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Kobe University Repository : Kernel · ころが氏は急逝Lt私がこの総合コ ー...

Date post: 09-Jul-2020
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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title 堀辰雄『美しき村』 著者 Author(s) 小松原, 千里 掲載誌・巻号・ページ Citation 近代,64:115-129 刊行日 Issue date 1988-06 資源タイプ Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI 10.24546/81001356 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81001356 PDF issue: 2020-08-10
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Kobe University Repository : Kernel

タイトルTit le 堀辰雄『美しき村』

著者Author(s) 小松原, 千里

掲載誌・巻号・ページCitat ion 近代,64:115-129

刊行日Issue date 1988-06

資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文

版区分Resource Version publisher

権利Rights

DOI

JaLCDOI 10.24546/81001356

URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81001356

PDF issue: 2020-08-10

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堀辰雄

『美しい村』

本論は'故川端柳太郎氏の組織した六十二年度前期の人文科学総合

「文学の世界、作家と方法」の一環として'六

月十日学生諸君を前に喋ったものを'

「近代」に掲載するにあたり若干語句を訂正したものであるO

(

私の場合、川端氏との付き合いは概ねこういった総合コースを通じてのみなされた。川端氏は日本文学の、かつて

115

私の愛し,いまも愛する諸作品について学生諸君登別に私が話すとき,いつも重刑列に座って聞いておられた.と

L

ころが氏は急逝Lt私がこの総合コー

スの責任者となり'ために私は、川端氏のおられないがらんどうの教室でこ

の論を同か物足りない気持ちで喋らざるを得なかった。

この論を川端氏の惑前に贈りたいO

昭和六二年十二月十三日

堀辰雄の小説家としての新しさは、日本の文学特有の形式である私小説の発展していた時期にあ

って、フィクショ

ンによる'というよりもむしろ'想像力による小説を意識的に作りだそうとしたところにあります。

塀辰雄は'明治三十七年'

