長や専務がいらっしゃったら会議を始めます(=(20))」と言った

らしい。どうやら我が社のトップクラスを寄越して誠意を見せろということ

のようだ。しかし、社長は現在海外出張中だし、専務は体調を崩して療養さ

れているし、どちらも現実的には不可能なんだよな…。

同様に、(22)は、通常の文脈では、「コーヒー、紅茶、・・・のいずれかを飲んだら眠れな

くなる」という「選言解釈」が想起されるだろうが、(23)のような文脈のもとでは、コー

ヒー、紅茶、・・・を全部(一度に)飲んだ場合に眠れなくなるという意味を表すことにな

る。

(22) 寝る前にコーヒーや紅茶を飲んだら 眠れなくなる。

(田中 2009:p.16、(40a))

(23) (田中 2009:p.16、(42))

わたしは、コーヒーを1杯飲んだだけ、あるいは紅茶を1杯飲んだだけでは、

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ぜんぜんカフェインの効果が現れないのですが、寝る前にこういったカフェ

イン含有飲料を一度に複数種類飲んでしまったら、一気に効果が現れて眠れ

なくなってしまうんです。医者に相談してみたところ、わたしの場合、夜は

外的作用を受容しやすく、カフェイン含有物を同時に複数種類摂取すること

によって、カフェインの働きが一気に増進されて眠れなくなるようなんです。

つまり、わたしは、体質的に「寝る前にコーヒーや紅茶を飲んだら眠れなく

なる(=(22))」ということなのです。

このように、「A や B」が条件節中に埋め込まれた場合、(どちらか一方の解釈の方が

より自然、ということはありうるが、)原則的には「連言解釈」も「選言解釈」も可能で

ある16。どのような場合に「連言解釈」が想起されやすくどのような場合に「選言解釈」

が想起されやすいかというのは、一つには個々人の世界知識(常識)が大きく関係する。

たとえば(24a)は「選言解釈」の方が想起されやすいと思われるが、それは、「入社する」

対象は(普通は)一社でしか有り得ないからである17。一方、(24b)は「連言解釈」の方が

想起されやすいと思われるが、それは、ハンバーグを作るためにはミンチもタマネギも必

要であるという世界知識があるからである。

(24) a. トヨタやデンソーに入社できれば人生バラ色だ。

(田中 2009:p.18、(46a))

b. (=(19b))

冷蔵庫にミンチやタマネギがあれば、ハンバーグを作ってあげましょう。

(田中 2009:p.19、(52a))

どのような場合に「連言解釈」が想起されやすくどのような場合に「選言解釈」が想起さ

れやすいかというのは、「個々人の世界知識や文脈、用いる単語に影響されるものであり、

本論文で追究している言語の問題ではないと考えている」(p.17)として、田中(2009)

16

(6)でも「連言解釈」が可能であるから、より正確には、条件文でなくても、「選言解釈」が可能な

文では原則的には「連言解釈」も可能であると言える。ただし、(1)などでも分かるように、「連言解

釈」が可能であっても、その文で「選言解釈」が可能であるとは限らない。「連言解釈」の可否と「選

言解釈」の可否にはこのような非対称性が見られるのである。 17

その証拠に、同時に二社以上に入社できる世界を想定すれば、(24)でも「連言解釈」は可能である。

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ではそれ以上の追究を行っていないが、本稿では、そのような言語外の要因だけでなく、

言語的な要因も「A や B」の解釈(特に「選言解釈」の可否)に影響するという立場に立

つ。次節でこの点について掘り下げて検討していく。

4.2.「A や B」を含む節の時制の有無

(25)を見てほしい。

(25) a. これからはミュージシャンやダンサーを目指そうかな。

b. 水やアルコールで拭いてください。 (森山 2005:p.7、(26))

(25a)は、「ミュージシャンやダンサー(のような華やかな職業)」を目指すといった意味

を表すことができ、結果的にダンサーを目指さずミュージシャンのみを目指すことにした

としても嘘をついたことにはならない。つまり「選言解釈」が可能である。(25b)も同様に、

結果的に水のみで拭いても指示に反したことにはならないので「選言解釈」が可能である。

このように、「A や B」の「選言解釈」は、「A や B」が従属節にある場合だけでなく、

単文の場合でも可能なことがある。一方、(26)ではそのような「選言解釈」ができない。

つまり、(26a)であれば、「ミュージシャン」「ダンサー」の両方を目指した(つまり「連

言解釈」)のでなければ偽となるし、(26b)も、「水」「アルコール」の両方を使用して拭

いている(つまり「連言解釈」)のでなければ偽となる。

(26) a. 若い頃はミュージシャンやダンサーを目指しました。

b. 今、水やアルコールで拭いています。

それでは、「選言解釈」ができない(1)、(26)等と「選言解釈」ができる(2)、(25)等の違

いは何だろうか。それは、前者では、「A や B」を含む最小の節が時制を含む(結果的に

事実や現在の出来事を表す)のに対して、後者では、「A や B」を含む最小の節が時制を

含まない(結果的に仮想や未完の出来事を表す)という点にある。

ただし、条件を表す表現(「たら」「ば」「と」「なら」など)を用いていても仮定条

件を表さない(当該節の内容が現実世界と照らし合わせて真偽を確定できる)場合がある。

そのような場合には、(27)が示すように選言解釈はできない。本稿では、このような文は

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従属節も(意味的に)時制を含むと捉えている。

(27) a. この夏、旅行やライブに行ったら、あっという間にお金がなくなってしまっ

た。 ok連言解釈、*選言解釈

b. 母は、布団や毛布を片付けると、次にアイロンに取りかかった。

ok連言解釈、*選言解釈

また、「たら」「ば」「と」と異なり、「なら」の場合には接続する述語にル形とタ形

の使い分けがある18。「たら」「ば」「と」の場合は、その節が条件を表すなら原則的に

選言解釈が可能であるが、「なら」の場合には、特にタ形に接続する場合、選言解釈は難

しい。

(28) a. 太郎や花子が来たら和美は喜ぶだろう。 ok連言解釈、ok選言解釈

b. 太郎や花子が来れば次郎も来るだろう。 ok連言解釈、ok選言解釈

c. 太郎や花子が来ると和美は喜ぶだろう。 ok連言解釈、ok選言解釈

d. 太郎や花子が来る(の)なら次郎も来るだろう。

ok連言解釈、?選言解釈

e. 太郎や花子が来た(の)なら和美は喜んだだろう。

ok連言解釈、*選言解釈

これは、タ形に接続した場合は当該節の内容が現実世界と照らし合わせて真偽を確定でき

る(時制を含む)からであると考えたい。ル形に接続した場合は、当該節が条件を表すと

解釈した場合は選言解釈が可能なのに対し、(近い)未来の出来事を表すと解釈した場合

は選言解釈ができにくい。このことも、「A や B」の選言解釈の可否に時制の有無が関わ

っていることの証拠であると言えよう。

同じことが譲歩を表す文についても言える。時制を持たず条件としての譲歩を表す「て

も」の場合は選言解釈が可能である((29a))。ル形とタ形の使い分けがある「としても」

の場合は、近い未来を表す解釈の場合は選言解釈はできず((29b))、条件としての譲歩を

表す解釈の場合は選言解釈が可能である((29c))。

18 条件節と時制の関係については、有田(2007)などが詳しい。

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(29) a. 太郎や花子が来ても、次郎は来ないだろう。 ok連言解釈、ok選言解釈

b. 太郎や花子は来るとしても、次郎は来ないだろう。

ok連言解釈、*選言解釈

c. 太郎や花子が来たとしても、次郎は来ないだろう。

ok連言解釈、ok選言解釈

したがって、本稿で述べている時制の有無というのは、その節の述語の形式によって決ま

るものではなく、その節が表す意味によって決まるものである。

このように、「A や B」の「選言解釈」が可能であるためには、「A や B」を含む最小

の節が時制を含まないこと、という言語的な要因も関係する19。

4.3.「A やB」の意味

以上を踏まえ、本稿では「A や B」の意味を次のように規定したい。

「A や B」の言語的な意味は、「A」「B」を代表とする集合全体のプロパティを表すこ

とにある。ただし、どのようなプロパティであるかは言語外の要因によって決まる。例え

ば、「太郎や花子」という表現で「太郎や花子(のような優等生)」という意味を表すか

「太郎や花子(のような文学部一年生)」という意味を表すかは、言語使用者の世界知識

や文脈等によって決まる。

19 モダリティ表現の場合には、時制というよりはむしろ、モダリティ表現が表す意味によって選言解

釈の可否が分かれそうである。

(i) a. 太郎や花子が来そうだ。 ok連言解釈、ok選言解釈

b. 太郎や花子が来そうだった(よ)。 ok連言解釈、ok選言解釈

(ii) a. 太郎や花子が来るはずだ。 ok連言解釈、*選言解釈

b. 太郎や花子が来るはずだった(のになぁ)。 ok連言解釈、*選言解釈

(iii) a. 太郎や花子が来るかもしれない。 ok連言解釈、ok選言解釈

b. 太郎や花子が来たかもしれない。 ok連言解釈、ok選言解釈

c. 太郎や花子が来るかもしれなかった(のになぁ)。 ok連言解釈、ok選言解釈

d. 太郎や花子が来たかもしれなかった(のになぁ)。 ok連言解釈、ok選言解釈

(iv) a. 太郎や花子が来るようだ。 ok連言解釈、*選言解釈

b. 太郎や花子が来たようだ。 ok連言解釈、*選言解釈

c. 太郎や花子が来るようだった(よ)。 ok連言解釈、*選言解釈

d. 太郎や花子が来たようだった(よ)。 ok連言解釈、*選言解釈

つまり、「当該事態の確定性」が関わっている(確定性が高いほど選言解釈ができにくく、確定性

が低いほど選言解釈がしやすい)と言えそうである。時制を含むというのは当該事態の確定性が高い

ということであり、時制を含まないというのは当該事態の確定性が低いということなので、本稿で「時

制の有無」として一般化したことは、将来的には「当該事態の確定性」という観点で捉え直す必要が

あるかもしれない。(「時制の有無」という二項対立よりも「当該事項の確定性」という段階性をも

つ概念の方が、選言解釈のしやすさの度合いの違いを捉えやすいという利点がある。)今後の課題と

したい。

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「A や B」を含む最小の節が時制を含む場合は、その文は結果的に事実や現在の出来事

