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東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3....

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心理学評鏡,1992,Vol.35.M2,234-2M 現代の血液型性格判断ブームと その心理学的研究↑廿廿↑ 東京都立大学簔鬘菫菫 1.はじめに 血液型性格判断がブームである。現代のブームは能見正比古(1971)の“血液型でわ かる相性”に端を発したものであり,このような一連の現象について米国の04Mt4ノs Wee""(1985)は9"現代の日本においては,ABO式血液型によって人間を類型化する という奇妙な方法が流行している”とやや椰楡的に報じたことがあった。このブームは 1984年をピークに鎮静化したという見方もあった(関西大学社会学部社会調査室, 1986)が,ここ2,3年の動向をみると,鎮静化というよりは潜在化と言った方が正し かったようである。1990年夏には,女性雑誌の牡〃。α刀"が血液型に関する特集号を発 売して,普段より10万部多い70万部を完売したと言われているし,ある大手企業が商 品開発のプロジェクトチームを作成するにあたって,特定の血液型の人間のみを集めて ↑本論文における現代とは,主に1971年から1991年までの約20年間をさす。 竹この論文が対象とするのは,血液型ブーム,血液型性格判断,血液型占いなどと呼ばれている 現象である。本論文ではこの現象を主に血液型性格関連説と総称するが,他の研究者の研究を 引用する場合にはその研究者の呼び方(血液型ステレオタイプなど)を用いることがある。異 なる名称で呼ばれても,そのレファレント(referent)となる現象自体はほとんど同じである。 呼び方の相違は,その語を使用する者の視点や理論的立場の相違を反映していると考えられる。 なお,本論文の題名に“血液型性格判断ブーム”という呼称が使用されているのは,匿名審査 者のおふたりから独立に同じ指摘をいただいたからである。 甘↑本論文作成にあたって東京都立大学詫摩武俊教授(現在東京国際大学教授)からご指導をいた だきました。また,日本大学大村政男教授からはこの問題に関する資料を随時ご送付いただき, また内容についてのご示唆もいただきました。おふたりに対して深く感謝いたします。また, 本論文中で引用している論文や資料の入手に際して,著者である皆槻(立正大学短期大学部溝 はじめ 口元助教授,聖心女子大学松井豊助教授,お茶の水女子大学坂元章専任識師)から便宜を 計っていただいたものがあります。あわせて感謝の意を表します。 キーワード:巾液型性格判断,血液型ステレオタイプ,血液型,性格,血液型件槍関連説 -234-
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Page 1: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

心理学評鏡1992Vol35M2234-2M

現代の血液型性格判断ブームとその心理学的研究uarr廿廿uarr

東京都立大学簔鬘菫菫

1 は じ め に

血液型性格判断がブームである現代のブームは能見正比古(1971)のldquo血液型でわかる相性rdquoに端を発したものでありこのような一連の現象について米国の04Mt4ノsWee(1985)は9現代の日本においてはABO式血液型によって人間を類型化するという奇妙な方法が流行しているrdquoとやや椰楡的に報じたことがあったこのブームは1984年をピークに鎮静化したという見方もあった(関西大学社会学部社会調査室1986)がここ23年の動向をみると鎮静化というよりは潜在化と言った方が正しかったようである1990年夏には女性雑誌の牡α刀が血液型に関する特集号を発売して普段より10万部多い70万部を完売したと言われているしある大手企業が商品開発のプロジェクトチームを作成するにあたって特定の血液型の人間のみを集めて

uarr本論文における現代とは主に1971年から1991年までの約20年間をさす竹この論文が対象とするのは血液型ブーム血液型性格判断血液型占いなどと呼ばれている

現象である本論文ではこの現象を主に血液型性格関連説と総称するが他の研究者の研究を引用する場合にはその研究者の呼び方(血液型ステレオタイプなど)を用いることがある異なる名称で呼ばれてもそのレファレント(referent)となる現象自体はほとんど同じである呼び方の相違はその語を使用する者の視点や理論的立場の相違を反映していると考えられるなお本論文の題名にldquo血液型性格判断ブームrdquoという呼称が使用されているのは匿名審査者のおふたりから独立に同じ指摘をいただいたからである

甘uarr本論文作成にあたって東京都立大学詫摩武俊教授(現在東京国際大学教授)からご指導をいただきましたまた日本大学大村政男教授からはこの問題に関する資料を随時ご送付いただきまた内容についてのご示唆もいただきましたおふたりに対して深く感謝いたしますまた本論文中で引用している論文や資料の入手に際して著者である皆槻(立正大学短期大学部溝

はじめ

口元助教授聖心女子大学松井豊助教授お茶の水女子大学坂元章専任識師)から便宜を計っていただいたものがありますあわせて感謝の意を表します

キーワード巾液型性格判断血液型ステレオタイプ血液型性格血液型件槍関連説- 2 3 4 -

佐藤渡遥現代の血液型性格判断プーム

チームを作成したという事例(朝日新聞1990)が報じられて大いに話題を集めたこともあったこの他園児と保育の先生との組合せを血液型によって決定する保育園や顧客管理の用紙にユーザーの血液型を記入させるコンピュータ会社まで出現する事態になってきた歌謡曲の世界でもldquo演歌血液ガッタガタrdquoなる歌が作られているし血液型によってお菓子の買い方が違うという内容のTVコマーシャルもオンエアされている女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多いさらに1991年8月には朝日新聞がldquoなんでもQampAなるコラム記事で4日間にわたってこの問題についてとりあげたこの記事は質問者の疑問に回答者が答えるという形で展開されているその質問者

