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Osaka University Knowledge Archive : OUKA...18 今 井 貴代子 2.ジ...

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Title 多文化教育研究におけるジェンダー概念に関する一考 察 : アメリカ合衆国における動向をめぐって Author(s) 今井, 貴代子 Citation 大阪大学教育学年報. 10 P.17-P.28 Issue Date 2005-03 Text Version publisher URL https://doi.org/10.18910/11947 DOI 10.18910/11947 rights Note Osaka University Knowledge Archive : OUKA Osaka University Knowledge Archive : OUKA https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/ Osaka University
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Page 1: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...18 今 井 貴代子 2.ジ ェンダーの不在からその導入へ 1)多 文化教育の発展を支えた社会背景 アメリカ合衆国における多文化教育の始まりをどこに見るかについてはさまざまな意見があるが、現在

Title 多文化教育研究におけるジェンダー概念に関する一考察 : アメリカ合衆国における動向をめぐって

Author(s) 今井, 貴代子

Citation 大阪大学教育学年報. 10 P.17-P.28

Issue Date 2005-03

Text Version publisher

URL https://doi.org/10.18910/11947

DOI 10.18910/11947

rights

Note

Osaka University Knowledge Archive : OUKAOsaka University Knowledge Archive : OUKA

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/

Osaka University

Page 2: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...18 今 井 貴代子 2.ジ ェンダーの不在からその導入へ 1)多 文化教育の発展を支えた社会背景 アメリカ合衆国における多文化教育の始まりをどこに見るかについてはさまざまな意見があるが、現在

大 阪 大学 教 育 学 年 銀 第10号(2005年)

