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Kobe University Repository : Kernel摘する(Koolhaas,...

Date post: 28-Jan-2021
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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title 他者との接触と共在の空間としての商業空間 : 1990 年代以降の日本に おける商業空間論の変化に着目して 著者 Author(s) 藤岡, 達磨 掲載誌・巻号・ページ Citation 21世紀倫理創成研究,10:92-110 刊行日 Issue date 2017-03 資源タイプ Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI 10.24546/81009821 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81009821 PDF issue: 2021-06-08
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  • Kobe University Repository : Kernel

    タイトルTit le

    他者との接触と共在の空間としての商業空間 : 1990 年代以降の日本における商業空間論の変化に着目して

    著者Author(s) 藤岡, 達磨

    掲載誌・巻号・ページCitat ion 21世紀倫理創成研究,10:92-110

    刊行日Issue date 2017-03

    資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文

    版区分Resource Version publisher

    権利Rights

    DOI

    JaLCDOI 10.24546/81009821

    URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81009821

    PDF issue: 2021-06-08

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    1.はじめに都市は異なる文化的背景を持つ人々を空間的に共在させ、接触させる媒体で

    あった。また異文化接触の過程で都市独自の現象が生まれ、このような現象の蓄積が都市に独自の性質を与えた。流動性の高まった今日の社会では、多文化との接触は都市という一部の場に限られた事例とはいえない。したがってより地域や生活に根ざした他者との接触と共在のあり方についての検討が行われる必要がある。ここで問題にする他者とは程度の違いはあれ自己と異なる生活の仕方を行う人々である。他者は親密圏の外側に存在し、しかし場合によっては社会的相互作用が生じる可能性がある存在である。都市社会学の租と言われる G. ジンメルは20 世紀初頭のベルリンにおいて、都市は質において唯一無二であり他人とは取り換えがきかない個人の独自性、そして差異が跳梁する「間」共同体世界である、と指摘している(ジンメル,1999a)。そしてジンメルの都市世界における個人の自由は、貨幣に代表されるメディアと社会化の形式の議論と相似しながら考えられている(ジンメル,1999b)。ジンメルの後の時代の研究者たちにあっても、W. ベンヤミンや J. ジェイコブズ、A. マクロビーに代表されるように都市の典型として商業空間を通じた排他的ではない他者との関係性と商業空間の在り方に注目する議論が行われてきた。本稿では近代日本における2つの商業空間の類型に対する言説を都市における第三空間としての商業空間という観点から比較する。特にこれらの言説に見られる商業空間への評論を通じて、自由でありながら他者と相互作用できる場としての商業空間がどのような理想を託されてきたのかについて検討する。

    日本においては 1990 年代に地域の商業空間のあり方に大きな変化が生じた。『商業統計調査』 に よ れ ば、1982 年調査のピーク時には約 172 万店存在した小売店は、その後一貫して減少を続け、2007 年調査では約 113 万店までその数を減らした。この 25 年間で 58 万店(33.7%)の小売店が減少したことになる。ま

    他者との接触と共在の空間としての商業空間―1990 年代以降の日本における商業空間論の変化に着目して―

    神戸大学 藤岡 達磨

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    た特に個人事業所の減少の傾向が強く、82 年段階で約 145 万店あった個人事業所は 2007 年段階で約 56 万店までに減少している。このような背景の下で商店街の衰退が指摘され、2015 年の『商店街実態調査』では「衰退している」「衰退する恐れがある」と回答した商店街が、近年改善しつつあるものの、合わせて66.9%に上るなど、当事者の実感としても厳しい環境に置かれている認識がある。またこのような衰退と平行して映画『オールウェイズ三丁目の夕日』に代表される昭和 30 年代ブームが派生している。このような言説では商店街は「ノスタルジー」の対象として捉えられ、商業空間の変遷には常に「失われたもの」という言説がつきまとっている。しかし、実のところこの変遷の過程で何が失われたのかについては統一的な見解がない。本稿は商店街とショッピングセンターの両者についての議論からカテゴリーを抽出することで、それぞれの商業空間の他者との接触の形式とこの形式に託された商業空間の理想型について確認する。その後、この両者の形式と理想形を比較することで、「失われたもの」を明らかにするとともに、他者との関係のあり方の変化について考えたい。

    2.第三空間論としての商業空間論まず、第三空間とは何かについて確

    認する。都市社会学者の磯村英一は、第一空間(再生産領域)、第二空間(生産領域)から自立した第三空間の発生に都市の本質を見てとった(磯村,1959:83)。「第三空間」とは、この生産領域と再生産領域の間にある、盛り場や歓楽街といった、相互に匿名性の高い都市空間のことである。この空間の特性として北田暁大は次のように述べる。この第三空間では、公的領域における目的合理性による他者との結びつき(仕事仲間)も、私的領域における親密的な結びつきも前提とすることができない。第三空間は、共在する他者との接続可能性がきわめてコンティンジェントな空間である(北田,2004)。一方、この偶有性はそれゆえにここでしかありえない他者との出会いを可能にする。例えば A. マクロビーは明らかにロンドンにおいて