の疑問とはldquo職場や学校などでの会話では血液型と性格行動とは関係あるということになっている一部の学者は否定しているのにこのような社会現象がおきているのは何故かrdquoというようなものであった企画報道室の担当者の手になる回答は人間関係を映し出す手がかりとして血液型は有効だという立場にたちブームのルーツである古川竹二の学説にふれ血液型についての生物学的基礎を語って血液型が体質型であるという考えを示し性格とは何かということを考えながら質疑応答を行っているその結果質問者はldquo血液型がブームになったおかげで人間の体質の差を知ることができhelliphellip(中略)相手の立場になったり他人を許せるゆとりもできたrdquoと述べるにいたっているこの発言に対して回答者は違いを認めるのはデモクラシーの原点だと答えている質問者の質問の中心はldquo反論があるのになぜ社会現象になっているのかrdquoという点であったのだが反論の存在に言及しないうえ4日間にわたって血液型によって人間(の行動や性格)は異なるということを説得的に述べてきたわけであるしかし心理学という学問分野の中では血液型による性格判断などはほとんど否定されているという歴史及び現状がある(溝口1986大村1990a松田1991松井1991)その点では朝日新聞のコラム記事は不十分だといえよう質問者が最初に言及したldquo一部の学者の否定論rdquoについては全く触れられていないのである筆者らの専門はマスコミ学ではないので新聞がどのように学問の成果や社会現象を

取り上げるべきかということについて言及することはできないしかし今回の記事に心理学的研究が引用されていないという事実は重大であり以下に心理学的研究の知見特に現代のブームについての心理学的研究を概観し紹介したいこのような概観は坂元(1989a)や大村(1990a)も行っているがここにその後の成果を含めて改めて考察することには意義が認められるだろうuarr

uarr朝日新聞のコラムが発表された後科学朝日rdquo誌がブームに否定的な立場にたちつつ心理学的研究を紹介している(木元1991)雑誌ldquoダカーポ(1992)も比較的公平な記事において心理学的研究を紹介しているまた文蕊春秋(縞)日本の講点(1992)にも多くの議点とともに紹介されている(高田1992参照)

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2血液型性格関連説の歴史的経緯

2-1古川竹二の血液型気質相関脱一一その展開と衰退性格心理学者である大村(1989b1990b)によればこのような考え方が簸初に現

れたのはldquo医事新聞に掲戦された医師による報告(原小休1916)である原粂立た

復は血液型が発見された直後のドイツに留学しており血液型の判定技術を日本に持ち帰った彼は日本で血液型の調査をするうちに何となく人柄から血液型が当てられることに気づいたという(松田1991)その後昭和の初期に教育学者古川竹二が独自の調査をもとに学説としての血液型気質相関説を体系化し活発な研究活動を行っていった原以外にも血液型と人間の個人差との関係に興味をもって仮脱をたてていたものは医師を中心に何人か存在したが松田(1991)によれば彼らは医師の領分を守ってか決して心理学的な研究を行わなかったという古川自身は自説に名前を付けていたわけではなかったので他の研究者が古川学説に言及する際にはldquo血液型と気質の問題rdquo血液型心理学rdquoldquo血液型による気質類型説rdquoなどと呼んでいた(潤口1986)彼の学

説の初出が日本心理学会の機関誌ldquo心理学研究rdquoであったこと(古川1927a)彼の論文が当時の学問先進国ドイツの学術誌や新興国アメリカのybumalqfSocml勘ノーc加jomj第1巻第4号に掲戦された(Fumkawa19281930)ことから類推すれば彼の学説は当時の学問状況においてオリジナリティが高く生産性のある優れた心理学的学説だと評価されていたようである彼の学説の特徴は当時隆盛しつつあった性格の類型論を血液型という(最新の)生物学的指標から展望したことであろうuarrb瀧口(1986)によれば1928年から1935年までの間にわが国で古川学説の影響を受けた約290の研究が発表されたという彼の主著ldquo血液型と気質rdquoの緒論第1章がldquo凡そ我が国現時の教育に於て最も慎重なる考慮を要するは訓育の問題であろうrdquoという一文で始まっている(古川1932)ことが示すように彼は元来教育学者であったが彼がとった手段そのものは心理学的色彩の強いものであったもっとも彼の目標は教育にあったため彼は自税をもとにさまざまな実践活動を行っていったその結果学童の血液検査を行おうとした古川が父母から糾弾されたり軍隊での班編成にあたって血液型別班編成が行われたりと大いに世間を賑わせることになったもちろん学界での譲論も活発に行われ焚否両論が激しく飛びかっていただが結局のところ古川の学説自体は1933年の日本法医学会第18次総会での討論を境にその学問的妥当性はほとんど否定されてしまった(溝口1987)血液研究の権威であり学問的仮説としての血液型気質相関説に大いなる興味を寄せていた法医学者古畑種基も血液型と気質が一致するという考えは心理学的錯覚であり大いに疑問をもつという断を下し雑誌ldquo血液型

uarr古川が行った気質の頚型的描写において長所と短所が併記されていることはわが国の性格心理学史上において聞く評価されるべきだという指摘もある(岡部1931大林1991)

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佐蕗波逼現代の血液型性格判断ブーム

研究rdquoに発表したり(溝口1987)新聞紙上で発表したりした(松田1991)

2-2学脱の復活と血液型性格判断ブームの到来古川の説は作家能見正比古の著瞥ldquo血液型でわかる相性(能見1971)によって世

俗的に脚色されて(大村1989a)復活したなおこの著作は青春出版社のldquo青春シリーズrdquoの1冊であり1991年夏には239刷されるに至るほどの超ロングセラー本となっている生前の能見正比古と話をする機会があった詫摩によれば能見はその師にあたる大宅壮一からldquo古川学説はよく当たるrdquoということを聞かされて血液羽の問題に興味を持ったという(詫摩1991)能見正比古の没後は子息である能見俊賢が多くの著瞥を出版しているしldquo血液型性格学(鈴木1974)を始めとする他の著者による類替の数も多い能見や鈴木は一連の著瞥の中で気質という言葉にかえて性格という語を多用しているので以下では復活した説のことを「血液型件狢関連湖と呼ぶことにする大村が一連の研究で明らかにしたように能見の説は古川学説の影響を受けていてほぼコピー学説であると言ってもよい能見正比古の論法は古川のそれとほぼ同じであり「血液型の違いは体質の違いに等しいのであるからそれが人間の行動や性格に影響しないわけがない」という仮定のもとにある集団(例えば職業集団など)について血液副別のデータを出してそこに現れた差異をもとに論を194797築していくものである能見父子の論理については彼ら自身の著作の他大西(1986)の第2章が直接引用も多く参考になる古川が軍隊各部署の血液型を調べたように能見も企業経営者や国会譲員などの血液