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17

多文化教 育研 究 にお ける ジェンダー概 念 に関す る一▲考察

アメリカ合衆国における動向をめ ぐって

今 井 貴代子

【要 旨 】

アメ リカ合衆国における多文化教育は、1950年 代後半 から高 まりを見せた公民権運動 を契機 とし、人種やエスニ

シテ ィに関す る多様 な 「文化」 を持つ子 どもの教 育問題への応答 として始 まったが、やがて、人種 やエ スニ シテ ィ

だけでな く、階級や ジェ ンダー、障害な どの問題 に対 しても取 り組む多文化教育へ と発展 して きた。今 日、多文化

教育 は、一般 に、人種やエスニシテ ィ、社会階級 、ジェンダーの違いに関わらず、全ての生徒が平等 な教育機会 を

持 てるように、学校や他の教 育機関 をつ くり変えるための教育改革運動 として知 られている。

本論文は、そ うした多文化教育の発展プ ロセスを、 ジェンダーの観点 から捉 えなお している。1980年 代半ば を一

つの 区切 りとし、それ以 降多文化教育研 究の中でジェンダーへの関心 が高まって くるが、そこで重 要だ とされてい

たの は、人種 ・階級 ・ジェ ンダーの交差 と統合である。 人種 とジェ ンダーの交差す る地点に位置す るマ イノリテ ィ

女子生徒の教育経験 に注 目し、そこか ら見えて くる多文化教育の課題について考察 している。

1.は じめ に ・

ア メリ カ合衆 国 にお ける 多文 化教 育 は、1950年 代 後半 か ら高 ま りを見 せ た公 民権 運動 の展 開 と連 動 しな

が ら、 人種 やエ スニ シテ ィに関 す る多様 な 「文 化」 を持 つ子 ど もの教 育 問題 へ の応 答 と して始 まった。 当

初、 多文 化教 育 が取 り組 むべ き問題 と して いた の は、 ア メ リカ合衆 国社 会 に見 られる 人種差 別 であ り、 エ

スニ ック ・マ イ ノリテ ィの生 徒 た ちの学 力不 振 な どで あ った。.時代 の変 化 とと もに、多 文化 教 育 は、人 種

やエ スニ シテ ィだけ で な く、階級 や ジ ェ ンダー 、障 害 な どの問題 に対 して も取 り組 む多 文 化教 育へ と発 展

して きた 。今 日、多文 化教 育 は 、一般 に、 人種 やエ スニ シテ ィ、社 会階 級 、 ジェ ン ダー な どの違 い に関 わ

らず 、全 て の生徒 が平 等 な教 育機 会 を持 て る よ うに、学 校 や他 の教 育機 関 をつ く り変 えて い く教 育 改革 運

動 と して 知 られ てい る(Banks訳 書1996,34頁)。

多 文化 教 育が そ の対 象 とな る集 団 を広 げて い っ た過程 を、 ラ ・ベ ル と ワー ドは 「『多文 化』 の 定義 の 拡

大 」(LaBe11&Ward1990,p.167)と 呼 んだ が、 本論 文 は、 そ う した多 文化 教育 の発 展 プロ セス を、 ジ ェ ン

ダー の観 点 か ら見 て い くことに した い。 ア メ リカ合衆 国 の 多文 化教 育研 究 の 中で、 ジ ェ ンダ ー概 念 が どう

位 置づ け られて い ったか 、 また どの ように捉 え られ て きた か を概 観 す る と同時 に、 ジ ェ ン ダーの視 点か ら

見 えて くる多文 化教 育 の課 題 を考 察す る。

そ の場 合一 つ の指標 とな るのが 、1986年 に出 され た多 文 化教 育研 究者 に よる分析 結果 で あ る。英 語圏 で

出 され た多 文化 教 育 に関 す る文 献68冊 の うち、 ジ ェ ン ダー に関す る記 述 が あ った の はた っ た5冊 にす ぎ な

い と報 告 してい る(Grant,S韮eetef&Anderson重986)。 こ う した批 判 的指摘 に応 え るかの よう に、そ れ以 降、

多文 化教 育研 究 で ジェ ン ダー に関す る記 述が 頻繁 に現 れ始 め る。そ の こ とを踏 まえ る と、 多文 化教 育 の展

開 をig80年 代 半 ばで 区切 っ て見 る こ とには 意味 があ ろ う。80年 代 半 ば以 前 に も、多 文化 教 育研 究で は 、性

差(sexdifference)や 性 差 別(sexism)と い う言葉 で ジェ ン ダーへ の注 目が な されて い たが 、80年 代 後 半

はそ う した見 方が批 判 され る よ うに なる。

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18 今 井 貴代子

2.ジ ェンダーの不在からその導入へ

1)多 文化教育の発展 を支えた社会背景

アメリカ合衆国における多文化教育の始まりをどこに見るかについてはさまざまな意見があるが、現在

の多文化教育に直接関連 し、それを大きく進展させたのは、1950年代後半から高まりを見せた公民権運動

である。この公民権運動こそがアメリカ合衆国の多文化教育の独自性を示しているといっても過言ではな

いo

周知 の とお り、 公民権 運 動 は、 ア フ リカ系 ア メ リカ人 に対す る公共 設備 や住 宅環 境 、雇 用や教 育 におけ

る差 別 の撤廃 を求 めた もの であ った。教 育 の面 で は、54年 に、 そ れ まで合 法 と されて いた黒 人 と白人 の分

離教 育 を違 法 とす るブ ラ ウ ン判 決 が 出 され 、統 合教 育 へ の道 を大 き く前 進 させ る こと にな る。大 学 で は、

黒 人あ 歴史 や文 化 な どにつ いて 学 習す る黒 人学 の コ ースや プロ グラ ムが設 置 され 、民族 再 活性 化運 動 の後

には、 さま ざまな エス ニ ック集 団 に よるエ スニ ック研 究 も発展 して きた。 また、教 科書 に見 られ る 白人中

心 主義 やマ イノ リテ ィ集団へ の 差 別的 でス テ レオ タイ プ的 な描 写 に対 して 異議 が起 こ り、 それ ぞ れの集 団1

の経 験 や社 会へ の貢 献 を正 当 に評価 す る よ うに 、教 科書 や カ リキ ュラ ムを改 め る動 きも起 こった 。

多文 化教 育 は以 上の ような流 れ と連 動 しなが ら、 ア フリ カ系 アメ リ カ人 を中心 とす るエ スニ ック ・マ イ

ノ リテ ィの 子 ど もの 自尊 感情 を高 め、彼 らに肯 定 的 なエス ニ ック ・アイ デ ンテ ィテ ィを身 につ け させ る こ

とで、学 業 達成 は もちろ ん差 別 的 な環境 に打 ち克 って い ける力 の獲 得 も目指 して きた 。そ の一 方 で、 多文

化教 育 の対 象 をマ イ ノ リテ ィに限 らず 、主流 文 化 にい る 白人の 子 ども も含 め た全 ての子 ど もへ と拡 大す る

方 向性 も見 られ る。 諸個 人 の物 の考 え方や 価値 観 、知識 が どの よ うに組 み 立て られて きた か を考 えな おす

こ とを 目標 に掲 げ 、一教 科 や一 プロ グラ ムだ けで な く、学校 全 体 、社 会全 体の 改革 とい う点 に まで 目が向

け られ始 め てい く。後 述す る とお り、80年 代 後 半 以降 の保 守派 に よるバ ックラ ッシ ュは、 この ような 多文

化教 育 の発展 と社 会的 な イ ンパ ク トを物 語 って い る。

一方、 ジ ェ ン ダー概 念 は1960年 代 か ら興 隆 を見せ た第 二 波 フ ェ ミニ ズ ムの 流 れ に位 置 づ け られ る(注1)。

この時 期 、公 民権 運 動 や学 生運 動 に 関わ っ た女性 が 、 組織 の 中 の男 性 中心 主義 を問題 視 し始 め た。 また、

中 産階級 の 高学 歴 で 白人の 専業 主婦 の悩 み を 「名前 の ない 問題 」 と名づ け る こ とで、 家庭 の中 に押 し込 め

られた 女性 の 閉塞状 況 を可 視化 した、 ベテ ィ ・フ リー ダンの著 作 『女 ら しさの 神話 』 が出版 され大 きな反

響 を呼 ん だの は63年 で あ る。 さ らに この年 に は、女 性 の賃 金が 男性 の40%と い う性 差 別的 な状 況が 、女性

の 地位 に関 す る大統 領 の諮 問委 員 会の 報告 書 『ア メ リカの 女性 』 に よって 初め て 明 らか に され て いる(渡

辺1997)。 第二 波 フェ ミニ ズムが 問題 に したの は、公 私 の境 界 にそ っ て割 り当 て られ た固定 的 な性役 割 で

あ り、 「女 ら しさ」 や 「男 ら しさ」 の イデ オ ロギ ーで あ った 。 ジェ ンダー は、 そ の よ うな イデ オ ロギ ーに

対抗 す る手段 と して広 く浸透 してい っ た(勘。

女性解 放運 動 の成 果 と して、教 育 の領 域で は1970年 代 大 きな進 展 を迎 え る。1972年 、通 例 「タイ トル 双」

と呼 ばれ る教 育修 正 法 第9条 に よって 、教 育 にお ける性 差 別 の禁 止が 明 確 に位 置づ け られた ので あ る。 た

とえ ば、学 生 の募 集 、 入学 、 コ ース分 け 、履 修 パ タン、就 職 カウ ンセ リング 、教 科外 活動 、 奨学 金 授与 、

ス タッフの雇 用 や給 料 な どで、性 に よる差 別が 禁止 され、 法適 用外 で はあ る もの の教科 書 にお け る ジェ ン

ダース テ レオ タイ プ、 セ ク シズ ム な描 写 に関 して も、そ の是 正 が進 め られ てい っ た(碓 井1992)。 また、

黒 人学 やエ スニ ック研 究が 白人 中心 主義 を批 判 して生 まれ たの と同様 に、 これ までの学 問 の男性 中心主 義

を批 判 し、女 性 の視 点 か らの歴 史や文 化 の捉 え なお しを図 る女性 学が 誕生 した。

この ように多 文化教 育 は 、 ジ ェンダ ーへ の社 会 的関心 が 高 ま った時期 を経 由 して発展 して きた。 そ れで

は 、多文 化教 育 は 自 らの分野 で ジ ェ ン ダー をどの よ うに位 置づ け てい った の だろ うか。70年 代 後半 か ら80

年代 半 ば までの 多文 化教 育研 究 の展 開 を追 う こ とに したい。

2)「 多 民族 教 育 」 か ら 「多 文化 教 育 」 へ

論 者 の数 だ け定義 も存 在 す る と言 わ れ る多文 化教 育 で はあ るが 、そ の概 念の 明確 化 のた め にい くつ かの

アプ ローチ へ と類 型化 す る試 みが これ まで にな され て い る(Gibsonl976,Prattel983,Sleeter&Grant1988)。

そ の中 で最 も古 い のが 、教 育人類 学 者 であ るギ ブ ソ ンが1976年 に お こな った類 型で あ る。 ギブ ソ ンは、 多

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多文化教育研究におけるジェンダー概念に関する一考察 一アメリカ合衆国における動向をめぐって一 19

