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地下水脈 Transparent Things - plala.or.jpる,AlexandrPushkin( 1799―1837)のKamennïy...

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Transparent Things Transparent Things 1972, TT Vladimir Nabokov 1899 1977 Johnson 1995, 725 Brian Boyd “Hullo, person! Doesn’t hear me” 1 Boyd 2005, 40 Hugh Person TT
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物語の地下水脈―Transparent Things1)

中 田 晶 子

Transparent Things(1972, TT)は,TT)は,TT Vladimir Nabokov (1899―1977) の作品

の中で後期に書かれた奇妙な中篇小説といった位置を占めており,一部の

熱心な読者を除いては,研究者の間でもあまり人気のある作品ではない。

一方,研究対象としてはなかなかに興味深い作品であるらしく,小説の長

さを超える分量の論が書かれたと言われて久しい(Johnson 1995, 725)。短

いとはいえ,相当に「難解」な作品であるため,論文にとりあげる主題に

はことかかない。これまでの批評について概観してみると,作品の中に現

れるモチーフやパターンを中心に分析したもの2), 死と芸術の問題を中心

に考えたもの3),ナボコフ世界特有のゴーストの存在(生者をあやつる死

者)を扱ったもの4), 語り手の分析5),作中の文学作品や作家の分析6)など

に大別することができる。この小説の「大通り」,あるいは「表舞台」には,

すでに相当な光があてられてきたと言えよう。もちろんそれらの諸問題は

どれも重要でこの小説を語る場合には避けて通れない問題であり,これか

らも論じて行く必要のある事柄である。

Brian Boydは,この小説の語り手の問題を少々違った角度から論じてい

る。複数の物語が同時に語られていることをこの小説の魅力とし,ナボ

コフの語りの巧みさの例にあげている。たとえば,“Hullo, person! Doesn’t

hear me”(1) の冒頭部分がすでに「物語の奥にある物語」であり,そこに

提示された語り手に関する謎をとくと,生きていた時には小説の登場人物

の一人であったことがわかる,というのである(Boyd 2005, 40)。確かに

小説が始まると同時に大きな謎,小説の前景となる主人公 Hugh Personの

物語の奥にある別の物語―この小説世界を時空を超えて見聞きし,語る死

者たちの存在-が提示されるという個性的な始まりになっている。このよ

うな語りは確かに TT独特のものであり,この作品の魅力でもあると同時

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に重要なテーマのひとつにもなっている。

しかし同時進行で語られるこの別の物語にしてもやはり表舞台の物語と

言えるのではないか。私が追跡してみたいのは,そのさらに奥まった場所

でひそかに存在する物語群である。いわば舞台裏,あるいは地下で進行す

る物語であるが,それらがこの小説の際立った特徴を作り上げていると考

えるからである。小説の表面には断片として時おり姿を見せるだけである

それらの群小物語をたどることが,小論の目的である。

石の話

この小説には,Empedoclesの四大元素に倣うかのように,地・風・火・

水のイメージがくり返し現れる。ヒューの死の原因となった現実の火事や

父親の死の原因となったイメージ上の火,死者からのメッセージを運ぶ水

や風に関してはすでに相当の指摘がなされている。ここでは地の要素につ

いて考えたい。四大元素の中で最も地味に見える地は,この小説の中でも

目立たない存在であるが,諸所で重要な意味を担っている。

地(土)のヴァリエーションはまことに幅広い。その中で質量ともに

重要な役割を果たしているのは,スイスのアルプスであろう。ヒューは

Armandeへの恋心から,運動能力に長けた彼女やそのボーイフレンドたち

と共に登山を試み,何度も落伍した後ついに目的地まで同行し,さらには

彼女の心をとらえることにも成功する。アスリートたちにとっては,スキー

に備えての軽い準備運動,小一時間のウオーミングアップであるが,ヒュー

にとっては,おとぎ話の竜を倒して囚われの身であった王女を救い出す行

為にも等しい大冒険なのである。 “A fairy-tale element seemed to imbue with

its Gothic rose water all attempts to scale the battlements of her Dragon. Next

week he made it and thereafter established himself as less of a nuisance” (51).

ヒューが挑戦に成功したその日に,アルマンドはヒューとの婚約を決める

ことになる。この登山は,8年後にヒューの過去再訪でも再体験される重

要な部分である。ここには「重力への挑戦」の主題(そのひとつの変奏と

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して引力をあざむく素晴らしい技「バウンドしない魔球」が 16章に登場

する)と,その主題と裏表の関係にある「落下の主題」の両方が含まれて

いる。落下の主題は,父親やアルマンドの死にまつわるものとしても現れ

るー両者とも落下そのものが死の原因ではないが,父親は「あたかも高い

ところから落ちた人のように床に倒れる前に」死に,アルマンドはベッド

から床に落ちて死んでいる様子が「まるで空を飛んでいるかのように」見

える7)。「雪崩」のイメージもヴェネツィア式ブラインドや死にかけてい

る作家Mr. Rの肉体の裏側にあって脅しをかけてくる痛みとなってくり返

し現れる。

小説の語り手が「初心者」(生者である読者ならびに死後まもない人々

を指すらしい)に薦めるのが,「表面を滑る」ことである。語り手ら「上

級者」は,時空を自由に縦横断して,ヒューを初めとした登場人物の内面

や過去,そして時には未来すらも透視することができるのだが,初心者に

は現実の表面に張られている薄膜を破らないよう戒めるのである。

A thin veneer of immediate reality is spread over natural and artifi cial matter, and whoever wishes to remain in the now, with the now, on the now, should please not break its tension fi lm. Otherwise the inexperienced miracle-worker will fi nd him-self no longer walking on water but descending upright among staring fi sh(1―2).