型を調べているただ能見が古川と大きく違ったのは古川の団体気質(団体活動性指数uarr)を中心とした構想ではなく相性の問題を正面から大きく取り上げたことだろう古川やその賛同者も結婚や相性の問題に血液型が役立つとは考えていた(大村関1991参照)がいかんせん古川の時代は軍国時代であり男女交際よりは国威発揚こそが重大関心事であったのである一方1970年代といえば自由恋愛が一般的になった頃であり男女関係の問題が人々の大きな関心事になったということを能見正比古は巧みに捉えていたのであろうなお古川学説を復活させた能見正比古は自説が新しい人間科学であると標傍しその上他の著者が取り上げるのを嫌っていた1980年代に入って血液型性格判断がブームと言われるほど世間に浸透したのは占い師な

uarr古川はその第2の論文(古川1927b)において民族性係数なる指標を考察し後にこれを団体気質(の指標)あるいは団体活動性指数と呼ぶようになった計算は以下のようでありこの数値が大きいほどその団体には積極的進歩的な人が多いと彼は考えていた彼自身さまざまな団体を対象にこの数値を叶算して比較を行っている

O型+B型団体気質= A型+AB型

- 2 3 7 -

発行点数

Ⅱ 皿 【 且 】 ロ 胚 」 Ⅱ 皿 【 且 】 ロ 胚 」

-19691971 1973197519771979198119831985198719891991

年 代

図1題名もしくは目次に「血液型」の言葉が含まれている奮籍の発行点数の経年変化(奥田ら1992)国ウ国会図替館のデータベースからの検索

ど多くの著者が能見正比古の死後(1981年10月)に類似の著書を刊行したり女性向け雑誌に寄稿したからであるという(溝口投稿中)奥田伊藤河野福内(1992)の資料はこのことを裏づけている(図1)また能見正比古の子息俊賢が「ABOの会」主宰者あるいは「血液型研究家」として0dO7ZOなどの女性雑誌等で活躍しているのもこの頃である(諸橋1985参照)つまり古川の学説を復活させブームの素地を作ったのは能見正比古であったが実際にブームを作り出したのは子息や占い師たちと彼らを雑誌などに引きずり込んだマスコミ関係者そしてその読者たちだったのではないだろうか占い師以外にも教育評論家の阿部進がしつけや教育に血液型を応用すべきだとの著書を発表している(阿部1985)血液型性格関連説に賛成する側には学者と呼ばれる人々はおらず主として一般向けの書物を出版することに力を入れている古川の時代には古川学説に対して学界内で検証の試みが盛んに行われた結果反論が

強くなり学界における論争の末に古川学説は葬られたのだがいったい現代の心理学者はどのように血液型性格関連説を扱っているのだろうか

3現代心理学における取扱い

現代の日本の心理学界における血液型性格関連説の取扱いにはさまざまなスタンスがありうるがまず現代の血液型性格関連説は学界内の学説ではないので心理学者が取り上げる問題ではない(つまり無視する)という立場が存在する無視するのではなく何らかの対応をすべきであるという立場は大村(1988)を参考

にして大きく3つに分けることが有用である1つは血液型性格関連説を否定することを中心にしている立場でありもう1つは血液型性格関連説が流行していることを研究

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佐闇渡過現代の血液型性格判断ブーム

する立場である言葉を変えれば前者は「血液型と性格には関連があるか」という仮説を巡る研究であり後者は「(説自体の可否はともかく)この説が受け入れられるのは何故か」という疑問を巡る研究であるといえるもちろんこの二分法は便宜的なものであり同一の著者が同じ論文の中で2つの立場から検討していることも多いそして3つ目として心理学史あるいは科学史としての古川学説という取扱いがある(例えば大村1989b1990c1991溝口1986)これら全てを通じて最も古くから研究を行いかつ現在でも最も精力的なのは大村で

ある彼は一連の学会発表(大村1984など)や論文において古川学説の追試や古川能見のデータの再解析を行い彼らの学説をほぼ否定している(大村1986a19881989a)また1990年にはその集大成として単行本を上梓した(大村1990a)大村の研究は新聞や週刊誌などにも取り上げられることが多いのだが能見(1985)は大村の研究の被験者が数百人であるのは反論には少ないとしてまともに取り上げていない全く論争になっていないのである以下ではこの3分類に準拠して心理学者の研究を紹介したいなお血液型性格関

連説の研究をリードしてきた大村の研究は多棟で多量にわたるため必要に応じて最小限紹介するにとどめる詳しくは大村(1990a1990b)を参照されたい

3-1(性格)心理学的検討能貝正比古が復活させた血液型性格関連説の基本的主張をごく簡単に述べれば人は

血液型の違いによって性格の根本が違っており職業に対する適性も違うし対人関係における相性も違っているということになるこれらの見解に対する直接的な批判についてまず見てみよう大村は1984年以来日本応用心理学会の年次大会においてldquo血液型性格学は信頼で

きるかrdquoという題目で発表(大村1984)を続けており血液型性格関連説には論理的な妥当性がなく科学というよりは偽科学であると断じている1992年現在この発表は第9報を数えている(大村1992a)彼は古川の研究の追試を行い結果が再現しないことを示し能見の説が古川学説にルーツを持つことを丹念に調べ上げさらに古川や能見のデータ解釈は目分量統計の時代の産物にすぎないこといずれの論理194797成とも事後的な解釈に過ぎず牽強附会であること能見親子が実際には正確なデータを公開していないことなどを厳しく指摘している牽強附会の例としてマラソン選手の血液型についての考察において瀬古利彦選手(血液型はo型)が頭角を現わす前後ではその説明が全く異なる様子を見てみることにしよう大村(1990a)によれば能見俊賢はある本の中で

自己との闘いのマラソンは完全に忍耐A型スポーツが近年のスピード化によっ

て42195キロの距離感が変化し短期集中のO型が抜きんでてきた瀬古がその例- 2 3 9 -

であるrdquo

などと述べているというこのような説明なら何型の選手が強くなっても説明可能であるこの説明を見ると瀬古週手の登場によって説を変更したにもかかわらずそしらぬ顔で当の瀬古選手を変更後の説の典型例として用いていることが分かる鎗理構成のトリックは簡単ではあるが見破りにくく見かけの説得力に鴎されてしまう人が多いのも仕方がないことである宮城(1982)は血液型と性格に関連があるという説は統計の誤りによるのではない

