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w-noharah/class//sociology/13.pdfx~Bi`Yフ...

Date post: 23-Jan-2021
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5
㉡r 大な思想家や学者が出れば、ぞ z も捜範となって多くのひとびとが却の める。 x ・マルクス、 デユルケム、 ジンメル、 ウぶ㮃p i 、いずれもそうだ。社会学の鐙史を諮 るときに欠くことのできない彼らの問時代入、 らの影響下で社会学や社会期総想を麗関した人 こでいくらか紹介しておこう。 デユルケムらとほぼ問時代、イタリアでは V ・パレ ートが近代経済学の基礎となる業績を残すとともに、 人間の非合理性を強関する社会学を農閉した α おなじ くイタリアでは モスカがエリ i ト理論を機較にし て政治社会学を創始した。問時期、ドイツでは 癲- ンニ i スが酪期的な集団緯を構築してウェ i パↂ즑å きな影響をあたえた。また、フランスではル a ポンが 始者となった ウヱ i i 、ハンガリ i の出身で、 ウェ l パↂ욃垃塔<汲즋궂ꊉ斋뾂꾂슂슂 妎å 義者へと転身し、ヨーロッパ・マルクス主義の理論的 支柱として活寵した ルカ i チ、彼の後輩で i l に翻事し、知識社会学を確立した K ・マンハ イムといった面々である。 よく知られたマルクス、主義者としては、ルカ i チの ほかにイタリアの䆁䖃侃宴肃嚂ꪂꊂ 춃璃䂃嚃X トたちに捕らえられ獄死したが、文化の階級闘争を重 視する独自の戦略論を獄中で書いた。とはいえ、マル クス主義の系統に属すものとして後世最も大きな影響 をあたえたのは、ドイツのフランクフルト学滋とよば れるグループであろう。メンバーの多くはユダヤ人で、 ブランクフルト大学杜会研究所を拠点にして、マルク ス主義の思想にウぷ 1 パↂ첎킍㈱瞂â フ口イトの 精神分析を組み入れることによって、多彩な理議活動 を展開した。托表的なメンバーをあげておこう。まず は、ルカ i チの問題関心を継承して批判理論を提起し た学旅の指導者 ホルクハイマ 援とともに円…啓 群集心理学 タルドが大衆 て社会心理学の のライバルマあっ フランスにおけるデユ った。彼を蹄とあおぐ研究 学鴻というが、第一一次世界大 や入額学の研究者は、たいていこ 交換理論の発展に大きな震献をなした i ス、措 級論や集団記摺識の アルヴァックス、未開人の意 織を研究したレヴィ ブリュ i ル、社会主義摂究の i グレらがその代表である。 ドイツでは、 ヴィ i ゼがジンメルの形式社会学 を関係学へと発展させ、 フィↃ䆃䪃塔枂ꪓ亊瞓I 現象学と交差させることによって形式社会学に新局逝 を切り開いた。ウぷ綃瀡のもとには読を慕ってヨー ロッパ各地から多数の秀才がおし寄せ、ウェ 1 クライスとよばれるグル i プを形成した。そこからは 多方一留にわたって才能が輩出したが、社会学にとって とくに震要なのは、ウェ i i の弟で文化社会学の劉 蒙の弁証法㾂徂ꊂ쒒늗涋 뚉福즍ꪍ暓䦂좔 뮂ð くわえた T ・アドルノ。資本主義社会における入院諜 外を告発しつづけ、のちに六十年代の学生反乱のさい にはその「教祖」と目された ・マルク I ゼ。ナチズ ムの深層心聴を分析、ヒューマニズムあふれる著書で 多くの読者を魅了し、エコロジー還動の思想的支柱と もなった ε ・フロム。芸術社会学や歴史社会学でめざ ましい著作を残しながらも、ナチスに遣われて自窓口し なければならなかった ベンヤミン。ナチズムの嵐 と闘いながら賞かれたこの輝かしい思想運動は、彼ら の弟子たちによってその精神が現在に脈々と受け継が れている。 最後にもうひとり、スペインからは オルテガが 出て、大衆の存在に着目して独創的な現代社会論を展 開したことも、つけ加えておかなければなるまい。 ㈷2 粎킉 瞂첂ꂂ ㈷㌠
Transcript
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2ar大な思想家や学者が出れば、ぞれが刺激となり