    図1 商店街の風景例   (東京都北千住西口商店街)   出所:街画ガイド

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    もっとも多様な人間が集まる場として商業空間を取り上げる(McRobbie,1994)。同様に R. コールハースは買い物を今日に残された数少ない公共活動であると指摘する(Koolhaas, 2001)。本稿では商業空間をこのような異なる人々が出会う開かれた共在の空間の一種として扱う。そしてこのような第三空間における他者性との接触について注目する。

    前節で述べたように日本においては 1990 年代後半から商業空間の在り方に転換が生じた。「伝統的」商業空間である商店街の凋落の傾向が明らかになり、郊外を中心に大型ショッピングモールの開発が進んだ。本稿で注目するのはこの変化について、1990 年代以降に日本において発表された商業空間研究における他者との接触と共在という観点からの評価である。またこの変化を背景として、あるべき商業空間の形が空間のどの特徴を取り上げることで語られているかである。

    以下では、商店街とショッピングセンターに関する代表的な言説からそれぞれの特徴を抽出し、商業空間の類型として両者を比較し分析を行う。またそれぞれの類型に対する批判についてもそれぞれの特徴をまとめた後に確認する。商店街に関する代表的な論者としては、特に商店街をコミュニティと結びつけて研究した石原武政および新雅史の議論を中心に取り上げる。SM に関する代表的な論者としては東裕紀および若林幹夫を中心とした研究グループが近年精力的に議論を行っており、彼らを中心に取り上げる。また必要に応じて、補足的に彼ら以外の研究についても取り上げる。

    3.公と私の間に存在する商業空間:商店街Ⅰ「商店街」の特徴

    本節では商店街について主要な言説を検討する。しかし、その前にまず商店街の定義について明確にしたい。商店街はいくつかの方法で定義することができる。まず中小企業庁のレベルでは「商店街振興組織、事業協同組合などの商店街団体が存在すること」をその定義としている。一方、商店街に関する研究では商店街団体の有無に依らず、商店が連なっている企業集積を商店街として論じる例もある。前者を制度的な側面に注目した定義だとすると、後者は空間的な側面に注目した定義だと言える。しかし、こうした見解はどちらも「商店街」が人々の認識によって形成されることへの注意がいささか不足している。商店街を社交の空間として分析する本稿の立場では、この両者を接合する案として「商店の集積が時

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    間連続的に存在し、そのことに対する顧客の認知を通じて、商店、顧客の両者が利得を得るような商店の集積」(与謝野・橋本,2009)という定義を採用したい。

    このような商店街は、商店の継続的な協力行動が存在することによって支えられている。この点で商店街は、肯定的に評価するにせよしないにせよ、単なる商業集積というよりも地域における商業以上の機能を期待されてきた。ある意味、地域における共同性がもっとも分かりやすく見て取れる場所として商店街は認識されていた。したがって、商店街の衰退は地域社会の衰退を象徴するもののように捉えられてきた(三浦,2004)。

    ところが、制度面や組織としての商店街の成立に注目する観点からすると、組織的概念としての商店街の成立は 1932 年の「商業組合法」の成立によって始まったと考えられる。この法律以前には、同業者組合は認められていても、異業種の小売業者間での組合は見受けられなかった。空間的・自生的な商業空間としての

    「商店街」が場合によると平安期からの成立を主張するのに対して(1)、制度と空間的な側面が揃った商店街は 20 世紀になって形成された新しいものである。新雅史によれば、第一次世界大戦以降、近代日本の秩序形成の際に都市化と流動化に対応するために生まれた人工物が商店街である(新,2012)。つまり、少数の例外を除いて大部分の商店街は日本社会の都市化への対応として形成された、商業空間の近代化の産物であるといえる。商店街が代表しているのはこの点で伝統というよりも、作られた伝統としての近代性である。本稿では以上の議論から、日本の近代化に伴う社会変動への対応の一類型として商店街という空間を捉えていく。

    以下ではこのような商店街の近代的性格を意識しながら、これまでの研究において商店街がどのように語られてきたのかを参照する。

    a.小売商の中間層化商店街は専門性と地域レベルでの集積(横の百貨店)による効率性および娯楽

    性、公共性を達成するものとして組織された。商店街のこの特徴を理解するためには、1930 年代の日本社会の状況と商店街が対照させられた三つの存在①協同組合、②公設市場、③百貨店との関係の理解する必要がある。