落下とは表面を滑ることに失敗した結果に他ならず,禁を冒した行為の結

末である。

山と重力の主題のヴァリエーションとして,石が存在する。石は地(土)

の下位区分と考えることができようが,石の主題は登山の主題とも絡んで

また別の役割を果たしている。父親の悪夢に出てくる「大きな塊」を越え

ていかなければならないというイメージは,夜ごとのヒューの悪夢にも受

け継がれ,死んだ父からヒューへの隠れたメッセージのひとつとなり,こ

の小説における父と子のテーマを形成している8)。

. . . and he[his father]grunted and sighed in his sleep, dreaming of large un-

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wieldy blocks of blackness, which had to be sorted out and removed from one’s path or over which one had to clamber in agonizing attitudes of debility and de-spair (10).

In another no less ominous nocturnal experience, he [Hugh]would fi nd himself trying to stop or divert a trickle of grain or fi ne gravel from a rift in the texture of space and being hampered in every conceivable respect by cobwebby, splintery, fl amentary elements, confused heaps and hollows, brittle debris, collapsing colos-suses. He was fi nally blocked by masses of rubbish, and that suses. He was fi nally blocked by masses of rubbish, and that suses. He was fi nally blocked by masses of rubbish, and was death(60).

ヒューの夢の中で倒れてくる巨像については,Don Juan伝説の戯曲化であ

る,Alexandr Pushkin (1799―1837)の Kamennïy gost’(『石の客』 完成 1830)

からの引用と考えるのが順当であろう。この伝説にもとづいた作品は多数

あるが,ナボコフのプーシキンへの敬慕の深さからもこの戯曲が当然第一

番に出てくるはずである9)。 Mozartの歌劇 Don Giovanni (初演 1787)の末

尾近くの台詞をエピグラムに掲げていることからも明らかであるが,1825

年にモスクワで上演され人気を博したこの歌劇に触発されてプーシキン

はこの戯曲を書いている。『石の客』の最後の場面は,Lorenzo da Ponte

(1749―1838) による『ドン・ジョヴァンニ』台本の結末をほぼ踏襲してお

り,招待を受けた石像が現れ,握手の手を離さずに騎士の上に倒れこみ,

騎士を地獄に落とすというものである10)。 Lord Byron (1788―1824) の名前

が TT 9章に登場するため,その長詩 Don Juan (1819―24) を思い浮かべる

読者が多いと思われるが,バイロンの未完の詩篇には主人公を滅ぼす石像

が現れない。フランス古典喜劇の名作といわれるMolière (1622―1673)の

Don Juan (初演 1665)では,主人公の騎士は見えない火に焼かれ,雷に打

たれ,裂けた大地に飲まれる。雷は父親の死を,業火で焼かれるところは,

火事で命を落とすヒューの最期を思わせるが,倒れかかる石像のイメージ

がない分,プーシキンの戯曲のほうが近いと思われる。

巨像と死のテーマは,アルマンドに関しても現れる。アルマンドが死ぬ

ことになる夜,いつものようにアパートの上階から聞こえてくる騒音に悩

まされて,彼女は不満を口にする。上の部屋には彫刻家が住んでおり,そ

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の作品である巨大な石像を動かしているのである。

ヒューの悪夢の中では,空間の裂け目からこぼれ落ちてくる土塊を止め

ようとして果たさず,最期には瓦礫の山に行く手をはばまれ,それが「死」

であると悟ることになる。ここには父親の夢とのつながりの他に,「塵は

塵に」(24章)という「死者の祈り」からの引用への連想も含まれる。単

に塵から作られた人間が死後塵にもどる,というだけではなく,24章の

語り手は,「死者は混じり合うのがうまい,それだけは確かだ」という謎

めいた言葉も吐いている。死者の肉体が塵や土塊となって地下で混じり合

うという現象にとどまらず,死者たちが死後の世界で一種のコミュニティ

を形成しているらしいこと,そこで生者の動向について話し合っているら

しいこと,さらには後述する多くの物語がこの作品世界に共存しているこ

とまでもが示唆されている。

1章で,小石の物語に「深入り」しないように,と初心者は忠告される。

Man-made objects, or natural ones, inert in themselves but much used by careless life(you are thinking, and quite rightly so, of a hillside stone over which a mul-titude of small animals have scurried in the course of incalculable seasons)are particularly diffi cult to keep in surface focus: novices fall through the surface, um-ming happily to themselves, and soon reveling with childish abandon in the story of this stone, of that heath. I shall explain(1―2).

表面を踏み破って失敗した初心者である先の行者の姿に,キリストの御

業に疑いを抱いたために波の上を歩いていて溺れかかった聖ペテロのエピ

ソードを重ねて見ることも可能かもしれない11)。

During the fourth watch of the night Jesus went out to them, walking on the lake. When the disciples saw him walking on the lake, they were terrifi ed. “It’s a ghost,” they said, and cried out in fear. But Jesus immediately said to them: “Take courage! It is I. Don’t be afraid.” “Lord, if it’s you,” Peter replied, “tell me to come to you on the water.” “Come,” he said. Then Peter got down out of the boat, walked on the water and came toward Jesus. But when he saw the wind, he was afraid and, beginning to sink, cried out, “Lord, save me!” Immediately Jesus reached out his hand and

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caught him. “You of little faith,” he said, “why did you doubt?”(Matthew 14: 22―31)