一九四

〇年に生まれ'死んだのは昭和二十八年、

一九五三年です。四十九年の生涯でし

た.彼の初期の代表作の

『聖家族』を書いたのが昭和五年、

1九三

〇年で'こ

の頃から、日本は暗い、危険な風潮を

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おびてきます。

「国の内外に起こった事件を思い出してみれば、昭和八年、

一九三三年にヒトラーの政権獲得'前々

年の満州事変と前年の上海事変のあとをうけて、日本の国際連盟からの脱退'さらに左翼の作家の小林多喜二の死を

象徴的な事件として'いわゆる左翼文学の弾圧等があり'思想や言論の自由についての不安が兆し始めます。昭和九

年になると左翼作家の投獄や転向が相次いで起こる--」

昭和十二年には日華事変が起こって'事実上日本は戦争国家として機能してゆ-ことになります。日本の当時の作

家たちが概ね'私小説という言わば私事を書-ことに終始したこと、つまりヨーロッパの-ア-ズム文学の影響のも

とに始ま

った日本の近代文学が、ついにはこのような私小説という特殊な文学を発展させてきたことは、日本の特別

な文学的風土のみならず'以上のような日本の社会的な事情が大き-影響していたとはよ-言われることですo

堀辰雄もやはりこの暗い時代に活動した作家の

一人ですが'驚-べきことに'この作家の文学には'少な-ともそ

の作品には、そういう時代の階さというものは、ほとんど反映されていないように思われます。そしてそのことのた

めに堀辰雄の文学を否定的に評価する風潮が現在に至るまでず

っと続いてきました。彼の文学には現実が描かれてい

ない。現実から美的に逃避して、軽井沢あたりに寵も

って感傷的な夢に耽

っているというわけです。そのためにたと

えば

『風立ちぬ』の文庫本をポケットにして、軽井沢あたりを歩いて感傷的になって'そういうことを決して軽蔑す

る必要は全然ないわけですが'そういう時期が過ぎると自然に堀辰雄からは離れてゆき'やがては堀辰雄などはもう

甘いと言いだす。現実と対決していないではないか、と言いだす。堀辰雄はそういう文学者だと見なされてきたし、

また現に見なされています。

堀辰雄はその生前に孤独であ

ったと同様に'その死後も孤独であると言わなければなりません。彼は大正十五年に

「駿馬」という同人雑誌に加わりました。同人には中野重治、窪川鶴次郎'西沢隆二、などがいましたが'こ

の人達

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はみんなマルクス主義文学の陣営に加わ

ったのですが'そしてそれが時代の良心というべきものでもあ

ったわけです

が'堀辰雄のみはそういう人達に組みせずにひとり残

った。己れの文学的な感性に従

ったと言うべきであります。

堀辰雄は何をしようとしたかtと言いますと'想像力による世界を'いわばヨーロッパ風のフィクションによる小

説形式を日本の文学風土の中に打ち立てようとしたと言うことができます。当時はヨーロッパの-ア-ズムの文学の

影響を受けて、ありのままの現実のなかのありのままの人間を描こうとした。作家が誰かに恋をすると、その恋愛を

〔赤裸々に〕描こうとしました。なにを描-にもこの

〔赤裸々に〕というのが小説のただ

一つの方法だったと言うこ

とができましょう。男女の関係は情痴と肉欲となり、恋愛の精神性は非現実だとして排除されましたO

堀辰雄は人情風俗から言えば江戸風の'東京の下町に生をうけて、そういう環境で育ちましたが、彼の文学的試み

は、まずそういう鑓境を抹殺することに向けられたと言うことができますO堀辰雄は自らの文学の主たる舞台として

軽井沢を選びました。それも避宴地としての軽井沢であり高原やサナト-ウムです。そしてまた彼は、旅館ではな-

ホテルを、縁側ではな-、パルコンや藤棚のあるベランダを'昔ながらの百姓家ではな-、別荘だとか白い相のある

ヴィラを、漬けものや畳の匂いではな-'セロ-や番夜やコーヒーの香り、そういうものを描きました。掘辰雄は自

らが育

った環境を出来る限り消してしまおうとした、ということができるのです。つまり堀辰雄の場合、彼の友人た

ちに見られたように'自分の生まれ育

った西欧風の、当時の言葉で亭乙はハイカラな庄活環境をそのまま描けば、酒

落た西欧風の小説になったというようなものではなか

ったわけです。

堀辰雄の場合は自分の生活そのものをフィクションに賭けた、言えるのです。彼は私小説風の古い伝統的なしがら

みの中の四畳半の恋愛ではな-て、つまり男女の色ごと、だとか痴情ではなしに'ヨーロッパ風に平等な男女の問の

愛を描こうとしたのです。そしてそういう愛が実現するには、当時の日本の社会の中では駄目で、全-別の場所でな

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ければなりませんでした。堀辰雄はその場所として先ず、軽井沢を創造しなければならなか

った、と言うことができ

るのです。軽井沢とは堀辰雄の創造した小説の空間なのであって、無論、これは現実の軽井沢とは全然別のものでし

た。つまり堀辰雄の軽井沢とはそれはある意味で言えば、たとえば永井荷風の描いた東京の下町、いまだ江戸の名残

を残こす下町と同じものである'と言えるのです。例えば荷風が

『滞東椅談』という小説で描いた明治の東京の下町

の人情の世界は、堀辰雄とは逆に、日本の近代化のあり方を苦々し-思う荷風が造り出した荷風の夢であり、荷風の

心の故郷であ

った、と同じ意味において堀辰雄の軽井沢は'堀辰雄の夢であり、心の故郷であったと言えるのです。

「われわれの心の最も奥深い所に、いわば詩と音楽とに共鳴する弦か張られている0人が作家になることは、この弦

の振るえを'意識が捉え、理性が

〔言葉に〕再構成

して作品に完結することである」(中村真

一郎)。すなわち故郷と

はわれわれが生まれ育った所へというだけではありません。そればかりか'と言うよりもむしろ、それである以上に

「われわれの心の最も奥深い所」に張られている弦に共鳴して-る伺ものか'なのです。それは現実の場所ではあり

ません。そのようになってこそ、故郷を求めることは'人間が本源的に人間として存在しうる場所を求めることにな

り'それは創造行為に転ずるわけです。軽井沢にしろ、東京の下町にしろ'時代とともに崩れてゆきます。したがっ

「われわれは生まれる酌に音楽をきいた」という言葉もあって'作家や詩人はこういう音楽を言葉でも

って表現す

るわけです。

そういうわけで堀辰雄に

『美しい村』という作品がありますo昭和九年、

1.九三四年、彼が三十才のときの作品で

すoこの作品について、どのようにして彼がこの

「音楽」を、あるいは

一枚の

「絵」を構成していったか、というこ

とを考えて見たいと思うわけです。

この小説は、小説というべきかどうか、

7通の手紙で始まります〇六月十日'K村にてtとあります。手紙の書き

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手は三年前にこの村に病気の療養にきた若い青年です。その青年がその当時に、夏になると毎年この村にやって-る