を表すことになる。その場合には、世界と照らし合わせることで真偽が確定するので、当

該のプロパティを満たす集合を表す表現として「A や B」を用いている(「A」「B」を代

表として選んでいる)ということは、「A」「B」に関しては当該事態が成り立つのだろう

という推測が生まれることになる。その結果、この場合には「連言解釈」となる。

一方、「A や B」を含む最小の節が時制を含まない場合は、その部分についての真偽が

確定しないため、「A や B」はそのまま「A」「B」を代表とする集合全体のプロパティを

表し、結果的に「選言解釈」となりうる。あるいは、上記の場合と同様、「A」「B」を代

表として選んでいるということから、「A」「B」に関しては当該事態が成り立つのだろう

と推測することも可能であり、その場合は「連言解釈」に相当する。「A や B」を含む最

小の節が時制を含まない場合にどちらの解釈が選ばれるかは、言語外の要因(言語使用者

の世界知識や文脈等)によって決まる。

4.3.1.「A やB」を含む最小の節が時制を含む場合

最後に、「連言解釈」「選言解釈」が導かれる過程を代表例をもとにまとめたい。まず

は、「A や B」を含む最小の節が時制を含む例として(30)を見てほしい。

(30) (=(26a))

若い頃はミュージシャンやダンサーを目指しました。

(30)の言語的な意味を書き下すと(31)のようになる。この文を理解する過程は(32)のように

なる。

(31) (30)の言語的意味(の書き下し)

若い頃は「「ミュージシャン」「ダンサー」を代表とする集合全体のプロパ

ティ X」を目指しました。

(32) (30)を理解する過程

a. 過程①

言語使用者の世界知識や文脈等から、プロパティ X の中身を推測する。

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例)「華やかな職業」、「芸術的な職業」、「若い人が憧れる職業」、

「話し手が若い頃に目指していた職業」など

b. 過程②(プロパティ X の中身を「華やかな職業」とした場合を例とする)

「ミュージシャンやダンサー」を含む最小の節は時制を含んでいるので、(30)

は事実を表しているはずだ。

c. 過程③

(30)は世界と照らし合わせることで真偽が確定するので、当該のプロパティ X

を満たす集合を表す表現として「ミュージシャンやダンサー」という表現を

用いている(「ミュージシャン」「ダンサー」を代表として選んでいる)と

いうことは、「ミュージシャン」「ダンサー」に関しては当該事態が成り立

つのだろう。

d. 過程④

「若い頃はミュージシャンを目指しました」と「若い頃はダンサーを目指し

ました」はともに成り立つのだろう。 =連言解釈

上記の過程を経て、(30)は連言解釈(のみ)が得られることになる。

4.3.2.「A や B」を含む最小の節が時制を含まない単文の場合

次に、「A や B」を含む最小の節が時制を含まない場合の単文の例として(33)を見てほ

しい。

(33) (=(25a))

これからはミュージシャンやダンサーを目指そうかな。

(33)の言語的な意味を書き下すと(34)のようになる。

(34) (33)の言語的意味(の書き下し)

これからは「「ミュージシャン」「ダンサー」を代表とする集合全体のプロ

パティ X」を目指そうかな。

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(33)は「ミュージシャンやダンサー」を含む最小の節が時制を含まないため、この文を理

解する過程としては(35)と(36)の 2 種類が可能となる。

(35) (33)を理解する過程 ~パターン1~

a. 過程①

言語使用者の世界知識や文脈等から、プロパティ X の中身を推測する。

例)「華やかな職業」、「モテそうな職業」

「話し手の特技を活かせる職業」など

b. 過程②(プロパティ X の中身を「華やかな職業」とした場合を例とする)

「ミュージシャンやダンサー」を含む最小の節は時制を含んでいないので、

その部分についての真偽が確定しない。そのため、「ミュージシャンやダン

サー」はそのまま「華やかな職業」を表せる。

c. 過程③

(33)は「これからは「華やかな職業」を目指そうかな」と言っているようなも

のだ。だから、ミュージシャンを目指すのかも知れないし、ダンサーを目指

すのかも知れないし、他の「華やかな職業」を目指すのかも知れない。

=選言解釈

(36) (33)を理解する過程 ~パターン2~

a. 過程①

言語使用者の世界知識や文脈等から、プロパティ X の中身を推測する。

例)「華やかな職業」、「モテそうな職業」

「話し手の特技を活かせる職業」など

b. 過程②(プロパティ X の中身を「華やかな職業」とした場合を例とする)

「ミュージシャンやダンサー」を含む最小の節は時制を含んでいないので、

その部分についての真偽は確定しないが、当該のプロパティ X を満たす集合

を表す表現として「ミュージシャンやダンサー」という表現を用いている(「ミ

ュージシャン」「ダンサー」を代表として選んでいる)ということは、「ミ

ュージシャン」「ダンサー」に関しては当該事態が成り立つのだろう。

c. 過程③

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「これからはミュージシャンを目指そうかな」と「これからはダンサーを目

指そうかな」はともに成り立つのだろう。 =連言解釈

(35)と(36)では「過程①」までは共通であるが、「過程②」からが異なる。どちらの「過程

②」が選択されるかは言語使用者の世界知識や文脈等によって決まるが、当該の文を理解

するのに 2 種類の過程が可能であるからこそ、結果的に「選言解釈」と「連言解釈」の両

方が可能なのである。

4.3.3.「A や B」を含む最小の節が時制を含まない複文の場合

次に、「A や B」を含む最小の節が時制を含まない場合の複文の例として(37)を見てほ

しい。

(37) (=(20))

社長や専務がいらっしゃったら会議を始めます。

(37)の言語的な意味を書き下すと(38)のようになる。

(38) (37)の言語的意味(の書き下し)

「「「社長」「専務」を代表とする集合全体のプロパティ X」がいらっしゃ

る」ということが起こったら会議を始めます。

(37)は「社長や専務」を含む最小の節が時制を含まないため、この文を理解する過程とし

ては(39)と(40)の 2 種類が可能となる。

(39) (37)を理解する過程 ~パターン1~

a. 過程①

言語使用者の世界知識や文脈等から、プロパティ X の中身を推測する。

例)「会社のトップクラス」など

b. 過程②(プロパティ X の中身を「会社のトップクラス」とした場合を例とす

る)

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「社長や専務」を含む最小の節は時制を含んでいないので、その部分につい

ての真偽が確定せず、「社長や専務」はそのまま「会社のトップクラス」を

表す。

c. 過程③

(37)は「「会社のトップクラスがいらっしゃる」ということが起こったら会議

を始めます。」と言っているようなものだ。だから、誰か「会社のトップク

ラス」であるという条件を満たす人物が行けば会議を始めてくれるのだろう。

=選言解釈

(40) (37)を理解する過程 ~パターン2~

a. 過程①

言語使用者の世界知識や文脈等から、プロパティ X の中身を推測する。

例)「会社のトップクラス」など

b. 過程②(プロパティ X の中身を「会社のトップクラス」とした場合を例とす

る)

「社長や専務」を含む最小の節は時制を含んでいないので、その部分につい

ての真偽が確定しないが、当該のプロパティ X を満たす集合を表す表現とし

て「社長や専務」という表現を用いている(「社長」「専務」を代表として

選んでいる)ということは、「社長」「専務」に関しては当該事態が成り立

つのだろう。

c. 過程③

「社長がいらっしゃる」と「専務がいらっしゃる」がともに起こった場合に

会議を始めるのだろう。 =連言解釈

(39)と(40)では「過程①」までは共通であるが、「過程②」からが異なる。どちらの「過程

②」が選択されるかは、単文の場合(4.3.2節)と同様、言語使用者の世界知識や文

脈等によって決まるが、当該の文を理解するのに 2 種類の過程が可能であるからこそ、複

文の場合でも結果的に「選言解釈」と「連言解釈」の両方が可能なのである。

5.残された課題

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5.1.複数の事態を表す文の場合

本稿では、選言解釈が可能なのは「A や B」を含む節が時制を含まない場合に限るとい

う一般化に基づき、上述した分析案を提示したのであるが、その一般化に当てはまらない

ように思える例が存在する。(41)を見てほしい。

(41) 太郎は毎日牛乳やヨーグルトを飲んだ。

まず、(41)は、連言解釈(「毎日,牛乳、ヨーグルト、・・・のいずれもを飲んだ」)が可能

である。このことは、(41)の言語的意味が(42)であり、この文を理解する過程として(43)が

可能であると考えれば説明できる。

(42) (41)の言語的意味

太郎は、毎日、「「牛乳」「ヨーグルト」を代表とする集合全体のプロパテ

ィ X」を飲んだ。

(43) (41)を理解する過程

a. 過程①

言語使用者の世界知識や文脈等から、プロパティ X の中身を推測する。

例)「乳製品」「健康に良い飲み物」「白い飲み物」など

b. 過程②(プロパティ X の中身を「乳製品」とした場合を例とする)

「牛乳やヨーグルト」を含む最小の節は時制を含んでいるので、(41)は事実を

表しているはずだ。

c. 過程③

(41)は世界と照らし合わせることで真偽が確定するので、当該のプロパティ X

を満たす集合として「牛乳やヨーグルト」という表現を用いている(「牛乳」

「ヨーグルト」を代表として選んでいる)ということは、「牛乳」「ヨーグ

ルト」に関しては当該事態が成り立つのだろう。

d. 過程④

「太郎は毎日牛乳を飲んだ」と「太郎は毎日ヨーグルトを飲んだ」はともに

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成り立つのだろう。 =連言解釈

ここで問題となるのは、(41)は選言解釈(「毎日,牛乳、ヨーグルト、・・・のいずれかを

飲んだ」)も可能であるということである。このことは、(43a)の「過程①」の後、次のよ

うな過程が可能であることを示唆している。

(44) (41)を理解する過程

a. 過程②'

「牛乳やヨーグルト」はそのまま「乳製品」を表す。

b. 過程③'

(41)は「太郎は毎日「乳製品」を飲んだ」と言っているようなものだ。だから、

牛乳を飲んだ日があるのかもしれないし、ヨーグルトを飲んだ日があるのか

もしれないし、他の「乳製品」を飲んだ日があるのかもしれない。

=選言解釈

本稿では、「A や B」がそのまま「プロパティ X」を表せるのは、「A や B」を含む最小

の節が時制を含んでおらず、その部分についての真偽が確定しない場合に限ると考えたわ

けであるが、(41)のように一つの文で複数の事態を述べている(「毎日」が付いているこ

とから、「太郎が(何かを)飲んだ」という出来事は複数回あることが推測できる)場合

は、何らかの理由で「A や B」はそのまま「プロパティ X」を表せると考えざるを得ない。

今後の課題としたい。

5.2.「A やB」以外の参与者が複数を表す表現の場合

これまでに見た例は、「A や B」を含む節の「A や B」以外の参与者が単数のものが主

だったのであるが、実は、参与者が複数を表す表現の場合は、「A や B」を含む最小の節

が時制を含んでいても(当該の節の内容について真偽が確定できるものであっても)、「選

言解釈」が可能な場合がある。たとえば、(45a)では、日本酒だけを飲み過ぎて二日酔いに

なった学生、カクテルだけを飲み過ぎて二日酔いになってしまった学生がいても構わない

し、(45b)では、ゲームだけをして夜更かしした学生、ネットサーフィンだけをして夜更か

しした学生がいてもかまわない。

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(45) a. 昨日の歓迎会で、新入りの大学院生が全員、日本酒やカクテルを飲み過ぎて

二日酔いになってしまった。

b. 今日の試験に遅刻してきた 3 人の学生に話を聞いたみたところ、皆、ゲーム

やネットサーフィンで夜更かししていたらしい。

この場合、(46)のように当該の参与者を単数のもの(例えば「山田くん」)に変えると選

言解釈ができなくなるので、選言解釈の可否に参与者の数が関わっていることが窺える。

(46) a. 昨日の歓迎会で、新入りの大学院生である山田くんが、日本酒やカクテルを

飲み過ぎて二日酔いになってしまった。

b. 今日の試験に遅刻してきた山田くんに話を聞いたみたところ、ゲームやネッ

トサーフィンで夜更かししていたらしい。

これは、5.1節で指摘した問題と「(事態の)複数性」という点で共通する可能性があ

る。今後の課題としたい。

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田中大輝/中華日本研究/第7期/2016年6月/1-27

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田中大輝/中華日本研究/第7期/2016年6月/1-27

27

Coordinating Particle ya and the Meaning of A ya B

Daiki Tanaka*

Abstract

This article discusses the meaning of A ya B, where ya is a coordinating particle.