かとした上で自己が行った県民性調査の結果に鑑みて血液型と性格の関係を間接的なものとして理解する可能性について論じている坂元(1989a)はこの考え方を血液型性格判断に反対する論拠の1つとして居住県媒介説という名前で紹介している古畑(1983)は血液型の種類はABO式のみではないこと性格は決して不変ではないことrsquoなどを論拠にして血液型性格関連説の論理栂成に対する批判を行っている矢田部(1986)も性格とは何か血液型とは何かという概念の問題から解きあかし最終的に両者の関連を否定する流れをもった著書を出版しているまた血液学者の書いた血液型に関する著書の中にも血液型性格関連説を批判するものが少なくないたとえば松本(1990)はABO式血液型とは赤血球の細胞膜の糖構造の一部のわずかな違いによって型の違いを生じるものであってそのような違いで人間の性格や能力を判断しようとするのはナンセンスであるとしている高田(1992)はldquo日本の論点rdquoという本の中で脳細胞の中には血液型物質が存在しないという最新の血液学上の知見を披瀝したのちldquoわれわれの性格を決めているのは脳と考えられているrdquoのでldquo血液型と性格はまったく無関係でしかありえないrdquoと強い調子で論じているただし彼が前提としているldquo性格を決めているのは脳rdquoであるという考えは血液型性格関連説の正否以上に複雑な問題であるし彼自身が具体的な論拠を示しているわけではないことに留意されたい長谷川(1987)はコンピュータを用いて人数が10~50名であるような架空の血

液型分布を作りそれを被験者に呈示し日本人の血液型分布と比べて偏りがあるかどうかを判断させた分布を作る際には乱数を用いて日本人の血液型分布をシミュレートしたので個々の分布は比率に多少の違いがあるとしてもそれは偶然変動の域を出ないようになっていたのであるしかし被験者はほとんどの分布に対して「偏りがある」と答えていたこの結果はldquo小人数の標本に対しては見かけ上のちょっとした変動でも何か意味があるかのように受け取られがちであることを示しているrdquoと解釈された(長谷川1987)このことを統計的に考えると「ある集団における血液型の比率は日本人全体の比率と同じようである」という帰無仮説が小人数の集団に対しては簡単に棄却されやすいということ(危険率が大きい)であり大村(1990a)の「目分量統計の批判」を一部裏づけたことにもなる

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佐蔭渡遷現代の血液型性格判断ブーム

佐藤渡遜(1991)は血液型性格関連説には反証可能性があるものの実際にはあらゆる反証を飲み込んでしまう訂正不可能な論理194797成になっていることを指摘している矢田部(1986)は自説に有利な証拠にはウェイトをかけて重視するのに不利な証拠は無視歪曲合理化などによって(自説には)とるに足らない証拠だとするような証明の仕方のことを実感的証明と命名している実感的証明に反証はありえないPopperらの影響を受けた現代科学論(cfPopper1972)によればある理論が科学たりえるのは反証可能性がある場合だと考えられている血液型性格関連説はこの基単はクリアーしているけれど反証が出てきたときにそれを採用しないのではやはり科学以前であると考えられよう方法議的論理的側面からの批判以外に性格心理学の尺度を用いて血液型との関連

を否定するという研究も少なくない長谷川(19851987)及び長島山口原野(1989)は矢田部ギルフォード性格検査(YG検査)を用いてその性格類型と血液型の関連を検討したが関連はなかったと結論づけた春日遠藤原野(1989)は実験版メンタルヘルスという自己評定質問紙を用いて性格特性や心身症状と血液型の関連について検討したこの尺度では性格特性に加えて臨床的傾向として不安劣等感などの心的傾向や睡眠食欲など身体的傾向を測査する(assess)ことができるその結果性格特性と身体的傾向には血液型との関連が見られなかったものの心的傾向の10の下位尺度のうち3つに統計的有意差が見られただが彼らはここで見られた差が能見の説とは矛盾するとして重視していない詫摩松井(1985)は特性質問紙を用いて同様のことを試みているエドワーズ個人選好検査(EPPS)とYG検査から9尺度(親和欲求追従欲求秩序欲求回帰性傾向神経質衝動性攻撃性社会的外向性支配性)を選んで各血液型ごとの平均点を比較したところ追従欲求尺度を除いて有意差は見られなかった有意差の見られた追従欲求尺度においてはO型者の得点が最も高くA型者の得点が鮫も低かったのだがその差は僅少だったという長谷川(1987)はPFスタディにおける不満反応と血液型の関係も検討しているが差は認められなかった上瀬松井古沢(1991)はYG検査自意識尺度自己認識欲求尺度刺激欲求尺度と血液型の関連を塩見清水(1992)は下田式性格検査(SPI)の7つの下位尺度(自閉神経過敏自己不全執着粘着同調自己顕示)と血液型の関連を検討したがいずれも関連は認められなかった岡村外島藤田(1992)は古川が児童を対象に研究を試みようとしたことに鑑み児童(小学56年生)の自己評価〔古川(1932)の項目を使用〕と血液型の関連を検討したが関連は見られなかった詫摩松井(1985)は能見(1984)を参考にして各血液型の特徴を表すとされる項

目を20個用意してそれを被験者に自己評定させて実際に血液型による差が見られるかという点についても検討しているその結果18項目には血液型による差は見られず有意差のある項目についても能見の説とは違う方向に差が出ていたという上瀬松井

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(1991)は詫摩松井(1985)の追試を行い同様の結果を得ている長谷川(1987)も同様に能見(1986)の著書を参考にして24項目を用意して被験者に自己評定させて血液型による差が出るかどうかを検討したところ有意差が見られたのは1項目だけであったまた24項目のうち他者評定が可能な16項目について被験者にとって最も親しい人を対象に評定させた時には有意差の見られた項目はなかった奥野生月原野(1989)は他者による気質評定と血液型に関連がないと結論した春日ら(1989)は短大生の幼稚園実習時の行動評定(実習先の上司が行ったもの)と血液型との関連を検討したが差は認められなかったまたこれは学会に発表されたものではないがある年の駒沢大学における学部3年