zも捜範となって多くのひとびとが却の営みをはと

める。

x・マルクス、

E-デユルケム、

Gaジンメル、

M-ウぶ;パ i、いずれもそうだ。社会学の鐙史を諮

るときに欠くことのできない彼らの問時代入、また彼

らの影響下で社会学や社会期総想を麗関した人々を、こ

こでいくらか紹介しておこう。

デユルケムらとほぼ問時代、イタリアでは V・パレ

ートが近代経済学の基礎となる業績を残すとともに、

人間の非合理性を強関する社会学を農閉したα

おなじ

くイタリアでは G-モスカがエリ iト理論を機較にし

て政治社会学を創始した。問時期、ドイツでは vr-テ

ンニ

iスが酪期的な集団緯を構築してウェ iパ!に大

きな影響をあたえた。また、フランスではル

aポンが

始者となった A-ウヱ iパ i、ハンガリ iの出身で、

ウェ

lパ!とジンメルに強い影響を受けつつも共産主

義者へと転身し、ヨーロッパ・マルクス主義の理論的

支柱として活寵した G-ルカ iチ、彼の後輩で A-ウ

ェiパlに翻事し、知識社会学を確立した K・マンハ

イムといった面々である。

よく知られたマルクス、主義者としては、ルカ iチの

ほかにイタリアのA・グラムシがいる。被はファシス

トたちに捕らえられ獄死したが、文化の階級闘争を重

視する独自の戦略論を獄中で書いた。とはいえ、マル

クス主義の系統に属すものとして後世最も大きな影響

をあたえたのは、ドイツのフランクフルト学滋とよば

れるグループであろう。メンバーの多くはユダヤ人で、

ブランクフルト大学杜会研究所を拠点にして、マルク

ス主義の思想にウぷ 1パ!の社合学や S-フ口イトの

精神分析を組み入れることによって、多彩な理議活動

を展開した。托表的なメンバーをあげておこう。まず

は、ルカ iチの問題関心を継承して批判理論を提起し

た学旅の指導者 M-ホルクハイマ 10援とともに円…啓

群集心理学をとなえ、

G-タルドが大衆心理を研究し

て社会心理学の恭織をきずいたが、彼らはデユルケム

のライバルマあった。

フランスにおけるデユルケムの影響力は一法倒的であ

った。彼を蹄とあおぐ研究者たちの集開をデユルケム

学鴻というが、第一一次世界大戦までフランスの社会学

や入額学の研究者は、たいていこの学誠に寓していた。

交換理論の発展に大きな震献をなした M-モ iス、措

級論や集団記摺識の Meアルヴァックス、未開人の意

織を研究したレヴィ HHブリュ iル、社会主義摂究の

c-ブ iグレらがその代表である。

ドイツでは、

L-ヴィ iゼがジンメルの形式社会学

を関係学へと発展させ、

A-フィ!アカントが哲学的

現象学と交差させることによって形式社会学に新局逝

を切り開いた。ウぷ}パ!のもとには読を慕ってヨー

ロッパ各地から多数の秀才がおし寄せ、ウェ zi

パ1・

クライスとよばれるグル iプを形成した。そこからは

多方一留にわたって才能が輩出したが、社会学にとって

とくに震要なのは、ウェ iパ iの弟で文化社会学の劉

蒙の弁証法?を誉いて調洋近代文拐に根糠的な批判を

くわえた T・アドルノ。資本主義社会における入院諜

外を告発しつづけ、のちに六十年代の学生反乱のさい

にはその「教祖」と目された Hn・マルク Iゼ。ナチズ

ムの深層心聴を分析、ヒューマニズムあふれる著書で

多くの読者を魅了し、エコロジー還動の思想的支柱と

もなった

ε・フロム。芸術社会学や歴史社会学でめざ

ましい著作を残しながらも、ナチスに遣われて自窓口し

なければならなかった

w-ベンヤミン。ナチズムの嵐

と闘いながら賞かれたこの輝かしい思想運動は、彼ら

の弟子たちによってその精神が現在に脈々と受け継が

れている。

最後にもうひとり、スペインからは J-オルテガが

出て、大衆の存在に着目して独創的な現代社会論を展

開したことも、つけ加えておかなければなるまい。

272|社会学のあゆみ273