Including Tanaka and Hayashishita (2008), it has been indicated that there are two

interpretations in sentences including A ya B, one is to express "all of A, B…" ("conjunctive

interpretation") and another one is to express "any of A, B…" ("disjunctive interpretation").

This article insisted that the lingual meaning of A ya B is to refer to the property of the entire

set represented by A and B and the content of the property is depending on factors other than

language while considering the distribution of these interpretations in detail. In addition,

this article indicated that it must be "conjunctive interpretation" when the minimal clause

including A ya B contains a tense while it can be both "conjunctive interpretation" and

"disjunctive interpretation" when the minimal clause including A ya B does not contain a

tense and discussed the mechanism by which each interpretation would be led.

Keywords Coordinating particle, Ya, Conjunctive interpretation, Disjunctive interpretation,

Tense

* Naruto University of Education

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命題の確実度に合わせた韓国語の認識的推量表現の下位分類

崔栄殊*・齊藤学**・戸次大介***・片岡喜代子†・川添愛††

要旨

本稿では、導入する命題の確実度に合わせて韓国語の認識的推量表現の下位分類を行っ

た。具体的には認識的推量表現にとりうる命題の確実度の幅を割り当てるために、4つの

テスト、すなわち i.「celtay(絶対)」「pantusi(必ず)」「100%」との共起テスト、ii.予言

の文脈テスト、iii.同じ命題の「肯定+認識的推量表現」と「否定+認識的推量表現」の両

立のテスト、ⅳ.「kanungsengi epsta(可能性はない)」「hwakyulun 0%ta(確率は 0%だ)」と

の共起テストを行った。これらのテストは川添ら(2010b)で日本語の認識的推量表現の命題

の確実度の幅を割り当てるときに提案したテストを韓国語に翻訳したものであるが、本研

究を通じてこのテストが韓国語においても有効であることが示された。

キーワード:認識的推量表現、命題の確実度、言語学的なテスト、アノテーション

目次

1.本稿の目的 3.韓国語の認識的推量表現の下位分類

2.先行研究の整理と本研究の位置づけ 4.終わりに

2016 年2月 29 日受理、2016年5月 18日最終稿編集委員会審査通過、2016年5月 18日採択 * 一橋大学大学院 ** 四国学院大学 *** お茶の水女子大学 † 神奈川大学 †† 国立情報学研究所

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1.本稿の目的

本稿の目的は、韓国語の認識的推量表現を、川添他(2010b)で提案したテスト(日本語の

認識的推量表現の確実度の幅を割り当てるために用いたテスト)に基づき、命題の確実度

に合わせて下位分類することである。そして、本研究を通じて川添他(2010b)で提案したテ

ストの方法が韓国語においても利用可能であるかどうかを確かめることである。

我々は機械による言語情報の確実性判断が自動的にできるシステムの構築を目指し、そ

の基盤として、川添他(2010a,b)の研究で、様相表現・否定表現・条件表現とそれらの意味

的性質・統語的性質の情報を「確実性」の観点から分析・分類したアノテーションスキー

マを日本語に関して既に作成している。川添他(2010b)では上記の表現の中から、日本語の

様相表現に焦点を当て、確実性という観点から推論表現の下位分類を行っている。

本稿は、齊藤他(2011)同様、今後の韓国語におけるアノテーションスキーマの構築を目

指した基礎研究として位置づけられる。齊藤他(2011)では、川添他(2010b)で紹介されたテ

ストを利用し、韓国語の様相表現、特に推量表現を認識的推量表現と証拠推量表現に分類

した。本稿では、齊藤他(2011)で認識的推量表現に分類された表現を川添他(2010a,b)で提

案したテスト1により命題の確実度に合わせた更なる下位分類を試みる。

以下では、2節において、我々が川添他(2010a,b)で行った日本語の推量表現の分類に関

する研究と、齊藤等(2011)で行った韓国語の推量表現の分類について概説を行った後に、3

節で韓国語の認識的推量表現の下位分類を行う。最後に 4節でまとめを行う。

2.先行研究の整理と本研究の位置づけ

本節では、本研究の背景となるこれまで我々が行ってきた研究について概説を行う。ま

ず、2.1において、命題の確実度により日本語の様相表現がどのように分類できるかを扱

った川添他(2010a,b)を取り上げる。特に、本稿と直接関係がある、日本語の認識的推量表

現を下位分類するテストに焦点を当てる。その後、2.2では、韓国語の推量表現を証拠推

量表現と認識的推量表現に分類した齊藤他(2011)を取り上げ、本稿で更なる分類の対象と

なる認識的推量表現が如何にして得られたかを概説する。

1 より正確には、川添他(2010a,b)で提案したテストの韓国語訳。

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2.1.川添他(2010a,b)

川添他(2010a,b)では「確実性」という言葉を完全な客観的な確実性ではなく、書き手

が命題の内容を「真」と考えている度合いを表すものとして定義付けた。また、一つの命

題が複数の命題のクラスに分類されるのを防ぐために確実性を基準にした(1)のようなオ

ントロジーを作り、このオントロジーに従って日本語の様相表現2を(2)のように分類した。

(1)命題の分類(オントロジー)

川添他(2010a(7))

2 この日本語の分類は、Palmer(2001)、Willett(1988)、田窪(2001)での議論に主に基づいている。

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(2)様相表現の分類と命題の分類との対応

川添ら(2010b、p.116)

これらの(1)と(2)の対応関係から、川添ら(2010b)の分類対象である日本語の認識的推量表

現というのは「書き手にとって補部の命題の真偽が未知であり、真である確率についての

判断がある」表現であるとした。そして、この表現に本稿の目的でもある言語学的なテス

トを使い、書き手が真であると考えている確率について取りうる数値の「幅」を割り当て

た。川添他(2010b)で提案した言語学的なテストは i.「絶対」「必ず」「100%」との共起テ

スト、ii.予言の文脈のテスト、iii.同じ命題の「肯定+認識的推量表現」と「否定+認識的

推量表現」の両立のテスト、iv.「可能性はない」「確率は 0%だ」との共起テスト、の4つ

である。

以下で、川添他(2010b)で提案した 4つのテストの適用例を示す。

ⅰ.命題の確実性の幅の中に 100%を含めるかどうか 1‐【「絶対」「必ず」「100%」との共起

テスト】

このテストは、当該の認識的推量表現が命題の確実性の幅の中に 100%を含めるかどうか

を判断するために行うテストである。導入される表現と上記の副詞的表現が共起できれば、

導入される命題の確実性の幅の中に 100%を含むことがわかり、共起できない場合、それら

の表現は 100%を含まないことがわかる。

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(3)必ず/絶対/100%来る{であろう/にちがいない/はずの}人に招待状を出す必要はありませ

ん。

(4)*必ず/絶対/100%来る{可能性がある/可能性が高い/かもしれない}人に招待状を出す必要

はありません

(川添他(2010b)、(13)(14))

ⅱ.命題の確実性の幅の中に 100%を含めるかどうか 2 ‐【予言の文脈のテスト】

このテストもⅰのテストと同様、当該の認識的推量表現が命題の確実性の幅の中に 100%

を含めるかどうかを確かめるためのテストである。通常、予言というものは書き手がその

内容を 100%確信した上で発言されるものである。予言の文脈で導入される表現が自然に使

用できれば、その表現は導入される命題の確実性の幅の中に 100%を含むとことがわかり、

不自然になる場合はそれらの表現について 100%を含まないことがわかる。

(5)私は予言する。19XX年に大地震と大津波が起こる {だろう/にちがいない/はずだ}。

(6)私は予言する。#19XX 年に大地震と大津波が起こる{可能性がある/可能性が高い/かもし

れない}。

(川添他(2010a)、(47)-(52))

ⅲ.命題の確実性の幅の中に 50%%超過(あるいは未満)を含めるかどうか‐【同じ命題の

「肯定+認識的推量表現」と「否定+認識的推量表現」の両立のテスト】

このテストは、導入される表現の命題の確実性が 50%超過(あるいは 50%未満)であるか

どうかと、命題の確実性の幅の中に 50%を含むかどうかを、判断するためのテストである。

このテストを行う理由は、ある命題が真である確率が 50%を超えている(あるいは 50%に満

たない)なら、同時に同じ命題が偽である確率が 50%を超えている(あるいは 50%に満たな

い)と主張することはできず、その表現が真である確率も偽である確率も、同等である時

のみ、導入される命題が肯定と否定を同時に主張できるからである。このテストに通れば、

その表現は真である確率も偽である確率も、同等な 50%を含むことがわかり、通らなけれ

ば、その表現は命題の確実度が、「50%超過(あるいは 50%未満)」であることがわかる。

(7)*太郎は来るだろうし、来ないだろう。

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(8)*太郎は来るはずだし、来ないはずだ。

(9)*太郎は来る可能性が高いし、来ない可能性が高い。

(10)太郎は来る可能性があるし、来ない可能性がある。

(11)太郎は来るかもしれないし、来ないかもしれない。

(12)*太郎は来る可能性が低いし、来ない可能性も低い。

(13)*太郎は勝つまいし、また負けるまい。

(川添他(2010b)、(17)-(23))

ⅳ.命題の確実性の幅の中に 0%を含めるかどうか‐【「可能性はない」「確率は 0%だ」との

共起テスト】

このテストは、当該の認識的推量表現が命題の確実性の幅の中に、0%を含めるかどうか

を確かめるために行うテストである。導入される表現とこれらの表現が共起できれば、導

入される命題の確実性の幅の中に 0%を含むことがわかり、共起できない場合、それらの表

現は 0%を含まないことがわかる。

(14)太郎は来る{確率は 0%だ/可能性はない}。#太郎は来る{かもしれない/可能性はある/可

能性は低い}。

(15)太郎は来る{確率は 0%だ/可能性はない}。太郎は来るまい。

(川添他(2010b)、(15)-(16))