文化 教育 関連 の 文献 の分 析 を通 じて、 そ の 目的や そ の前提 とな る価値 観 の違 い を も とに多文 化教 育へ の ア

プ ローチ の仕 方 を4つ に分 類 した 。 当時 の多 文化教 育 とは、 ギ ブ ソ ンも指摘 す る とお り、エ ス ニ ック ・マ

イ ノリテ ィを念 頭 にお い た教 育で あ り、 そ こで示 され る 「文 化」 や 「文 化的 多様 性」 とは人 種 やエ スニ シ

テ ィの こ とであ る(G量bsonl976,p.15)。 先述 した女 性解 放運 動 は教 育 にお け るセ クシ ズムの 問題 をす る ど

く提 起 したが、76年 以 前 の多文 化教 育 は まだ その 視座 を取 り入 れて はい なか った。 人種差 別 や それ に由 来

す る学力 不振 、 言語 の 問題 、異 なるエ ス ニ シテ ィ間 での文 化 の尊 重 な ど を取 り組 むべ き教 育 課題 と し、 人

種 やエ スニ シテ ィに特化 しそれ を前 面 に強調 す る多 文化 教育 が そ こ に見 て取 れ る。

エ ス ニ シテ ィに特 化 した多文 化教 育 は、通 常 「多民 族教 育」 と呼 ばれ る。70年 代 半 ば まで の多 文化教 育

で は、 この 「多 民族 教育 」 が主 流 であ っ 冷 と言 え よう。 しか し、興 味 深 いの は、70年 代 末 頃 か ら公式 な指

針 や文書 にお いて 「多民 族教 育 」 とい う名称 が 、 「多 文化 教 育」 へ と改 訂 されて い った流 れが見 られ る こ

とで あ る。そ して、 この 名称 の 変更 とと もに、 多文 化教 育 に ジェ ン ダーの問 題が 含 まれ る よ うにな る。

た とえば 、指導 ・カ リキ ュ ラム開発協 会(ASCD)は1969年 に先駆 けて 多民 族教 育 に取 り組 み始 め たが 、

数年 も しない う ちに多 文化 教 育 とい う名称 を用 い る よ うにな る(Backerl979)。 そ して77年 には 『多文 化教

育:コ ミッ トメ ン ト、 問題 、適 刷 とい う タイ トルの小 冊 子 を発行 して い るが、 そ こ には 「多文 化教 育 と

は 自 らが 発展 す る につ れて 、拡 張 し多様 化 す る継続 的 かつ 体系 的 な プ ロセス であ る」 と し、 その核 心 に は

「差 異 に関 わ らず 全 ての 人 々 に対 す る尊重 」 が あ る と述べ られ てい る。 そ の差 異 に ジ ェ ンダ ーが含 まれ て

い るの は 、次 の よ うな文 章 か ら もわか る。 「多 文 化教 育 は 人種 や性(sex)、 階級 、年齢 、身 体 的特 徴 、ハ

ンデ ィキ ャ ップに関連 した多様 な差 別の形 態 を削 減 して い くた めの ツ ールで あ る」(Granted.1977,pp.1-5)。

また、教 員 養成 教 育の 分野 で も多 文化 教育 とジ ェ ン ダーの結 び つ きが見 られる。1972年 に全 米教 育養 成

大学協 会(AACTE)は 、「NoOneModelAmehcan」 と題 して、文 化 多元 主義 を尊 重 す る多文 化教 育 につ いて

の有 名 な公式 表 明 を行 ったが 、 こ こで示 されて い る多元 主義 は人種 や エス ニ シテ ィな どの 多様 性 につ いて

の見解 で あ った(Backerl979)。 しか し、79年 に 同協 会の作 成 した 「多文 化教 育 に関 す る基準 」 で は、多 文

化 教 育が 含 む経 験 の一 つ に 、 「参 加 的民 主 主義 、人種 差 別 主義 、性 差 別 主義 な この よ うな問題 と直面 す る

分 析 的及 び評価 的能力 を促 進 す る よ うな経 験 」 を挙 げ てお り、 ジ ェ ンダー の問題 が 多文 化教 育 の扱 う内 容

に含 まれ てい るの で ある(碓 井1994)(注3)。

も う一 つ紹 介 して お こ う。1975年 に全 米社 会 科協議 会 が発 行 した 「多 民族 教 育の 指針 」が 、1992年 の 改

訂 版 で は 「多 文化 教 育 」 へ と名称 を変 更 し、 ジ ェ ン ダー や 階級 な どの問 題 も広 く考 慮 に 入れ られ てい る

(全米 社会 科協 議 会1992)。 この 名称 の 変化 に注 目 した 岡村 は、 「マ ルチ カル チ ュ ラ リズ ムの 射程 にお さ ま

る文化 的差 異 は、 か な らず しも民 族 の差異 に限定 され な くな った。 つ ま り、 ど うい った 集合 を文 化 的集 合

と して扱 うか 考 え た と き、そ こに、 さま ざ まな可 能性 が 広 が るの であ る」(岡 村2003,42頁)と 述 べ て い

る。確 か に、 多文 化教 育 の文 献 で は 、70年 代 末以 降 「女性 はエ ス ニ ッ ク集団 と して捉 え られ るべ きで は

ない。 しか し、 文化 集 団 と して見 る こ とはで きるか もしれ な い」(Bakerl979,p,257)と い う見解 が あ った

り、 ア メ リカ合衆 国 にお け る ミク ロ文 化 を構 成 す る ものの一 つ に 「女性 文化(thefemaleculture)」(Banks

l981,p,20)が 挙 げ られ た りと、 多文 化教 育 の 指 す 「文 化」 は 、人 種 やエ ス ニ シテ ィだ けで な く女性 も含

まれ る とい う解 釈 が見 られ始 め る。

3)人 種 問 題 か ジ ェ ン ダ ーの 問 題 か

1980年 代 に は、 「多民 族教 育 」 に代 わ って 「多 文化教 育 」 が、 多 くの教 育 機関 で人 気 を集 めて い った が、

そ れ は多文 化教 育研 究 の意 図 した もの とは また違 った形 であ った と言 われ てい る。 限 られ た資 金の 中で 人

種 やエ スニ ック集 団 だけで な く、広 い範 囲の 集 団に焦 点 を当 て る こ とが で きるため 普及 してい った り、文

化 とい う用 語の 非政 治 的 な イメ ージ に よって 多文 化教 育 の 「無 菌 バ ー ジ ョ ン(社 会変 革 や反 人種 主義 とい

・うラ デ ィカル さを除 去 した誰 にで も受 け入 れ やす い穏 健 な 多文 化教 育 の こ と)」 が広 ま り、特 に白人教 師

の 問で支 持 されて い ったの で あ る(Grant&Ladson-Billingseds.訳 書2002,xvi頁)。 その ため 、後 に多文 化教

育 を推 進す る ような研 究者 で さえ も、「文 化」 を強調 す る こ とで 、 人種差 別 の問 題が 見 え に く くな った り、

どの集 団 を多文 化教 育 の主 要 な ター ゲ ッ トとす るの かが 曖昧 にな って しま うとい った こ とに対 して 懸念 を

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抱 き、多文 化教 育 とい う用語 の使 用 に警 戒 的で あ った と言 われ る(Banksl981,p.21)。