少女達のひとりと親し-知り合

ったことから、その少女に手紙を書いているのです。この青年はその後その少女と

度も会ったことはない。だからひょっとしてその少女はもう青年のことなど忘れてしまっているかも知れない。青年

はしかしその当時の夏の思い出がなつかし-て'その少女に手紙を書いている。しかしただ書いているだけで'恐ら

-出さないかもしれない、夏の前にこの村にきて、この少女たちが恐ら-は来るであろう前にこの村を立ち去ろうと

っている。そういうことが書かれていて、この手紙が全体の

「序曲」として置かれています。表題は

「美しい村、

あるいは小遁走曲」とあります。青年はこの村のあちらこちらを散策しなから、あの当時を回想しながら'

1つの物

語を構想する'というのがこの小説の主題なのですが、その構想する物語が

〔美しい村〕というものなのです。この

ようにしてこの小説は二つの次元をも

っております。現在の村と過去の村と。つまりこの

『美しい村』は'いまだ書

かれていない

〔美しい村〕という次元を内に含んでいるわけです。そのいまだ書かれていない

〔美しい村〕はあの知

り合

った少女との淡い恋ごころ至父えた出会いと別れを軸にして'この村で経験した様々なエビソートを積みかさね

たものになるだろう、というのです。そういう構想を追い求めてい-過程そのものがこの'

『美しい村』という小説

です。

ここでは過去は'現在という時間のなかに溶け込んでいます。現在のなかに過去が思い出されてきて'過去が浮か

び上がって-る。そして過去の中に現在が溶けこんでいきます。このようにして過去と現在が分かち難-融合してい

きます。時間は言わば透明化されるわけです。

例えば'青年はある日の散歩の途中

一人の乳母車を引いた若い西洋人の母親が前からやって-るのに出会います。

その若い母親は見向きもしないで青年の前を通

っていきます。

「それを見送

っているうち、ふとその鋭い横顔から何

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だか自分も見たことがあるらしいその女の若い娘だった頃の面影が透かしのやうに浮かんできそうになった」と書か

れていますOあるいはまた散歩の途中

1人の子供に出会うD青年はその子供が以前にこの地に来た時'よ-遊んだ子

供だとぽ

っかり思

って、親しげに名前を呼んで見る。しかしその子供は振り向きもしません。暫-して「次郎、次郎」

と呼びながら

7人のず

っと大きな男の子がやってきますoそれを聞いて小さな弟の方は急いでそちらの万へ駆けてい

ってしまいます。

「私の万では、その大きな見知らないやうな男の子が昔私と遊んだことのある子供であるのを漸

と認めだしてゐた。しかしへその生意気ざかりの男の子は小さな弟を連れ去りながら'私の方を振り向こうともしな

った

さらにまた、青年は例によって雨あがりの朝'散歩に出ています。色々な花が咲いています。しかしサナー-ウム

の生鴇に沿

ってゆ-うちに何か異常な香りに包まれて'ようや-そこに白い野番顔が二三十も咲いているのにふと気

づきます。

「さうして私はその野蕎夜の前に'ただだ然として'何を考へてゐたのか後で思いださうとしても思ひだせないやう

なことばかり考へてゐたoどれよりも最も多-の花を簾がらせてゐるやうに見えるその野背枚そっ-りそのままのも

のを伺威かで私は

一度見たことがあるやうに恩へて'それをしきりに思ひ出さうとしてゐたかのやうでもあった。

〔…-〕放心のあまり現在そのものの感じがな-なり'私は現在そのものをしきりに思ひださうとして焦

ってゐるの

かも知れなかった。-

それから私はふたたび我に返って歩き出した。」しかし我に返って歩きだした時、青年は過去

へ向かって歩きだしているのです。続いてこう書かれています。

「私の沿うて行-生増には、それらの野蕎夜が'同じやうな高さの他の種木の間に雑りながら'幾らかつつ間を置い

て並んでゐるのだった。あたかも紋らか或る秘密な法則に従

ってさう配置されてでもゐるかのやうにOさうしてその

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微妙な間歓か、ほとんど足が劫につかないやうな歩調で歩きつつある私の中に、いつのまにか、ほとんど音楽の与え

