Kobe University Repository : Kernel
タイトルTit le <研究>優秀商船に就て(5)(5)
著者Author(s) 倉田, 庫太
掲載誌・巻号・ページCitat ion 經濟學商業學國民經濟雜誌,36(1):90-105
刊行日Issue date 1924-01
資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文
版区分Resource Version publisher
権利Rights
DOI
JaLCDOI
URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00053621
PDF issue: 2021-03-05
第三十六魯
(九〇)
研
究
優穿商船に放て
(其吾
優
秀
商
船
に
裁
て
(蓋
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第
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九
〇
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庫
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第
式
節
太平洋航業
しヾ俊秀商船の漁連史
優秀南東の意義盈甚蓉達の概要及戦時海軍補助任務どの閥係並に英数巣の驚倒だ我観商敷史上に
於ける優秀汽鷹教義湧艦隊の暴史は前節に於て述.,(たるを似て太節には我国商鷹が購琴に於y英米
の俊秀頗W任して最も活動し得る東軍洋上の哀
願航菜に関する歴史約番蓮を主賓轍脅政に分別して
記載す',fLo
叩
加奈陀東軍洋汽轍禽融(CT;・mp賢
nPaciAcSteamships11i111ited)借用胸の経遷
大正拾豊年帥
一九二二年は溶融大戦筏の晦遅許諾(Post・WarSll
ilDPl:ng誓品ramrlle)の質塊せられ
し年にして洗顔
用鋤の竣造改造絶航路系敷革教堰等に
一段落を告げたるものだす而して甚東軍洋航
路に於では綾噂数二二〇CLO噂銀のヱムブレス'オブ'カナダ東及オーストラリア耽なる二優り頁醇
を配紀し似y族客郵便航路だして最優者たる蝿歩を古め光り此形勢は恰も既往三
一年繭の
1八九
l
年に於Y常時の快決大汽唐たる塘噸数六
〇〇C噂型の三ヱムブレ
ス牧を回航し爾蒸数年問太卒洋翫
洛上に覇を種
へしだ同様の粗め-今岡酌太卒洋航路任用敷登蓮の状を数項に浄ち説明せAc
〔Tj
初期の使用唐
一八八五年
~l八九
l年
抑7gCpR(加奈陀太申浮城蓬の署)が粂偉業wLて太洋海運革装に芋を染めたるの時期に付
1番
には放校的近年在り・ijの謬見を抱-79のも存すれ皆も賓はi八八五年にあり}Jは昨年本能欧測線支
配人サ-ジ-・ヱム・ブラオン氏の李浦に於で演説し光る所在も鮒ち同年CPRは太卒洋横断航海開
設の褒めに傭厩を覆し東洋航弼業を別珍たるものにして其堅剛に於七も加奈陀閣内の承丘には所有
船h・浮べ還晩発を街払屠ちしなり故に本政は少-7g約三七年間の海上運輸業者詑る経歴を有する格
の覆り之む我国の海寮史だ尉照するに日本郵腰骨社が三菱共同の二社を倉餅して成漉せし年は同じ
-
一八八五年郎明治十八年にして大阪商轍禽社が関戸内海の航運業者を打て
l九だ覆し創立せられ
たるは其
這
丁前の明治十七年即
六
八四年光らし在り昨年九月梼窺港を引上げ本国に蟹返せし向駄
目本駐在代表員たりしテー・ペイン民
(W・T・
Fayne)の談}Jして海事新報の倦ふる所に城れば同氏
は
7八七九年(明治十二年)本邦に蒸着したるものにて同政の陶係に依り太申洋に使用し究る最初の
健は帆触
W・B・Fiint親ならし竺試ふ同願は
一八入六年即ち明治十九年(前述ブラオン氏の説だは
7年の相違あり)茶を積載し樗甑捲より加奈陀太卒浮環に航街したるものにして約二ケ月を婁した
り其頃本鹿の外に凡隻内外の楓願をS,使用し太申洋横断航海を鎧鐙せLが某夜汽勉を以て定期航海
を開-に到b即
一八八七年(明野
亭
年).''-シア統アビシニア敬ノバクビヤ開墾
二隻㌢
俊再せ-叉他
の宙記銀に壊れば
1八八七年の秋アダムジン・.ベル昏政は加奈陀東軍洋純道kZ連絡して晩番唆及グ
ヰクーア渚より日本及寛邪
への航海業h
・T
開飴し常時桑港以北に於ける唯
7の太申浮足航藤にして其
第三十六聴
完
こ
研
究
優秀商船に放て
(其五)
第
7妨
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堅
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(九二)
研
究
優芳商船_こ就て
(共立)
第
l・銃
先1,1
使用東はキューナ
ード禽社が太西洋客船に使用したる老齢舶三笠覆うとあわ奥
等各層は積畳二〇〇
〇噸乃至
嘉
○○喝にして各坑其構載したるこぞ在-往航(璃細頚向)は多-容顔'復航(加奈陀向)
には絹糸及茶等り高親日…(FineChrbUO)
a.積哉せ,り故に航洞嚢㌣支押し収縮を版めんが褒めには勢払
祭止的の高率運賃を訳せきるを布きDLだ記しあり。
前記三厩は宙磨ならしも細皆の快速カを有し展らしものにして宙欝に依・Jhキューナード鹿隊の明
細中より三廟の大要を
摘鋸すれば左の如し.