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L- F

-i

ニ岬ンテスやューから

J-オルテガまで、これまで

よ取り上げてきた社会学者や患想家はすべてヨ

J

ロッパ人であった。ところが現在、社会学の研究や教

i

育がいちばん盛んなのは群を抜いてアメリカである。

Ri

どうしてそうなったのか、その事情を少しさぐってみ

ることにしよう。

w-

アメリカの杜会学は十九栓紀の後半、日・スベンサ

A-

G-U7

E-

!の社会進化論の影響を強く受けた

サムナーらに

i

よって創始されたが、ヨ

ロッパより憩趨に発展して

i w- i

ゆく条件がいくつもそろっていた。ひとつは、ヨーロ

ッパの大学は古い歴史的~伝統をもち、新しい学問の受 i

容に梧当な手間を要したのに対し、アメリカの大学は

さほどの伝統もないことから、社会学という新しい学

需を受容するのにほとんど抵誌がなかったこと。一一つ

カゴ大学からまったく新しいタイプの社会学が発信さ

れ、社会学の面白を一新させた。これをシカゴ学満と

よぶ。シカゴ学派の範囲については護々の見解がある

が、ここではごく広くとらえておこう。シカゴ学派の

形成には橋熱的要悶と必跡的的耐訳出掛が考えられる。前者

はたまたま粧紀紙換期のシカゴ大学に、プラグマテイ

ズムの代表的思想家

・デュ

イ、やはりプラグマテ

イストで藷我の社会的住成をとなえた

ミ ド、

有隅例措騒の行動を批判的に分析した

τ・ヴヱブレンと

いったそうそうたるメンバーがいたことである。そし

て必然…釣要因とは、シカゴが急濯な膨張をつづけるア

メリカ龍一の工業都市であり、「社会的実験窓口そのも

のだったことである。その結果、

スモ

ル会中心

にしてシカゴ大学に社合学科が設立されると、

マスと

ズナニヱッキのポーランド系議畏の譲査研

党を皮切りに、地の利を生かして、観察と調査にもと

づく実証許認明究が続々と生み出されることになった。

そのうち最も有名なのは、

・パーク、

ジヱ

ス、

スらの都市に関する生態学的研究である

めは、キリスト教精神と家の犠民主主義にもとづ

会改藤滋動が資本主畿の発議による貧富の盤の拡大と

ともにたいへん盛んになり、運動のプログラムを組み

立てるための知恵が社会学にもとめられたこと。一一一つ

めは、プラグマテイズムに代表されるアメリカの実用

主義的精神。プラグマテイズムはアメリカ産の哲学で、

哲学の仕事は永遠不動の真理を発見することではなく、

富分たちにとって何が隣離なのかをその場その場明、発

見し、みずから試行錯誤しながらその解決法を考えて

ゆくことだとする思鵡である。哲学者のみならず、ア

メリカ人全体に見られるこうしたフットワーク重視の

チャレンジ精神が社会学に新震を吹きこんだ。そして

呂つめは、アメリカでは産業資本主義が猛烈なスピー

ドで発麗し、同時に世界各地から大 一患の移畏が流入し

たから、多数の社会問題がむきだしのかたちで存慌す

るダイナミックな牡会が形成され、あたかも英社会そ

l のものが社会学の問題集の様相を議していたことであ

る。

iこうした状、慌を背畿にして、第一次世界大戦後、シ

が、そのほか犯罪組織、少年非行、・自殺、スラム、ゲ

ット

、人議問題、ホームレス、挙揺労鰭者など、お

もに社会調竣学的な現象に関する研究が紬精力的におこ

なわれ、社会学の諸分野をになう多数の人材を輩出し

E

た。シカゴの特搬は、具体的な社会跨題に対する生

き生きと期間心とフットワークのよさにあり、鍍ら

はみずから現地におもむいて当事者たちにインタどユ

し、被らとともに生活しながら観察し、試日行錯誤を

?っじて関査や親許の手法を開発する之とで、ぞれま

で統計資料の分析の域を出なかった「実証科学」を、

親しみゃすく按震の蕗いものに変えていったのである。

彼らの問題関心や手法はその後アメリカ社会学の主流

となり、さらには量界中に波及して現在にったわって