人種 やエ ス ニ シテ ィに焦 点 をお くか、 ジ ェ ンダー な どに も同程 度 の注意 を向 ける か につい て は、 これ ま

で もそ して今 も、 多文 化教 育 の中 で意 見 の分 かれ る と ころで あ る。 た とえ ば、多 文化 教 育論 者で あ るゲ イ

は 、多文fヒ教 育 は 人種差 別 に対 して取 り組 ん でい くべ きこ とを強 調す る 。性差 別 を持 ち出す ことで 、 白人

に よる人種差 別 へ の抵抗 が弱 まっ て し まう と考 え るか らで あ る(S且eeted991,p.17)。 また 、黒 人女 性 と して

反 人種差 別教 育 に取 り組 む リーに と って、多文 化教 育 と して行 うこ とは反 人種 差別 教 育で あ る。その 上で 、

「反性差 別 の視 点 は、 多文 化教 育 の視 点 の どこ に調 和 す るで し ょうか」 とい うイ ン タビュ ー に対 して次 の

よ うに答 え てい る。 「性 差 別 は 一年齢 差 別 、異性 愛 主 義 、階層 の問 題 も同様 一、 取 り組 まな けれ ば な らな

い もの です 。 しか し、 私の 考 えで は、 そ れ らを多文 化教 育 の取 り組 むべ き問 題の リス トに は挙 げ ませ ん。」

彼 女 は、 ジェ ンダー の問 題 は 、例(example)や 分 析(ana藍ysis)と して多文 化 教 育 で扱 って い る(Miner

2004,p.352)0

80年 代 前 後 とは 、人 種問 題 を一番 に取 り上 げ るべ きか ど うか とい う葛藤 や 緊 張 関係 が 、 「多 民族 教 育 」

と 「多文 化教 育 」 の言葉 の使 用 をめ ぐっ て、 は っ き りと浮 き彫 りに な った時期 で あ った 。そ の一 端 を、 当

時 のベ イ カー とバ ンクス の考 え を取 り上 げて見 て お きた い。 後 には 、 こ う した葛 藤 に整理 が つい た かの よ

うに 、多文 化教 育 の教 科書 的文 献 に、 人種 ・エ ス ご シテ ィと同様 か 、あ るい はそ れ に近 い比 重で 、 ジ ェ ン

ダーや 階級 、障 害 な どが記 載 され る よ うにな るが 、明 らか に当時 は 、人種 差 別の 問題 を優先 させ る主張 が

展 開 され てい た。

早 くか らジ ェ ン ダーに注 目 して い たベ イ カー は、多 文化 教 育 を 「合 衆 国 に存在 す る多様 性 や、 この多様

性 と世 界 との 関係性 に個 々人が 触 れ る プロセ ス」 と して捉 えてい る6こ の よ うな多様 性 に、 エ スニ ック/

人 種 マ イ ノ リテ ィ集 団 の他 に、 宗教 的 な集 団 、言 語 、性 差(sexdifference)を 挙 げて い る(Backerl978,

p.135)。 ベ イカ ーは 、多様 性 の範 囲 を広 げて全 ての 子 ど もを対 象 とす る こ と、性 差 別 の削減 に も努力 す る

こ とを強調 してい るが 、 その 中心 に は多民 族教 育 が あ るべ きだ と主張 す る。 多文 化教 育 で想 定 され てい る

文 化集 団 の様 相 は、 エ ス ニ ッ ク的 な経 験 か ら強力 に影 響 を受 け て い るた めで あ る。 したが って、 「多 文 化

教育 が な くと も 『多 民族 教 育』 を行 う こ とは可 能 で あ るが、 多文 化教 育 は多 民族 的 要素 を含 まず して行 う

こ とはで きな い」(Bakerl979,pp,256-7)と 述 べ てい る。

また80年 代 前 半 のバ ンクス も、 多文 化教 育 に対 して警戒 的 であ った。 もちろ ん、 それ まで排 除 されて き

た諸 集 団 の研 究 に とって 「有益 な傘 」 を提 供 して い る点 で多文 化教 育 に賛 成 は して い るが、 多文 化教 育 と

い う名 の もとで 多様 な集 団の 問題 を全 て まとめて しま う ような公 的政 策 や学校 政 策 は、 どの 集団 に とって

も効 果 が な く、む しろ不 利 に なる と考 えて い る。とい うの も、それぞ れ の集 団 には それ特 有 の問 題が あ り、

専 門的 な分析 や戦略 が必 要 で ある か らで あ る。 バ ンクス は、 合衆 国 の人種 ・・エス ニ ック集団 特有 の 問題 を

考 える な ら、 多 文 化 教 育 の 強 化 の ため に も多 民 族 融 育 を実 行 して い くべ きだ と主 張 す る(Banks1981,

pp5正一2)。多民 族教 育 は 「グ ロー バ ル な コ ンセ プ トで あ る多文 化 教 育 の全 て で はな い に して も本 質 的 な部

分 であ る」(Banksi979,p.240)と 、 ベ イ カー と同様 の見 解 に至 って い る。

これ まで 見 て きた とお り、80年 代 前 半 まで の多 文化 教 育 は、 ジ ェ ンダーの 視点 の不 在 か らそ の導 入 を果

た した もの の、 多文 化教 育研 究 者 の ジェ ン ダーに対 す る注 目はあ ま り積 極 的で は なか った と言 え る。

80年 代 後 半以 降 は 、あ らゆ る方面 か ら多文 化教 育批 判 が出現 す る。 一 方の 軸 には新 保 守主 義 の潮流 が あ

る。 多文 化教 育 や 多文 化主 義 の興 隆 に よるエ スニ ック ・マ イ ノリテ ィの 台頭 に対 して、 白人 の既 得権 が 脅

か される、 国家 を分 裂 に導 くと して、学 校 や大 学 の カ リキ ュ ラム に西 洋 中心 主義 の再 構 築 を求 め る動 きが

顕著 にな った。 他方 には 、左派 か らの 多文 化教 育批 判 が あ る。彼 らは、 多文 化教 育 は、教 育 にお ける人 種

的不 平等 に対 す る 問題解 決 を、態度 や価 値 、心 理 的差 異 に求 めて ば か りで、 マ イ ノ リテ ィの 生徒 の学 力 達

成 を高 め て い ない 、労 働 市場 との結 びつ きに対 す る分 析 が甘 い と批 判 す る{注4}。多文 化教 育 は 「右 か ら も

左 か ら も批判 され てい る」状 態 で あ る。 その左 派 の批 判 の中 に は、 わず か なが らで はあ るが 、 ジ ェ ンダー

に 関す る指摘 が 見 られ る(MaCa曲y1988)。 批 判の 焦点 は、 人種集 団 内 の ジェ ン ダーや 階級 とい った力 学

を無 視 して い る こ とにあ る。 しか し、次 に見 る よ うに、 こ う した 指摘 や批 判 は、 多文 化教 育研 究 内部 か ら

も同時期 発せ られて い た。