聖ペテロへのアリュージョンがこの行者の姿に隠されているのだとする

と,その理由のひとつは,聖ペテロが名前の語源をギリシャ語の petros「石」

に持つ聖人であるためと推察される。

10章でヒューが R氏に向かって言う「パースンはピータースンから派

生したもの」という奇妙な発言も石の主題につながるものと考えられる。

Personの語源は,普通に考えればギリシア語の personaであり Petersonと

は無関係と思われるが,実際にはありそうにないこの姓の虚構の源として

peter-son「石の息子」あるいは「石と息子」の主題を示しているとも考え

られる。ナボコフ作品の常としてこの小説でも Freud派の精神分析を茶化

しているが,その実フロイト流に解釈された夢のように,言語が自在に作

り出すイメージが現実と同じレベルかそれ以上の存在感を持っているので

ある。

石の上の薄膜を眺めていれば安全であろうが,「真実」を見ることはで

きない。しかし石の物語に深入りしても真実に到達できないことがやが

てわかる。1章の比喩に登場する丘の中腹にある何の変哲もない石はそ

のまま放っておかれるが,読者は 17章に至って,山腹の石を再び比喩の

中で目にすることになる。愛する人の心を動かす言葉の隠し場所を山腹

に隠された花崗岩の中心部に見るのである。“What powerful words, what

weapons, are stored up in the mountains, at suitable spots, in special caches of the

granite heart, behind painted surfaces of steel made to resemble the mottling of

the adjacent rocks!” (62). ここでは鋼鉄が石に似せた偽装をしている。石は

確固とした現実を代表するようなものに見えて,これとても見た目どおり

の存在ではない。同類の岩を 16章の夢で見ることになる。「雪崩の悪夢」

に出てくる灰色の丸い岩で「凄岩」と呼ばれているが,それは表面がにや

にや笑っているように見え,黒い目玉までついているためとされる。おそ

らくこの同じ岩が現実世界に現れる。「黒い苔と薄緑の地衣植物で斑になっ

た丸いおでこをした灰色の岩」を,現実世界でヴィット再訪のハイキン

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グで道に迷ったヒューは見る(23章)。過去に辿った道筋は,一部は現実

に,一部はヒューの記憶の中で変わってしまっており,彼が望んだように

8年前と同じ道をたどってケーブルカーまでたどりつくことはできない。

ヒューの夢の中からやってきた「凄岩」の仲間らしいこれらの石は,おと

なしくその場面に並んでいるだけであるが,その存在自体が怪しいのであ

る。

ハンニバル

石のテーマと重なりながら,Hannibal (247―183 B.C.) のテーマが存在

する。しかしそのことに読者が気づくのは,最終章で「スピッツの小犬

は……アミルカーの後部座席で眠っている」(26章)を読んでからであろ

う。Amilcarとは,この小説の現実的なレベルにおいては,フランスのス

ポーツカーである12)。アミルカー社はこの小説の書かれた 1970年代初頭

にはもちろんのこと現在に至るも健在であるが,同社のスポーツカーが

ヨーロッパで人気を博したのは戦前であり,クラシックカーにとりたて

て興味のない英語圏の読者は,「アミルカー」という名前から車よりはむ

しろ史実を連想するのではないか。Library of America版に付された Boyd

の註にあるように,Amilcar/Amilcar/Amilcar Hamilcar Barca/Barcasハミルカル・バルカ

(270?―229/228 B.C.)は,第一次ポエニ戦争を戦ったカルタゴの将軍であり,

ハンニバルの父である人物である (815n)。文学史的に見ればこの人物は,

Gustave Flaubert (Flaubert (Flaubert 1821―80) の歴史小説 Salambo (1863) の主人公として知

られている。しかし,TTにおいてのアミルカーは,フロベールをではなく,

ハミルカルの息子ハンニバルを導入することが主な役目であるらしい。

ひとたびハンニバルに着目すると,物語の表面には出てこないものの,

石の主題に関わる隠れたテーマのひとつとしてひそかにその物語が続いて

いたことがわかる。ヒューの苦難のアルプス越えのエピソードや行く手を

はばむ大岩の夢にハンニバルのアルプス越えを重ねることができるし,父

親の悪夢に登場するアルプスの道をふさぐ大岩は,ハンニバルが大岩を焼

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き,酸をかけて砕けやすくした後,取り除いたエピソードを思わせる。そ

してヒュー自身の悪夢に登場するどこからともなく落ちてくる石や瓦礫の

山は,アルプス越えの際ハンニバル軍を待ち伏せして山頂から石や岩を落

とした山岳族の攻撃のイメージにつながる。

亡父の悪夢の中に登場した石が,ヒュー自身の悪夢となって反復される

ことには,ハミルカルから長子ハンニバルに受け継がれた父子二代にわた

るローマ打倒の目標の,滑稽なほどに過小化されたパロディと見ることも

できるかもしれない。ハンニバルは弱冠 9歳の時に父から「ローマ打倒」

をバール神に誓わされ(ハンニバルの名の意味は「バール神のお気に入り」

である),以後の人生のほとんどを天才的な戦略家である将軍として対ロー

マ戦の戦場で送ることになる。第一次ポエニ戦争に敗れた父の夢を息子が

見事に実現するのである。ヒューと父親の関係は,ハンニバルとハミルカ

ルのような理想的なものではない。生前の父をヒューは疎ましく思ってい

るし,父の死後はその霊が自分を死の世界に呼び込もうとしていると感じ

る。ハミルカル・ハンニバル父子の物語は,ハムレットと亡父の物語同様,

ヒュー父子の間には実現しなかった理想像として,物語の背景に浮かび上

がっている。

最終章で「アミルカー」からハミルカル,ハンニバルの存在が明確にな

るまでは,読者が小説の中に織り込まれていたハンニバル関連の事物を

それと意識することはないだろう。小説も終わりに近づいた時に初めて,

これまで見逃していた事物に気づくことになる。まず,2章で比喩の中に

唐突に登場する象である。「ビデ(サーカスの象でも坐った姿勢ならすっ

ぽり収まるくらい大きい)はあるが浴槽はない。」ここで “Spring in Fialta”