船
名
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二ハ二七
更に
7例をアビyニア既に付きその明細掌不芸んO
建
造
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船
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汽筒及行長
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単式横網政柄馬力三五
〇腎薦カニ四八
〇馬力表淵冷汽筏水
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汽筒政経七二吋
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四悩火炉二田欄火床耐四三二平方択熱火面
二
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7時間
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十二節
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l八〇人(畢級別なりL瑠らん)
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水
宜
炭庫牛範にて扱水魚約四九五
〇噌
慨
水
右排水量にて平警
70択
石は同府が太西洋航路(碍斯約九書花内外の航程)に使用せられたるP,)さの状態有るを以て太卒洋
に使用せらるるに雷-1では衆掻搭載力客室等り模様移行はれ光るならんAjJ恩ふ79其資料社有せず同
府の太平洋横断日数に関しては友の記録あう。
ア'ijyエア耽往航
二二日
7四時
復航
7四日屯時
.'<bIシア親任航
〓
7日二二時
復航
一三日飼時
他方加奈陀横断の大陸域道投が両太洋の海岸を迂路したるは
7八八五年在toEの記線あるを以
て
織れば蓋しrJPRが香港及晩番妓両地の交通に定期航路を寝殿せんだ企てたるは其頃に肱胎す.,(し
而しま別記三汽願の就航後極楽方面の開登に鐸払
Tf九
7年に到ら太卒洋航路に通すべ-設計せら
れ光る彼有名ならし三笠の.ヱムブレス唐就航せり此型の超造に潜り基本観にYは偶々郵便航路補助
だ共に海軍省は戦時補助巡洋艦に通する関東州既着者に保護金
(hTavaiSubv{:nti.n)を支給するの政
策を探りつ1あわし際なhLを以て.jP潟は後年汽東部の総支配人
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ILerseLY)Lむ英本観に派遣し海軍雷
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第三十六巻
完
望
研
究
優秀離船に就て
(共立)
第
一航
九四
局寸J折街せしめ常時パワー路に
て建造中ならしこ養鶏のエムブ.i
ス轍に東
し海箪保護金交付の契約を
受け売り而して此契約に基-寒金は
7九
〇八年四月迄春醸しぬるが如-政来年度には三愛に暫し年
額
7義On
O砂なりき蓋し新道常時は沿多相宣わし怒らん79賞額は今不詳在-0
〔こ
嘗
エムブレ
ス型の構造二
八九
一年)
CpR系統の汽願中東形快速カのものは最初太率洋航路用に建造せられ何れも
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名の冠稲だせり前記三隻の東名は左の如しが
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鞄俗には撃にヱ
ム何故(Lj"J..rl・Iil・dia.)ぎ略荊す。
其後太西洋航路の開放俊周東に73エムブレ
ス冠稀腰観はれ東軍洋兼には定にエムブレス冠掃励附
加せられたh前記エムブレス型中エム.チャTナ鶴は
l九
二
年房州白旗沖にて坐礁し光るが救助
の上梼践終にヱ個室の盛東却せられ本部域商人買入れ鯛森川沖にて解璃した-エム.T
ンデ
ヤ嚢は
聴鼎大戦中永年洋航路より引止げられ其後塵みせられ光るや又は破翻せLや不詳在り最後にエムt
.71ヤパン駿は昨
1九二二年約三
1年間の太卒洋郵船の壁控短絡はり英紙に蹄離し充ち散に是等三豊
のエムブレス泉は己に太卒洋より影を没したるものなる計由
て便宜奮
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ス型FtJ苗して後述に
言及せん。
嘗