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多文化教 育研 究 におけ るジェンダー概 念に関する一考察 一アメリカ合衆 国における動向 をめ ぐって 一 21

3.人 種 ・階級 ・ジェ ン ダー

1)人 種 ・階 級 ・ジ ェ ン ダ 「 の 交 差(intersectbn)・ 統 合(integration)

多文 化教 育 で ジェ ン ダー を取 り上 げる場 合 、 ジェ ン ダーが 人種 的経験 に よっ て特 徴 づ け られ る こ と、 人

種 的経験 もまた ジ ェ ン ダーに よって 異 な る こと、 この2つ の視 点 をお さえる必 要 が あ る。 多文 化教 育研 究

者 であ る ス リー ター とグ ラ ン トは、 これ まで の多文 化教 育 に こ う した視点 が抜 け落 ちて いる ことを指摘 し

た(Grant&Sleeter1986,Grant,S蓋eeter&Andersonl986)。 多 文化教 育 は 、「個 人 はあ たか も一 つの 入種 集 団

の メ ンバ ーで あ る とか 、一 つ の ジェ ン ダー集 団、の メ ンバ ーで あ る とい うふ うに、 人種 とジ ェ ンダー を個 別

の もの と して扱 う」 傾 向 にあ る とい う(Grant&S且eeterl986,p.195)。 また、教 師が 、黒 人や 女性 に 関す る

こ とを生 徒 に教 え る とき、黒人 「男性 」や 「白人」女 性 につ いて教 える こ とが しば しばあ る と も言 わ れ る。

教 師が意 図 的で な い に して も、 そ れが頻 繁 にあ ま りに も無 配慮 に行 われ るので あ れ ば、多 文化 教育 が エ ス

ニ ック ・々 イ ノ リテ ィ男 性 主導 、 白人女 性 主導 の もの と見 な され る危 険性 が ない とは言 い切 れ ない。 ス リ.

一 ター とグ ラ ン トは、 人種 ・階級 ・ジ ェ ン ダーの交 差 へ の注 目、3変 数 の統 合 を、多 文化 教 育 に取 り入れ

る よう主 張 し、 自 らの多 文 化教 育論 ど して 「多文 化 的で 社会 再建 的 な教 育」 を提 唱す る ように なる。

人種 ・階級 ・ジ ェ ン ダーの3変 数 の交 差 は 、80年 代 か ら女 性 学研 究 な どで 重視 され る よ うに な った が 、

そ れ以前 か ら、人種 差 別、 性差 別 、階級 的搾 取 が いか に相 互 に関連 し、絡 み合 って いる か を理 論化 して き

たの は黒 人 女性 学で あ る。黒 人 女性 学 を担 うブ ラ ック ・フェ ミニ ス トは、黒 人解 放 運動 にお け る男 性 中心

主義 とフ ェ ミニ ズ ムの 白人 中心 主義 の両 方 を批 判 して きた。性 差別 と人種差 別 の両 方 に直 面 して い る黒 人

女性 に とって~ そ の.こち5か しか 目 を向1ナない 運動 や思 想 は全 く現 実 的で は ない。 た とえば 、第二 波 フ 土

ミニ ズム は、 女性 が 家庭 に押 し込 まれ賃 金労 働 か ら排 除 され て い る と して 、 女性 に 「台所 か ら仕 事 場 へ」

と呼 びか けたが 、経 済 的必 要性 か ら働 か ざる を えなか っ た黒 人女性 や 労働 者 階級 の女性 に とって 、仕事 へ

の ア クセ スは決 して 「解 放 」 を意味 しなか っ た。第 工波 フェ ミニ ズ ムの い う .「女性 」 が 「全 ての 女性」 で

はな く、 白人 の高学 歴 で裕福 な専業 主婦 を指 して い た こ とは今 と.なって は有 名で あ る。一 つ の集 団内部 は

一様 で は な く、性 や階級 、人種 、 エ スニ シテ ィな どに よって考 えや体 験が 違 うとい う 「内な る差 異」 の存

在 が明 るみ に され たの で ある 。黒 人 女性 で あ る フ ック.スは著 書 『私 は 女で はな いの か』 の 中で 、 「女性 と.

は白 人女性 と同義 語 で あ り、黒 人.とは黒 入男性 と同義 語 」で あ っ て、 「合 衆 国 にお け る どの集 団 も、黒 人

女 性 ほ ど、 存 在 の な い もの と して ア イデ ンテ ィテ ィが 社 会 化 さ れて きた もの はい ない」 と語 っ て い る

(hooksl981,pp.7-8)o

しか し、「有色 女性(womenofcolor)」.の 「排 除」 を解決 す る ため の 「統 合」 が 、必 ず し も常 に望 むべ

き形 であ る とは限 らない{葡 。 彼 女 ら に とって 「快 適 」 で も 「簡単 」 で もない 。女 性 学 の カ リキ ュ ラム統

合 を一例 に取 り上 げ よ う。1969年 に最 初 の女性 学 コースが 高等 教 育 で設置 され てか ら、女 性学 の学 際 的 な

学 問 としての性 質 を反 映 させ るべ く、 カ リキ ュ ラム統 合 の プロ ジェ ク トが、民 間財 団や政 府機 関、 また は

個 々 の大学 の サ ポー トに よって組 まれて きた 。1985年 に、 こ う した カ リキ ュ ラム改革 の 成果 を評 価 す る会

議 が フ ォー ド財 団 主催 で 開か れ たが 、議 論 の 中心 とな ったの は 、.女性 学 や フ ェ ミご ス トの知 が 、女性 の 中

の 多様 な人 種 ・エ スニ ック、 階級 的現 実 を見 落 と してい る点 で あ った。 フ ォー ド財 団は 「マ イ ノ リテ ィ女

性学 のメ イ ンス トリーム ・プ ロ グラ ム.」を立 ち上 げ、.有色 人 女性 の役 割 や貢 献、 パ ース ペ クテ ィブ を取 り

入 れ る こ とに注 意 を促 した。1986年 には 、 メル フ ィス大学 な どで、有 色女 性研 究 の ため の拠 点 とな るセ ン

ターが 設立 、 エス ニ ック研 究 と女性 学 をコ ラボ レー シ ョンさせ る プロ ジェ ク トがす すめ られ た。 プロ ジェ

ク トは カ リキ ュ ラム統 合 の面 で は成 果 を上 げ た と言 わ れて い るが 、 「人種 ・エ スニ ック研 究 と女性 学 に既

に提 携 が あ る と想 定す る こ とは ナ イー ブであ っ た」 とい う指摘 もあ る。 両者 の溝 は深 く、そ の掛 け橋 を任

され るの は き まって 有色 女性 の研 究者 で あ った。 「噌 方 で、 ほ とん ど 白人女性 ばか りの 女性 学 プ ログ ラム、

も う一 方で 、 ほ とん ど男性 ば か りの しば しば性 差 別的 で 同質 的 な人種 ・エス ニ ック研 究 プ ロ グラム で」話

を す る こ と は 、 大 き な負 担 で あ る 上 に 「引 き裂 か れ る 」 思 い で あ っ た と言 わ れ る(Fio1-Matta&.