上記のテストにより得られた日本語の認識的推量表現の下位分類を(16)にあげる。

(16)

表現のカテゴリ (書き手にと

って)命題が

真である確率

表現の例 備考

epistemic_100 100% 絶対、100%、必ず、絶対に、

間違いなく、確実に

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epistemic_51_100 50%超過~

100%以下

だろう(感嘆の「だろう」以

外)、であろう、ろう、でしょ

う、(~に)違いない、(~こ

とは)間違いない、(~ことは)

疑いない、はずだ、はず

【判断基準】

1. epistemic_100の表現と共起

すること

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」

と「否定+推量表現」の両立が

不可能であること

epistemic_51_99 50%超過~

100%未満

可能性が高い、おそれが強い、

疑いが強い、(書き手が~と)

確信する(書き手が~と)、信

じる、(書き手が~と)予測す

る、(書き手が~と)考える、

(書き手が~と)予想する、

(と)する、かもしれない、

おそらく、多分、きっと

【判断基準】

1. epistemic_100の表現と共起

しないこと

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」

と「否定+推量表現」の両立が

不可能であること

【その他】

「十中八九」は、epistemic_80_99

と考える。

epistemic_1_99 0%超過~

100%未満

かもしれない、かも、かもわ

からない、可能性がある、お

それがある、疑いがある、可

能性、おそれ、疑い、のでは

ないか、のではないだろうか、

(書き手が~と)思う、(書き

手が~と)疑う、ありうる、

保証はない、確信はない、確

証はない

【判断基準】

1. epistemic_100の表現とも

epistemic_0の表現とも共起

しないこと

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」

と「否定+推量表現」の両立が

可能であること

【その他】

「可能性」「おそれ」「疑い」につい

ては、ニュースの見出し等で、名詞

止めで現れるものを対象とする。

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epistemic_1_49 0%超過~

50%未満

可能性は低い、おそれは低い、

可能性はあまりない

【判断基準】

1. epistemic_0の表現と共起し

ないこと

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」

と「否定+推量表現」の両立が

不可能であること

epistemic_0_49

0%以上~

50%未満

まい、(書き手が~と)思わな

い、(書き手が~と)思えない、

(書き手が~と)考えない、

(書き手が~と)考えられな

い、(書き手が~と)信じない、

(書き手が~と)信じられな

【判断基準】

1. epistemic_0の表現と共起す

ること

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」

と「否定+推量表現」の両立が

不可能であること

【その他】

「考えられない」「信じられない」

は「現実に起こっていることが信じ

られない」という気持ちを表すため

に使われることがあるが、この場合

は従属節の内容が真であることが

既知である。よってこのように使わ

れる場合は推量表現とは考えない。

epistemic_0

0% 可能性はない、おそれはない、

疑いはない、あり得ない

epistemic_X X%(Xに入る

数字に依存)

可能性はX%(だ)、確率はX%

(だ)

(川添他2010b、pp.125-126より)

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以上、川添他(2010a,b)で提案したテスト(日本語の認識的推量表現の確実度の幅を割り

当てるために用いたテスト)を紹介し、当該のテストで何を調べることができるかについ

て見た。3節以降でこれらのテストを利用し、韓国語の認識的推量表現の下位分類を試み

る。

2.2.齊藤他(2011)

齊藤他(2011)では、川添他(2010a,b)で日本語の推量表現を区分するときに提案したテ

ストを、韓国語に翻訳したもの(反実仮想テスト3、根拠の存在テスト4)と齊藤他(2011)

で新たに提案した証拠の存在テスト5を使い、韓国語の推量表現6を証拠推量表現と認識的

推量表現に区分した。その結果が(17)の表である。

(17)韓国語の推量表現の分類

3 韓国語の条件を表す表現「-(u)myen(なら)」が含まれている文の後件に韓国語の推量表現が現れる

ことができるかどうかを確認するためのテストである。 4 韓国語の表現「thukpyelhi kulehkey kyelloncil iyu-nun eps-ciman(特にそう結論づける理由はないけれ

ど)」を用い、韓国語の推量表現がその使用にあたって推論の根拠を必要とするかどうかを確認するた

めのテストである。 5 韓国語の副詞的表現「amwuli pwato(どうみても)」を用い、韓国語の推量表現がその使用にあたって

証拠を必要とするかどうかを確認するためのテストである。 6 齊藤他(2011)では、推量表現を최(1955)、안(1983)、南・高(1985)、安(1990)、李(1990)、Martin(1992)、

서(1996)、白(2004)等を参考にして収集している。

表現 反実仮

想テスト

根拠の存

在テスト

証拠の存在

テスト

証拠推量表現か認識的

推量表現か

1 keyssta ok ok ?? 認識

2 (u)l kesita ok ok ?? 認識

3 (u)ltheita ok ok ?? 認識

4 (u)llika epsta ok ok ?? 認識

5 (u)ltheki epsta ok ok ?? 認識

6 (u)lcito molunta ok ok ?? 認識

7 (u)l kanungsengi issta/ epsta ok ok ?? 認識

8 (u)l kanungsengi nacta ok ok ?? 認識

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(齊藤他(2011、p.36)より一部省略)

本稿では(17)の 1~14までの表現を命題の確実度との関連で下位分類する。

3. 韓国語の認識的推量表現の下位分類

本節では、命題の確実度に合わせて、韓国語の認識的推量表現を分類することを試みる。

筆者らが、韓国語の認識的推量表現に対して、その確実性の度合いに合わせて下位分類を

行う理由は、一つの推量表現がアノテーションする作業者らによって異なる確実性の度合

いのクラスに分類されるのを防ぎ、極力一貫性のあるアノテーション結果を得るためであ

る。以下で、韓国語の認識的推量表現を命題の確実度に合わせて、下位分類する際に 2.2

節で紹介したテストの韓国語訳をテストとして利用し、日本語に用いたテストが、韓国語

の認識的推量表現にも有用なテストであるかどうかを確かめる。

9 (u)lkka siphta ok ok ok (認識)

10 (u)l keskathta ok ok ok (認識)

11 (u)l kesmankatha. ok ok ok (認識)

12 (u)l sengsiphta ok ok ok (認識)

13 (u)l tussiphta ok ok ok (認識)

14 (u)l tushata ok ok ok (認識)

15 na siphta ?? ?? ok 証拠

16 na pota ?? ?? ok 証拠

17 (u)lyena pota ?? ?? ok 証拠

18 (u)l/n/nun/ten moyangita ?? ?? ok 証拠

19 (u)l/n/nun/ten kesulo pointa ?? ?? ok 証拠

20 n/nun/ten kes kathta ?? ?? ok 証拠

21 n/nun/ten kesman kathta ?? ?? ok 証拠

22 n/nun/ten tushata ?? ?? ok 証拠

23 n/nun/ten sengsiphta ?? ?? ok 証拠

24 n/nun/ten tussiphta ?? ?? ok 証拠

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3.1.韓国語の認識的推量表現の下位分類

本小節では、表(17)の 1~14までの表現の下位分類を行う。ここで用いるテストは、川

添ら(2010a,b)で行ったテストを韓国語に翻訳したものである。

3.1.1.【「celtay(絶対)」「pantusi(必ず)」「100%」との共起テスト】

このテストは、当該の認識的推量表現が命題の確実性の幅の中に、100%を含めるかどう

かを判断するために行うテストとして機能する。このテストに通れば、その表現は「書き

手にとって命題の真偽は未知だが、真である確率が 100%であると考えているときに使う表

現」であることがわかる。そして、その表現を epistemic_100 と表記する。

日本語の「絶対」「必ず」「100%」と同様、韓国語にも「celtay(絶対)」「pantusi(必ず)」

「100%」という表現がある。2.1で見た通り、川添他(2010a,b)では、様相表現をすべて関

係節に埋め込んでテストを行っている。その理由は、文の断定に関わるようなものを、「必

ず/絶対/100%」等が修飾する可能性を排除するためである7。しかし、韓国語の認識的推量

表現の中には、関係節に入れることができない表現(「keyssta(そうだ)」「(u)l kesita(だろ

う)」「(u)l theita(だろう)」「(u)lkka siphta(かと思う)」)があり、これらの表現に対しては、

関係節に埋め込んだテストを行うことはできない。そこで、最初に認識的推量表現が文末

に置かれた状態ですべての表現についてテストを行い、次に埋め込みができるもののみ、

埋め込んだ状態でテストを行う。

まず、文末に置かれた状態ですべての表現について、「celtay(絶対)」「pantusi(必ず)」

「100%」などの副詞的表現と共起できるかどうかテストを行う。

(18)celtay /pantusi/100% minswunun ol kes kathta.

絶対/必ず/100% ミンスは 来 そうだ

(19)*celtay/pantusi/100% minswunun ol kesman kathta.

絶対/必ず/100% ミンスは 来る ような気がする

(20)*celtay/pantusi/100% minswunun ol sengsiphta.

絶対/必ず/100% ミンスは 来る ような気がする

7 関係節への埋め込みを伴わない「可能性がある」と「かもしれない」は下記の例と 2.2 節の(4)には

話者による判断のゆれが見られる。

(ア)?* 絶対/必ず/100% 太郎は来る可能性がある

(イ)?* 絶対/必ず/100% 太郎は来るかもしれない

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(21)?*celtay/pantusi/100% minswunun ol kanungsengi issta.

絶対/必ず/100% ミンスは 来る 可能性がある

(22)*celtay/pantusi/100% minswunun olcito molunta.

絶対/必ず/100% ミンスは 来る かもしれない

(23)*celtay/pantusi/100% minswunun ol tus siphta.

絶対/必ず/100% ミンスは 来る 気分がする

(24)*celtay/pantusi/100% minswunun ol tus hata.

絶対/必ず/100% ミンスは 来る 気がする

(25)?celtay /pantusi/100% minswunun okeyssta.

絶対/必ず/100% ミンスは 来 そうだ

(26)celtay/pantusi/100% minswunun ol kesita.

絶対/必ず/100% ミンスは 来る だろう

(27)celtay/pantusi/100% minswunun ol theita.

絶対/必ず/100% ミンスは 来る だろう

(28)*celtay/pantusi/100% minswunun olkka siphta.

絶対/必ず/100% ミンスは 来る かと思う

次に、可能な表現のみ埋め込んだ状態でテストを行う。

(29)celtay /pantusi/100%ol kes kathun salameykey chotaycangul ponayl philyonun epsta.

絶対/必ず/100% 来 そうな 人に 招待状を 送る 必要は ない

(30)*celtay/pantusi/100% ol kesman kathun salameykey chotaycangul ponayl philyonun epsta.

絶対/必ず/100% 来る ような気がする 人に 招待状を 送る 必要は ない

(31)*celtay/pantusi/100% ol sengsiphun salameykey chotaycangul ponayl philyonun epsta.