いる。頭であれこれ考えるより、まずは経験と謂査と

いうのが彼らの方法議と言えようか。

275 役会学(J)あゆみ� 第� 111怒 274

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窃社会有機体説とシステム輪。

|杜舗榔読の戦方 i/カゴ学派の驚場以来、アメリカ社会学は相続察と

、、ザ関疫に基礎をおく実証的措究を中心にして展開

していったが、第二次俊界大戦後ひとりの大理論家が

出て、世界の投合学を結二十年務リードした。タルコ

ッ卜・パ iソンズ(一九 O二1一九七八〉である。彼

はその長い学間約金、銀のなかで少しずつ考え方を変え

ながら、多方簡にわたる業績を残した。ここでは、中

嬬以降キ i-コンセプトとなった「構造i機能」と

〔社会システム論いの考え方を簡単に説明しておさえ

パiソンズは話・ウェ!パ lの行為の概念を継承し

て、社会を行為のシステムととらえた。行為システム

は…行動有機体システム、パ iソナリティ・システム、

社会システム、文化システムという、他に溜一冗するこ

とのできない居つのシステムからなる。つまり、身体、

医記

密入、社会、文化は、ど・れも報互に深い関係にあるが、

基本的にはそれぞれ鵠有のシステムを影戒していると

いうことだ。たとえば、社会は倒人に還元できないと

したデユルケムの説は、館入と社会を異なったシステ

ムと見るところに生かされ、身体、繍入、社会、文化

をいずれもシステムと見るところに社会有機体説の飛

建的な発展がある。システムは他のシステムや島熱界

を環境としながら、自弓を存続・発牒させるために内

部のしくみを築き、つくり変えてゆく。パ!ソンズは、

システムがみずからを存続・発展させてゆくのに必要

なことがらを機能要件とよび、ぞれを遂行するための

しくみ、あるいはシステム婆紫の配置状態令構造とよ

ぶ。だとすれば、行為システム全体、また各システム

内部の構造と機能を明らかにすることが社会学の仕事

ということになろう。そこで被の理論は、社会システ

ム輸とか構造|機雛説義とよばれるわけである。

かくしてパ lソンズは、社会システム輸の精農を高

め、その有効性を可能なかぎり広げることに、

そそいだの?あった。

全知忠ろいきF雪分が慨に根互依存するととによって、ひとつのん成立つ

描 靴+…枇

恒ネずム鵠@考え方 l

区到

276第川部

なもス

お部シ

が集、

むやム

も会テ

の社ス

く、シ

多し体

ど称全

な総と

界とム

然ムテ

宮テス

恵、スシ

v

臨時シ位

-V織そ下。

目可冷れ、る

J

、こ間す

タ o素析

…る聾分

ユい、を

ピてて係

ンつ箆鵠

コもと五

、をム詔

くみテの

な組ス等

で伎シ焼

け恕の環

だうっと

体よとム

人じひテ

社会学のあゆみ277

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J

F'

N-

C-H-

G-H'

S-

V

p-

i iH

ヵゴ学派とパ iソンズの存在は一向大戦後におけ

io

、、』

るアメリカ社会学の世界制覇を考えるうえで決

Re

定的に重要である。だがそのほかにも、

重要な社事を

おこなったアメリカの社会学者は書ききれないほどい

l

る。ここはスペースの許すかぎり、

i 独献と偏見で取捨

選択し、

その名を剖列挙しておくことにしよう。

i

ドとおなじく昌我の社合的生成を論じ

p-

社会的交換論を確立した

マンズと

ブラウ。集合行動議および象徴的棺互作

w-E-

G-ホ

用論を確立した

・ブルーマ

。おなじく集ム間行動議

スメルサ10職業社会学を確立した

メイヨ

10調査技法の糟密化に大きく貢献した

ラザ!ス

フェルト。民主主義的な立場から政治社会学を襲開し

リプセット、

ベンディックス、

コ!ン

。‘、ラダイムという一言葉をご事じだろうか?