るやうな

1種の-ズ、、、カルだ効果を生じさせてゐた。・・・‥.さうしてそれに似た或る思い出をこんどはさっきと異なっ

て、鮮明に私のうちに蘇らせるのであ

ったO」

こうして青年は十年ぐらい前に初めてこの村にきた時に、数人の少女に出会ったときのことを語り出しますoそし

ていま見ている野蓄蔵の生壇のあちらこちらに咲いているその白い花はなに、あ

のとき

-,列に並んで'自分のために

狭い散歩道を空けて-れた少女たちを見るのです。ここでは西洋の婦人の鋭い顔にかつて見たその婦人の少女のころ

の面影を見るのでもな-、また成長した少年の弟の顔にかつての幼か

ったその少年の子供の頃の顔を見るというので

もありませんOここ

では、野蓄蔵にかつての少女達を見るのですOかつての少女達が野番夜に変容しているのを見る

のです。このようにして、あちらこちらと散策している青年の眼に映る現在の事物に過去が透けて見えて-る。この

ようにして、時間は透明になってゆ-。そして

〔美しい村〕はそういう透明な時間のなかに見えて-るのです。

例えばあの古いヴィラで毎夏を暮らしていた二人の老嬢。

「--ときとき、こんな夕暮れ時に'二人のうちの私のよ-覚えている方の神々しいやうな自髪の老婦人が'この

ェランダの、さう、丁度私の坐

っている場所に腰を下ろしたまま、彼女のとうに死んでゐる友人と話あってでもゐ

ると言

ったやうな'空虚な眼ざしかまざまざと蘇

って-る・・・・・・と思ふと'

1瞬間それがをらきらと少女の眼ざしのや

うにかがや-≡-家の中からは夕繭の支度をしてゐる、もう

1万の婦人の立てる皿の昔が聞えて-る--・彼女はふと

十字を切ろうとするやうに手を動かしかけるが、それはほんの卜描きに終

ってしまふ・--彼女にだけは

一種の言語を

ってゐそうな気のする

〔岩〕

『巨人の椅子』--二そんな

一万

の老嬢のさまざまな姿だけは、私が実際にそれらを見

て、そして無意識の複にそれらを記憶してゐたのではないかと思へる-らゐ、まざまざと蘇

って来るが'-

もう

7

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万の老嬢の万は、いつまでも皿の音ばかりさせてゐて、容易に私の物語の中には登場して釆ようとはしない。私はど

うしても彼女の燐を蘇らすことが出来ないのである。--」

さて、

〔美しい村〕とは何でしょうか。さらに、こんな文章があります。

「さうして今の私がそれならば書いても見たいと思ふものは、たとへどんなに平凡なものでもいいから、これから

私の暮らさうとしてゐるやうなこんな季節はずれの田舎の'人

っこひとりゐない、しかし花だらけの額縁の中へす

ぽりと山飲まり込むやうな、古い絵のやうな物語であった。私は何とかしてそんな言わば

〔牧歌的なもの〕が書きたか

。L

こに

〔牧歌的なもの〕とあります.

〔牧歌Uとはイディルと言いますが、堀辰雄は別のエセイでこの

〔牧歌〕の

ことを次のように言

っています。

「イディルというのは、ギリシャ語では

〔小さき絵〕というほどの意ださうだ。そしてその中には物静かな、小しん

まりした環境に生きてゐる素朴な人達の、何物にも煩わされない、白足した生活だけの描かれることが要求されてゐ

。」

〔小さき絵〕とありますか、それはまた

一つの

〔像〕'