生の課題成果がldquo血液型性格学をテストするrdquoとしてまとめられている(駒沢大学心理学研究室1985)この研究は大学生や教職員を対象に内田クレペリン精神検査YG検査の他水瓶問題描画テスト色彩感覚テストなど11種の検査と血液型の関連が検討されている(被験者の最大は167名)その結果描画テストにおける描画時間でB型者はA型者より速いなどいくつかの検査及び検査の下位尺度に有意差が認められたが全体として血液型による差はないと結論されている山岡(1982)はあるテレビ番組の中で筆圧曲線を用いた実験を行って血液型と気質の関係について調べている筆圧曲線を用いて気質の類型を分類するという方法はKretschmerに由来するものであるだが千数百名(詳細不明)を対象に行った結果3つの類型に振り分けられた被験者たちの血液型の比率はいずれも4321でどれも日本人の分布と変わりがなかったという〔この研究については大西(1986)第4章の山岡と大西の対談を参考にした〕松井(19891991)はある調査機関が無作為抽出法で得たデータを複数回分にわ

たって再解析して血液型と性格に関係がないことを示そうと試みたこの調査は全国の都市部を対象にして(人数的には日本人口の34をカバーしている)3段階無作為抽出を行って毎回約3000人を対象にして行われている質問項目の中に血液型を答える項目と「性格人柄」を答える項目(24項目)があったので松井は1980198219861988の4年度のデータを利用し各年度のデータについて「性格人柄」項目と血液型のクロス表を作成して比率の差の検定(カイ自乗検定)を行ったのであるその結果各年度とも34項目が有意な差を示していたが各年度とも有意差が見られたのは1項目だけでありその1項目も一貫してある血液型の特徴を示していたわけではなかった松井(1991)は「血液型によって人の性格は異なる」という仮説はデータの代表性が統計的に信頼できる調査において結果の一般性(結果の交差妥当性)が確保できなかったという点を強調しているこの批判は能見親子のデータが彼らが設立した「ABOの会」の会員に配布されているアンケートに基づいているということやたった一度の調査のみで結果を語っているということへの批判であるただしこの研究はldquo「血液型性格学」に関する擁謹論批判論ともに立脚するデータに

- 2 4 2 -

佐藤波遥現代の血液型性格判断ブーム

は多くの問題が存在しているrdquo(松井1991)故に行われたものであり(性格)心理学的研究にも反省を促している大村や古畑(1983)などが強調しているように血液型の問題は論理的誤謬にすぎず

その意味では改めて(性格)心理学的尺度との関連を見る必要があるとは思われないのだが長谷川(1985)以下の研究においては心理学の尺度を基準として血液型と性

をるめと

とい認い

こてがな

うし差れ

い功意切

と成有い

』ね的言い

い概計はな

なは統とい

れれるいて

らしに1FなIれ

見-にがさ

どり型連視

んお液関重

とて血には

ほっに格差

はと部性意

いを一と有

る法の型な

あ論度液う

くう尺血よ

いいのはの

なと数にこ

れる多中合

らすたの場

見定っ者の

が否扱著く

差をりな多

意説取重

有連で慎が

て関究る

し格研りい

討性のあも

検型つもの

を液1とも

係血こる

関にしるす

の拠だれ釈

格根たら注

ここで健血液型僅総関連説が流行しているという翼象そのIのを扱う聯究ldquo3-2社会心理学的検討つ い て

紹介するこれらは先ほどのべた第2の立場に当てはまり血液型性格関連説を否定すること自体を目的とはしておらずむしろなぜこの説が人々にこれほどまで受容され

ろ験と

あ被た

でOい

うたて

閲せし

田さ断

く断判

林判を

はを型

矢型液

噛-跡r血

の血て

究のせ

研物さ

の人整

種場調

の登く

このま

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るんを

いさ係

てエ関

しザ縁

とサ血

的ldquoと

目画容

を漫内

と気の

こ人説

るに連

す生関

討学格

検大性

を女型

か男液

のは血

る彼

いは

てう者

臺競熟蕊馨騨篭磯幾鵜騨|(の偏り)から検討する試みであるとも言える

3-2-1血液型性格関連説の実態(内容と機能)

豊謝鍵撹磯誇擬熟議瀧雪|用しておこう

撫蝋蝋この表は無作為抽出によって作られたものではないが日しかも大学生のみならず社会人や主婦などにも血液型性格関

もでつそなr

人興ら窺年ちと

るがえが若』

い上考姿のうい

半数以あるとつあるの当時づけよ全く無

表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

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被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

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調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 2: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐藤渡遥現代の血液型性格判断プーム

チームを作成したという事例(朝日新聞1990)が報じられて大いに話題を集めたこともあったこの他園児と保育の先生との組合せを血液型によって決定する保育園や顧客管理の用紙にユーザーの血液型を記入させるコンピュータ会社まで出現する事態になってきた歌謡曲の世界でもldquo演歌血液ガッタガタrdquoなる歌が作られているし血液型によってお菓子の買い方が違うという内容のTVコマーシャルもオンエアされている女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多いさらに1991年8月には朝日新聞がldquoなんでもQampAなるコラム記事で4日間にわたってこの問題についてとりあげたこの記事は質問者の疑問に回答者が答えるという形で展開されているその質問者

の疑問とはldquo職場や学校などでの会話では血液型と性格行動とは関係あるということになっている一部の学者は否定しているのにこのような社会現象がおきているのは何故かrdquoというようなものであった企画報道室の担当者の手になる回答は人間関係を映し出す手がかりとして血液型は有効だという立場にたちブームのルーツである古川竹二の学説にふれ血液型についての生物学的基礎を語って血液型が体質型であるという考えを示し性格とは何かということを考えながら質疑応答を行っているその結果質問者はldquo血液型がブームになったおかげで人間の体質の差を知ることができhelliphellip(中略)相手の立場になったり他人を許せるゆとりもできたrdquoと述べるにいたっているこの発言に対して回答者は違いを認めるのはデモクラシーの原点だと答えている質問者の質問の中心はldquo反論があるのになぜ社会現象になっているのかrdquoという点であったのだが反論の存在に言及しないうえ4日間にわたって血液型によって人間(の行動や性格)は異なるということを説得的に述べてきたわけであるしかし心理学という学問分野の中では血液型による性格判断などはほとんど否定されているという歴史及び現状がある(溝口1986大村1990a松田1991松井1991)その点では朝日新聞のコラム記事は不十分だといえよう質問者が最初に言及したldquo一部の学者の否定論rdquoについては全く触れられていないのである筆者らの専門はマスコミ学ではないので新聞がどのように学問の成果や社会現象を