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ス型は英担
53arrow・iii・F・dTneSS港
NavdiLrh,lStr邑i{jnandAt・mamentsCo,の桂造に係
各姉頻健在も其明細を充に記せんo
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〇五里薄噸敬三OC二二
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長四五五択六嘱五一択二琴
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兎節の最は迫力LL於て)㌦00IO鵬力
大観ヨタト型にこてクpタ
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二校二相奨白色に賠現わ発色に賓
筒か姶粧し近年の客船と興り外観は優芙鷲形み巣す溌戦以猟は其択色に鞄袈せり.旗道教
7袋二
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一十四年構滞措_こ増発をがめ耳や固持碇泊船巾比鵜各組ざる撃艶船と稀せられ小いり
1等許容一
〇八
人の定見なり。
本鰹建造の目的中優秀在る速力を有するrJだは其限日在りしを以蓋
統計に於七は絶境数六〇〇〇
噸賓馬力
70000最強速力
T七節以上航洋嘩刀〓ハ飾り洩定在りし
も
Cp説
が造船所との建造
契約
に於ては時に通力の項を蛮成し試運樽鹿強
7入節以上を有し開〇〇浬の航走に於て卒均
〓ハ簡
字を保持するを要す芭せり然るに竣工筏議運鞘の成績はエム'パンダヤ祝の如,m試道場に於て
7九
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同船太卒洋に就航後の成橿中
7日1七
〇喝の看衆滑蛍を助y申均航洋選カ
ー七
筋張を不したる事賓あり叉僚戯
エム'デヤ.'Ty故は太卒揮横断快速の記鮫をポしたるが基航海は
1
八九七年(明野
二〇年)六月に街はれ晩替吸を馨しグ藤クトクヤ港寄終時間を食みで左の如き無目時
在りき0
横窺
港到着迄
10日
10時二二分
第三十六魯
(九
五一
研
究
優秀商船_二親て
(其五)
第
一戟
九五
第三十六辱
(九六)
研
究
俸穿商船に放て
真
玉)
第一醜
九
六
香港到着迄
7屯臼
一〇時
二ハ舟
又是等三隻は執れ7P蘇士経由にす'香港に回若し
1八九
一年より就航せしものにして外板にはシー
メンス'スチールを用払三聯成機鏑二組を債
へ故障に際しては
7組を運韓し軍略革を使用して
一二
節の速力を出すを待たらこ盛底には八
CO喝の海水+,~tブストを収容し得べ-三舶hJ以て夏季は三池
l回冬季は四週
一回の定期航海を維持したり之に暫しで本観政府及加奈陀改廃よも郵便航法補助金
及海軍省より.軍用濁鋤年金の重曹を受け後者は
一九
〇八年を以て停止せLもその後媒郵便新盆料の
み支絶せられ允-0
此萄
エムブレス型の東洋回航昏綿に於ける太牟洋上の優秀府は香港桑港間に従容したる米国太率
洋郵船脅政のチャイナ敬
(China)にして絶境数五
〇〇〇噸航洋速力
一七節
叫八八九年英観フェ-ヤ
フヒー
ルド遺贈所の建造に係る四橿二掴筒を有する客東電,I其他は自選線が太南洋に使用したる老
齢客鷹にして到底新造の萄エムブレス型に比すべ-亀罪-き報観に於ては前節に記し髭る壁用九及
納戸九の二隻が常時の最優良客解たりしのみにL
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最大僻墜二池丸}J成島九のl遠見各組噸数三〇〇
〇噴奴に過ぎず蚤だ太卒洋横断の定期航路は我国海運界の勢力閣外に存したhL略字JIQ
嘗
エムブレス款や最後迄東軍洋航路に徒拳せしぼエム'デヤ.',ソ我にして其最終の航海は昨
l九
二二年六月にして晩香吸より
一等客僅かに四名二等三名三軍
義
及薗屯ソーイーグル故の乗組等
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一九九名と雑貨
二三
心境を搭載し香港に硫街し光るものにして嘗七は東軍洋の優秀府だLtl多
大の好評を博もたる同唐も蹄勢の推移には敵する機は㌻寂環光る最終航海を完了して新船エム'カ
ナダ故だ交代し菜洋を
去b光り本初が郵府だし三
三
年間の長日月を太申洋に活動し光らし串賓は
郵船命数に関する
7記録光るを失はや然れ哲も客廟としての慣億は
7九
二二年新
エムブレ
ス型の就
航境より低下し光るものにして最近数年問は二親客船の斑に伍して低率運賃を以て放客を吸収した
る七過ぎきる在h.