二つの

〔イメジ〕と言ってもいいのです.だからまたこんな

ふうにも書いています。

「〔・・・・・・〕何時まで経

ってもヴ

ェランダに出てこようとしない二人の老嬢たちの話、冬になるとす

っかり雪に埋まっ

てしまふこんな寒村に

一人の看護婦を柏手に某らしてゐる老医師とその美しい野畜類の話'1

さういふやうな人達

イマアリユ

のとりとめもない

かりが私の心にふと浮かんではふと消えてゆ---・」

ここでは

「幻像」

〔イマアジ

ュUという言葉を使

っています。

「そういうやうな人達のとりとめもないイマアジ

ユ22

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ばかりが私の心にふと浮かんではふと消えてゆ-‥-」

とあります。イマアジ

ュとはなんでしょう。例えば、人間の

生活の

1切の爽雑物がいわば櫨過されて'托活のそれぞれの要素が最小の単位にまで単純化されますO例えばあの時

の花'この時の花ではな-て、花そのもの。そういうものは時間の彼方に、あるいは透明化された時間の中に見えて

くるものです。そういうものを

「イマアジ

ュ」と言

ってもいいのではないでしょうか。

あるいは

「小さき絵」というように。つまり、人間の生活や、あるいは人生は'様々な運命や出来事に満ち満ちて

はいるが'究極のものは伺でしょうか。廷活や人生のそれぞれの要素を最小の単位にまで単純化すればどうなるか。

それはおそら-愛と死と、そして孤独の生と'この三つの要素に還元されるのではないでしょうか。堀辰雄が三年後

に書き上げた小説

『風立ちぬ』は人間の姓をこの三つの要素に還元した物語だと言うことができましょう.

この小説は自分の許嫁である

1人の少女が高原

のサナト-ウムで肺結核で死んでゆ-のを

1人の青年が看とる物語

ですが、そのなかで次のように書かれています。

「私は、私達が共にした最初の日々'私が節子の枕もとに殆んど付ききりで過したそれらの口々のことを思ひ浮か

べようとすると、それらの日々が互に似てゐるために、その魅力はな-はない単

一さのために殆んどどれが後だか先

だか見分けがつかな-なるやうな気がするO

と言ふよりも、私達はそれらの似たやうな日々を繰り返してゐるうちに、いつか全く時間といふものから抜け出し

てしま

ってゐたやうな気さへする位だ。そして'さういう時間から抜け出したやうな日々にあっては、私達の日常生

活のどんな些細なものまで、その

一つ

一つがいまとは全然異なった魅力を持ち出すのだ。私は身近にあるこの微温い

好い匂ひのする存在、その少し早い呼吸、私の手を取

ってゐるそのしなやかな手、その微笑、それからまたときどき

取り交はす平凡な会話、--

さう云

ったものを若し取り除いてしまふとしたら、あとには何も残らないやうな単

一な

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日々だけれども、-

我々の人生なんぞといふものは要素的には実はこれだけなのだ'そして、こんなささやかなも

のだけで私達がこれほどまでに満足してゐられるのほ、ただ私がそれをこの女と共にしてゐるからなのだ、と云ふこ

とを私は確信して居られた。」

ここにあの単純化された人間の生、つまり掘辰雄が

「イディル」、つまり

「牧歌」と言い、

「小さき絵」と言

った

ものの意味が述べられているのです。ここではもはや何も起こりません。そこには空や風や雲など、また野蕎夜やア

カシャや落葉松や山や岩や石など。稀にしか人の通らない野道などがあって、そして、時々、何を語るでもない平凡

な'しかし優しい会話が交わされます。そして確実に死が人間の隼に浸透して-るわけですo

「普通の人々がもう行

きどまりだと信じてゐるところから始まってゐるやうなこの生の愉しさ」とも堀辰雄は書いています。立原遺造とい

う若-して死んだ詩人を御存知でしょうが、彼はこの世界を

「永遠のH曜日」と言

っています.

「永遠」というのは

この場合、いつまでも続-という意ではありません。また'日精を支配している時間の外部という意味でもありませ

んOむしろそれは日常の時間の只中に潜んでいて、われわれは殆んどそれに耐えることができないので'

〔退屈〕と

感じてしまうあの時間のことです。しかしこういう時間には雲や木や石や、あるいは机や椅子がひときわ現実味を帯

びてわれわれに迫

ってきて、われわれはしばしばこういう時間を空間と感じることになります。でなければ、こうい

「小さき絵」の次元は人生からの逃避となってしまう。

「日曜日」という言葉の中にかすかにそういう見方が込め

られています.事実、立原遺迄は終始、堀辰雄を敬愛していたにもかかわらず'こ

の世界を去

って行きましたOなぜ

ならばここはもう行きどまりで、ここからはもう何も始まらない、と思えたからです。

確かにここではもはや何も起こりません。これは言わば

一個の球体のようなも

のです.透明な球体ですO恐ら-'