    まず当時の日本の状況を概観する。1920 年と 1930 年に行われた国勢調査(総務省統計局)の産業別人口の分布を比較してみる。

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    1920 年 第一次産業 54.9% 第二次産業 20.9% 第三次産業 24.2%(卸・小売業 9.8%)

    1930 年 第一次産業 49.7% 第二次産業 20.5% 第三次産業 29.8%(卸・小売業 14.0%)

    1920 年から 30 年の 10 年間で農業人口が約5%減少し、工業人口は横ばい、サービス産業の人口が約5%増加していることが分かる。中でも、卸・小売業に従事した人口が4%強増加しており、離農人口の大部分をこのセクションが吸収していたことが分かる。つまりこの時期の日本においては農村からの人口移動は製造業における雇用労働者を生み出すのではなく、サービス産業従事者、特に卸・小売業を営む零細自営業者を大量に生み出していた。他の業種と比較した場合の小売業の参入障壁の低さがこのような零細小売業の増加の原因であった。この専門性を欠いた零細小売商の増加は彼らの事業の継続性に影響を与えた。つまり、多くの商店は存続が難しく、都市における移住者たちの失業の問題が生じた。この問題に対して、当時先進的であった三つの制度の良いところを綜合する形で商店街の制度は形成された。

    1920 年代に進行した都市への人口の集中は、物流や消費のシステムに影響を与え、物価の乱高下や粗悪品の流通を生じさせた。このような問題は、一般市民にとっては目に見えて増加した小売商にその原因が求められた。ここから、一部の都市住民たちは協同組合を組織することで自衛策をとるようになる。これは消費者が主体となった共同主義的商業制度の確立であった。同様に物価の安定のためには行政的な介入によって物流を安定させることが必要だと考えられたため、公設市場が各地で設置されるようになる。これは、公共性を具えた消費空間の設立を目指したものであった(服部,1939)。この①協同組合、②公設市場に加えて、商店街の形成にもっとも大きな影響を与えたのは、③百貨店であった(2)。初田が指摘するように百貨店は、陳列販売方式、ショーウィンドウ、イベント会場、飲食店などを含んだ「遊覧の空間」であった(初田 , 1999)。つまり、単純な商売の場所を越えた娯楽性を具えた商業空間であった。これら三つの先行する商業制度と都市の零細小売業者は対抗関係にあった。都市における商業の質の低下と彼らの失業問題への対策として、商店街はこれら公共性(公設市場)、共同性(協同組合)、娯楽性(百貨店)の三つの要素を兼ね備えた空間として計画された。

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    この計画の意図は貧しかった都市零細小売商たちを安定的な中間層へと変容させることにあった。

    b.近代家族を基盤とした店舗と家族の集積としての地域性商店街は組織的には近代化の結果成立したが、その構成員たちも近代的性質を

    具えていた。すなわち近代家族成員を商店の担い手として想定していた。これは前近代的な商家の「イエ」の発想とは異なる。中野卓によれば、近世の商家にとってもっとも重視されるのは家業の継承である。経営体が危機に陥った際には家族成員外の構成員たちが経営を継承することは珍しいことではなかった(中野,1978)。これに対して近代になってから形成された小売商は近代家族を母体としていた。この近代家族の性質にはいくつかの特徴があるが、「社交」の衰退や非親族の排除などの特徴(落合,1989)は、各構成店舗の事業の継続性に大きな制約をもたらした(3)。

    一方、この家族を基盤とした経営は商店街という商業空間を完全に商業化させることを阻んだ。商店街の従業員たちは地域に居住している一家族として、単なる商業関係を越えた連帯感を顧客ならびに同じ構成員に対してそなえている。ここから商店街が地域の治安維持に対して機能されている期待(声かけ運動など)がある。また、東日本大震災以後の復興過程において、はまゆり飲食店街(岩手県釜石市)、石巻まちなか復興マルシェ(宮城県石巻市)、おおふなと夢商店街(岩手県大船渡市)などの商店街を中心とした生活の再建が、郊外商業地域と比較していち早く軌道に乗ったことなども例として挙げることができる。このような事例では家族を基盤にしていることによって、地域社会の再生産の担い手としての側面を商店街が持っていることが分かる。

    c.「街」として機能できる商業集積商店街はこれまで盛んにまちづくりと関連づけられて論じられてきた。例えば

    石原武政は商店街に代表されるような地域の日常生活と向き合ってきた小売業を「コミュニティ型小売業」と名付けた。石原はこれまで商業論が「商業を生産と消費の間に存在する懸隔の効率的架橋を本質的機能」とみなし、「地域社会への貢献を小売業の機能として評価する視点は、ほとんど抜け落ちてしまっていた」ことを指摘する(石原,1997:38-39)。この点で商店街は単なる買い物空間ではな