絶対/必ず/100% 来る ような気がする 人に 招待状を 送る 必要は ない

(32)*celtay/pantusi/100%ol kanungsengi issnun salameykey chotaycangul ponayl philyonun epsta.

絶対/必ず/100% 来る 可能性がある 人に 招待状を 送る 必要は ない

(33)*celtay/pantusi/100% olcito molunun salameykey chotaycangul ponayl philyonun epsta.

絶対/必ず/100% 来る かもしれない 人に 招待状を 送る 必要は ない

(34)*celtay/pantusi/100% ol tus siphun salameykey chotaycangul ponayl philyonun epsta.

絶対/必ず/100% 来る 気分がする 人に 招待状を 送る 必要は ない

(35)*celtay/pantusi/100% ol tus han salameykey chotaycangul ponayl philyonun epsta.

絶対/必ず/100% 来る 気がする 人に 招待状を 送る 必要は ない

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「keyssta(そうだ)」「(u)l kesita(だろう)」「(u)l theita(だろう)」「(u)lkka siphta(かと思う)」

を除いた表現の文末のテストと、埋め込み文のテストから、両テストの結果はほぼ同様で

あることがわかる8。従って、本稿では文末のテストの結果に従って分類を行う。

上記のテストの結果から、「(u)l kes kathta(しそうだ)」「(u)l kesita(だろう)」「(u)l theita

(だろう)」は epistemic_100 の表現「celtay 絶対」「pantusi 必ず」「100%」と共起し、それ以

外の表現、「keyssta(そうだ)9」「kanungsengi issta(可能性がある)」「(u)l cito moluta(かも

しれない)」「(u)lkka siphta(かと思う)」「(u)l tus siphta(気分がする)」「(u)l tus hata(気がす

る)」「(u)l kesman kathta(かのような気がする)」「(u)l sengsiphta(ような気がする)」等は

共起しないことがわかる。

つまり、「(u)l kes kathta(しそうだ)」「(u)l kesita(だろう)」「(u)l theita(だろう)」は、「真

である確率が 100%である」を含む表現で、それ以外の表現は、「真である確率が 100%であ

る」を含まない表現であるとまとめることができる。

3.1.2.【予言の文脈のテスト】

このテストは、3.1.1で行ったテストの結果を確かめるために行うテストである。書き

手がその内容を、100%確信した上でする発言が予言であることから、当該の表現が予言の

文脈で使用できれば、それらの表現は命題の確実性の幅の中に 100%を含むことがわかり、

反対に、不自然になる場合は、それらの表現が 100%を含まないことがわかる。

(36)nanun yeyenhanta. #19XXnyeney cikwuey khuncicini palsaynghakeyssta.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生 しそうだ

(37)nanun yeyenhanta. 19XX nyeney cikwuey khuncicini palsaynghal kes kathta.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生 しそうだ

(38)nanun yeyenhanta. 19XXnyeney cikwuey khuncicini palsaynghal kesita.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生する だろう

(39)nanun yeyenhanta. 19XXnyeney cikwuey khuncicini palsaynghal theita.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生する だろう

8 「keyssta(そうだ)」と「kanungsengi issta(可能性がある)」においては話者による判断の揺れが

見られる。 9 「keyssta(そうだ)」については話者の判断の間に揺れがある。

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(40)nanun yeyenhanta. #19XX nyeney cikwuey khuncicini palsaynghal kesman kathta.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生するような気がする

(41)nanun yeyenhanta. #19XXnyeney cikwuey khuncicini palsaynghal kanungsengi issta.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生する 可能性がある

(42)nanun yeyenhanta. #19XXnyeney cikwuey khuncicini palsaynghal cito molunta.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生する かもしれない

(43)nanun yeyenhanta. #19XXnyeney cikwuey khuncicini palsaynghal tus siphta.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生する 気分がする

(44)nanun yeyenhanta. #19XXnyeney cikwuey khuncicini palsaynghal tus hata.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生する 気がする

(45)nanun yeyenhanta. #19XXnyeney cikwuey khuncicini palsaynghal sengsiphta.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生する ような気がする

(46)nanun yeyenhanta. #19XXnyeney cikwuey khuncicini palsaynghalkka siphta.

私は 予言する 19XX年に 地球に 大地震が 発生する かと思う

上記の結果からみると(37)-(39)の「(u)l kes kathta(しそうだ)」「(u)l kesita(だろう)」「(u)l

theyya(だろう)」は予言の文脈で自然に使用できるが、(36)と(40)-(46)の表現「keyssta

(そうだ)」「kanungsengi issta(可能性がある)」「l cito moluta(かもしれない)」「(u)lkka siphta

(かと思う)」「(u)l tus siphta(気分がする)」「(u)l tus hata(気がする)」「(u)l kesman kathta

(かのような気がする)」「(u)l sengsiphta(ような気がする)」は、それらが使用された時点

で予言とは言えなくなり、不自然になる。

以上、これまでのテストの結果から、「(u)l kes kathta(しそうだ)」「(u)l kesita(だろう)」

「(u)l theyya(だろう)」といった表現は、100%を含む表現であり、それ以外の表現、「keyssta

(そうだ)」「kanungsengi issta(可能性がある)」「l cito moluta(かもしれない)」「(u)lkka siphta

(かと思う)」「(u)l tus siphta(気分がする)」「(u)l tus hata(気がする)」「(u)l kesman kathta

(かのような気がする)」「(u)l sengsiphta(ような気がする)」は、100%を含まない表現であ

ると言えるだろう。

3.1.3.【同じ命題の「肯定+認識的推量表現」と「否定+認識的推量表現」の両立のテ

スト】

このテストは、導入される表現の命題の確実性が、50%超過(あるいは 50 %未満)であ

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るかどうかと、命題の確実性の幅の中に 50%を含むかどうかを、判断するためのテストで

ある。導入される表現がこのテストに通れば、その表現は、真である確率も偽である確率

も同等な 50%を含む表現であるということができ、反対にこのテストに通らなければ、当

該の表現は真である確率が、50%を超えている表現であるか、あるいは 50%に満たない表現

であるということができる。

(47)*minswunun okeyssko, an okeyssta.

ミンスは 来 そうだし 来なさ そうだ

(48)*minswunun ol kesiko, an ol kesita.

ミンスは来る だろうし 来ない だろう

(49)*minswunun ol theiko, an ol theita.

ミンスは 来る だろうし 来ない だろう

(50)minswunun ol kesto kathko, an ol kesto kathta.

ミンスは 来 そうだし 来なさ そうだ

(51)minswunun ol kesmanto kathko, an ol kesmanto kathta.

ミンスは来る かのような気もし 来ない かのような気もする

(52)minswunun ol kanungsengi issko, an ol kanungsengto issta.

ミンスは 来る 可能性があるし 来ない 可能性もある

(53)minswunun olcito moluko, an olcito molunta.

ミンスは 来る かもしれないし 来ない かもしれない

(54)minswunun ol tusto siphko, an ol tusto siphta.

ミンスは 来る 気分もするし 来ない 気分もする

(55)minswunun ol tusto hako, an ol tusto hata.

ミンスは 来る 気もするし 来ない 気もする

(56)minswunun ol sengto siphko, an ol sengto siphta.

ミンスは 来る ような気もし 来ない ような気もする

(57)*minswunun ol lkka siphko, an ol lkka siphta.

ミンスは 来る かと思うし 来ない かとも思う

(47)-(49)は、書き手が命題の確実度を「高い」と考えている時に使う表現であり、かつ同

じ命題を同時に否定と肯定に主張できないことから、これらの表現の確実性は、「50%を超

過する」と考えられる。そして、このテストの結果と、先に見た「100%を含むかどうか」

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を調べるテストの結果から、「(u)l kesita(だろう)」「(u)l theyya(だろう)」が表す確実度の

範囲は、「50%超過~100%以下」(以下、epistemic_51_100)であると考えられ、「keyssta(そ

うだ)」は、「celtay(絶対)」「pantusi(必ず)」「100%」と共起できず、また、肯定と

否定を同時に主張できないことから「50%超過~100%未満」(以下、epistemic_51_99)であ

ると考えられる。「(u)l kes kathta(しそうだ)」については、「celtay(絶対)」「pantusi(必

ず)」「100%」と共起でき、かつ、肯定と否定を同時に主張できることから「50%以上~100%

以下」(以下、epistemic_50_100)であると言える。また、可能性があることを示唆するの

みで、確実度の度合いに特に言及しない場合に使える表現「(u)l kesman kathta(かのような

気がする)」「kanungsengi issta(可能性がある)」「(u)l cito moluta(かもしれない)」「(u)l

tus siphta(気分がする)」「(u)l tus hata(気がする)」「(u)l sengsiphta(ような気がする)」に

ついては、肯定と否定を同時に主張できることから、確実性が 50%以下の命題を取ること

も、50%以上の命題を取ることもできるような、幅広い確実度を許容する表現であると言え

る。

最後に、この「肯定」と「否定」の両立テストを、命題の確実度が「低い」と考えられ

る「(u)lkka siphta(かと思う)」と、「(u)l kanungsengi nacta(可能性が低い)」「(u)llika epsta(わ

けがない)」「(u)ltheki epsta(はずがない)」などの表現に導入すると、これらの表現は、同

じ命題の「肯定+認識的推量表現」と、「否定+認識的推量表現」を同時に主張できないため、

確実度は「50%未満である」ということになる。

(58)*minswunun ol kanungsengi nacko, an ol kanungsengto nacta.

ミンスは 来る 可能性が低いし 来ない 可能性も低い

(59)*minswunun ol lika epsko, an ol lika epsta.

ミンスは 来る わけもなく 来ない わけもない

(60)*minswunun ol theki epsko, an ol theki epsta.

ミンスは 来る はずもなく 来ない はずもない

3.1.4.【「kanungsengi epsta(可能性はない)」「hwakyulun 0%ta(確率は 0%

だ)」との共起テスト】

このテストは、当該の認識的推量表現が、命題の確実性の幅の中に 0%を含めるかどうか

を、知るために行うテストである。導入される表現が、上記の表現と共起できれば、導入

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される命題の確実性の幅の中に 0%を含むことになり、共起できなければ、それらの表現は

0%を含まない表現になる。

(61)minswunun ol {hwakyulun 0%ta・kanungsengi epsta}. #minswunun ol kanungsengi issta.

ミンスは 来る 確率は 0%だ 可能性はない ミンスは 来る 可能性がある

(62)minswunun ol {hwakyulun 0%ta・kanungsengi epsta}. #minswunun olcito molunta.

ミンスは 来る 確率は 0%だ 可能性はない ミンスは 来る かもしれない

(63)minswunun ol {hwakyulun 0%ta・kanungsengi epsta}. #minswunun ol kanungsengi nacta.

ミンスは 来る 確率は 0%だ 可能性はない ミンスは 来る可能性が低い

(64)minswunun ol {hwakyulun 0%ta・kanungsengi epsta}. #minswunun ol kesman kathta.