『美しい村』の青年の書こうとした世界はこういう球体であったに違いありません。しかしこの小説

『美しい村』は

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球=伴としてはi元結しているとは言えませんo

t元結することはできませんでした。なぜならば立田年は散策の途上で

1人

の新しい少女に出会い'この出会いから新しい生活の可能性が青年に開かれ始めたからです。ひとつの運命が始まろ

うとするわけです。現実の時間が流れ始めたからです。それと同時にどうしたわけか、今まであれほど魅力のあった

野蓄夜やアカシャなどは青年にとって次第にその魅力を失い始めます。

青年は彼の

〔美しい村〕を、すでに脱稿しました。もう、七月も半ばを過ぎています。これを書き上げ次第、この

村を出発するはずなのに、この少女のゆえに青年は出発を

一目

一日と延ばしています。そうこうするうちに'あの苗

の少女も例年通りにこの村に来たらしい。しかし青年は苗の少女には会うまいとして、その少女と出会いそうな道を

極力避けています。

ある日'青年は新しい少女にせがまれて自分の

〔美しい村〕の物語の中に描いたあの二人の老嬢たちの住んでいた

ヴィラを見せるへ-その方へと登

って行きます。しかし青年はもはやこの

「夢の残骸」を見るのが厭わし-なってき

て、理由をつけて途中から引き返してしまいます。昔の少女を避けるのもやはり胃年にとっては

「夢の残骸」を見る

のを厭う気持ちがあるからであろうと思われます。

さらにまた最後に'この散策からの帰り道で青年は学生時代からの友人に出会ってしまうOそしてその後ろにいる

若い女があの苗の少女たちの仲間の

一人であり'いまは白分の友人の妻になっていることを知るのです。

一切が過去

を離れて現在に立ち帰

ってきます.そういえばこ

の村のサナト-ウムへの道、あの野蕎硬が白い花々を咲かせていた

あの道も今はその花をことごと-失

って'その道に

7校の腐臭がかすかに匂

っているのに気づきます。つまりその道

はサナト-ウムの塵運搬車の通る道であったわけです。

一度完成した作品から再び現実に立ち帰ることはできません。

〔美しい村〕を完成させた青年は、もう苦の少女に

1 2 5

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兵の意味で出会うことはできないのですo

「夢の残骸」を青年は見た-はないのです。現実から芸術への道はあって

も、芸術作品から現実へ立ち帰る道はありません。ということはまた'例えば

『美しい村』だとか

『風立ちぬ』だと

かを読んで軽井沢へ行ったところでどうにもならない、島崎藤村を読んで馬寵とか妻篭へ行

ったりしてもどうにもな

らないOさらにまたボードレールを読んでパ-へ出かけたりしても'何が分かるわけでもないと言うことです。世界

は言葉のなかにのみ閲かれるのです。

芸術作品から通ずる道は'ただ

一つ、人間の心へ通じる道があるだけです。

ともあれ、堀辰雄の

『美しい村』で、青年が書いた

〔美しい村〕という物語が、どういうものであるかば分からな

い。堀辰雄の他の作品からそれを読み取るほかはありません。例えば

『風立ちぬ』という作品があります。この作品

は前に言

った通り、愛と死と孤独と'この三者が

一体となったイディル、つまり

〔牧歌〕であるtと考えられます。

この作品は

『美しい村』の中で青年の立てた構相心をさらに発展させることによって成立した作品であると言うことが

できます。

『美しい村』は病気からの恢復期の生への息吹を漂わせています。言い換えれば、この作品は'青年に開

かれる新しい運命あるいは人生への予感をも

って

一応は終わります。

これに対して'

