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タンザニア - Ministry of Foreign Affairs第2節 課題別の取組 3....

Date post: 07-Mar-2021
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11 タンザニアで 親しまれる「日本」 〜キリマンジャロの麓から広がる稲作支援〜 タンザニア北部、キリマンジャロの麓のモシ市の市場で は、Japani (スワヒリ語で「日本」の意)という名の米が売 られています。日本は、タンザニアの人々に親しまれている この米の商品化に大きな貢献をしています。 日本は、1970年代からキリマンジャロ州でのかんがい 稲作開発に協力してきました。1987年に完成したローア モシかんがい地区(水田面積1,100ha)では、もみの収 穫量を1ヘクタール当たり約2トンから6トンに伸ばすなど の成果をあげています。1990年代半ばからは、キリマン ジャロ農業技術者訓練センター(KATC)を拠点に、タン ザニアや近隣諸国の農業普及員や主要農家約2,000 人に、あぜ作り、水田の地ならし、田植え、早めの除草、水 管理といった基本的なかんがい稲作技術を指導してきま した。そして、2007年から、KATCを含む4つの国内農業 研修所と稲研究プログラムを対象に、「かんがい農業技 術普及支援体制強化計画(通称:タンライス)」に協力し ています。 「タンライス」計画では、1年目にタンザニアの中部、西 部、南部農業研修所の職員や主要農家に、かんがい稲 作技術の普及方法を教え、2年目には、男女平等の視点 も含めた農家の暮らしの改善、かんがい施設を維持する ための組織の運営方法、それぞれの水田での稲作技術 の指導を行います。こうした協力を2012年までに40か所 のかんがい地区で行う予定です。 現在この「タンライス」計画に派遣されている富 とみ たか もと のり 専門家は、これまでも2度(1986〜91年、1994〜99 年)、タンザニアに派遣された経験があります。1987年、 農民のムランバさんは乾期の稲作展示のために水田を 提供し、他の村人と共に富高さんの指導を受けました。そ の後、この村や近隣の水回りのよい農地では、年に2回 稲が栽培されるようになりました。ムランバさんは、初めて 生産した乾期の米を販売したお金で牛を購入しました。ム ランバさんは、その牛の写真を当時の研修資料と共に今 でも大事に保存しています。2008年に富高さんが再びキ リマンジャロ州ムサ・ムウィジャンガ村を訪問した際、約10 年ぶりにムランバさんと再会しました。ムランバさんから「あ の牛はもういないが、その孫にKumbuka.Japani (スワヒリ 語で日本の思い出)と名付けた。」と聞き、稲作指導を始 めたころを懐かしく思い出したそうです。 富高さんは、「たまに訪れるモシの市場でJapani米を見 るたびに、タンザニアの稲作は、多くの課題や問題に直面 しながらも、着実に発展しつつあることが分かります。」と 言います。「タンライス」計画では、ネリカ米 *1 を含む新たな 米の品種の可能性が具体化されるよう、稲研究プログラ ムも支援しています。こうしたタンザニアでの稲作支援の 成果は、日本が2008年5月の第4回アフリカ開発会議(T ICAD.Ⅳ)で発表したサハラ以南のアフリカのコメ生産を 向こう10年間で倍増するという取組に大きく貢献するも のと期待されています。 タンザニア ビア サウジアラビ ラビ ラビ マダガスカル ダガス ダガス *1. . NERICA:New.Rice.for.Africa(収穫量の多いアジア稲と病気等に強いアフリカ稲を交配した米) Kumbuka.Japaniとムランバさん(写真提供. .富高さん) 研修農場での富高さん(右端) (写真提供. .富高さん)
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Page 1: タンザニア - Ministry of Foreign Affairs第2節 課題別の取組 3. 地球規模問題への取組 第2章 日本の政府開発援助の具体的取組 11タンザニアで

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第2節 課題別の取組 3. 地球規模問題への取組

第2章 日本の政府開発援助の具体的取組

11タンザニアで親しまれる「日本」〜キリマンジャロの麓から広がる稲作支援〜

 タンザニア北部、キリマンジャロの麓のモシ市の市場では、Japani(スワヒリ語で「日本」の意)という名の米が売られています。日本は、タンザニアの人々に親しまれているこの米の商品化に大きな貢献をしています。 日本は、1970年代からキリマンジャロ州でのかんがい稲作開発に協力してきました。1987年に完成したローアモシかんがい地区(水田面積1,100ha)では、もみの収穫量を1ヘクタール当たり約2トンから6トンに伸ばすなどの成果をあげています。1990年代半ばからは、キリマンジャロ農業技術者訓練センター(KATC)を拠点に、タンザニアや近隣諸国の農業普及員や主要農家約2,000人に、あぜ作り、水田の地ならし、田植え、早めの除草、水管理といった基本的なかんがい稲作技術を指導してきました。そして、2007年から、KATCを含む4つの国内農業研修所と稲研究プログラムを対象に、「かんがい農業技術普及支援体制強化計画(通称:タンライス)」に協力しています。 「タンライス」計画では、1年目にタンザニアの中部、西部、南部農業研修所の職員や主要農家に、かんがい稲作技術の普及方法を教え、2年目には、男女平等の視点も含めた農家の暮らしの改善、かんがい施設を維持するための組織の運営方法、それぞれの水田での稲作技術の指導を行います。こうした協力を2012年までに40か所のかんがい地区で行う予定です。 現在この「タンライス」計画に派遣されている富

とみ

高たか

元もと

徳のり

専門家は、これまでも2度(1986〜91年、1994〜99年)、タンザニアに派遣された経験があります。1987年、農民のムランバさんは乾期の稲作展示のために水田を提供し、他の村人と共に富高さんの指導を受けました。その後、この村や近隣の水回りのよい農地では、年に2回稲が栽培されるようになりました。ムランバさんは、初めて生産した乾期の米を販売したお金で牛を購入しました。ムランバさんは、その牛の写真を当時の研修資料と共に今でも大事に保存しています。2008年に富高さんが再びキリマンジャロ州ムサ・ムウィジャンガ村を訪問した際、約10年ぶりにムランバさんと再会しました。ムランバさんから「あの牛はもういないが、その孫にKumbuka.Japani(スワヒリ語で日本の思い出)と名付けた。」と聞き、稲作指導を始めたころを懐かしく思い出したそうです。 富高さんは、「たまに訪れるモシの市場でJapani米を見るたびに、タンザニアの稲作は、多くの課題や問題に直面しながらも、着実に発展しつつあることが分かります。」と言います。「タンライス」計画では、ネリカ米*1を含む新たな米の品種の可能性が具体化されるよう、稲研究プログラムも支援しています。こうしたタンザニアでの稲作支援の成果は、日本が2008年5月の第4回アフリカ開発会議(TICAD.Ⅳ)で発表したサハラ以南のアフリカのコメ生産を向こう10年間で倍増するという取組に大きく貢献するものと期待されています。

タンザニア

アビアアササウジアラビササ ラビラビ

マダガスカルダガスダガスカカカカ

*1.:. NERICA:New.Rice.for.Africa(収穫量の多いアジア稲と病気等に強いアフリカ稲を交配した米)

Kumbuka.Japaniとムランバさん(写真提供.:.富高さん)研修農場での富高さん(右端)(写真提供.:.富高さん)

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