ミンスは 来る 確率は 0%だ 可能性はない ミンスは 来る かのような気がする

(65)minswunun ol {hwakyulun 0%ta・kanungsengi epsta}. #minswunun ol tus siphta.

ミンスは 来る 確率は 0%だ 可能性はない ミンスは 来る 気分がする

(66)minswunun ol {hwakyulun 0%ta・kanungsengi epsta}. #minswunun ol tus hata.

ミンスは 来る 確率は 0%だ 可能性はない ミンスは 来る 気がする

(67)minswunun ol {hwakyulun 0%ta・kanungsengi epsta}. #minswunun ol sengsiphta.

ミンスは 来る 確率は 0%だ 可能性はない ミンスは 来る ような気がする

(68)minswunun ol {hwakyulun 0%ta・kanungsengi epsta}. minswunun ol lika epsta.

ミンスは 来る 確率は 0%だ 可能性はない ミンスは 来る わけがない

(69)minswunun ol {hwakyulun 0%ta・kanungsengi epsta}. minswunun ol theki epsta.

ミンスは 来る 確率は 0%だ 可能性はない ミンスは 来る はずがない

上記の結果から、(68)の「(u)llika epsta (わけがない)」と(69)の「(u)ltheki epsta(は

ずがない)」の表現以外は、不適切であることがわかる。よって、「(u)llika epsta (わけ

がない)」 「(u)ltheki epsta(はずがない)」は、0%を含む(つまり 0%以上である)表現で

あることがわかり、それ以外の(61)-(67)の表現らは、0%を含まない(0%超過である)表現

であることがわかる。

以上、他のテストの結果と組み合わせると、「kanungsengi issta(可能性がある)」「(u)l

cito moluta(かもしれない)」「(u)l tus siphta(気分がする)」「(u)l tus hata(気がする)」「(u)l

kesman kathta(かのような気がする)」「(u)l sengsiphta(ような気がする)」は、「0%超過~

100%未満」(epistemic_1_99)を表す表現で、「(u)lkka siphta(かと思う)」「kanungsengi

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nacta(可能性が低い)」は、「0%超過~50%未満」(epistemic_1_49)を表す表現、「(u)llika

epsta (わけがない)」 「(u)ltheki epsta(はずがない)」は、「0%以上~50%未満」(epistemic_0_49)

を表す表現であることがわかる。

3.2.まとめ

上記の確実度のテストとは別に、「celtay(絶対)」「pantusi(必ず)」「100%」という表現

は、epistemic_100 のカテゴリに分類し、「kanungsengi epsta(可能性はない)」「hwakyulun

0%ta(確率は 0%だ)」という表現は、epistemic_0 のカテゴリに分類する。そして、これま

でテストの結果から、「(u)l kesita(だろう)」「(u)l theita(だろう)」という表現は epistemic_100

の表現と共起することができるが、同じ命題について「肯定」と「否定」を同時に主張す

ることができないことから、epistemic_51_100 のカテゴリに分類される。そして、「(u)l kes

kathta(しそうだ)」については、epistemic_100 の表現と共起でき、かつ同じ命題について、

「肯定」と「否定」を同時に主張することができることから、epistemic_50_100 のカテゴ

リに分類される。「keyssta(そうだ)」については、epistemic_100 の表現と共起することが

できず、かつ同じ命題について、「肯定」と「否定」を同時に主張することができないこと

から、epistemic_51_99 のカテゴリに分類される。また、「(u)l kesman kathta(かのような気

がする)」「kanungsengi issta(可能性がある)」「(u)l cito moluta(かもしれない)」「(u)l

tus siphta(気分がする)」「(u)l tus hata(気がする)」「(u)l sengsiphta(ような気がする)」と

いう表現については、epistemic_0 の表現と共起することができないが、同じ命題について、

「肯定」と「否定」を同時に主張することができることから、epistemic_1_99 のカテゴリ

に分類される。「(u)lkka siphta(かと思う)」「kanungsengi nacta(可能性が低い)」は、

epistemic_0 の表現と共起しないことと、「肯定」と「否定」を同時に主張することができ

ないことから、epistemic_1_49 のカテゴリに分類される。最後に、「(u)llika epsta (わけ

がない)」 「(u)ltheki epsta(はずがない)」については、epistemic_0 の表現と共起できる

が、「肯定」と「否定」を同時に主張することができないことから、epistemic_0_49 のカテ

ゴリに分類される。

以上、まとめると(70)のようになる。そして、上記のテストの結果に従って、アノテー

ション対象となる韓国語の認識的推量表現を分類した表が、

(71)である。各分類に対する判断基準は「備考」にまとめてある。

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(70)韓国語の認識的推量表現の下位分類

認識的推量表現

100%(epistemic_100) celtay,pantusi,100%

50%以上~100%以下

(epistemic_50_100) (u)l kes kathta

50%超過~100%以下

(epistemic_51_100) (u)l kesita,(u)l theita

50%超過~100%未満

(epistemic_51_99) keyssta

0%超過~100%未満

(epistemic_1_99)

(u)l kesman kathta, kanungsengi

issta ,l cito moluta ,(u)l tus siphta,

(u)l tus hata, (u)l sengsiphta

0%超過~50%未満

(epistemic_1_49) (u)lkka siphta, kanungsengi nacta

0%以上~50%未満

(epistemic_0_49) (u)llika epsta, (u)ltheki epsta

0%(epistemic_0) kanungsengi epsta

X%(epistemic_X) kanungsengun X%ta

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(71)

表現のカテゴリ (書き手にとっ

て)命題が真で

ある確率

表現の例 備考

epistemic_100 100% Celtay(絶対),pantusi(

必ず),100%

epistemic_50_100 50%以上~

100%以下

(u)l kes kathta(しそう

だ)

【判断基準】

1. epistemic_100の表現と共起すること

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」と「否定+

推量表現」の両立が可能であること

epistemic_51_100 50%超過~

100%以下

(u)l kesita(だろう),(u)l

theita(だろう)

【判断基準】

1. epistemic_100の表現と共起すること

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」と「否定+

推量表現」の両立が不可能であること

epistemic_51_99 50%超過~

100%未満

keyssta(そうだ) 【判断基準】

1. epistemic_100の表現と共起しないこと

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」と「否定+

推量表現」の両立が不可能であること

epistemic_1_99 0%超過~

100%未満

(u)l kesman kathta(かのよ

うな気がす

る),kanungsengi issta(可能

性がある),(u)l cito

moluta(かもしれない),(u)l

tus siphta(気分がする),(u)l

tus hata(気がする),(u)l

sengsiphta(ような気がす

る)

【判断基準】

1. epistemic_100の表現ともepistemic_0の表

現とも共起しないこと

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」と「否定+

推量表現」の両立が可能であること

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epistemic_1_49 0%超過~50%

未満

(u)lkka siphta(かと思

う),kanungsengi

nacta(可能性が低い)

【判断基準】

1. epistemic_0の表現と共起しないこと

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」と「否定+

推量表現」の両立が不可能であること

epistemic_0_49

0%以上~50%

未満

(u)llika epsta (わけが

ない), (u)ltheki epsta(は

ずがない)

【判断基準】

1. epistemic_0の表現と共起すること

2. 同じ命題の「肯定+推量表現」と「否定+

推量表現」の両立が不可能であること

epistemic_0

0% kanungsengi epsta (可

能性がない)

epistemic_X X%(Xに入る

数字に依存)

kanungsengi epsta (可

能性はX%(だ))

4.終わりに

本稿では、確実性という観点から、韓国語の認識的推量表現の下位分類を行った。本研

究を通して、日本語の推量表現の下位分類と同様に、同じテストで韓国語の認識的推量表

現の下位分類にも一貫性のある結果が得られたことから、日本語の推量表現の分類のため

に用いたテストが、韓国語の認識的推量表現にも有効であることを、確かめることができ

たと思われる。

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Classification of Korean epistemic expressions on the basis of levels of certainty of

the propositions

Youngsoo Choi*, Manabu Saito

**, Daisuke Bekki

***,

Kiyoko Kataoka†, and Ai Kawazoe

††

Abstract

In this paper, Korean epistemic expressions are classified based on the levels of certainty of the

propositions they introduce. We already showed in Kawazoe at al. (2010b) that the following four

tests are useful for classifying Japanese epistemic expressions: 1) the test of co-occurrence with

“100%” expressions , 2) the test of co-occurrence with the context of prediction, 3) the test of

occurrence in conjoined sentences where the same proposition is both affirmed and negated, and 4)

the test of co-occurrence with “0%” expressions. This study has shown that those tests can also be

made use of for the classification of Korean epistemic expressions.

Keywords: Epistemic expression, Certainty of the proposition , Linguistic test, Annotation

* Hitotsubashi University

** Shikoku Gakuin University

*** Ochanomizu University

† Kanagawa University

†† National Institute of Informatics

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飯田香織/中華日本研究/第7期/51-59

51

台湾の大学4年生のプレゼンテーション授業の実践報告

飯田香織*

要旨

本稿は、2015年度から新たに行われることになった4年生の「資訊應用日語發表訓練」

という授業で「〇〇から見た 50 年後の台湾』というテーマを学習者が設定し、パソコン

でパワーポイント(PPT)を用いて発表(プレゼンテーション)を作成し発表するという

授業の実践を通じて、口頭発表力、質疑応答力などを総合的に育成する授業の実践報告で

ある。

キーワード:プレゼンテーション、質疑応答、グループワーク・アウトプット、

台湾人日本語学習者

目次

1.はじめに 5.AGC 旭硝子集團日語簡報比賽への出場

2.「資訊應用日語發表訓練」の実践概要 6.学習者による自己評価

3.プレゼンテーションのテーマ設定 7.おわりに

4.発表会

2016年1月 29日受理、2016年5月 18日最終稿編集委員会審査通過、2016年5月 18日採択 * 中華大学應用日語学系

[email protected]

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飯田香織/中華日本研究/第7期/51-59

52

1.はじめに

本稿は、4年生のキャップストーン科目としてプレゼンテーション訓練を行う「資訊應

用日語發表訓練」(必修科目)で行われた授業の実践報告である。この授業では「様々な科

目を通して得た多様で広範な日本語の知識を統合し、そこで得た知識や知見を最大限に活

用して、発表を行うことにより、主観的・客観的に学びや到達度、修得した能力を可視化

することができる」という授業目標が学科会議で予め定められた。これまで行われてきた

「資訊應用日語發表訓練」では、成果発表の場として姉妹校の日本人を聴衆として招き入

れてきた。2015 年度前期は、「良いプレゼンテーションとは何か」ということを学習者が

理解し、グループごとにまとまった内容についてプレゼンテーションができるようになる

ことを課題とし、「AGC 旭硝子集團日語簡報比賽」への応募(予選)可能性を組み込んだ

授業を行った。全ての実践(「資訊應用日語發表訓練」)が終了した後、プレゼンテーショ

ン授業に対する自己評価をアンケート形式で求めた。

第二言語習得においては、言語産出(アウトプット)によって、学習者は第

二言語を使用する際に自分がどのようなことが表現できないかに気付く機会を得ることが

指摘されている(Swain, 1993,1995)。また、学習者は協同的対話(インタラクション)