Chamberlaineds.`1994,p.5)。 こ う した事 実 は、 あ らゆる立 場 の者 に よる 、そ の溝 を埋 め る ため の横 断的 な

「対 話」 が 不可 欠 な こ とを示 して い る。 「人種 ・階級 ・ジェ ン ダーの 交差 ・統 合」 と言 う には易 しい が、 そ

の行 為 主体 の 責任 を一 身 に課 される マ イ ノリテ ィに とって は重荷 で しか な い。統 合 は決 して簡単 な作 業 で

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22 今 井 貴代子

は ない こ とに意識 的 であ るべ きで あ ろ う。

多文化教 育 が ジ ェ ンダーの 視点 を改 め て捉 え なお し、人種 ・階級 ・ジェ ンダーの統 合 を主張 した頃 とは、

これ まで 見 て きた とお り、マ イノ リテ ィ女性 の存 在 が可 視化 され、 フ ェ ミニ ズ ムや女 性学 におい て女 性 の

中の 多様 性が 重視 され る よ うにな った時 期 と重 な ってい る。 ジェ ン ダーの視 点 を取 り入 れた 多文 化教 育 に

とって、 フ ェ ミニ ズムや 女性学 研 究、黒 人女性 学 か ら学 ぶべ きところ は多 い。

2)マ イ ノ リテ ィ女 子 生 徒 の学 校 教 育 経 験

ジェ ンダ ー と教 育研 究 の研 究成 果や 動 向 を見て み よ う。 多文 化教 育 が ジ ェ ンダー に注 目 した よ うに、 ジ

ェ ン ダー と教 育研 究 にお いて も、 人種 やエ ズ ニ シテ ィの変 数 を交 えた研 究報 告 が多 く出 されて い る。

90年 代 に入 って、教 育現 場 にお い て依 然 として性 的偏 見が 教室 に充 満 してい る とす る、 アメ リ カ大 学女

性 協 会(AAUW)に よる報 告 書 『学 校 は 女子 を平等 に扱 って い るか』 が 出 された 。 こ の報告 書 は72年 の

「タイ トルIX」 の 法律 施 行以 来20年 も経 つ とい うの に、学校 教 育現 場 で セ ク シズ ムの問 題が ほ とん ど変 化

して い ない こ とか ら、 「第9条 は問 題 を解 決 して い ない」 とい う立 場 で出 され た もので あ る。加 えて、91年

ブ ッシ ュ大統 領が2000年 まで の国 家 的教 育 目標 と して出 した報告 書 『2000年 の ア メ リカ』 におい て、 性差

別 へ の取 り組 みが 全 く触 れ られて い ない こ とへ の批 判 で もあ る。

報告 書 は、幼 稚 園 か ら12学 年 までの 学校 現場 を調査 した結 果、 以下 の ような知 見 を報告 してい る。 ① 女

子 は男 子 よ りも、教 室 内 で教 師 に学業 達 成 を励 ま され ない。② カ リキ ュラ ムで少 女や 女性 の貢 献 や経験 が

頻 繁 に無視 されて い る。 ③人 種 と階級 の違 い に よ って、教 師 が女 子 にか な り異 なっ た扱 い を して い る。④

女 子 は男子 よ りも、数 学 や科学 の コース を選択 した り、 そ う した 分野 で のキ ャリア を追求 す る ものが少 な

い 。 同協 会は 、報 告書 の最 後 で、 少女 や若 い女 性 が平 等 な教 育機 会 を受 け られ るため の40項 目の勧 告 も行

ってい る(AmericanAss㏄iationofUniversityWomen1992)。

中 で も、③ に挙 げた 人種 ・階級 の違 い に よって 女子 生徒 の学校 経 験 が異 なる とい う部 分 に注 目 したい。

マ ッカ シーが指 摘 す る よう に、多文 化教 育 は こ う した 「マ イノ リテ ィの女 性 や少 女が 、 ジェ ンダーの 問題

の ため に、同 じマ イノ リテ ィ集団 の男性 よ りもか な り異 な った人 種的 不平 等 を経験 して いる」 点 に注意 を

向 け る必 要が あ る。 立場 が 違 え ば、 「個 人 や集 団 は、 自 ら と学 校 の よう な経 済 ・政 治 ・文 化 的機 関 との関

係 にお い て、 同 じ時 間 、 同 じ場 所 にい なが ら も、特 定 の意識 を共 有 して いる ので も、 同 じ利 益 、願 望 、欲

求 を表現 してい る ので もない」(McCanhy正988,p。275)。 さ まざ まな力学 に よって生 み 出 される 緊張 や矛盾 、

不 連 続性 な どを詳 細 に見 て い く研 究 が必 要 と されて い る。

それ では 、マ イ ノ リテ ィの女子 生 徒 は ど ういっ た教 育経験 を してい るの で あろ うか。 黒 人女子 生 徒 の場

合 を見 てみ よう。黒 人 は カー ス ト的 マ イ ノ リテ ィと して、教 育 達成 が妨 げ られ て いる と概 して言 われ るが 、

黒 人女子 生徒 は黒 人男子 生徒 よ り も教育 達成 が ず いぶ ん高 い とい う報告 が これ までな され てい る。 そ れ に

も関わ らず 、黒 人女 子生 徒 は、黒 人 男子 生徒 に比 べ て学 力 的 なス キル に対 す る 自尊 感情 が低 く、黒 人男 子

生 徒 よ りも自分 自身 を教 師や 仲 間 との関係 におい て影 響 力が ない と感 じてい る者 が多 い(Grant1984,p.99)。

こ う した矛 盾 は なぜ 起 こるの か 。黒 人 女子 生徒 の教 室 内 で の 「位 置(place)」 を明 らか に した、 リ ンダ ・

グ ラ ン トの実 証研 究(Grant,Linda1984)は 、そ う した矛 盾が 起 こる メ カニ ズム を考察 す るた めの材 料 を提 供

して くれ る。

グ ラ ン トは、 合衆 国 の小学 校 で数 年 フ ィー ル ドワー ク を行 い、教 師 の教室 実践 につ いて詳 細 な観 察 とデ

ー タ分析 を行 った。 対 象 とな った小学 一 年生 の半 数 が黒 人で あ る。

グ ラ ン トが 明 らか に した ことは 、 白人教 師 にお け る評価 と学 力 選 別 の戦 略が 「人種 一 ジ ェ ン ダー集団 」

に よって かな り異 な る ことで あ る椛6)。白人 教 師は 、黒 人 白 人間 わず女 子生 徒 全般 を 「成 熟 して い る」 「役

に立 つ」 と見 て い るが 、 白人女子 生 徒 には 「知 的 に成熟 してお り、学校 に適 して いる」 とラベ リングす る

の に対 し、黒 人女 子生 徒 には 「社 会的 に成 熟 して いる」 「学問 に向 いて ない 」 とラベ リ ングす る傾 向 にあ

る とい う。教 師 は この 「社 会 的成熟 」の ラベ リ ング の も とで 、黒 人女 子生 徒 を 「中間者 ・間を とり もつ者 」

と して 配 置 し、黒 人男 子 生 徒ヘ イ ン フ ォーマ ル な連 絡 を伝 え た り、彼 ら を指導 した り した い 時 に 、そ の

「中 間者」 を利用 す る。

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多文化教育研究におけるジェンダー概念に関する一考察 一アメリカ合衆国における動向をめぐって一 23