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袋物主眼府の併用二
八九八年
I7九二二年)
嘗ヱムブレ
ス型が就航せし頃よh北太平洋だ極東だの交通蓮稔は漸次教展の域に向払
1八九二年
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(明治二十五年)にはドドウェル
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北
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卒
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銭
蓬(ハブ
やソ系統繰)yJ連絡してタコマ極兼問の貨
物船定期航海を開始するあ-日清戦役後
(二八九五年)は所謂支那の門
戸開放提唱せられ
一八九七
年向商骨は夏にオレ
ゴン銭蓬及航海倉敷}J連絡しポ
ー-フンド極寛問の袋物定航散開-あh叉我閥
に七も日本郵腰骨敵は三池九を周航だし三
八九六年以凍シャトル
航路を創設するあら加之
7八九
八年には米西戦等あb米国政府の急激在る願履需用だ覆う且又クワソダイツクの金銭蟹鬼はアラス
カ方面の開費W筏G北部大卒洋地方の統覚は活気を豊し光りしかば
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は此機運に爽じてアラ
スカ航路に使用するの目的を以てア三
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故ターター我の二隻を購入し英国よも南光葦由にて
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八九八年九九年に晩香攻に同府し其後之紅梅東航海
に韓用袋物童用船だして暫
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し放客運賃はエム顔よう79低率を似て寝酒的放街着の需用に鷹じ之をインターメデュー・L舶
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PoatS)だ唱
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第n1,十六巻
(九七)
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究
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第
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(九八)
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究
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】サソ船の所属船hTjり有事の際晦箪倍用船中に編入
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1九
〇七年八年頃迄傍用せられアセエアン親裁づ棄却せられ療1℃クークー敬も本邦に
三男却後函館港内に堕の貯苑顔に有用せられLが遂に大浦九に曳かれ日本海門司海峡を溶く大阪に
河鹿解撒せられたb是れ本邦に於ける大形汽細長距離曳航の
1記銘怒ら。
アセエアy故の撤退するや8'ントイーグル既回航せられて暫醇クークー洗AfJ薬に袋物童用船とし
て定親に服しクーク-寵の撒儀後竜ントイーグ肘嚢は引蹟きインク-メデ
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ト鷹として就航し昨
1九二二年初め噴最新
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ス顔の蒸坑に倖払撤退せられ允-o
Monte星e7八九九年建造細噸数六
二ハ三噸航洋速力
二二節岬丁稽
一個実を有する貿客併用舶なり
而して放客質金は本船の低嘘だ設備の騎係にて奮
エムブレ
ス淡の二等賃金を以y本願
1等に蒐常英
俊容人員は五〇人内外覆らしが如し。
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7九
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が大鞘洋航莫大捺張に際して
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terLineより買収せし汽船
一五隻中の
1にLy夢御大南洋に後太卒洋に韓用せられしもの在らん0
〔ニ〕