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    く、商人は商品の売り手であると同時にコミュニティの一員であった。同様に福田敦は商店街に代表される小売業が街に活力と界隈性のある空間をもたらすことを指摘する(福田,2008)。このような点で商店街は地域の人々の日常的な買い物を支えるだけでなく、人々の交流を媒介する場所として機能してきた。商店街は売り上げや来場者数だけで計ることのできない機能を持ち、イベントやお祭り通して地域社会を支える機能を担ってきたと考えられる。

    d.居住性・空間に住まうことから生じる土地という共有材による共同性商店街は土地及び場所という共有財から生じる共同性をそなえたものとして議

    論されてきた。この点は、b. 項であげた事例のように商店街が外からやってくるボランティアと地域社会との窓口として機能していることからも理解できる。伊藤正憲によると自営業者は仕事の場所と暮らしの場所が同じになりがちである点が重要で、商店主たちは、住んでいるからこそ治安の悪化や居住環境の悪化をもたらす要素に対して頑強に抵抗することができる(伊藤、2004)。また新は東日本大震災で震災4ヶ月のうちに石巻市の商店街が復興したことと多賀城市のバイパスエリアでの復興の遅れについて次のように指摘している。

     おそらく多賀城市のバイパス地区の復興は、ボランティアではなく、イオンやマクドナルドの企業従業員の力のみに頼らざるを得ないのだろう。  それに比べると、石巻の商店街には、外部の人を引き寄せる余地がある。商店街はたんなる商業集積地区ではない。津波の後も、商店街に住み続ける人たちがいて、家が流されてもそこに戻ろうとする人たちがいて、商売の再開を願っている人たちがいる。

    (新,2012,8―9頁)このように商店街は構成員と顧客が同じ地域という空間で日常的に生活するこ

    とによって利害を共有する。またその事実から生じる感情によって、公と私の分離が曖昧である情緒的関係性が生じていると見なされてきた。

    商店街に対する批判的言説は、この商業空間としての非純粋性に集中する。まず、商店街は地域の小売業の保護という側面を持っていたので、出店許可や免許の付与の管理によって外部からの業者の参入を防ぎ続けた。また小売店は家族経営が前提であったので、免許などの権益は親族間で継承された。この結果、商店

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    街は保守化し、イノベーションを妨げられることになる(4)。次に多様性との接触についても、そもそも地元の小売店がセキュリティチェックなしに他者を受け入れるのはそこには見知った客しか来ないからということが言える。つまり、ある範囲の空間に居住しており、関係の蓄積があり、また地域についての利害を共有しているので、他者を迎え入れることのできる空間である。

    Ⅱ . 小結

    このような言説から第三空間としての商店街が託されていた理想型は次のようなものであると考えることができる。商店街は都市に外から流入してきた人々を組織化し、彼らよそ者が移動先で安定的な生活を営ませることを目指していた。移住してきた人々はそこに定着し、家族を形成し、次世代にわたってその地域社会の中で生活することが目指されていた(5)。これは他者に特定の生活領域を与えることで相互作用を活発化し、同時に外の領域への異質性の流出を封じ込める意図があると思われる(6)。他者との接触領域を限定することで、他者との接触を段階的に行う。隣接した領域で生活する中で他者と関係を形成し、安定的で活発な(多様な)地域を構成しようとした。つまり商店街型の第三空間はいったん他者を受け入れる領域を用意し、生活空間を共有する中で段階的に他者との関係性を蓄積する設計になっている。ここでは他者を受け入れ、日常生活における相互作用を通じて、他者を統合する地域社会の構成が目指されており、商業空間は地域社会と他者を架橋する機能を託されていたと考えられる。

    4.均一に遍在する中途半端な商業空間:ショッピングモールⅠ . ショッピングモールの特徴

    次にショッピングモール(以下 SM と略記)についての特徴を考える。ここでもまずは SM の定義を先に明確にしておきたい。財団法人日本ショッピングセンター協会はショッピングセンターを次のように定義している。

    ショッピングセンターとは、一つの単位として計画、開発、所有、管理運営される商業・サービス施設の集合体で、駐車場を備えるものをいう。その立地、規模、構成に応じて、選択の多様性、利便性、快適性、娯楽性等を提供するなど、生活者ニーズに応えるコミュニティ施設として都市機能の一翼を担うものである(7)。

    (日本ショッピングセンター協会 HP(8))同協会によれば 2015 年末の段階でこ

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    のような施設は 3,195 施設あるとされる。しかし、このような定義は私たちが感覚的にショッピングセンターや SM と見なしていないものも含まれている。今回特に議論したいカテゴリーとしての SM はこの中でもモール型ショッピングセンターと呼ばれる物であり、2000 年に施行された「大規模小売店舗立地法」以降に特に郊外で増加した大型(床面積5万平方メートル以上)商業施設を指す。