もの

の考え方のいちばんベーシックな部分とでも言

えばよかろうか。さきに見たように、第ニ次大戦後、

社会学の理論分野ではずっと構議

機能主義の独占的

な支配がつづいていたが、六0年代の後半あたりから

その状況がくずれ、ぞれまでマイナ

と見られていた

流説、また新しい流諌が続々と名乗りを上げて、みず

からのま弱性を、主張するようになった。その結来、社

会学はいわば一元的なパラダイムから多元的なパラダ

イムの時代へと移行したわけだが、じつはこの状況、

現在もつづいている。これは考えてみると寄妙なこと

で、犠端に一一言一えば、ある流犠で正しいとされることが

べっの流儀では間違っているとされる。数学や物理学

ではけっしておこりえないそんな事態が、社会学では

ハウザ

‘セルズニック。宗教社会学を発畏させ

・ベラ 10現象学的社合学を確立した

シユツ

ッ。そして、パーソンズとおなじく帯翠1機能主義の

立場に立ちながらも、その壮大な理論体系とは対昭一的

に、社会学は経験的調査と税論抽出枠組とを媒介する州市

範鴎の理識をめざすべき、だととなえ、多数の様域で

「っかえる概念」を残した

マ1トン α

彼らはやや専門家向きの研究者たちであるが、その

ほかにジャーナリズムの世界でも大きな成功をおさめ

た社会学者がいる。アメリカ社会、またアメリカ社会

学そのものをラディカルに批科して左派的な読者の共

感を集めた

ミルズ。吋議独な群集匂で大衆社会

をクリアに分析することで一躍名声を簿し、卓越した

文明批評家と目されるようになった

スマン。

左右のイデオロギ

対立の終鷲や脱工業社会の弼来を、

時代に先駆けて予見した 0・ベル。後らの饗作が多く

の読者の心をつかむことによって、現代社会の見取り

阿部をえがき、未来の社会の構隠をしめす役舗を、社会

Rnn

学は期待されるようになってきたといえる。

I

H-

C-w-

P

ii

R-

生じてしまうのだ。これを闘ったことと見るひともい

るが、見ようによっては、いろんな見方があるほうが

豊かで楽しいということにもなろう。あまたあるそん

p-

な流犠流派のなかから、代表的なものを詔介して、本

書のしめくくりとすることにしよう。

Aai i

社会学はおお、ざっぱにミク口社会学とマク口社会学

のごつにわけることができる。組問単に言えば、前者は

A

人間の日常的な招草作用に重点をおいて社会を分析し、

釜告は天下問家を論じる。これに応じて、ミクロ社会

学を得意にする流謙とマクロ社会学を得意にする涜派

がある。前者のほうからはじめよう。ウェ

パ!のと

ころで見たように、人間の行為や栢立作用は意味をベ

ースにして間決闘するから、彼らは「毅味学諜」と総称

されることもある。百・ブルーマ!の流れをくむ象徴

的棺瓦作用識はその代表格で、集団論の発農に貢献し

・タ

iUH

、医療社会学の確立に賞献した

・ス

トラウス、社会的コミュニケーションを演麟モデルで

分析した

・ダンカン、社会矯理学でラベリング理論

を提唱した

ベッヵーらがいる。彼らはみなアメリ

279 i 第i附|278 同学のあゆみ

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カの社会学者であるが、おなじくアメリカの

E フィンケルは、ひと、びとが日常生識のなかで無意識の

A-l

o

うちにおこなっているふるまいややりとりを超ミクロ

に分析するヱスノメソドロジ

を創始し、現在ぞれは

l E-

差別加をは乙め議々の社会問題に応期されている。また

i

アメリカの

ゴッフマンは、時常生活の秩序がいか

T-i

VA A

-

にして成り立っているかを、多数の特奥な概念をもち

いてあ、ぎやかに描き、ミクロ社会学を大きく前進させ