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九
三
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米両戦争の結果此梓賓諸島が来観の.鹿額だ在り且つ極東の党鮭と共に露瞭的の藤
展に倖弘光大陸
ピ否紳亜東部との交通は頻繁だ在り
山九
〇〇年頃より釆図太申洋郵胸骨融が婚噸敦
1寓噸親粒を新
造若手するあう大北職親政長ぜ-ムス・AJル氏が大北汽船倉敷を計重しy絶境数二寓噸顔の世界屈
指の互触建造を企喜するありで太卒洋の航糞は六千噸放よう
7躍倍加の.l寓噸叡或は三倍像の二高
噸奴の汽舶借用に進展するの形勢を馴致し溌-
Cp式
も亦此境線噸数八千噸速力二〇節願を新造
して嘗
エム嚢に代替せしめんだするの説得はれLも蓬に賓現せすして寧ろ大帝洋英加問の航菜に傾
倒せLが如-此間日本郵船禽社は六千噸最強速力
一五節の竿客腰を建造し稚務の台糖・J,逐次襲新し
日常戦役前に六千噸親の優秀府安塾九の就航するめh績て戦役中には七千噸奴の丹後九79完成し允
f他方大地餓造系統の長船計書は欝現せられ
7九〇五年には太卒拝察前の最大貨客轡
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及ダコク故の肇
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馬尼刺問の定期航路に配澄し充ち故に
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及客室設備等に於ては優秀を保捧する寵はきるに到れち其後ダコク我は不幸にし三
九〇六年外房
州に坐礁破捜しエム'チャイナ故も亦外房州白観にて坐礁し救助せられたるも審蹄的各損に三馬却
せられ舟るは邑連の如し斯-の如-にて
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の新贈建造は切迫の必要u怒ら其結果言
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ャ牧の二隻を建造し允・cIO
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造
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研
究
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最強二l節軸馬力二七二五〇馬力
1等二〇〇名二等
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第
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此爾柿餅唐は直立航首だ巡洋艦型舶尾を有しこ椿三掴笑を債
へ最新の設備を整
へたる費揮覆る客
舶在り凍航瞥時は白色の唐鰹に対し姻筒を黄色に塗粧し居らしが今は舶憶を品色Wせり蓋し航蓮経
済上の瓢よ-覆らん而して借料は石炭を使用した-此内
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シア坂は
l九
一三年三月完成し蘇
士雀由香渚に固着例年五月ilち初航に就き同月二九日横践出帆六月七日早朝ブ埠クトプア着脱航行
時間二二二相(八日二
一時)にして卒均速力
一九節堅不し従前の記錦を破わたhエム'エシア既は
一
九
二二年六月英国を馨し書望峯雀由管路に回航八月よJ>初航の途に登りたb其後陶酔は世鼎大戦を
経て
i九二二年最新のエムブレ
ス型が出現する迄は設備に於でも速力に於て7g太申洋航路使用船中
の最優良舶たりし名巷を有し快遮横断の記銘は其夜エム'ル
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ア親が保有せし八日
一八時三九分ど
す唯舶憶の大さに於七は",ソネック境に及ぼざると絶境数に於て約四千頓首P.き即ち両エム親船が
太卒洋航路の標準的優秀朋党JaL親閲は
7九
7三年積年よ-!九二二前前年迄約八ヶ年等鎗なり。
〔ホ〕
大型叔新エムブレ
ス型の就航二
九二二年)
己に国頭に述べし如-
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は咋
1九二二年を以y戦後韓荻の完成を告げ或は新造船或は萄濁
逸鯛の改造懲行払以て太丙洋太卒洋船路使用船の革新を行払同年中に絶境教に於y
二二五
〇〇〇噸
内外を増加しみ解除は約三九八
〇〇〇噂に達し晩香吸塵未聞の太卒洋旅客舶写しては他の何れの船
骨敢所願解よりも優秀在るものを億用するに到れf即ち同属肺用の最新式優秀励二隻は左の如し。
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九二二年五月五日7.1ル
マう扱錯六月七日脊終
よち魔女坑に上る.