(1936, 1958) を思い出すナボコフ読者も多いだろう。「フィアルタの春」

にも,実際には登場しない象についての描写がある。フィアルタの街に到

着した主人公兼語り手がカフェでサーカスのポスターを眺めると,そこに

は「光輝く星で飾られた台座の上に,いいようにだまされた象たちがおと

なしく坐ってい」る。読者が感じた「フィアルタの春」へのアリュージョ

ンは,26章で裏づけられる。そこでアミルカーを運転しているのは「小

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犬をつれた奥様」であり,「フィアルタの春」はナボコフ版「小犬をつれ

た奥様」 (Anton Chekhov, “Dama s sobachoi” 1889)であるのだから。「フィ

アルタの春」では最後に,主人公兼語り手の長年にわたる愛人 Ninaを乗

せた車が郊外で巡回サーカス団のトラックに激突して彼女は死ぬことにな

る。この物語は,彼がニーナの真の姿を知らずに失ってしまう物語であり,

それは結局アルマンドの心を理解できないまま失ってしまうパースンの物

語にもつながってゆく。同時にこの象は,26章を通過した目で眺めると,

ハンニバルがアルプスを越えて連れて行った象の群れにもつながるもので

ある。読者は,ハンニバルの主題が 26章と 2章の両方でそれぞれ「フィ

アルタの春」と対になって現れていたことに気づくことになる。

ハミルカル・ハンニバルの物語は,以後断片的に現れる。先述のように

4章で父親の悪夢の中で進路を邪魔する大岩となって出てくるし,次の 5

章では雷(バルカの家名はフェニキア語で「電光」の意味)となって父親

を怯えさせて洋品店に向かわせ,試着室での死に至らせる。さらに念入り

に父親の死とシンクロナイズする形で快速列車の「雷鳴」と「稲妻」が置

かれている。

7章では,降霊術によって現れた Napoleon Bonaparte (1769―1821) の霊

が比喩として語られる。ナポレオンもハンニバルに倣ってアルプス越えを

試みた武将の一人であり,このエピソードもハンニバルの系列に明らかに

つながっている。

26章では,これも唐突に比喩の中に現れる「極寒の修道院にいるアフ

リカ人尼僧が初めて見つけたタンポポの綿毛のようなもろい頭に嬉々とし

て手を触れ」るという部分もハンニバルに率いられたアフリカの軍隊が行

軍の危険と厳しい寒さに耐えた後,遠く山麓からローマの地を眺めるあた

りに連想を求めることができそうである。

19章には,Savoyと Savoieのどちらが地名かをめぐる会話がある。ハ

ンニバルのアルプス越えを妨害し,待ち伏せて岩を落としてきた山岳民族

のひとつ Allobroge族の居住範囲が,現在ではスイスの Savoieから Haute-

Savoieまで広がっていたことに,この地名の出てきた理由のひとつを求め

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ることができよう13)。

また,小説の別の「元素」にもハンニバルの物語は関わっていると考え

られる。小論の初めで四大元素について述べたが,小説中で最も華やか

な役割を与えられている火について,「バルカ」の名前以外にもハンニバ

ルとの関連を見ることができそうである。カルタゴ人の宗教は自然崇拝

であったが,その信仰の深さは古代人の間で強い印象を与えるほどのもの

であったと言われる。主神はバール =ハモン(「香煙の祭壇の主」あるい

は「かまどの大帝」)であり,そのバール神に幼児を生贄として火に捧げ

たことから,カルタゴ人の残虐性が語り継がれた(長谷川 36―7)。この小

説で死と火の結びつきはくり返し現れる―父親の頭の中で燃えていた赤い

火,アルマンドの死の背景になったヒューの夢の中の火事の場面,ヒュー

自身の死の原因になったホテルの火事,最後に現世から彼岸への移動を

するヒューを取り囲む燃える本=棺桶。アルマンドに恋をしたヒューが書

きつける熱に浮かされたような日記の言葉“Ouvre ta robe, Déjanir that I may

mount sur mon bûucher”「おまえの着ているものを脱いでごらん,デジャニー

ル,そうしたら私は薪の山に登ってもかまわない」は Alfred de Mussetの

詩 “A Julie”(1832) からの引用であり,妻に毒を盛られた後,自ら火の中

へはいって死んだヘラクレス伝説を踏まえている (Boyd 1996, 813n)。

さらにここにカルタゴを創設した伝承の女王ディードーの死を重ねる

こともできそうである。ウェルギリウスの『アエネーイス』(19 B.C.)で

は,一年の結婚生活の後にアエネーイスが故国に去った後,ディードーは

トロイアとイタリアを呪いながら薪の山に登り,彼の残した剣で自殺をす

る(『アエネーイス』第 4巻)。女王はアエネーイスの残したものと剣,蝋

の像をたずさえて薪の山に登る。これはアエネーイスを呪うためであり,

蝋が溶けると呪いの対象の人間も消えると考えられていた(同註 83頁)。

R氏がヒューに向かって小説のモデルと登場人物の関係について語る時,

比喩に用いられる粘土の人形を用いての呪いは,ディードーと蝋人形につ

ながる可能性も考えられる。ディードーの魂はその後何世紀もの間黄泉の

国をさまよい,ついにハンニバルにその恨みを託す相手を見出したと言わ

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れる (Prevas 18)。

カルタゴ人の死生観がこの小説の大きな主題に関わっていると見ること

も可能である。カルタゴ人は死後の世界の存在を信じていたとされる(長

谷川 219―20)。ナボコフの作品の中でもこの TTに最も直截に描かれてい

る死後の生の主題に関わるものとして興味深い。

最後に,ハンニバルをロシア語読みで Gannibalとしてみると,ここに

もプーシキンが登場することに気づく。プーシキンの母方の曽祖父 Abram

Petrovich Gannibal (1693?―1781)は,8歳の時に故国アフリカからさらわ

れ,紆余曲折を経て,ロシアの Pyotr 大帝(またしても Peterである)の名

付け子となり,士官として皇帝に仕えた人物であった。プーシキンは,こ

のアフリカ人の曽祖父を誇りにしていた。ナボコフがガンニバルについて

書いたものは,Abram Gannibal(1964)としてまとめられている。

「ギロチン小説」二題

ナボコフの小説には,他の文学作品からの引用や他の作品への言及が数

多く見られる。TTも例外ではない。作品中に名前の出てくる文学者や思

想家としては,Shakespeare, Anacreon, Byron, Lutwidge (明らかに Lutwidge

Dodgeson= Lewis Carrollとして),Freud, Wittgenstein, Proust, Wilde(もっ

とも彼は,フランス語を母語とする登場人物Wilde氏として登場するの

だが),Homerがあり,作品からの引用や作品への言及があるものとし

て,Musset, Conan Doyle, A. E. Housman, Thomas Hood, Chekhovがあげられ

る。この他,Bob Grossmithは,22章に登場するヒューの先祖の「巡礼詩

人」が Saint-John Perseであるとしている (20)。Simon Karlinskyは,13章

で Juliaがモスクワで会う予定の情熱的なロシアの詩人と 6章に登場する

約 90年前にスイスに滞在していたロシアの作家の特定を試みている。前

者は当時の若者の間で熱狂的な人気を博していた Yevgeny Yevtushenko,後