i

た。

シユツツにはとまる現象学的社会学も意味学

派の有力な一員であるが、アメリカの p-パ!ガーは

その手法を応出府して、資本主義論や近代化論などのマ

i

M-

R-

クロな領域でも多くの業績を残し、保守、玉畿の論客と

しても活醸した。

ii

i H-

こうしてみると、ミクロ社会学ではアメリカが在倒

p- i

的に傑勢であるが、マクロ社会学ではヨ

ロッパも魚i l

けていない。たとえば、ドイツには

レンドル

フが出です・パ

ソンズの社会学を批判し、階毅融争

を議視するコンフリクト理議をとなえた。おなじくド

イツでは、

υ・ベックが環壊と人聞社会の欝係をト

54し脅しみしていたわけではないが、現代社会学

尊重吾の議盤要人物たちをここで紹介し、本勢のほん

との最後にしたい。言葉づかいがむずかしいが、何も

心記することはない。彼らの著作は、社会学者でさえ

理解するのが容易でない難物ぽかりだからである。

まずはイギリスの

ギデンズ。現代マクロ社会学

の代表的論客で、

・マルクス、

ウェ

・デユルケム、

ソンズの業績を批判的に統

合し、「パワ

」と「講造化」をキ;・コンセプトに包

括的な一般理論を欝襲した。つぎはフランスの

ルデュ

マルクス主義の影響が強く、「ハピトゥス」

や「文化資本」をキ

・コンセプトにして、階級の再

生産過穫を文化操式の再生産過稚と結びつけ、土台と

上部構造の相互関保を解明しようとしている。そして

タルにとらえようとするリスク現識を講築している。

またフランスでは、

トゥレ

ヌが早くから脱葱業

化に着目し、環境灘動やフ子孔ニズム漣動などの「新

しい社会謹動」論を展開した。フランスではマルクス

主義の影響も強く、し・アルチユセ

ルはマルクスの

著作の再解釈にもとづく新しい社会理論を構築した。

一方アメリカでも、

ルドナーがマルクス主義

の影響下に批判的役会学の旗手として登場、社合学そ

のものを批判的研究の対象とする自己表犠の栓会学、

また税産業北に対{めする新しい階級論をとなえた。そ

して、おなじくアメリカの

ウォ

ステインは、

近代の堂界はグロ

パル化などにはるかに先立って、

当初から資本主義を核とするひとつのシステムであり、

それは中核・半辺境・辺境の三つの部分からなるとす

る、超マクロで歴史的な誌がりをもった世界システム

論を展開している。

J-

N-i

i ij

MVIP

A-グ

A-

i i-

i

ドイツの

マン。業績はまことに多方部におよ

ぶが、その中心は社会システム輸の革新にある。現象

io

i

学的視点を取りこむことによって意味学派の環論と社

会システム議を接合させ、さらにはオ ii

iトポイエ

i

i

スという概念をもちいて「自己組織性」という新しい

観点を社会システム識に導入した。

i

最後にきわめつけの

をふたり。ひとりはドイ

ツの

ハ パ

マス。現代のフランクブルト学派を

代表する論客で、やはり膨大な著作を残したが、中心

は「近代は米完のプロジェクト」という文明論的展望

で、それを実現するために、コミュニケ

シ浅ン的合

理性という新しい合職牲の成立根拠を探究した。最後

はフランスの哲学者

・フ

彼は人聞の知性を

考古学的に読み解く手法を開発し、それをもちいて病

気、狂気、性的タブ!、懲罰などをめぐる{一一自説会分析、

その背設にある権力の作用をあ、はき出してみせた。

かくして現代の社会学では、パワーあふれる群雄が

割拠し、活発に論戦を関わせながら、よりよき人類社

会のために貢献しようとしているのである。

281 社会学のあゆみ 280i


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