を通して問題解決に必要な言語産出能力を伸ばす機会を与えられる(Swain, 2000)。これ

は、教師主導型で行うよりも学習者主導型でインタラクションを行うほうが、学習者のア

ウトプットの機会を増やすことを示唆している。本稿で報告するプレゼンテーションの作

成と活動は、上記の先行研究を背景とし、学習者間のインタラクションを重視した。

2.「資訊應用日語發表訓練」の実践概要

授業の実施期間は、2015 年 9 月から 12 月中旬(前期授業期間)の全 14 コマ(1回2

コマ 1コマ 50分×2)であった。この授業は必修科目であるため、

4年生全員が対象であった(全4クラス 1クラス 22~25 名 N2~N3 レベル)。この授業

が行われた授業の学習者のほとんどが N2~N3 合格者であるため、中級レベルの学習者と

判断した。学習者は交換留学生学習者1名(中国)を除く全員が中国語を母語とし、台湾

国内の中華大学應用日本語学科

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飯田香織/中華日本研究/第7期/51-59

53

で日本語を専攻している4年生であった(日本語能力試験1~3級)。「資訊應用日語發表

訓練」の指導を担当した教員は4名(日本語母語話者)であった。

2015 年度の「AGC 旭硝子集團日語簡報比賽」のプレゼンテーションのテーマは 2015

年6月中旬にウェブ上で公開された(「〇〇から見た 50 年後の台湾」)。「〇〇から見た 50

年後の台湾」のテーマ設定は学習者の夏休み中の課題とした。「AGC 旭硝子集團日語簡報

比賽」では1グループ1~3名で発表することが予め決められている。そこで、各クラス

8グループ(1グループ2~3名ずつ)に分けた。授業の進め方としては、授業の初めの

1コマ(50分)を教師による例示と各グループの進度報告に充て、2コマ目は毎回3~4

グループのプレゼンテーションを行った。第4週では、予選応募者を決めるためのクラス

内発表会を行った。クラス内発表会では、プレゼンテーションを他のグループが行ってい

る間、他の学習者たちは評価シートに①発音・流暢さ②発表態度③視覚資料(パワーポイ

ント)④準備の4点について評価した。プレゼンテーション終了後、記入された評価用紙

は直接プレゼンテーションを行ったグループに渡された。教師からは口頭で具体的な改善

策についてのフィードバックが行われた。

「AGC 旭硝子集團日語簡報比賽」の予選応募には動画が必要なため、各グループのビデ

オ録画を合わせて行った。このクラス内発表会は予選応募者を決定するだけでなく、第5

週で行われる「発表会」の予行練習も兼ねているため、ビデオ録画をすることで、普段の

授業とは違った緊張感を学習者が感じられる仕組みになっている。第1週から第7週まで、

各グループ1つのテーマ(途中で別のテーマには変えない)について発表した。第1週か

ら第4週までの授業活動例を資料1に示す。

教師による例示

(例 基本的なプレゼンテーションの構成について)

原稿作成(自宅)

教師による添削

進度報告・プレゼンテーション

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飯田香織/中華日本研究/第7期/51-59

54

資料1 「資訊應用日語發表訓練」授業の一例

第5、6週では中間発表として、グループごとに作成したプレゼンテーション(PPT 使

用)を通して行い、その中から1~2グループを「AGC 旭硝子集團日語簡報比賽」の予

選応募グループとして決定した(教師による評価が高かったグループ)。この中間発表では、

各グループのプレゼンテーションのビデオ録画を行った。教師評価は①発音・流暢さ 30%

②発表態度 (アイコンタクトなど)10%

③ 視覚資料(PPT)30% ④準備(原稿などの提出、添削の確認)の4点 30%

(計 100%)で換算された。2015年度は「岡山市民団体」の中華大学應用日本語学科訪問

が決まっていたので、第7週目(2015 年 10 月 28 日)は「岡山市民団体」を聴衆に迎え

た4年生の発表会(PPT 使用)を開催した。この発表会は前期の中間試験を兼ねたもので

あった。発表時間は1グループ約 7 分 30 秒(「AGC 旭硝子集團日語簡報比賽」の規定)

であった。

3. プレゼンテーションのテーマ設定

学習者が考えたテーマ(「〇〇から見た 50 年後の台湾」)を資料 2に示す。なお、「AGC

旭硝子集團日語簡報比賽」では「これから将来を担うみなさんが台湾の政治、経済、社会

への発展に貢献していく人材となるようなビジョンを獲得することが期待される」という

ことが評価されるということを踏まえ、「IT、環境問題、少子化問題、医療問題、国際化、

多様な価値観など、これからどのように台湾は変化していくのか、良い面・悪い面などを

考えながら分析し、その理由を分かりやすく説明すること」が課題であることを学習者に

事前に伝えた。

・インターネット依存症問題から見た 50年後の台湾

・日常の通勤から見た 50年後の台湾

・高齢化社会の科学技術から見た 50年後の台湾

・科学技術から見た 50年後の台湾

・駅弁業界から見た 50年後の台湾

・農業技術から見た 50年後の台湾

・動物愛護から見た 50年後の台湾

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飯田香織/中華日本研究/第7期/51-59

55

資料2 学習者が考えたプレゼンテーションの題目例

また、プレゼンテーションでよく使われる口頭表現等については、授業中の成果発表で

学習し、プレゼンテーションの基礎知識を構築した。特に、聴衆にわかりやすく話すこと、

プレゼンテーション時の態度などのコミュニケーション上の重要点を確認し、以下を作成

上の留意点とした。

(1) 発表の構成(挨拶、序論、本論、結論)の流れにそって、聴衆にわかりやす

いプレゼンテーションを作る。

(2) PPT は写真やイラストだけでなく、その説明も簡潔に明記する。

(3) 聴衆の反応を見ながら発表を進める(例 スライドの進め方)。

(4) 発表後、時間があまった際は質疑応答を行うので、その準備をする。

(5) インターネットなどで調べた内容で専門用語がある場合は、必要に応じて説

明を加える。

(6) 出典を明記する。

4.発表会

2015 年 10月 29 日に行われた発表会において、学習者はグループごとにプレゼンテー

ションを行った。聴衆として JTB主催の「岡山市民団体」の日本人来訪者 15 名が参加し

た。発表会の様子はビデオで録画され、教師が後で各グループのプレゼンテーションの評

価を付ける際に用いられた。また、ビデオ録画したプレゼンテーションはクラスごと(全

4クラス)に1枚の CD-ROM に収録された。全グループの学習者が準備したプレゼンテ

ーションについて、実際に日本語で日本人を聴衆にプレゼンテーションを行うことが出来

た。今回は、日本人来訪者の来訪スケジュールの関係で、質疑応答時間を取ることが出来

なかったが、「台湾の大学習者が 50年後の自分の国(台湾)についてどんなことを考えて

いるのかわかって興味深かった」「台湾の文化や習慣について知ることが出来て面白かった」

などのコメントを日本人来訪者からの「発表に対するコメント欄」に書かれていた。

5.AGC 旭硝子集團日語簡報比賽への出場

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「インターネット依存症問題から見た 50 年後の台湾」についてプレゼンテーションを

行ったグループ(3 名)は 2015年 12月 12 日に行われた「AGC 旭硝子集團日語簡報比賽」

(決勝)で特別賞(第4位)を受賞した。このグループは、「AGC 旭硝子集團日語簡報比

賽」の予選通過後、9日間(11月 27 日から 12 月 11 日の間)授業とは別に1回約2時間

程度のプレゼンテーション練習が行われた。指導内容は主に、質疑応答の仕方に重点が置

かれた。質疑応答は、プレゼンテーション終了後に行われるので、練習もその流れで行っ

た。発表者は、質問が出た内容に関するスライドを再度提示し、質問者(指導教員)から

の質問に答えた。質疑応答練習は下記の流れで行われた。

(1) 学習者がプレゼンテーションを通して行う。

(2) プレゼンテーション終了後に指導教員から質問が出される

(3) 指導教員からの質問に答えるための準備(15分程度)を学習者間で行う。

(4) 学習者が準備した質問に対する説明を指導教員が確認し、必要があれば質疑

応答でよく使われる口頭表現について指導する。

(5) (2)と同じ質問をもう一度学習者に問う。

(6) 学習者が質問に応答する。

「AGC 旭硝子集團日語簡報比賽」当日は、学習者は自分たちが作成した原稿内容やそれ

について予め準備していた質問について答えられていたが、審査員からまったく予期して

いなかった質問をされた際には躊躇している様子が明らかだった。これは、質疑応答の準

備として、他の教員にも学習者のプレゼンテーションを事前に見てもらい、そこで出来る

だけ多く質問をしてもらうことによって改善できるのではないかと考えている。

6.学習者による自己評価

2015年度前期に授業を実施し、最終日に学習者が授業で学んだこと、実践できたことに

ついて学習者が自己評価アンケートを行った。自己評価アンケートは、今後この授業を行

っていくにあたっての参考資料を得る目的で行われた。は筆者が担当したクラス(25 名)

で行った。授業欠席者1名、未記入者1名を除く 23 名が「この授業で自分が理解した」

と思う質問項目(6項目)について「全くそう思わない」から「強くそう思う」までの5

段階評価で回答した結果を表1に示す。

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表1.自己評価アンケート結果(N=23)

7.おわりに

プレゼンテーションの原稿作成から実際にプレゼンテーションを聴衆の前で行うとい

う一連の課題について、学習者たちは初級・中級の知識を動員しながらグループごとに協

力して取り組んでいた。これによって、「グループごとにまとまった内容についてプレゼン

テーションができるようになる」というこの授業の目的は達せられたと考える。しかし、

「〇〇からみた 50 年後の台湾」というテーマの特殊性もあるかもしれないが、「50 年後の

台湾は、すべての公共交通機関にリニヤモーターが使われ、飛行機でなくても海外旅行が

できるようになる」というアイディアだけが提示され、その実現可能性やそう考えた根拠

については説明がないというグループも見られた。これは、学習者の日本語力の問題だけ

ではなく、アカデミックなものの考え方や論理的な思考の側面がまだ完全とは言えないた

め、今後の課題として考えていきたい。「良いプレゼンテーションとは何か」ということに

ついては、教師が与えた知識だけでなく、学習者が他の学習者のプレゼンテーションを実

際に評価することによって、より理解が深められたのではないかと考えられる。今後は、

プレゼンテーションの質疑応答場面で、予測のできない質問にも対応できる応用能力を養

うために必要な指導についても検討したい。また、他の教員からできるだけ多くの質問を

事前に学習者が受ける(プレゼンテーションを見てもらった後で)機会を設ける必要もあ

(1) 発表の構成について(序論・本論・結論)6 8 8 1 0

(2) 発表態度について 7 8 7 1 0

(3) 基本的な発表原稿作成について 3 14 5 1 0

(4) 発表で使うPPTの効果的な作成について5 8 9 1 0

(5)発表で使う語彙・表現について 4 9 9 1 0

(6)図・表の説明の仕方について 6 7 9 1 0

質問項目

強くそう思う

そう思う

どちらともい

えない

そう思わない

全くそう思わ

ない

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飯田香織/中華日本研究/第7期/51-59

58

ることから、他の教員の協力も必要であると考えられる。

(参考文献)

石塚久与・高橋順子・二瓶知子・渡辺恵子(2013)『もっと中級日本語で挑戦!スピーチ

&ディスカッション』にほんごの凡人社

国際交流基金関西国際センター(2011)『初級からの日本語スピーチ』にほんごの凡人社

東海大学留学生教育センター 口頭発表教材研究会編(2008)『日本語 口頭発表と討論の

技術』東海大学出版会

ナンシー・デュアルテ著、中西真雄美訳(2012)『ザ・プレゼンテーション』ダイヤモンド

村上治美(2010)『日本語中級表現 アカデミック・ジャパニーズ表現の基礎』東海大学出

版会

Swain, M (1993). The output hypothesis: Just speaking and writing aren’t enough. Canadian Modern

Language review, 50, 158-164.