取り上げるべきかということについて言及することはできないしかし今回の記事に心理学的研究が引用されていないという事実は重大であり以下に心理学的研究の知見特に現代のブームについての心理学的研究を概観し紹介したいこのような概観は坂元(1989a)や大村(1990a)も行っているがここにその後の成果を含めて改めて考察することには意義が認められるだろうuarr

uarr朝日新聞のコラムが発表された後科学朝日rdquo誌がブームに否定的な立場にたちつつ心理学的研究を紹介している(木元1991)雑誌ldquoダカーポ(1992)も比較的公平な記事において心理学的研究を紹介しているまた文蕊春秋(縞)日本の講点(1992)にも多くの議点とともに紹介されている(高田1992参照)

- 2 3 5 -

2血液型性格関連説の歴史的経緯

2-1古川竹二の血液型気質相関脱一一その展開と衰退性格心理学者である大村(1989b1990b)によればこのような考え方が簸初に現

れたのはldquo医事新聞に掲戦された医師による報告(原小休1916)である原粂立た

復は血液型が発見された直後のドイツに留学しており血液型の判定技術を日本に持ち帰った彼は日本で血液型の調査をするうちに何となく人柄から血液型が当てられることに気づいたという(松田1991)その後昭和の初期に教育学者古川竹二が独自の調査をもとに学説としての血液型気質相関説を体系化し活発な研究活動を行っていった原以外にも血液型と人間の個人差との関係に興味をもって仮脱をたてていたものは医師を中心に何人か存在したが松田(1991)によれば彼らは医師の領分を守ってか決して心理学的な研究を行わなかったという古川自身は自説に名前を付けていたわけではなかったので他の研究者が古川学説に言及する際にはldquo血液型と気質の問題rdquo血液型心理学rdquoldquo血液型による気質類型説rdquoなどと呼んでいた(潤口1986)彼の学

説の初出が日本心理学会の機関誌ldquo心理学研究rdquoであったこと(古川1927a)彼の論文が当時の学問先進国ドイツの学術誌や新興国アメリカのybumalqfSocml勘ノーc加jomj第1巻第4号に掲戦された(Fumkawa19281930)ことから類推すれば彼の学説は当時の学問状況においてオリジナリティが高く生産性のある優れた心理学的学説だと評価されていたようである彼の学説の特徴は当時隆盛しつつあった性格の類型論を血液型という(最新の)生物学的指標から展望したことであろうuarrb瀧口(1986)によれば1928年から1935年までの間にわが国で古川学説の影響を受けた約290の研究が発表されたという彼の主著ldquo血液型と気質rdquoの緒論第1章がldquo凡そ我が国現時の教育に於て最も慎重なる考慮を要するは訓育の問題であろうrdquoという一文で始まっている(古川1932)ことが示すように彼は元来教育学者であったが彼がとった手段そのものは心理学的色彩の強いものであったもっとも彼の目標は教育にあったため彼は自税をもとにさまざまな実践活動を行っていったその結果学童の血液検査を行おうとした古川が父母から糾弾されたり軍隊での班編成にあたって血液型別班編成が行われたりと大いに世間を賑わせることになったもちろん学界での譲論も活発に行われ焚否両論が激しく飛びかっていただが結局のところ古川の学説自体は1933年の日本法医学会第18次総会での討論を境にその学問的妥当性はほとんど否定されてしまった(溝口1987)血液研究の権威であり学問的仮説としての血液型気質相関説に大いなる興味を寄せていた法医学者古畑種基も血液型と気質が一致するという考えは心理学的錯覚であり大いに疑問をもつという断を下し雑誌ldquo血液型

uarr古川が行った気質の頚型的描写において長所と短所が併記されていることはわが国の性格心理学史上において聞く評価されるべきだという指摘もある(岡部1931大林1991)

- 2 3 6 -

佐蕗波逼現代の血液型性格判断ブーム

研究rdquoに発表したり(溝口1987)新聞紙上で発表したりした(松田1991)

2-2学脱の復活と血液型性格判断ブームの到来古川の説は作家能見正比古の著瞥ldquo血液型でわかる相性(能見1971)によって世

俗的に脚色されて(大村1989a)復活したなおこの著作は青春出版社のldquo青春シリーズrdquoの1冊であり1991年夏には239刷されるに至るほどの超ロングセラー本となっている生前の能見正比古と話をする機会があった詫摩によれば能見はその師にあたる大宅壮一からldquo古川学説はよく当たるrdquoということを聞かされて血液羽の問題に興味を持ったという(詫摩1991)能見正比古の没後は子息である能見俊賢が多くの著瞥を出版しているしldquo血液型性格学(鈴木1974)を始めとする他の著者による類替の数も多い能見や鈴木は一連の著瞥の中で気質という言葉にかえて性格という語を多用しているので以下では復活した説のことを「血液型件狢関連湖と呼ぶことにする大村が一連の研究で明らかにしたように能見の説は古川学説の影響を受けていてほぼコピー学説であると言ってもよい能見正比古の論法は古川のそれとほぼ同じであり「血液型の違いは体質の違いに等しいのであるからそれが人間の行動や性格に影響しないわけがない」という仮定のもとにある集団(例えば職業集団など)について血液副別のデータを出してそこに現れた差異をもとに論を194797築していくものである能見父子の論理については彼ら自身の著作の他大西(1986)の第2章が直接引用も多く参考になる古川が軍隊各部署の血液型を調べたように能見も企業経営者や国会譲員などの血液