者は Fyodor Dostoevsky, Ivan Turgenev, Nikolay Gogol, Vladimir Odoevsky ら

の作家の混交した存在という結論であるが,これらの説は現在でも有力で

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ある14)。

これからあげる二つの作品は,上であげたものよりはるかに念入りに隠

された言及対象であり,作品の中に持つ意味もわかりやすく示されること

はない。しかし明白な引用や言及に比べて,作品内での重要さには遜色が

ないように思われる。

TT内にこの二作品が隠れている可能性は,24章に唐突に出てくる謎め

いた一節を考えることから引き出された。

Direct interference in a person’s life does not enter our scope of activity, nor, on the other, tralatitiously speaking, hand, is his destiry a chain of predeterminate links: some “future” events may be likelier than other, O.K., but all are chimeric, and every cause-and-effect sequence is always a hit-and-miss affair, even if the lunette has actually closed around your neck, and the cretinous crowd holds its breath (92).

明らかに処刑台,それもギロチンによる死を待つ人間を指していると思

われる。しかしこの比喩はなぜ出てくるのか,どういう意味があるのだ

ろうか。この部分に続く一節も謎めいている。“Only chaos would result if

some of us championed Mr. X, while another group backed Miss Julia Moore,

whose interests, such a s distant dictatorships, turned out to clash with those of

her ailing old suitor Mr. (now Lord) X” (92). この部分は,次章のWilde氏

とヒューの会話に続く。“It was appalling, continued the Swiss gentleman,

using an expression Armande had got from Julia (now Lady X), really appalling

how crime was pampered nowadays”; “Oh, he had. He himself had been jailed,

hospitalized, jailed again, tried twice for throttling an American girl (now Lady

X)”(97).

ギロチンのイメージがここに登場する理由は,第一にそれが重力によ

る処刑方法だということであろう。つまりギロチンは重力のモチーフの

ひとつとして現れていると考えられる。また,この箇所は Invitation to a

Beheading(1938, 1959)の最後に登場する処刑の場面への言及にもなって

いる。確かに主人公 Cincinatusは,処刑台に横たわり斬首刑が行われるの

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― ―103― ―103― ―

を待っていたが,斧が振り下ろされる寸前に処刑から逃れている。しかし

TTのこの部分にはさらににいろいろなものが隠れていそうだ。

ギロチンや貴族制に関するこれらの発言は,TTの中に隠された別の作

品へのヒントにもなっているのではないか。そこから TTの中にある新

しい意味のつながりが見えてくるのではないか。そのように考えて出て

きた作品のひとつが,Baroness Orczy (Emmuska Orczy 1865―1947) の The

Scarlet Pimpernel(1905, SP)である。革命下のフランスから(ギロチンに

よる処刑から)貴族達をイギリスに亡命させている義賊の物語であり,こ

の作品は少年時代のナボコフの愛読書に含まれていた(Strong Opinions

43)。フランス革命が小説の舞台になっているというだけではない。

Scarlet Pimpernel の正体は名門貴族の Sir Percy Blakeneyであり,この名前

は,h音が発音できないアルマンドがパースンの姓の愛称とした Percyの

隠れた出典にもなっていると思われる。SPのヒロインMargueriteは,Sir

Percyとの結婚によって Lady Blakeney になっており,「今は貴婦人 X」の

記述にあてはまる。この小説の中心的なプロットは,フランスで処刑の危

機に瀕している彼女の兄 Armand St. Justを救い出すことである。この兄妹

は孤児として二人きりで生きてきた。そのため,彼らの結びつきは並みな

らず強い。マルグリートの兄を慕う気持ちはその経歴からしても当然とい

えるものであろうし,彼女の夫との不仲を考えれば納得がいくものではあ

るが,次のような言葉を聞くと,ふとインセストの関係を考えてしまうほ

どである。

“Ah! you see: you don’t think yourself that it is safe even to speak of these things-here in England!” She clung to him suddenly with strong, almost moth-erly, passion: “Don’t go, Armand!” she begged; “don’t go back! What should I do if. . . if. . . if. . .” Her voice was choked in sobs, her eyes, tender, blue and loving, gazed appeal-ingly at the young man, who in his turn looked steadfastly into hers.

. . . . . . Even as he spoke, that sweet childlike smile crept back into her face, pathetic in the extreme, for it seemed drowned in tears.

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物語の地下水脈―Transparent Things― ―104― ―104― ―

“Oh! Armand!” she said quaintly, “I sometimes wish you had not so many lofty virtues. . . . I assure you little sins are far less dangerous and uncomfortable. But you will be prudent?” she added earnestly. “As far as possible. . . I promise you.” “Remember, dear, I have only you. . . to. . . to care for me. . . .”(56).