Swain, M (1995). Three functions of output in second language learning. In G. Cook, & B.

Seidlhofer (Eds), Principle and practice in applied Linguistics: studies in honor of

H.H.Widdowson (pp. 125-144). Oxford: Oxford University Press.

Swain, M. (2000). The output hypothesis and beyond: Mediating Acquisition through collaborative

dialogue. In J.P. Lantoff (Ed.), sociocultural theory and second language learning (pp. 97-114).

Oxford: Oxford University Press.

Page 60: ISSN 2221-1969 中 華 日 本 研

飯田香織/中華日本研究/第7期/51-59

59

Report on the Japanese presentation class for Senior year university students in

Taiwan

Kaori IIda*

Abstract

This paper is a practical report on the Japanese presentation class for Senior year university

students in Taiwan. The Taiwanese students decide their presentation

theme by themselves and made a presentation using PowerPoint. Through this practical presentation

class, the Taiwanese students learned new oral presentation skills, as well as developing their

question and answer skills in Japanese.

* Chung Hua University

[email protected]

Page 61: ISSN 2221-1969 中 華 日 本 研

中華日本研究/投稿規定・執筆要綱

60

『中華日本研究』投稿規程

1.投稿資格・投稿費

投稿者の資格は問わない。投稿費は徴収しない。

2.論文審査

編集委員会の審査および(または)外部の匿名審査委員の審査を経て採択の

可否を決める。なお、投稿された原稿は採択の有無に関係なく返却しない。

3.投稿原稿の種類と内容

論文…………従前の研究成果に対する考察が十分に行われており、新規性や独

創性が見られるもの

研究ノート…アイデアにユニークさがあり、将来の研究に資するもの

調査報告……日本に関連した調査や報告

(実践報告)

書評…………日本に関係する著作の書評

4.投稿方法等

執筆要綱に従い日本語・中国語・英語のいずれかで執筆した完成原稿を編集

委員会宛てに電子メールの添付ファイル(ワード:Word)で送付する。

5.投稿先

[email protected]

6.投稿原稿の受付

投稿は随時受け付ける。4月末までに採択が確定した原稿については当年発

行号(本誌は年1回発行を原則とし、毎年6月に発行予定)に掲載される。

7.投稿原稿数

同一号に掲載される論文(研究ノート等を含む)は一人2本までとする。

8.第一次審査

編集委員会で第一次審査を行い、第一次審査を通過したものだけが本審査に

付される。第一次審査で、(1)独創性あるいはユニークさに欠ける(論文・研

究ノート)、(2)非科学的もしくは非論理的である、(3)文法的なミスなど日本

語・中国語・英語に大きな問題がある、(4)雑誌の目的に適合しない、と判断

された場合は不採択となる。なお、論文の内容次第では第一次審査の段階で採

択が決定されることもある。

8.論文の修正

編集委員会は編集会議および(あるいは)外部の匿名審査委員の報告に基づ

いて投稿者に投稿論文の修正を求めることがある。修正を求められた投稿者は

指定された期限までに、(1)修正を要求された事項に対してどのような修正を

行ったかを説明した文章、(2)修正を施した原稿、を再提出するものとする。

期限までに提出しない場合は不採択とする。

Page 62: ISSN 2221-1969 中 華 日 本 研

中華日本研究/投稿規定・執筆要綱

61

執筆要綱

1.様式

①原稿:ワード(Word)文書、A4用紙横書きとする。

②日本語使用の場合:文字サイズ(12ポイント)、40字×30行、MS明朝体

③英語使用の場合:文字サイズ(12ポイント)、30行、Times New Roman 体

④中国語使用の場合:文字サイズ(12ポイント)、40字×30行、新明細体

2.分量

①題目・要旨・執筆者名・所属・図表・参考文献・脚注(footnote)などすべて

を含め 25枚以内とする(日本語・中国語換算で3万字以内)

3.原稿の構成

①日本語原稿・中国語原稿・英語原稿共通

第1項………題目、氏名、所属(所属機関と部署名-学部あるいは学科-)、

要旨(日本語・中国語原稿は原則 400字以内、英語原稿は原則

100単語以内)、キーワード(5語以内)、連絡先(郵便番号・

住所・メールアドレス)。謝辞等は原稿採択後に追加するもの

とし、原稿送付時には記載しない。

第2項以下…本文、脚注(footnote)、参考文献。2ページ目以下には氏名・

所属など投稿者が判明するような情報は掲載しない。

②日本語原稿あるいは中国語原稿の場合

第1項に英文題目、英文氏名も追加する。

4.章立て

①章・節・項については全角算用数字を使用する。

(例) 3.生成文法と認知言語学

3.1.生成文法

3.1.1.生成文法の概要

5.引用

①本文および注において先行研究を引用する際は、引用元を(著者名,刊行年:

ページ数)で記載する。

(例) …との結果が得られた(李,2008:12)。

陳(2008)によると、…である。

なお、著者が2名のときは、王・林(2007)、3名以上の場合は、呉他(2006)

とし、英文の場合は、Wu et al.(2006)とする。ただし、参考文献としては著

者全員の氏名を記載する。また、複数の文献を参考にする場合は、セミコロン

を用いて(江,2005;楊,2004a,2004b)とする。

6.注記

①注は脚注(footnote)とする。文章の終わりに両カッコ付きの算用数字(上付

き4分の1)を用いて通し番号で示す。注の通し番号は半角上付き4分の1を

使用し、注が複数行になるときは1行目だけを1文字下げる(右へずらす)。

Page 63: ISSN 2221-1969 中 華 日 本 研

中華日本研究/投稿規定・執筆要綱

62

(例)劉銘傳が………と主張したことは間違いない 1。

文天祥は諸葛亮の影響を受けていると考えられている 2。

1 この問題について、…………。

2 もっとも、この点については反対説もある。……………………

反対説は、…………………………………………………………

しかしながら、……………。

7.参考文献

①参考文献は著者の姓によるアルファベット順とし、記載方法は、著者名、刊行

年、タイトルの順とする。雑誌論文については、タイトルの後に雑誌名、巻(号)、

掲載ページを書く。読者の便宜を考慮し、紀要論文に関しては紀要名に発行大

学名がない場合は大学名を記載する。単行本の場合、タイトルの後に出版社と

出版地(日本の場合は省略可、英文の場合は日本の出版社でも必要)を記す。

単行本の一章の場合は、著者名、刊行年、タイトル、編者名(編著者名)、書

名、掲載ページを記載する。文献が2行以上になるときは、2行目以降を2文

字下げる(右へずらす)。

(例)

平清盛(2009)「平家物語と坂東平氏」『文学研究』六波羅大学、第1巻第1

号、pp.11-22

源頼朝(2008)「吾妻鏡と北条氏」『大盛山大学歴史研究』第2巻第2号、

pp.33-44

清少納言(2007)『枕草子研究』藤原定家記念出版会

紫式部(2006)「源氏物語と日本語文法」藤原道長編著『平安時代の日本語』

鎌足堂学術書店、pp.55-66

カエサル,ユリウス著、源頼家訳(2006)『ガリヤ戦記と吾妻鏡』得宗書店

吉田兼好(2009)「徒然草研究基本資料」

http://www.yoshidakenko.co.jp/yoshida0901.pdf(2009年3月5日取得)

Taira, K., Taira, S., and Taira, M.(2009). Yoritomo and his wife. Journal of GENJI

Studies, 1(1), 11-22.

Minamoto, Y.(2008). Languages in East Asia, Tokyo: Tokuso Publishing.

Toyotomi, H.(2007). Nobunaga’s policies to reunify Japan. In Tokugawa, I. ed.,

Handbook of Nobunaga Oda, Kyoto: Ashikaga Publishing, 345-367.

Naoe, K.(2009). A note on Kagekatsu Uesugi and his relatives.

http://www.naoekanetsugu.co.jp/naoe0902.pdf(Accessed March 12, 2009)

Page 64: ISSN 2221-1969 中 華 日 本 研

中華日本研究編集委員会(アルファベット順)

編集顧問 河野昭三 東北大学名誉教授・甲南大学名誉教授

齋藤倫明 東北大学教授

編集委員長 簡 暁花 中華大学

編集委員 廖 紋淑 中華大学

王 盈文 中華大学

魏 志珍 中華大学

楊 淑雲 中華大学

飯田香織 中華大学

加藤稔人 中華大学

岡崎幸司 中華大学

編集助手 趙 婷涵 中華大学

中華日本研究 第7期(2016年6月 30日発行)

編集発行 中華日本研究編集委員会

中華民国(台湾) 300-12

新竹市香山区五福路2段707号

中華大学人文社会学部応用日語学系

電話:886(3)518-6876

ファクシミリ:886(3)518-6875

電子メール(連絡用)[email protected]

(投稿用)[email protected]

Page 65: ISSN 2221-1969 中 華 日 本 研

ISSN 2221-1969

Review of Japanese Studies

No.7 July 2016

Articles

Daiki Tanaka Coordinating Particle ya and the Meaning of A ya B 1

Youngsoo Choi Classification of Korean epistemic expressions on the 28

Manabu Saito basis of levels of certainty of the propositions

Daisuke Bekki

Kiyoko Kataoka

Ai Kawazoe

Teaching Report

Kaori Iida Report on the Japanese presentation class for Senior year 51

university students in Taiwan

Department of Japanese

College of Humanities and Social Sciences

Chung-Hua University

Hsinchu, Taiwan, ROC


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