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ofAuBtratia絶境教二
一八六J
喝にして
(Ex・GermalTirpitz)
1九二二年六月
〓ハ日グ
ラスゴーを解糖七月二七日管路よか太申洋航路に配触せらる此両廟は現在太申洋上の俊秀船の模範
にLy将来競肇綿が新造計喜hl行ふに際し封象だなるべきものなるを似てをの詳細を外囲晦寮詰そ
の他の記事より捕鯨せん。
言
'カナダ駄本糖はグラスゴー府ブエーアブヒールド耽唱贈及造機倉敷の建造し光る最大廟にし
て
1九二二年後エすO
組
長
垂
直横
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幅探(速滑申叔迄)
探
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航 尾 長 重 組
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四〇〇〇
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〇〇浬
シルク、ルーム
アイス'チエンバ-
石油燃料は二重底に貯威し得べく絹物生糸等の高級品の
船
路
及
冷
蔽
庫
は充分の軌積カあり船客定員に
一等五〇〇人二
等
700人三撃
一BI〇人霞鮒政人三等九三〇人乗組負に約五五〇人なるも玖て船客満員の助命に托約二三〇〇人内外の人見
罪三十六啓
二01)
研
究
優秀商船_こ放て
(其五)
弟
]軒
一〇一
第三十六魯
(
一
〇二)
研
究
優秀商船に放て
(其玉)
第
1騎
)〇二
が収容ぜらろゝなり主機関ーェブラかシ,カーナス式タ-"
tl京城洩噛ま装置
(Brown・CurtiStu
rbineDoublereduction
Gear・
ing)にして振動を誠する偉め'1ノー
ダ
ル、ZLライブ(NodalDrive:式み採用し二組の重機関わ以て双暗車を同時ぜ
し
むろ
もの
とす汽錐tT(個の後口鍾
(DoubteE
nLTed)と
四個の港口錯(SingleEnded)か億
へ燃料に抽叉に石炭の執れむも使用し待'(LO
外親は船首直立船尾ク〝-ザ
-.スタと
一橋三胴僑(賓色)私有し絃側に黒色に塗粧す茸_こ大西洋の客船に劣らざる現代武装
麗船iiり
一等宝は二人詩三人詩四人詩等に分Ppれ二等室托二人又は三人詩四人詩三等は二人四人又は
六人詩並鯛飯人三等
_
ダイニングサヽルン
ワン'シツチング
雑居
)区割と
で各等
食
堂
に
一等客に
一
時
に
三〇七人分二等にェ一〇〇人分三等は
一〇〇人分の各椅子席を億ふ即ち
凍客は四親制私抹
用L居ろものなり。
本船は豊
即三
九二三竺
ハ月九品
漂
宗
帆してヴキク吉
ア摺迄の
A桝
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鵬
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於三
九
表
年エム
,ル写
班
の東Liiる快速紙凝在破りi1り。
橋渡ダヰク.IPア開山‥航粗四l九二浬(最絹槻)
航
行
時
間
入日】〇時室二分
平
均
速
力
二〇節六
期
-
て
エム'
カナダ故は船型速力設備舶齢に於y完全に太申洋上の最優秀舶たるrJWを立設した
hソOエ
ム'
オ
ースとアリア溌
本願は
一九l二
年英国賠償委員の手によう頁却せられ光る啓猫過渡壁
線のチル
ビッ故にして弼逸バル
カン
造船所が建造
l九
7四年大戦に脅し工事を中止し卒和後
1九二
〇年完成しCPRが沸下げ光るものにして勿論大改造を加へ光る7gの怒らん最初の設計は絶噸教
l
-九三〇〇噂重量噸数九八〇〇喝長五
l入沢幅七五択深四
)択牢二組のクーピソ樺を以y双暗革を動
かすにあbLが如きも昨年の英国ジブ'1,y〆、
レnIド轟をの他の記する所に依れば左の如し。
洩噸奴二二八六
i噸轟き五八八呪層畳七六〇〇噸
僚客
-等四〇〇人二等
〓ハ五人三等三六〇
人並湘寛人三等六七
〇人乗組船亀璽
一〇人
一等食堂に何社船中最美の
tにして三
七〇人の垂席
私有で。
主機関はクーぜy機
_こしてフハIチ
リダ
ル氏
/F6ttinger)
水魔軽換器
(tTydrau山icTransformers)を億
へタ-ぜソ
の連動せる
ヱネルギーみ城法し
て
車軸に膚等す.ろ
装置
なり
即
ち水槽か
形ろ廼換券内に於
て淡
水
の仲
介
を以てタ133ソ
の固持
法度在韓除
して車軸を同格ぜしむろ特許装置なり蓋し歯車滅法装置_こ免れざる故障か除去する雰めの新案碓らん此頼経