グ ラ ン トは 、教 師 との イ ンフ ォーマ ル な関係 や 態度 に関 して も、黒 入女 子 生徒 の立 場 の特殊 性 を指摘 し

て い る。 黒 人女子 生 徒 と白人女 子生 徒 の比 較 は、黒 入 女子 生徒 の 方が教 師 との会 話が 少 な く、接触 時 間が

短 い とい う単 純 な 図式 で説 明 され るが 、黒 人男 子 生徒 との比較 で は複 雑 に なる。黒 人 男子 生徒 は黒 人 女子

生徒 と も他 の集 団 と比べ て も、教 師 と話 す 時 間は短 い 。 グ ラ ン トは この 関係 を 「仲 た が い」 と捉 え、 白人

の 女子教 師が黒 人 男子 生 徒 に対 して恐 れ て いた り、「脅 か され てい る」 と感 じて い るた め だ と解 釈 してい

る。 しか し、興味 深 い のは 、そ の よ うな関係 に も関わ らず 、教 師 は少 な くと も一 つの クラス に~ 人の黒 人

男 子 生徒 を 「学力 優 秀者 」 あ るい は 「ス ーパ ース ター」 と して選 び出 してい る こ とで あ る。 グ ラ ン トに よ

れ ば、黒 人女 子生 徒 は学 力 選別 に おい て 「平 均 の学 力 を持 つ者 」 と分類 され 、平均 か 平均 以 下の トラ ック

へ と割 り当 て られて い る とい う。

黒 人女 子生 徒 と白人女 子生 徒 の学 校経 験 の違 い は、教 師 が 白人女 子生 徒 に は教 育達成 を励 し、黒 入女 子

生 徒 に は、社 会 的、 ケ ア的 、世話 役 的 な資 質 を伸 ばす ように接 してい る こ とにあ る。黒 人 女子 生徒 の学 校

経 験 は、 そ う したス テ レオ タイプ的 な黒 人 女性役 割 へ と結 び つ くように な ってい る。 た だ し、 グラ ン トは

この よ うな黒 人女 子 生徒 の 「位置 」 は複 数 の力 の相 互作 用 で築 か れて い る こ とに注 意 を促 してい る。教 師

の他 に も、親 や仲 間 、そ して黒 人女 性 とい う立場 を適切 な役 割 と して押 しつ ける社 会規 範 な どであ る。 こ

の よ うな分 析 結果 に もとつ いて 、 グラ ン トは、 十分 な教 育機 会 や教 師 との 時 間、学 校 にあ る資源 へ の ア ク

セス とい った 点 にお いて ζ全 て の黒 人 は不利 な立 場 に あ るが、 中で も黒 人女 子生 徒 は もっ と も困難 な立 場

にあ る と して い る。

グラ ン トの研 究 は、 「黒 人生徒 に関 す る研 究 や 女子 生 徒 に関 す る研 究 か ら推測 して い たの では 、 十分 に

理 解 す る ことがで きない」 黒 人女 子 生徒 の学 校経 験 を、 人種 ・ジ ェ ンダ ーの相 互の 力学 か ら見事 に捉 えて

い る と言 え よ う。

3)「 付 加 モ デ ル 」 で な く 「複 合 差 別 」 の 視 点 で

マ イ ノ リテ ィ女 子生 徒 を可 視化 し、彼 女 らの差 別 的で 不平 等 な学 校経 験 を分析 す る こ とは確 か に意義 が

あ る と しも、マ イ ノリテ ィの 女子 生 徒 が全 て 等 しい経 験 を してい る か とい うと、必 ず し もそ うで は ない 。

マ イノ リテ ィ と一 言 で言 って も、 そ こ には多様 な人種 ・エス ニ ック集団 を想 定 でき る上 に、 当然 個 人差 が

あ る。 しか も、マ イノ リテ ィ女子 生徒 を、人 種差 別 と性差 別 の シス テ ムの 中で常 に成功 への 道 に閉 ざ され

て い る者 と見 た り、差 別 を受 け る客体 と して のみ捉 え るので あ れば 、本 質主 義や 悲 観論 に陥 って しま う こ

とに なる。

「複 合差 別」 とは上野 の造語 で あ るが 、人種 ・階級 ・ジ ェ ンダー の交差 を重要 視 す る多文 化教 育 に とっ

て は鍵概 念 と言 え る。 上野 は 、民 族 ・階級 ・性 別 ・障害 の4つ の要 素 か らな る12通 りの 因 果 関係 か ら複合

差 別の現 れ 方 を分析 して いる が、複 合差 別 とは 「た ん に複 数 の差 別が 蓄積 的 に重 なった状 態 をさす ので は

な い。複 数 の差 別 が、 そ れ を成 り立 たせ てい る複 数 の文脈 の 中で ね じれ た り、葛 藤 した り、 ひ とつ の差 別

が他 の差 別 を強 化 した り、 補償 した り、 とい う複 数 の 関係 に あ る」 こ とを指 す概 念 で あ る(上 野1996,

206頁)。 先述 した黒 人 女性 学で も、当 然 、複合 差 別 の よ うな視点 は重 視1され てお り、 この概 念 に対 比 す る

もの と して 「付 加 モ デ ル(addictivemodeD」 を挙 げて い る。付 加 モ デ ル とは、 「貧 しい アフ リカ系 アメ リ

カ人女性 は 、人 種 ・ジェ ンダー ・階級 の三 重 の抑圧 を経験 し、貧 しい ラテ ン系 の レズ ビァ ンは四 重 の抑 圧

に遭 遇 す る」 とい う風 に 、差異 が つ け加 わ る度 に、抑 圧 が重 な って い くとす る見 方 であ る。 黒 人女性 学 で

は 、 こ う した付 加モ デ ル は拒 否 され る(Anderson&CoHinseds.2004,p.5)。 確 か に、付 加モ デ ルで は差 異

に よる差 別 の ヒエ ラ ルキ ー を招 くば か りか、 実態 を的確 に反 映 して い ない。 前節 で 見て きたの は、黒 人 女

子生 徒 は人種 差 別 と性差 別 の両 方 に直 面 しな が ら も、黒 人男子 生 徒 よ りも成 績が よい。 そ うで あ るに も関

わ らず 自尊感 情 や他 者 に対 す る効 力感 とい った点 で は男子 生 徒 よ りも低 い こ とで あ った 。 グ ラ ン トの硯 究

成果 を交 えつつ 言葉 を返 せ ば 、白 人教 師 に よって教 育 達成 を励 ま され る ことが少 な く、黒 人 男子 生徒 や 白

人女 子生 徒 と異 な る扱 い を受 けて い るに も関 わ らず、 成績 は黒 人 男子 生徒 ほ ど悪 くな く教 育 に対 して も肯

定的 態度 を見 せ てい る。 この二 転三 転す る ね じれが 黒 人女子 生 徒の 現実 を構 成 して い るので あ る。

イギ リス や フラ ンス で は、 イス ラ ム圏出 身移 民 の少 女 た ちの ジ ェ ンダー形 成や教 育 経験 を扱 った研 究 が

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24 今 井 貴代子

数 多 く報 告 され て い るが 、 そ れ らが 示す の は、 伝統 的 な母 、妻 の役 割 を強 調す る家 父 長的 性格 の 強 いイ ス

ラム文化 の 中 にあ って も、 キ ャ リア志 向の あ る少女 たち の姿で あ る。 イギ リスや フ ラ ンスで学 校教 育 を受

け 、そ の社 会の 中 の女性 の 意識 や行 動様 式 を学 んだ少 女 た ちに とっ て、伝 統 的 な家族 モ デル の再 生産 は考

え られ ない もの 、耐 えが たい もの に映 る。 彼女 らは、 家族 の押 しつ ける規 範 や期待 に反 して 、彼 女 らには

必 要で ない と され る知性 や 能力 を身 につ ける こ とに専 念す る。 学 業達 成 とは 、彼 女 らに とって将 来 の経済

的 自立 、家 族 か らの 自律 を意味 して いる。 もち ろん、社 会 や学 校 の 中に 人種差 別 や性差 別が存 在 す る こ と

には意識 的 で あ るが 、 それ 以上 に学 校教 育 が、 人種 差 別や 性差 別 に対抗 す る ため の手段 と して見 な され て

い るの であ る(Weiler1988,pp.46-8)。

こ う した ム ス リムの少 女 の事 例 か ら見 えて くるの は、家 族 の文 化、 そ の構成 員 の意 識 が、 周 囲の文 化 的

土壌 や学 校教 育 とい う場 を経 由す る こ とで 変化 した とい うこ とで あ ろ う。 女性 の教 育 を重 要 と しな い文化

規範 を押 しや って 、学校 教 育 を 自由や 自立へ の プ ロセ ス と して捉 え られ て い る点 は興 味深 い(勘。 マ ッケ

ラー は、 イギ リス にお け るカ リブ系 黒 人女 子生 徒 で あっ た 自身の教 育経 験 を振 り返 り、 ムス リムの少 女 と

同 じよ うに、学 校や 教育 が 自由へ の手段 で あ った と語 る。 仲 間 うちで の差 別 や教 師 のネ ガテ ィブな態 度 に

も関 わ らず 、 む しろ そ れ に対抗 す るか の よう に学 業 に励 み 、 「障 害 を乗 り越 え る には どう した らい いか 、

目的 を達 成 す る には どれ だけ時 間が か か るか」 を戦 略 的 に考 え、 時 には学 年 が上 の者 か ら必 要 な情報 を収

集 した りも した 。黒 人女 性 に とって 「適 合 中 の適 合者 の みが 残 れ る」教 師 の 職 につ い た彼 女 は、 「社 会 移

動へ の道 が 閉 ざ されて い ない こ とが必 要で あ り、教 育 は これ を達 成す る ため の一 つ の方法 なの だ」 と述べ

て い る(MaKe11ar1994)。 マ イノ リテ ィの 女子 生徒 に とって教 育 が 自由へ の プロ セス と して捉 え られて い

る点 に注 目 しつ つ も、 マ ッケ ラー の 「適 合 中 の適合 者 の みが残 れる」 とい う言葉 が示 す通 り、彼 女 らに と

って まだ まだ教 育達 成 や社 会的成 功へ の 門戸 が狭 い とい う現 実 も忘 れて は いけ ない 。

ところで 、教 育達 成 を向 学校 文化 、既 存 の制 度へ の 「適 応」 と して捉 え るな ら、教 育達 成 の意 味合 い が

変 わ って くる。 社会 的成 功 とはい った い何 を もって成功 であ るの か とい うこ とに対 して も疑 問が 生 じて く

る。 多文 化教 育 に も、教 育研 究 全般 に も、 こう した矛 盾 や葛藤 を どう乗 り越 え るか とい う課題 が残 され て

い る。 しか し、 当面 多文 化教 育 が 目標 とす る の は、全 て の生徒 に対 す る平 等 な教 育機 会 であ り、不平 等 な

環境 の 中 にあ る生徒 の教 育 達成 、生 徒 た ちの社 会 を見抜 く力 の獲得 な どにあ る と思 われ る。 こう した 目標

の ため に も、学 校 内 に見 られ るパ ワ ー ・ポ リテ ィク ス を無 視す るので もな く、悲 観 的な再 生 産論 に陥 るの

で もない見 方が 求 め られ てい る。学 校 にお け る文化 変容 の契機 を作 るの は、 もちろ ん教 師で もあ るが、 そ

の担 い手 は生徒 自身で あ る。学 校 内外 で見 せ る生徒 の 「抵 抗」 や 「葛 藤」 な ど 「生 きられた経 験 」 に着 目

してい く必 要が あ るく注8)。

4.ま とめ に か え て

1962年 に リー スマ ンの 『文 化 を奪 われ た子 ど も』 が刊 行 され 、マ イ ノ リテ ィの子 ど もは社 会の 主流 文

化=白 人文 化 を奪 われ て いる状 態 にあ る とい う見方 が 広 まった。 多文 化教 育 が そ もそ も 「文 化」 とい う用

語 を使 用 した の は、 こ う した 「文 化剥 奪 論」 に抗 して、 「文 化相 違論 」 を唱 え る こ とで 、劣 位 に置 かれ た

マ イ ノ リテ ィ文化 を引 き上 げ 、「文 化 」 は異 な りこそ あ れ同等 であ る こ と を示 す た めで あ っ た と言 われ て

い る(Sleeterl996,p.146)。 従 っ て、 「文 化的 多様性 」 は尊重 され るべ き もの と して 、 「文 化 」 は価 値 あ る も

の と して多 文 化教 育 で は位 置づ け られて きた。 また、 「文 化」 とい う言 葉 を使 えば 、エ ス ニ ック集 団だ け

で な く、あ らゆる集 団 を多 文化 教育 の範 囲で捉 える こ とが で きる。多 文化 教 育 の発 展 して きた プ ロセス に

は、 対象 とす る集団 の拡 張 があ る。 これ まで見 て きた とお り、 ジェ ンダー もそ う した プロ セス の中 で取 り

入れ られて きた 。

ジ ェ ンダーに 関連 して多 文化 教育 が行 って きた こ との一 つ は、 女性 の歴 史 や女性 文 学 、女性 の視点 な ど

を 「女性 文 化」 と捉 え、 これ まで排 除 され て きた 「女性 文 化」 を カ リキ ュ ラム に統 合 させ た り、そ の視 点

に よって主 流 の 「男性 文 化」 の再検 討 を促 して きた こ とであ る。 しか し、 「女 性 文 化」 とい う言葉 は、 言

葉 を使 う者 の意 図 を越 えて 、本 質的 に女 性 に備 わ っ た ものが あ る とい う印象 を与 え 、「女 ら しさ」 「男 ら し

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多文化教 育研 究におけ るジ ェンダー概念 に関する一考察 一アメリカ合衆 国にお ける動向をめ ぐって一 25