“Listen to the tale, Sir Percy,” she said, and her voice was low, sweet, infi nitely tender. “Armand was all in all to me! We had no parents, and brought one another up. He was my little father, and I, his tiny mother; we loved one another so.[. . .]” (137).

TT 5TT 5TT 章に登場する緑色の小像を作った囚人,「ゲイの恋人の近親相姦関

係にある妹を絞め殺した」という人物は Armand Raveと命名されている。

この人物はアルマンドの絞殺による死への伏線の一部と読まれるところだ

が,アルマン・サン=ジュストがここに隠れていると見ることもできるで

あろう。

もうひとつ隠れた物語となっている作品が Charles Dickens (1812―1870)

の A Tale of Two Cities (1859, TTC)である。やはりフランス革命時代の物語

であるが,この作品は SPよりも一層深く,広く TTの地下に広がってい

るように思われる。

まず語りを見てみよう。全体としては三人称で語られ,語り手は作者ディ

ケンズ自身であるかのように思われる部分の多い TTCであるが,3章の冒

頭で謎めいた比喩に満ちた語りを読むとこの語り手は TTの語り手に奇妙

に似ていることに気づく。

A wonderful fact to refl ect upon, that every human creature is constituted to be that profound secret and mystery to every other. A solemn consideration, when I enter a great city by ngiht, that every one of those darkly clustered houses encloses its own secret; that every room in every one of them encloses its own secret; that every beating heart in the hundreds of thoughsands of breasts there, is, in some of its imaginings, a secret to the heart nearest it! Something of the awfulness, even of Death itself, is referable to this. No more can I turn the leaves of this dear book that I loved, and vainly hope in time to read it all. No more can I look into the

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depths of this unfathomable water, wherein, as momentary lights glanced into it, I have had glimpses of buried treasure and other things submerged. It was appointed that the book should shut with a spring, for ever and for ever, when I had read but a page. It was appointed that the water should be locked in an eternal frost, when the light was playing on its surface, and I stood in ignorance on the shore (12, 下線は引用者による).

この小説は,TTにおける R氏のように,生前はこの小説の登場人物であっ

た人間によって語られているのである。愛する女性の夫を救うため,身代

わりとなってギロチンでの死を選び,その後彼女と家族が幸福に暮らす様

子を彼岸から眺めていた語り手 Sydney Cartonの存在は,感動的であると

同時に不気味でもある。「もはやこの本を開くことができない」という語

り手の嘆きは,「死の直前にのみ得られる,人類にとって全く未知である

認識を本として書き残すことができない」R氏の無念にもつながるだろう。

TT の語り手による謎めいた発言 “What they do with the other, much

greater, portion, how and where their real fancies and feelings are housed, is not

exactly a mystery-there are no myseries now-but would entail explications and

revelations too sad, too frightful, to face. Only experts, for experts, should probe

a mind’s mystery.” (22) は,死者の透視能力を誇っているかのようであり,

また精神分析への皮肉とも取れる部分であるが,他者の心が決して知りえ

ない秘密だという,上で引用した TTCの下線部分への応答として語られ

ているかのように聞こえる。

TTCは 1章で 1775年という時代設定を告げるとともに,後に有名な霊

媒となったMrs. Southcottや 10年ほど前にロンドンで流行していた心霊現

象 “the Cock-lane ghost”について語っている。TTの中に幾度か登場する降

霊術の場面や比喩と呼応するものである。

TTの冒頭で,語り手はヒューの「靴の箱」に読者の注意をひきつける。

この靴の箱の出典も TTCに求めることができそうである。主要人物の一

人である医師 Dr. Manetteは,18年間にわたって塔に幽閉されていたため

精神を病んで抜け殻のようになってしまっている。彼は塔の中で靴作りを

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覚え,その作業に没頭することで精神の安定を危うく保っていた。解放後

にも手元から離さず,心のよりどころにしていた靴の箱が,奇妙に目立つ

ヒューの靴の箱に対応していると思われる。医師マネットの娘 Lucieは父

親が生存していることを知って「父の亡霊に会いに行きます!」と叫ぶが,

それは TTのヒュー自身の物語とも聞こえる。ヒューの父親の亡霊はさま

ざまに息子を死の世界に誘おうとしているし,父を超える trans-parentな

存在である R氏(の亡霊)に小説の最後で(そして小説の冒頭で)ヒュー

は再会することになる。18年という期間はヒューが最初にスイスを訪れ

てから最後に訪問するまでに過ぎた時間とも呼応する。また,ルーシーの

結婚相手 Charles Darneyは,身分を隠してイギリスに渡ったフランス貴族

St. Tevremond侯爵であるので,SPのマルグリート同様ルーシーも結婚に

よって「貴婦人 X」になったといえよう。

TTに登場する「Jackたち」の出身地もこの小説に求められるだろう。

TTの登場人物には Jで始まる名前が目立って多く,特に男性では名前の

ある人物の 3分の 1を占めており,その中に「ジャック」が三人もいる。

ヒューの大学時代のルームメイト Jack Moore, アルマンドのボーイフレン

ドでボブスレーのチャンピオンの Jacques, 彼らのスキー仲間の Jack Blake

(双子のきょうだいは Jakeである)。この三人の jocksである J-boysは同性

愛的な関係にもある。Nursery Rhymeからの “We recognize its presence in the

log as we recognized the log in the tree and the tree in the forest in the world that