『風立ちぬ』では'運命とか人生とかそういうものはすへて断念されています。例えば堀辰雄の処

女作と言

ってもいい作品に

『聖家族』という作品がありますが'その作品の冒頭の文章は、

「死があたかも

一つの季

節を開いたかのようだった」とありました。

『風立ちぬ』に描かれている日々はまさし-こういう、死の開いた

「季

節」に色どられています。恋人の死という事態の中で

「普通の人なら行き止まりだ」と思うところから、日々が始ま

ります。それらの日々は、またすでに引用しましたが

「人生そのものよりかもっと生き生きと'も

っと切ないまでに

愉しい日々」だとあります。それは死を見つめることによって新し-見出され'意味づけられた

一日

一日です。そう

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いう日々が描かれているのです。

伝記的事実を云々しても'堀辰雄の場合は特に、その作品の理解には役立たないと思われます。いや、返って正し

い理解の妨げになるかも知れません。例えば堀辰雄は後に

『幼年時代』という作品を書いていますが、こういう伝記

的な作品ですらその始めにこう書かれています。

「私は自分の幼年時代の思ひ出の中から、これまで何度も何度もそれを思ひ出したおかげで、いつか自分の現在の

ハ▲

気持ちと捲ひ交ぜになってしまっているやうなものばかりを主として'書いてゆ-つもりだ。私はそれらの幼年時代

のすべてを、単なるなつかしひ思ひ出としては取り扱ふまい。まあ言

って見れば'私はそこに自分の人生の本質のや

うなものを見出したい。」

つまり堀辰雄の場合、作品から伝記的事実を抽象してみても、伝記的事笑から作品を理解しようと試みても無駄で

あるtということですoこのことは単なる私小説ではない頁の芸術作品には、彼の場合に限らず言えることなのです

が。し

かし

『美しい村』と

『風立ちぬ』との関連を知る上で或いは参考になるかも知れませんので、言っておきますと

『美しい村』で出会う少女は、矢野綾子という少女だと言われています。この少女は堀辰雄の最初の婚約者であって、

後に信州の富士見のサナト-ウムで堀辰雄に看とられて死んでゆきますD薄幸の少女ですo寂しけな写真が二葉ある

だけで'そして堀辰雄のこ

の少女宛の葉書が三四枚あるだけで、この少女について語る堀辰雄やまた他の友人たちの

言葉はありません。それだけた残されている写真はいっそう寂しげに見えるのです0人住のほんの門口に立っただけ

で、この世を去っていったこういう存在とはいったい何なのでありましょうか'と考えさせるようなそれは写真

す。この少女が

『風立ちぬ』の節子のモデルであるとは言うことはできませんが'この少女との体験が基盤となって

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この作品が書かれたことは明らかです。おそらくこの少女の存在の

1切は、

『風立ちぬ』という作品の中に溶け込ん

で堀辰雄白身の

「人生の本質」になってしま

ったのでしょう。

たしかに堀辰雄が肺を患

って少なくともその後半生は病気との闘いであった。そういう事情を彼の文学に読み込も

うとする人がいます。しかし、掘辰雄の文学は本質的には病気とは何の関係もありません。病気をいうのならば,そ

れはむしろ時代の側に、そしてまたそういう時代の支配を受けざるをえなかった彼の肉体にありました。しかし彼の

健全な想像力は絶えず持続Ltこの暗い病んだ時代の中にあ

って、内的な世界に'つまりは想像力の世界に

Tつの秩

序をもたらしたtと言うことができます。

堀辰雄の文学を要約する彼の言葉があります。「われわれの姓

〔いのち〕はわれわれの運命より以上のものである」

というものです。この言葉は実は堀辰雄が愛読していたオースト-1の詩人-ルケの言葉なのですがへこの言葉の意

味するところはもう明らかであろうと思われます。運命とはその人の人生を左右するもの、言わば、人生流転の相を

言いますO例えば彼の時代を支配した戦争です。そのなかで左右される人間

1人

一人の生活や運命ですoたしかに文

学はそのような生活や運命を記録し描かなければなりません。そしてそこからわれわれは、多-を学ぶことが出来な

ければなりません。しかし始めにも言いましたように堀辰雄の文学にはそういう生活や運命、戦争の影や痕跡、そ

いうものは面接には殆んど見られません。つまり彼はそういうものよりも'「それ以上のもの」を'つまりは

「いのろ」

を'この言葉はきわめて多義的ですので-ルケの意味で言うならば'人間の存在そのものを支えている本

なも

のtより永続的なもの'どのような時にあ

っても失われることのない生の根拠、とでも言

ってもよいと思いますが、

われわれが絶えずそして孤独にひと知れずそこへと立ち帰

ってゆ-であろうもの'そういうものを、そういうものだ

けを見つめながら'堀辰雄はあの暗い時代に耐え'そしてそれを文学として造形した、具体化したtと言えます。こ

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れが彼の文学の意味であったと思います。だからわれわれは彼の文学を読むとき'たしかに'容易に他人には語りた

-ないという気持を'ある密やかなものを、つまりは合志を感ずるわけです。そしてそういう密やかなものとの出会

い、それこそが結局のところ文学というものを読む時のわれわれの喜びなのです。


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