の減法装置は最
新
の蓉明にして泉だ廉く行はれ居らざるが如し通常全速.1こ於てダーピソに
一分間_二八〇〇岡緒むなし車
軸に於ては之な1六〇回
樽に低減す
るものとす而して各ダ-33三
組の出力に害
毒
○軸馬
力にて二組
一九〇〇C軸馬力を以て
一七節の速
力を
得ぜ
しむる_こあり法力の鮎に於て托現在
エム扱
四集中の最低法力船
とす叉汽錘に燃油装置
か施しilる水管鐘.1して.'̂ルカy式なり
・本給の外貌は三胸突二埼み億
へ構造上打痛泡式雄客船(大戦数年前よりの大型船)_二共通なる鮎私有せり即ちがIrl'デブ
車上.i
バプりツクルヽーム
於げろ
各
曲
室
の
天窓支特用の補強桁の露出せるほ自基線のホメ,タグ既(昏瑞相コロムブス耽)マヤスチッ
ク蚊
(啓滞船ビ
スマーク賊)と何じく叉灼架の下方か船側両舷に分与其
中間に於て唐潤なる船室み配置し得ろ如く構造ぜLは光
固レバイアサ
y鍍
義額船フハータIラシ下館)及マヤスナック沸卜同様T.より。
〔へ〕
I九二三年に於ける使用船
船
名
カ
ナ
ダ
戟
オ
ースAラ
,ア耽
ル
ージ
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耽
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第三十六巷
(一〇三\
建造年次
九二二
九
7四
九二二
九
二二
酸
形
二二
〇〇〇噸
二二
〇〇〇噸
7七〇〇〇噸
一七〇〇〇噸
速
力
二
〇等
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二
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二
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横
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優秀商船に放て
(薬玉)
第
】戟
)〇三
弟三十六巻
二
〇四)
研
究
優芳商船に就て
(其吾
欝
1騎
)〇四
膚考(~)叩燃料にカナダ抗は抽叉に石炭、オース,Lヲ?ア蚊に抽ヽルシア蚊及エy
7餅に燃油装置を取付けたるや香
や不詳な
るも長崎野糟する鮎より見れば束だ石炭なるベL。
(2)各般の航描法カーミ
ニハ節乃至
1九節偲なる.(-最近のレヨI21は二
〇節六李がLi1るも断わり唯オース・Lヲ甘ア就のみ
に仇船エりも低速_こして単著規定も横断に二日間の差ある私示せり
。
(3)最近の出帆腐骨_こよれば四隻な以て二泣
一回の定期を維持し居るが如く航行期間は約九婁夜内外私苛するが如
し○
(4)各船の外貌は何れも三脚簡二倍私有Lルyア蚊及
エyア班_‡クルーザ/
スターシとすo
(LL>)41等族客収容人見は二〇〇名力葦五
〇〇名とし船型_こて異る。
(6)各般機陶にタ-ぜy式
にしてヵナダ照
に流行のダブル、レダクシヨ
y、ギヤーpy3h式オースーラpア蚊は最近の蓉明な
る水部城法式ルシ
ア及
ヱジア妨_ユ直蘇タ1.py式ならんJ,Lt=;して暗車の数に前二船は双噌車扱二.船に,eI増車とす。
之を要するに加奈陀太率洋汽船脅敦の太卒洋船隊は優秀敵の集食}J稀すべ-総べての鮎に於て
l
預地を扱-ものあら彼
東野
、、yネ
ック故も其大n心於ては蓬にエム'カナダ耽型に凌駕せられたち
之を以て減れば蹄衆の永年洋優秀船を論じ超エムブレ
ス型を説述する者はカナダ型を先づ標準に露
かきるべからや問-所に依ればカナダ型の建造壁は
l七〇寓横にして戦前の評惜在らば五五寓碑位
電らん三Hふ
郎戦後は路噴数
l噴-こ付八五餅にして戦前墜
一七碑竿に過ぎず卑近の例を以てすれば
五五高検の資金を以y戦後は長崎丸顔(五五〇〇噸二
l節)を建造し得るに過ぎきるに戦前にてはカ
ナダ叡(二二COO噸二〇節等)を榛造し得たるが如し同者は速力だ機陶の種類に於て暴ぼ同様在る
も聡船型だ楼閣の出力に於で相違あり即ち船形の比は
一己四の如し然れやも現在二
九二三年)に於
ては
-九二〇年頃に此し建造費約三割乃至四割位の低下在るを似て此種族客船の建造塵は絶噸数
l
噂に舟六〇構内外ならんだ思考せらる。
現在我国の北太卒洋に於ける統覚上の地位は速力に於y盈
醗備に於でも
CPR
の使用僻とは到
底封祝し得べ-も非ず僅かにインターメデ
ヱ
1㌧
サービスに依-て雀脅し居るの状況在るは痛嘆
に堪えきる在り
1日も早-優秀糖を浮べy英米の航業に任し優者の地位を獲得するの必要あ-O
(未完)
第三十六魯
二〇き
研
究
侍芳商船に放て
(其玉
)
第
山鹿
一〇五
~