型を調べているただ能見が古川と大きく違ったのは古川の団体気質(団体活動性指数uarr)を中心とした構想ではなく相性の問題を正面から大きく取り上げたことだろう古川やその賛同者も結婚や相性の問題に血液型が役立つとは考えていた(大村関1991参照)がいかんせん古川の時代は軍国時代であり男女交際よりは国威発揚こそが重大関心事であったのである一方1970年代といえば自由恋愛が一般的になった頃であり男女関係の問題が人々の大きな関心事になったということを能見正比古は巧みに捉えていたのであろうなお古川学説を復活させた能見正比古は自説が新しい人間科学であると標傍しその上他の著者が取り上げるのを嫌っていた1980年代に入って血液型性格判断がブームと言われるほど世間に浸透したのは占い師な

uarr古川はその第2の論文(古川1927b)において民族性係数なる指標を考察し後にこれを団体気質(の指標)あるいは団体活動性指数と呼ぶようになった計算は以下のようでありこの数値が大きいほどその団体には積極的進歩的な人が多いと彼は考えていた彼自身さまざまな団体を対象にこの数値を叶算して比較を行っている

O型+B型団体気質= A型+AB型

- 2 3 7 -

発行点数

Ⅱ 皿 【 且 】 ロ 胚 」 Ⅱ 皿 【 且 】 ロ 胚 」

-19691971 1973197519771979198119831985198719891991

年 代

図1題名もしくは目次に「血液型」の言葉が含まれている奮籍の発行点数の経年変化(奥田ら1992)国ウ国会図替館のデータベースからの検索

ど多くの著者が能見正比古の死後(1981年10月)に類似の著書を刊行したり女性向け雑誌に寄稿したからであるという(溝口投稿中)奥田伊藤河野福内(1992)の資料はこのことを裏づけている(図1)また能見正比古の子息俊賢が「ABOの会」主宰者あるいは「血液型研究家」として0dO7ZOなどの女性雑誌等で活躍しているのもこの頃である(諸橋1985参照)つまり古川の学説を復活させブームの素地を作ったのは能見正比古であったが実際にブームを作り出したのは子息や占い師たちと彼らを雑誌などに引きずり込んだマスコミ関係者そしてその読者たちだったのではないだろうか占い師以外にも教育評論家の阿部進がしつけや教育に血液型を応用すべきだとの著書を発表している(阿部1985)血液型性格関連説に賛成する側には学者と呼ばれる人々はおらず主として一般向けの書物を出版することに力を入れている古川の時代には古川学説に対して学界内で検証の試みが盛んに行われた結果反論が

強くなり学界における論争の末に古川学説は葬られたのだがいったい現代の心理学者はどのように血液型性格関連説を扱っているのだろうか

3現代心理学における取扱い

現代の日本の心理学界における血液型性格関連説の取扱いにはさまざまなスタンスがありうるがまず現代の血液型性格関連説は学界内の学説ではないので心理学者が取り上げる問題ではない(つまり無視する)という立場が存在する無視するのではなく何らかの対応をすべきであるという立場は大村(1988)を参考

にして大きく3つに分けることが有用である1つは血液型性格関連説を否定することを中心にしている立場でありもう1つは血液型性格関連説が流行していることを研究

- 2 3 8 -

佐闇渡過現代の血液型性格判断ブーム

する立場である言葉を変えれば前者は「血液型と性格には関連があるか」という仮説を巡る研究であり後者は「(説自体の可否はともかく)この説が受け入れられるのは何故か」という疑問を巡る研究であるといえるもちろんこの二分法は便宜的なものであり同一の著者が同じ論文の中で2つの立場から検討していることも多いそして3つ目として心理学史あるいは科学史としての古川学説という取扱いがある(例えば大村1989b1990c1991溝口1986)これら全てを通じて最も古くから研究を行いかつ現在でも最も精力的なのは大村で

ある彼は一連の学会発表(大村1984など)や論文において古川学説の追試や古川能見のデータの再解析を行い彼らの学説をほぼ否定している(大村1986a19881989a)また1990年にはその集大成として単行本を上梓した(大村1990a)大村の研究は新聞や週刊誌などにも取り上げられることが多いのだが能見(1985)は大村の研究の被験者が数百人であるのは反論には少ないとしてまともに取り上げていない全く論争になっていないのである以下ではこの3分類に準拠して心理学者の研究を紹介したいなお血液型性格関

連説の研究をリードしてきた大村の研究は多棟で多量にわたるため必要に応じて最小限紹介するにとどめる詳しくは大村(1990a1990b)を参照されたい

3-1(性格)心理学的検討能貝正比古が復活させた血液型性格関連説の基本的主張をごく簡単に述べれば人は

血液型の違いによって性格の根本が違っており職業に対する適性も違うし対人関係における相性も違っているということになるこれらの見解に対する直接的な批判についてまず見てみよう大村は1984年以来日本応用心理学会の年次大会においてldquo血液型性格学は信頼で

きるかrdquoという題目で発表(大村1984)を続けており血液型性格関連説には論理的な妥当性がなく科学というよりは偽科学であると断じている1992年現在この発表は第9報を数えている(大村1992a)彼は古川の研究の追試を行い結果が再現しないことを示し能見の説が古川学説にルーツを持つことを丹念に調べ上げさらに古川や能見のデータ解釈は目分量統計の時代の産物にすぎないこといずれの論理194797成とも事後的な解釈に過ぎず牽強附会であること能見親子が実際には正確なデータを公開していないことなどを厳しく指摘している牽強附会の例としてマラソン選手の血液型についての考察において瀬古利彦選手(血液型はo型)が頭角を現わす前後ではその説明が全く異なる様子を見てみることにしよう大村(1990a)によれば能見俊賢はある本の中で

自己との闘いのマラソンは完全に忍耐A型スポーツが近年のスピード化によっ

て42195キロの距離感が変化し短期集中のO型が抜きんでてきた瀬古がその例- 2 3 9 -

であるrdquo

などと述べているというこのような説明なら何型の選手が強くなっても説明可能であるこの説明を見ると瀬古週手の登場によって説を変更したにもかかわらずそしらぬ顔で当の瀬古選手を変更後の説の典型例として用いていることが分かる鎗理構成のトリックは簡単ではあるが見破りにくく見かけの説得力に鴎されてしまう人が多いのも仕方がないことである宮城(1982)は血液型と性格に関連があるという説は統計の誤りによるのではない