Jack built”(7―8)の Jackも含めて,これらのジャックたちは要するに単な

る「男」の記号であり,交換可能な存在に見える。不自然なまでに多く

出現するジャックらは,TTCの「ジャックたち」の反映とも考えられる。

“Defarge closed the door carefully, and spoke in a subdued voice: ‘Jacques One,

Jacques Two, Jacques Three! This is the witness encountered by appointment, by

me, Jacques Four. He will tell you all. Speak, Jacques Five!’”(159)15章から登

場するこれらの「ジャック」は,名前を隠して活動している「革命の同志」

である。さらに後になると何万人ものジャックが,ギロチンの犠牲者の血

に酔いしれて狂ったように街路で踊りまわる。

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A moment afterwards, and a throng of people came pouring round the corner by the prison wall, in the midst of whom was the wood-sawyer hand in hand with The Vengeance. There could not be fewer than fi ve hundred people, and they were dancing like fi ve thousand demons. . . . At fi rst, they were a mere strom of coarse red caps and coarse woollen rags; but, as they fi lled the place, and stopped to dance about Lucie, some ghastly apparition of a dance-fi gure gone raving mad arose among them. . . . While those were down, the rest linked hand in hand, and sll spun round together: then the ring broke, and in separate rings of two and four they turned and turned until they all stopped at once, began again, struck, clutched, and tore, and then reversed the spin, and all spun round another way(264).

この群集の様子は,ヒューが死の間際に目にする子供時代の絵本の野菜

たちの狂乱の輪舞にも似ている。この絵本が Florence Kate Upton (1873―

1922) の The Vege-Men’s Revenge(1897) であることはすでに明らかにされ

ている (Johnson, “Nabokov“Nabokov“ ’s Golliwoggs: Lodi Reads English 1899―1909,” 4)。

TTC の “The maidenly bosom bared to this, the pretty almost-child’s head thus

distracted, the delicate foot mincing in this slough of blood and dirt, were types of

the disjointed time” (265) は,絵本に描かれた野菜たちの華奢な線状の足と

その足に似せて書かれた手書きの文字を思いださせずにはおかない。

最後になったが,TTCと略したタイトルが何よりも明らかに TTとの強

いつながりを語っているだろう。TTには tで始まる言葉を対にした組み

合わせが意識的に数多く用いられているが,TTCも ttで始まる語彙を集

めた glossaryにおいて重要な一項目となりうるだろう。

ムーア一族

Jで始まる名前のリストはさらに続き,シェイクスピアに関連した名前

のグループを形成する。R氏の義理の娘でヒューとも関係のあった Julia

Moore,その「夢ヴァージョン」であるイタリア人娼婦 Giulia Romeo (Romeo

はMooreのアナグラムである),ジュリアの恋人だった Jimmy Major。Jiulia

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物語の地下水脈―Transparent Things― ―108― ―108― ―

Romeoは言うまでもなく Romeo and Julietを,またMooreからの連想で,

嫉妬から妻を絞殺してしまったムーア人 Othelloを思わせる。『オセロ』の

モチーフとしては,ヒューがアルマンドを絞殺してしまうことに加えて,

アルマンドとのデートに備えてヒューの買うタートルネックのセーター

のラベルが「『トルコ製』と囁」き15),後に精神分析医がタートルネック

を絞殺のシンボルと解釈して,ヒューに吐き気を催させることがあげられ

る。またヒューが父親と泊まったホテルの「ヴェネツィア式ブラインド」

(Venetian blind)を「ヴェネツィアの盲者」の意味に解すると,嫉妬のため

正しい判断がつかなくなったオセロが立ち現れる 16)。「ムーア人」の周縁

には,ハンニバルやプーシキンの曽祖父ガンニバルも存在しているのかも

しれない。

Mooreは Romeoのアナグラムであるにとどまらず,Major-More-Moore

の連想から Jimmy MajorもMoore一族に連なってくる17)。さらにMoore

一族の名前は,ヒューが予約を取ろうとして果たせないMaggiore湖畔の

ホテルにもつながっている。このホテルは,正しくは Grand Hotel des Iles

Borromeesであるが,ヒューはそれを Beau Romeoと誤って記憶すること

で Romeo-Mooreのつながりを示していた。ムーア一族は夢の中でヒュー

を操って妻の絞殺へと導き,さらにはマジョーレ湖畔のホテル(ここも湖

の名前からして一族の支配下に置かれている様子である)への移動を妨げ

て,その結果ヒューを火の中で死なせてしまう。ヒューは夢の中でジュー

リア・ロメオ(その名を持つ娼婦とジュリアが合体した存在)を燃える家

から助け出そうとして,実際には,妻アルマンドを絞殺してしまう。そこ

には『ロミオとジュリエット』の純愛の悲劇と『オセロ』の嫉妬と愛の盲

目の悲劇が響いてもいる。一方でGiulia Romeoの名は,イタリア製のスポー

ツカー,Alpha Romeo Giuliaを指してもいる。この車は 1960年代に人気

を博しており,ナボコフの息子 Dmitriが 2台所有していたという18)。これ

らの名前は,それぞれの名前の持ち主の存在を言葉遊びに変えてしまう一

方で,地下に広がる有力な「人脈」をも形成している。

ナボコフの短篇 “Signs and Symbols”(1948) に referential maniaという病

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名をつけられた,精神を病む青年が登場する。彼は森羅万象を自分へのメッ