    では、以下では特にこのような SM の特徴を記述していきたい。

    a.均一な多様性SM は概してその均一性を指摘される。例えば「マクドナルド化」で有名な

    G. リッツァーはアメリカにおいて小売店が提供している商品とサービスが均一化していることを指摘している。確かにニューヨークであってもサンフランシスコであっても GAP で売られている衣料はよく似ている。そして大切なことは、これは消費者が多様な商品を購入できないということを意味しているのではなく、基本的に同じ豊富さが社会中に行き渡っていることを意味している(Ritzer, 2005)。

    商品だけでなくショッピングセンターをめぐる経験も均質性を備えている。多くのショッピングセンターの構成は、核店舗としてスーパーマーケットを持ち、シネコン、エステサロン、ゲームセンター、フードコートなどが含まれることが多い。そのようなよく似た店舗が三層ガレリア式や両端の核店舗をモールで結ぶダンベル型の構造で展開される。若林幹夫は SM が客観的に重複した部分を持つだけでなく、類似したテナントやブランドが似たような空間に配置されることで、SM が多様な商品やサービスを提供しながら相互によく似た場所、私たちの多くにとって”すでに知っている”感覚をもたらす場所となっていることを指摘している(若林,2013:200-201)。またこのような感覚を裏付けるように、SM の計画および開発にはフォーマットが用意されている。SM は敷地の面積や立地、延べ床面積や建設総工費予算などの条件を変数とし、それを各ディベロパーの持つデータベースに適応することで半自動的に計画・開発させられる(南後,2013)。言い換えるなら SM はスペックに基づく量的な種類の違いこそあれ、原則的に同じフォーマットに則って形成されている(9)。つまり、それは単一の容器のなかでの資本の柔軟な蓄積によって多様性が確保されている。この点で SM は均一な多様性という特徴を持つ。

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    b.開かれた閉じた空間SM の外観は無地の大きな壁面にテ

    ナントの巨大看板が貼り付けられていることが特徴である。内部空間のモールの両側にテナントが並ぶため外側に窓が設けられることは少ない。パコ・アンダーヒルは SM のこうした外見をSM には自分が店舗だという自覚がないからであると述べている(Underhill, 2004)。つまり、外側からは遮断され内側に閉じた構造になっている。SM の規模が拡大するほど内部の空間は自立する。例えばレム・コールハースは内部の建築と外部の建築のプロジェクトの 断 絶 を 指 摘 し て い る(Koolhaas, 2011)。つまり、空間としてみた場合、SM は内部完結性が高くその意味世界においても、統一のテーマ化がなされている。この断絶のもっとも典型的な事例はディズニーリゾートである。この内部の完結性の高さは外部との遮断によって構成されており、その意味 SM は極めて閉じた空間である。

    しかし、一方でこの SM は、「ここではないどこか」へと繋がることができる場所でもある。例えば、若林幹夫は角田光代の小説『空中庭園』の中での一節を用いて次のように述べる。ショッピングセンターのある郊外の街に住む若者にとって、

       ディスカバリーセンターは、この町のトウキョウであり、この町のディズニーランドであり、この町の飛行場であり、外国であり、厚生施設であり、職業安定所である。

    (角田,2002,31 頁)

    図2 SM外観(三井アウトレットパーク入間)   出所:街画ガイド

    図3 SM内装例(新宿ルミネ)

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    若林はこの一文を次のように解釈する。この郊外のショッピングセンターがトウキョウであるのは、東京で享受しうるような消費生活や、東京のファッションビルに入っているような店舗やブランドを消費可能な場であるからだ。このショッピングセンターは東京の繁華街のダイジェスト版のサンプルである。事実この SM には銀座や新宿や渋谷などの都心のデパートやファッションビルに出店している店舗―スターバックス、ユニクロ、紀伊國屋書店など―が入っている。この意味で周辺の地域から閉じた「均一な多様性」は、この町を越える東京や世界と繋がっているという点では巨大な開かれた空間である。つまりショッピングセンターは、地域のレベルでは閉じられており、グローバルなレベルでは開放的な空間である。

    c.「地方 / 都市」「日常 / 非日常」の中間としての SM(半日常性)ここまでは、SM の特徴を地域との対比で考えてきた。ここでは、都市的な空

    間との対比において考えたい。J. ボードリヤールは『消費社会の神話と構造』の中で、百貨店と SM の違いを次のように述べる。百貨店は現代的消費財を売る場所であり、目的を持って歩き回ることができる空間である。それに対してモールは多様な消費活動の綜合を実現する空間である(Baudrillard,1998)。確認しなければならないことは、Alan Bryman が述べるような(10)「テーマ化(Theming)」の完全な進行は SM においては難しいということである。これは SM が「店舗を入れるための店舗」であり、開発主体であるディベロッパーは不動産業に近い役割を果たしている事と関係している。結果として、メタ店舗としての SM では個々の店舗に対する管理は百貨店やテーマパークのそれと比較して散漫なものになりやすい。また入居するテナントはチェーンストアやフランチャイズの店舗である可能性が高い。このような店舗が提供するものは b. で述べたように、そこでなくては買えない商品ではなく、そこでも買える商品を中心とした構成になりがちである。