さ」 の イデ オ ロギ ー を再 強 化す る危 険性 が な い と も言 い切 れ ない 。そ の場 合 、多文 化 教育 は 、 ジェ ン ダー

の視 点 不 在 ど ころ か 、性 差 別 を助 長 す る働 き をす る こ とに な る。 しか し、文 化 とは 、 ジ ェ ン ダー 同様 、

「本 来相 互 の ヨコの 関係 で存 在 す る もので あ る が、 現実 には政 治 的 、経 済的 、 そ の他 の 力 を背景 とす る こ

とで 、特 定 の文化 が 優位 に立 つ タテの 関係 を構成 して い る」 もので あ る(平 沢 藍994,41頁)。 また 、 「受 動

的 な個 人」 を通 して単 純 に伝 達 され るの で な く、 日々 の実践 にお いて抵 抗 や葛 藤、 変容 を伴 う もので もあ

る。 この よ うに考 える な ら、女性 に見 られ る諸特 徴 を本質 と見 る イデ オ ロギ ーや その諸 特徴 が 生 み出 され

る基 盤 に こそ注 意が 向 け られ るべ きで あろ う。 実際 、 多文 化教 育 は、文 化 を単 に賞 賛 され るべ き もの と し

て の み 捉 え る の で は な ぐ、 そ れ が 生 み 出 され る 「社 会 政 治 的 な環 境 」 を重 視 して い く方 向 に あ る

(Sleeter&GrantI988,pp.184-6)。

そ う した 「社 会政 治的 な環 境」 とは 、 ま さに人種 や階 級 、 ジェ ン ダーな どの 力学 が働 く場 で あ る。本 論

文 で は、 マ イ ノ リテ ィ女 子生 徒 の教育 経 験 を扱 っ た実証研 究 をい くつ か取 り上 げ たが、 人種 や エス ニ シテ

ィの観 点 か ら教育 現場 を見 る こ との 多か っ た多文 化教 育 に とって、 人種 め力 学 だ けで捉 え てい て は見 えて

こ ないマ イノ リテ ィ女 子 生徒 の 「位置 」 を分析 す る研 究 か らは 、学 ぶべ きこ とが多 い。 た だ し、人種 ・階

級 ・ジ ェ ン ダーの交差 とは 、決 して マ イ ノ リテ ィ女子 生 徒 だ けの分析 に と どまる の もので は ない。 マ ジ ョ

リテ ィ とされ る男 子生 徒 や女 子生 徒 な ど、 多様 な 「位 置 」 の形成 され る プロ セス を詳細 に見 る こ とが必 要

であ り、 その 成果 が 多文 化教 育の 理論 や教 育 実践 に反 映 され てい くこ とが 望 まれ る。

他方 で 、 ア メ リカ合 衆 国 をは じめ 欧米 諸国 の フ ェ ミニ ス トの 問で は、 近年 、 多文 化主 義 とフェ ミニ ズム

をめ ぐる議 論 が論 争 の的 に な っ、てい る。 その 火づ け と も言 え るのが 、1997年 に 『ボス トン ・レ ビュー』 の

雑 誌 に掲 載 され、 後 に、 応答論 文 と ともに再 編 され 出版 された 、 オ ゥキ ンの 論文 『多文 化主 義 は女性 に と

って よ くな い もの か』 で あ る。 オ ゥキ ンは、 同 じ反差 別 を主 張す るフ ェ ミニ ズム と多文 化主 義 な ら容 易 に

調 和 し合 え る とい う考 え に留 保 をつ ける。む しろ、そ こに はか な りの緊張 関係 や衝突 が見 られ るので あ り、

フ ェ ミニ ズ ムの立 場 か らは、 多文 化主 義 に対 して懐 疑 的 であ るべ きだ と主張 す る。 とい うの も、 多文 化 主

義 者 は、 明 らか な性 差 別 を行 う文 化 に対 して は その集 団 の権 利 を擁護 しな い と して い るが、 性差 別 はそ れ

が 公 に な りに くい 私的 領域 で こそ 頻繁 に行 われ、 かつ そ の文 化の 維持 や 再生 産 の基盤 に さえ なって い るこ

とが多 い か らで あ る。 そ う した文 化 を集 団 の権 利 と して認 め る こ とは、 「た とえ男性 に とっ て有益 に なっ

た と して も、 その 文化 の少 女 や女性 の 利益 にな らな いか も しれ ない」 と彼 女 は言 い 、集 団内 の不 平等 に注

意 を向 け る こ とや、集 団 内の 力 を持 た な い者 に光 を当 て る こ とに、 緊急 に取 り組 むべ きだ とす る(Okin

l999)。

オ ゥキ ンの呈 した問題 とは 、多文 化 主義 の 中で は議論 され て も、多 文化 教育 研 究 の中 で、物 議 を呼 ぶ ほ

どに論 じられ た こ とは ほ とん どな か った と思 われ る。 そ の理 由 を、そ もそ も、多 文化 教 育 は性 差別 に反対

の 立場 を とってい る か らだ と考 える こ と もで きる。本 論 文で も見 て きた よう に、 不可 視 化 され て きたマ イ

ノ リテ ィの女 子生 徒の 経験 に も注 意が 払 われ て きた。 しか し、 ウ ォル ッ ァーが 「教育 が 公共 圏へ の参 入 の

第 ニ ポ ィ ン ト」(walzer訳 書2003,1Q4頁)と 言 う ように、 学校 は さま ざ年 な家 庭 文化 の 中で 育 った子 ど も ・

た ちが 、 その文 化 を初 め て公 に持 ち寄 る場 で あ る。仲 間 うちでの 文化 の違 い に よる衝 突 は もちろ ん、家 庭

文 化 と学 校 文 化 との対 立 も起 こる。 学 校 とは 、異 質 な文 化 同 士 が 出会 う典型 的 な空周 であ る。 その 中 で

「フ ェ ミニ ズ ム と多 文化 教 育 の衝 突 」 と考 え られ る もの が 生 じる訂 能性 もあ る だ ろ う。 そ うで あ る な ら、

多文 化教 育 に とって も オ ゥキ ンの提 起 した問題 は決 して無 関係 で は ない 。実 践 に結 びつ い た多文 化教 育 と

して は、実 際の教 育 現場 で見 られ るパ ワー ・ポ リテ ィクス と、その 中 にあ る生徒 た ちの 「生 きられ た経 験 」

を丁寧 に見 て い くことが求 め られ てい るの であ る。

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26 今 井 貴代子

<注>

1)19世 紀後半か ら20世紀初頭 にか けての女性 の参政権獲得運動 を第一波 フェ ミニズムと呼ぶの と対比 的に、1960

年代以降発展 した女性解放運動は第二波 フェ ミニズム と呼ばれる。

2)ジ ェ ン ダー とは、生 物学 的性 差 を示 す セ ックス に対 して 、社 会的 ・文 化 的 に形成 され た性 差 を表 す概

念 で あ るが、90年 代 以 降 その捉 え方 も変 わ りつつ あ る。

3>ジ ェ ン ダー の観 点 か ら、 ア メ リカ合衆 国の 教員 養 成教 育 の流 れ を追 って い た碓井 は、多文 化 教育 の扱

う内容 に ジ ェ ンダ ーの 問題 が含 まれ て い る こ とに対 して 、 「マ イ ノリテ ィと女性 の 問題 は社 会 か らの

差 別 を受 け る グル己 プ とい う意味 で等 しい扱 い を受 け て いる とい え よ う」(碓 井1994,367頁)と 述べ

て い る。

4)ス リー ター に よれ ば 、 「ラデ ィ カル左派 」 か らの多 文 化教 育 批判 は、 多文 化教 育研 究 の これ まで の蓄

積 を十 分 に理解 して い ない こ と、多文 化 教育 本 来 の社 会運動 的要 素 を見過 ご して い る こ とに問題 が あ

る とい う(SleeteT2001)。

5)"womenofcolor"と は、 生物 学上 の概 念 や 人種 的 ア イデ ンテ ィテ ィ を指 す もの で はな く、一 般 に 、あ

る政治 的課 題 を共 有す る女性 の ポ リテ ィカル ・ア イデ ンテ ィテ ィ と して捉 え られ てい る。 「有 色女 性」

とい う訳 以 外.にも 「非 白人」 な どが あ るが 、 日本語 に直 さず その まま使 用 され る こと もあ る。適 切 な

訳 をめ ぐって さま ざまな意 見が あ る。

6)「 人 種 一 ジ ェ ンダー 集団 」 とは、 人種 と ジェ ンダー の交 差 に もとつ く集 団の こ とで 、 グ ラ ン トの研 究

で は、黒 人女子 生徒 の教 育経 験 が 、黒 人男子 生徒 、白 人女子 生徒 との比 較で 考察 されて い る。

7)た だ し、 女子 に対 す る教 育達 成 や職 業達 成 の期 待 の低 さは、 ムス リムの文 化 だ け に限 らず 、程 度 こそ

違 え どん な文化 に も見 られ る もので あ り、女 子 の進 学率 や アス ピ レー シ ョンな どの 問題 であ る。

8)ア メ リカ合衆 国で 批判 的教 育 学 お よびボ ー ダー ペ ダ ゴジ ー を提 唱 す る ジル ー(Giroux)は 、 生徒 の 「生.

き られ た経 験」 に着 目 し、生 徒 を 自己変 容 や社 会変 容 の明確 な行為 主 体 と見 なす こ とで、 学 校 を 「抵

抗 の場 」 「民 主 的 闘争 の場 」 と して 見 る。 また 、生 徒 が そ う した行 為主 体 にな る こ とを積 極 的 に促 す

こ とを教 師の 課題 とす る。 ジル ーの教 育 論 に対 しては批 判 もある が、 学校 内部 お よび社会 の 差別 構造

に対 す る生 徒 の 「抵 抗 」 のあ り方 に注 目す る点 、学 校 を差 別 に抗 す る文化 変容 の ため の空 間 と して捉

え る点 は示唆 的 で ある。

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28. 今 井 貴代子

AnAnalysisofGenderConcept

inMulticult"ralEducation

IMAIKiyoko

MulticulturaleducationintheUnitedStatesstartedas爬sponsesofminohtystudentsWhohadvadou.s

σ曾cultu鴨s"suchaSraceande血nicjtytovariouseducatl㎝alproblems,againstthebackgroundofthe益seoftheclvil

rightsmovement.Soon.itevolvedintomulticultur砕leducation,asisknowntoday,whichdea蓋salsowiththe

pK)blemsconceminggender,class,.disablllty,etc.Now.mロ1ticul田raleducationisgenerallykno曽nastherefbm.

movemehtofeduごationalsyslemando由errelatedorgan孟zationstoenablealhhestudentstohaveequa置educational

oPPoTtunities,regard[essoftheirracia1,ethnic,social,andg6nderbackgrounds.

Thispaperanalysesthedevelopmentprocessofsuchmultlcult町aleducationffo1hthevlewpointof

gender.Midl980'sisassumedtob6asignificanttumingpointわecausea臨rthattimemuchattentionhasbeengiven

t・geng・ ・i・m・lti・ulm・a1・d・ ・ati・n・lti・th・i・tersecti・n・f・ace・ ・lass鋤dgend・ ・th・ti・imp・ 宜antl・、山i・ki・g且bρ ・t

genderinmulticulturaleducation.If6cusoneducationalexperiences.ofminorityschoolgirlswheregenderintersects

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,


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