セージと受け取ってしまい,社会生活が送れなくなっている。言うまでも

なく,referential maniaとはナボコフの作品に共通した特徴を増幅したも

のであるし,研究者の過剰なまでに意味を求める態度への揶揄でもある。

これまで追ってきたものの中にも referential maniaの産物に過ぎないもの

が含まれているかもしれない。しかし隠された物語はここにあげたものが

すべてではない。すでに気がついたものについてもすべて論じてはいない

し,気づいていない埋蔵物はさらに数多くあるはずである。

TTはあまりに作り物めいていて感情移入できないと評されることが多

い。Hugh (You) Personという主人公の名前からして,「このような名前の

人物が主人公である小説を本気で読めるものだろうか」と疑問を抱かせる。

しかし Hugh/You Personは読者である Youの代表でもあって,不器用な恋

の切なさに身を焼き,思い通りにならない日常に悩む彼の世界に読者はや

はり引き込まれてゆく。その一方で読者は,親身に感じ始めた人物の世界

が結局は言葉の上での遊びで成り立っているに過ぎないのではないかと疑

い,撥ね返されるような思いを味わう。しかしそれはあくまでも「初心者

たち」の受容レベルの話であろう。「死者たち」の目から見たパースンの

世界は,無数の世界とつながっている。隠された世界の広がりやお互いと

の結びつきは,ひとたび気づいてみると驚嘆するほどに巧妙で華麗である。

それらの群小物語は,小説の地下でネットワークを形成し,この作品に暗

示されている死後の生の問題や人間存在の問題といった「大きな物語」に

もつながり,「これこそ究極のナボコフ作品」と言ってみたくなるほどの

豊かさをそなえている。

1)International Vladimir Nabokov Societyのインターネットフォーラム Nabokv-L

において 2004年 7月 5日から 2005年 1月 24日まで約 7ヵ月にわたって

Transparent Thingsの group readingが開催され,フォーラム主宰者でありこの読書会の座長でもある Don Barton Johnson氏の共同コメンテーターとして参加

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物語の地下水脈―Transparent Things― ―110― ―110― ―

させていただいた。そこでの自分自身の発言の一部を元に,新たにまとめたも

のが本稿である。Johnson氏と,貴重な意見をお寄せくださった参加者の方々に感謝いたします。

2)主なものとして,Johnson (1995); Alex de Jonge, “Nabokov“Nabokov“ ’s Uses of Pattern” in Peter Quennell(ed.), Vladimir Nabokov: A Tribute, London: Weidenfeld and Nicolson, 1979, 59―72; Michael Rosenblum, “Finding What the Sailor has Hidden: Narrative as Patternmaking in Transparent Things,” Contemporary Literature 19 (1978): 219―32.

3)主なものとして,Robert Alter, “Mirrors for Immortality,” Saturday Review of Books, 11November 1972, 72―76; David Rampton, Vladimir Nabokov: A Critical Study of the Novels, Cambridge: Cambridge UP, 1984; Garret Stewart, Death Sentences: Styles of Dying in British Fiction, Cambridge: Harvard UP, 1984.

4)主なものとして,W. W. Rowe, Nabokov s Spectral Dimension’s Spectral Dimension’ . Ann Arbor: Ardis, 1981.

5)主なものとして,Pekka Tammi, Problems of Nabokov s Poetic: A Narratological Analysis’s Poetic: A Narratological Analysis’ . Helsinki: Suomalainen Tiedeakatemia, 1985.

6)主なものとして,Grossmith; Karlinsky; Michael Long, Marvell, Nabokov: Childhood and Arcadia, Oxford: Clarendon P, 1984.

7)TTからの日本語の引用は,邦訳『透明な対象』による。8)TTにおける父と子の主題については,拙論 “Boundary-Crossings in Glory and

Transparent Things”でも触れている。9)ナボコフにとってプーシキンはロシアの文学者の中でも特別な存在であった。

ナボコフはその長詩『エヴゲーニィ・オネーギン』の英訳と 1000ページを

超える長さの註釈を出版している。Alexandr Pushkin, Eugene Onegin, translated from Russian with a commentary by Vladimir Nabokov, Princeton, NJ: Princeton UP, 1975.

10)ポンテの『ドン・ジョヴァンニ』との比較は,村上孝之「プーシキンの『石の

客人』- 改心した騎士」による。11)Keith McMullenの投稿(2004年 7月 9日)による。Nabokv-L Archive: http://

listserv.ucsb.edu/lsv-cgi-bin/wa?A2=ind0407&L=nabokv-l&P=R7593.

12)アミルカーの社名は,設立時の二人の出資者 Joseph Lamy と Emile Akarの名前のアナグラムから作られたという。アミルカー社のホームページによる。

http://www.motorlegend.com/new/histoire/amilcar/. ナボコフ自身車に興味があったわけではなく,アメリカで生活していた時代も運転は妻に任せていたほどで

ある。おそらくアミルカーに関する知識は,プロのカーレーサーとして活躍し

ていた時代もある息子 Dmitriを経由したものであろうと思われる。「フィアルタの春」の Icarus,LolitaのMelmoth等,ナボコフの小説において重要な役割をもたされる車の多くは,ナボコフが作り出したものである。

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13)インターネットの情報による。“THE ALLOBROGE GAULS”: http://www.barca. fsnet.co.uk/Allobroges.htm.

14)後者に関しては,Konstantin Sluchevski (1837―1904)ではないかという新説が Alexey Sklyarenkoによって 2002年の学会で発表されたが,その後発表者自身によって可能性が否定されている。(学会発表論文)“Russian Subtexts in Nabokov’s Ada: Allusions to works of Konstantin Sluchevski”(2002) http://www.nabokovmuseum.org/PDF/Sklyarenko.pdf.

15)Othelloが自殺する直前の台詞にトルコ人についての言及がある。“. . . that in Aleppo once, / Where a malignant and a turban’d Turk / Beat a Venetian and traduced the state, / I took by the throat the circumcised dog, / And smote him, thus.” (5幕2場)ナボコフは “That in Aleppo Once…”(1958)という短篇も書いている 。

16)フランス語で「嫉妬」を表す “Jalousie”には「ブラインド」の意味もある。17)Major-More-Mooreの連想については,Brian Boyd氏の私信による。18)Dmitri Nabokovの投稿(2004年 8月 3日)による。Nabokv-L Archive:

http://listserv.ucsb.edu/lsv-cgi-bin/wa?A2=ind0408&L=nabokv-l&P=R6572.

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