    こうした不完全なテーマ化の傾向は百貨店や博覧会などに代表される啓蒙の視線から見れば、物足りなく感じられる可能性がある。このような啓蒙の空間ではそれぞれが採用する文化的な価値体系に則ってより「高級な文化」を提示する。SM はこの意味では徹底を欠いた中途半端な空間である。しかし、一方で完全にテーマ化された空間がそれ以外の価値体系を排除する(ディズニーランドにマク

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    ドナルドは出店しない)のに対して、他方 SM はその曖昧さゆえにゆるやかに多様な価値体系を包摂する。東浩紀はこのゆるやかな包摂する空間を「中途半端さ」ゆえに評価する。

     設計された町というのだったらディズニーランドがある。他方設計がないというのだったら秋葉原の方が断然面白いということですね。…(中略)…しかしそういう一見ラジカルな言説の枠組みでこそ見逃されるものがある。それがある種の「中途半端」なもので、ショッピングモールはまさにそのようなものだと思うんです。

    (東ほか,2011,85-86 頁)

    東は SM を語るということは「中途半端さ」をどのように評価するかであると述べ以下のように述べる。

     設計者もいるけどユーザーもいて、その妥協点でなんとなくできてしまうもの。それを独自のものとして見るか、それともぬるいものと切り捨てるか。

    (東ほか,2011,88 頁)

    このように SM は地域から切り離された空間を志向しながら、演出された空間として完成することもできない。スーパーマーケットのように日常の空間ではなく、百貨店のように非日常の空間でもない半日常の空間であるといえる。

    SM に対する批判は特にジェントリフィケーションやグローバリゼーションに関連して行われることが多い(例えば三浦、Ritzer)。この立場の論者は特に SMが周辺地域の個別性を破壊している点を問題視する。SM という第三空間は、車でないと来ることができないという排除を前提に成立している。居住の空間とは切り離された立地ゆえに交通手段を私有していることが入場の条件となる。したがって、そこではホームレスなどの貧困者と出会う可能性は存在しない。またその巨大さが高齢者などの体力面で困難を抱える人間に対して不利に働く可能性もある(森本,2005)。

    しかし、それでもこの商業空間は、例えば地元の商店街などと比較して、もっとも多様な人を許容しうる空間である。人間工学的に正しいユニバーサルデザイ

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    ンは、障害者や子供連れ、外国人などをもっとも広く許容する(消費能力を持つ限りにおいて)。しかし、この空間に展開する多様性は、SM が展開している場所に蓄積された文化や歴史と関係を持たないことが多い(11)。むしろ、自らの居住とは離れた、メディアによる媒介によって知っている場所に対する連続性へとこの空間は繋がっている(12)。

    Ⅱ.小結

    このような言説から見られる第三空間としての SM に託された他者との関係のあり方の理想型は次のようなものである。人間工学的に正しい普遍的な設計は、あらゆる独自性を持たない、他者を排斥する可能性が最も低い空間である。この空間は特定の居住や生活と分離しているからこそもっとも多くの他者と共に参加できる空間である。この空間においては、今、近接している他者だけでなく、同じメディアに触れ、同じ知識を持ち、同じ体験をする他者との共在が目指されている。「ここではないどこか」へと繋がる空間として参与者全員が他者化されることで、参与する人がもともと具えていた文化や宗教、階層などに関わりなく誰もが平等に接触し相互作用を行う空間が目指されていると考えられる。

    結論:第三空間から失われたものは何か?Ⅰ . 両者の比較

    二つの商業空間の言説の類型を導き出した。ここからはこの二つの類型を比較する。

    この両者の共通点としては、どちらの空間も曖昧さによって多様性を包摂していることである。商店街は公と私の境界が曖昧であることによってそのどちらでも無いものを受け入れる余地がある。SM ではユニバーサルデザインとテーマ化の不徹底による中途半端さが多様な消費活動を綜合する場所としての機能を果たしている。

    両者の差異については次の通りである。まず両者では決定的に空間的近接の意味が異なる。商店街においてはある特定の範囲内での居住が大きな意味を持っている。この空間は、居住したことに付随する近接した空間での生活を通じて段階的に他者を受け入れる。この段階的接触により他者と住民は相互に影響を与え合い、他者性は地域の内部に包摂される。このような他者を統合するための第三空

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    間が目指されている。ただし、地域への包摂は良い側面ばかりではない。相互に影響を与え合う中で他者が移動してくる前に備えていた独自性は変質していくであろうし、地域の「伝統」自体もなんらかの影響を受けていくだろう。特に移住者と受け入れ先の地域との関係を勘案すると、この地域への包摂は実質的には地域への同化を意味する可能性がある(13)。これに対して SM では空間的な近接はあまり意味を持たず、均質化や画一化によって空間的に遍在していることが大きな意味を持っている。近接していない他者との繋がりは、共通の情報に触れること及び共通の経験を共有することによって構成される。つまりここでは、人々の社交が社会化された空間の上で行われていたものから、メディアによって抽象化された空間の上で行われるものへと変化している。SM は誰も居住しない場所であり(14)、すべての人が他者としてのみ相互作用できる空間である。SM 型の第三空間では、商店街型と違って統合や包摂の宛先になる具体的な共同体は存在しない。

    Ⅱ . 商業空間の変遷から考察する他者との接触および共在の変化

    「伝統的」商店街が 20 世紀に入ってからの都市化の対応策として発達してきたことはすでに確認した。つまり、SM と商店街は近代日本の都市秩序をいかに形成するかに対する2つの方法を示している。移住者たちの流入の中で、ある一定の領域内における居住を基準として、場所や土地を共有していることを基盤に、商店街という第三空間は構成された。つまり、商店街は他者に対して、空間における共在によって、地域を再領域化することで対処しようとした。つまり、生活を通じた再領域化による他者との関係性の構築がこの空間の特徴である。

    これに対して SM の都市化への対応は、どこにでもありそうなものを集積することで環境間の落差をできるだけ小さくすることである。ユニーバーサルなデザインは個別性との繋がりを断っているがゆえに、もっとも他者を寛容に受け入れる可能性を持つ。この第三空間での関係は非拘束的で匿名性が高く、一時的である。したがってこの空間は参入離脱が容易で、他の場所ではありえない人々を同じ場所で同じ活動に参加することを可能にする(15)。また同時に SM 型の第三空間は非共在の抽象的他者へのメディアを媒介にした繋がりを確認する場として機能している。そこでは人々はメディアの媒介によって世界中に繋がるネットワークの中に位置づけられる感覚によって他者との関係性を構築している。つまり

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    SM は没場所的安心感によって他者性の問題に対処する。では実際に日本において商業空間が商店街から SM へという変遷していること

    が何を意味するのか。つまり第三空間が商店街型から SM 型に変化してきたことが何を意味するのか。この変化において失われたものは何だろうか。本稿のこれまでの議論から考えると、商店街に対するノスタルジー言説において表明されるほどに SM 型における他者の受け入れの開放性が損なわれているようには考えられない。むしろ一時点での他者への開放性という点では SM 型の方がより多様な人々を受容しうる空間であるといえるだろう。ただし SM 型の空間の自由さは居住と切り離されていることから生じている。この空間での社交は一時的な接触と共在を可能にするものの、商業空間以外での参与者の生活の仕方、これを文化と呼んでもいいだろう、に影響を与えることはない。つまり第三空間としての商業空間から失われたものは、他者との接触が及ぼす文化への影響である。つまり、商業空間における社交は商業空間内部に閉じ込められており、商店街型にあったような生活の中に他者を受け入れる要素を喪失している、といえるだろう。商業空間の変遷の結果、商業空間は地域社会と他者を架橋する機能を失い「非生活化」している。同時にこの地域と商業の分離は共同体が他者を受け入れる機能を停止し、自閉化しつつあるとも言えるのかもしれない。

    最後に本稿の限定性と今後の課題について述べる。本稿はその主要な資料を日本における商業空間研究によっている。彼ら研究者達の成果がどれほど使用者達の実感について理解できているかは今後の研究の蓄積によって明らかにされなければならない。また本稿の議論の結果生じる問題意識として、次の事が考えられる。「ここではないどこかへ」と連続性を形成する SM 型の空間は特定の場所への執着を持たない。より有利な機会が存在すればどこへでも移動していく可能性が高い。その点で SM 型の他者との関係のあり方が社会関係の中心になっていく場合にはその社会の持続可能性について懸念がある。この点について簡単な具体例を挙げる。商店街ではそこで出会った見知らぬ人々が関係性を発展させ、そこで家庭を形成することはありえそうである。しかし、SM では創発的な関係の発生の可能性は低いであろう。であるとすれば、SM 型が商店街型を駆逐していく時、他者と関係を深めていく契機はどこからおとずれるのだろうか。おそらく今後 SM 型を通しての社会関係の発生の可能性について問わなければならない。

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    大学経営学会角田光代 2002 空中庭園 文藝春秋北田暁大 2004 「引用学:リファーする/されることの社会学」『ユリイカ』2004

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    例として」 『人間社会学研究集録』1, pp.149-170. 大阪府立大学中野卓 1978-1981 『商家同族団の研究 : 暖簾をめぐる家と家連合の研究』(上下)

    未來社南後由和 2013 「建築空間 / 情報空間としてのショッピングモール」若林幹夫編『モール化する都市と社会 : 巨大商業施設論』 NTT 出版

    中内功 1969 『わが安売り哲学』 日本経済新聞社ジンメル , Georg. 1999a 川村二郎編訳 『ジンメル・エッセイ集』 平凡社――――1999b 居安正訳 『貨幣の哲学』白水社与謝野 有紀・橋本 理 2009 「商店街のダイナミック・メンテナンス : 協力性と社

    会的凝集性」『関西大学社会学部紀要』40(02), pp.129-160.若林幹夫 2013 「多様性・均質性・巨大性・透過性 : ショッピングセンターという

    場所と、それが生み出す空間」 若林幹夫編『モール化する都市と社会 : 巨大商業施設論』 NTT 出版

    註(1) 例えば京都にある寺町京極商店街は現在の通りの原型として平安時代の「東

    京極大路」があったことに触れている。この主張の真偽は問題ではなく、現在の観点から見れば「商店街」とみなせるものが同じ場所にあり、当事者たちにはなんらかの形で現在に繋がっていると考えられていることが重要である

    ( http://www.kyoto-teramachi.or.jp/history/index.html, last access 2016/12/30)。

    (2) 例えば以下のような新聞記事がある「この協議の具体案とされているのは府令あるいは商工省令によって強制的に各小売業者の各町単位の商業組合を組織せしめ各町を一体とする設備を施して営業上の統制を行い全く生れ

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    変った近代的な「横の百貨店」としそれそれブロックを形成して共同の施設を進め、統一ある強力な連合販戦を展開し」(『大阪朝日新聞』,「小売商を総動員し築く“横の百貨店”」1934.1.29)

    (3) この事業の継続性の困難さは、日本においては「跡継ぎ問題」として知られている。家族成員で後継者を見つけ出せない場合、営業自体を止めてしまう事は少なくない。この点で、新は商店街店舗が家族という限られた範囲内でしか事業を展開していないことの問題を指摘している(新、2012、30 頁)

    (4) この零細小売業に対する批判の詳細については、林周二による「流通革命論」(林、1962)および中内功の議論(中内、1969(2007))を参照

    (5) 現在でもこの機能は働いており、例えば震災などの事例から外から流入する人々を一旦引き受け整理する機能を果たしていることが分かる。

    (6) 多文化都市における共生とゾーンニングの関係については、次を参照。五十嵐泰正,2012,「多文化都市におけるセキュリティとコミュニティ形成」社会学評論 62(4), 521-535

    (7) ショッピングセンター取扱基準として、1.小売業の店舗面積は、1,500㎡ 以上であること。2.キーテナントを除くテナントが 10 店舗以上含まれていること。3.キーテナントがある場合、その面積がショッピングセンター面積の 80%程度を超えないこと。4.但し、その他テナントのうち小売業の店舗面積が 1,500㎡以上である場合には、この限りではない。5.テナント会(商店会)等があり、広告宣伝、共同催事等の共同活動を行っていることなどの条件が挙げられている。

    (8)http://www.jcsc.or.jp/sc_data/data/definition last access 2016/12/30 (9) 南後由和はこの点を「ショッピングモールはコピー&ペーストで増殖して

    いる」というように表現した。また別の箇所ではショッピングモールを「インスタントシティ」という概念で描写している(南後、2013)

    (10) 彼は現代社会の消費に、ディズニー・テーマパークの要素が顕著に見られることを指して、「ディズニー化(Disneyzation)」と呼んだ。

    (11) 一方で、ディズニーランドのように、シミュラークルを用いることでノスタルジーに包まれた空間を再構成するという方法もありえる。今日もっとも考えばならないことは、このようなシミュラークルをどのように評価す

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    るのかということであるだろう。(12) 自らの居住と連続性を持たない場所への欲望が生じるのは、その場所につ

    いてマスメディアを通じて知ることができるからである。(13) この商店街の地域への同化志向の裏返しとして、商店街のような空間では

    隣接する地域共同体の性質とそぐわない、同化できない他者に対しては排斥運動が起こりえる。

    (14) だからこそ『ドーン・オブ・ザ・デッド』などのゾンビ映画などで世界の終末を描く際に SM で生活する人々の姿が描かれやすい。

    (15)もちろんこの裏側では環境管理型の権力が見えない形で作動している。

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