かとした上で自己が行った県民性調査の結果に鑑みて血液型と性格の関係を間接的なものとして理解する可能性について論じている坂元(1989a)はこの考え方を血液型性格判断に反対する論拠の1つとして居住県媒介説という名前で紹介している古畑(1983)は血液型の種類はABO式のみではないこと性格は決して不変ではないことrsquoなどを論拠にして血液型性格関連説の論理栂成に対する批判を行っている矢田部(1986)も性格とは何か血液型とは何かという概念の問題から解きあかし最終的に両者の関連を否定する流れをもった著書を出版しているまた血液学者の書いた血液型に関する著書の中にも血液型性格関連説を批判するものが少なくないたとえば松本(1990)はABO式血液型とは赤血球の細胞膜の糖構造の一部のわずかな違いによって型の違いを生じるものであってそのような違いで人間の性格や能力を判断しようとするのはナンセンスであるとしている高田(1992)はldquo日本の論点rdquoという本の中で脳細胞の中には血液型物質が存在しないという最新の血液学上の知見を披瀝したのちldquoわれわれの性格を決めているのは脳と考えられているrdquoのでldquo血液型と性格はまったく無関係でしかありえないrdquoと強い調子で論じているただし彼が前提としているldquo性格を決めているのは脳rdquoであるという考えは血液型性格関連説の正否以上に複雑な問題であるし彼自身が具体的な論拠を示しているわけではないことに留意されたい長谷川(1987)はコンピュータを用いて人数が10~50名であるような架空の血

液型分布を作りそれを被験者に呈示し日本人の血液型分布と比べて偏りがあるかどうかを判断させた分布を作る際には乱数を用いて日本人の血液型分布をシミュレートしたので個々の分布は比率に多少の違いがあるとしてもそれは偶然変動の域を出ないようになっていたのであるしかし被験者はほとんどの分布に対して「偏りがある」と答えていたこの結果はldquo小人数の標本に対しては見かけ上のちょっとした変動でも何か意味があるかのように受け取られがちであることを示しているrdquoと解釈された(長谷川1987)このことを統計的に考えると「ある集団における血液型の比率は日本人全体の比率と同じようである」という帰無仮説が小人数の集団に対しては簡単に棄却されやすいということ(危険率が大きい)であり大村(1990a)の「目分量統計の批判」を一部裏づけたことにもなる

- 2 4 0 -

佐蔭渡遷現代の血液型性格判断ブーム

佐藤渡遜(1991)は血液型性格関連説には反証可能性があるものの実際にはあらゆる反証を飲み込んでしまう訂正不可能な論理194797成になっていることを指摘している矢田部(1986)は自説に有利な証拠にはウェイトをかけて重視するのに不利な証拠は無視歪曲合理化などによって(自説には)とるに足らない証拠だとするような証明の仕方のことを実感的証明と命名している実感的証明に反証はありえないPopperらの影響を受けた現代科学論(cfPopper1972)によればある理論が科学たりえるのは反証可能性がある場合だと考えられている血液型性格関連説はこの基単はクリアーしているけれど反証が出てきたときにそれを採用しないのではやはり科学以前であると考えられよう方法議的論理的側面からの批判以外に性格心理学の尺度を用いて血液型との関連

を否定するという研究も少なくない長谷川(19851987)及び長島山口原野(1989)は矢田部ギルフォード性格検査(YG検査)を用いてその性格類型と血液型の関連を検討したが関連はなかったと結論づけた春日遠藤原野(1989)は実験版メンタルヘルスという自己評定質問紙を用いて性格特性や心身症状と血液型の関連について検討したこの尺度では性格特性に加えて臨床的傾向として不安劣等感などの心的傾向や睡眠食欲など身体的傾向を測査する(assess)ことができるその結果性格特性と身体的傾向には血液型との関連が見られなかったものの心的傾向の10の下位尺度のうち3つに統計的有意差が見られただが彼らはここで見られた差が能見の説とは矛盾するとして重視していない詫摩松井(1985)は特性質問紙を用いて同様のことを試みているエドワーズ個人選好検査(EPPS)とYG検査から9尺度(親和欲求追従欲求秩序欲求回帰性傾向神経質衝動性攻撃性社会的外向性支配性)を選んで各血液型ごとの平均点を比較したところ追従欲求尺度を除いて有意差は見られなかった有意差の見られた追従欲求尺度においてはO型者の得点が最も高くA型者の得点が鮫も低かったのだがその差は僅少だったという長谷川(1987)はPFスタディにおける不満反応と血液型の関係も検討しているが差は認められなかった上瀬松井古沢(1991)はYG検査自意識尺度自己認識欲求尺度刺激欲求尺度と血液型の関連を塩見清水(1992)は下田式性格検査(SPI)の7つの下位尺度(自閉神経過敏自己不全執着粘着同調自己顕示)と血液型の関連を検討したがいずれも関連は認められなかった岡村外島藤田(1992)は古川が児童を対象に研究を試みようとしたことに鑑み児童(小学56年生)の自己評価〔古川(1932)の項目を使用〕と血液型の関連を検討したが関連は見られなかった詫摩松井(1985)は能見(1984)を参考にして各血液型の特徴を表すとされる項

目を20個用意してそれを被験者に自己評定させて実際に血液型による差が見られるかという点についても検討しているその結果18項目には血液型による差は見られず有意差のある項目についても能見の説とは違う方向に差が出ていたという上瀬松井

-241-

(1991)は詫摩松井(1985)の追試を行い同様の結果を得ている長谷川(1987)も同様に能見(1986)の著書を参考にして24項目を用意して被験者に自己評定させて血液型による差が出るかどうかを検討したところ有意差が見られたのは1項目だけであったまた24項目のうち他者評定が可能な16項目について被験者にとって最も親しい人を対象に評定させた時には有意差の見られた項目はなかった奥野生月原野(1989)は他者による気質評定と血液型に関連がないと結論した春日ら(1989)は短大生の幼稚園実習時の行動評定(実習先の上司が行ったもの)と血液型との関連を検討したが差は認められなかったまたこれは学会に発表されたものではないがある年の駒沢大学における学部3年

生の課題成果がldquo血液型性格学をテストするrdquoとしてまとめられている(駒沢大学心理学研究室1985)この研究は大学生や教職員を対象に内田クレペリン精神検査YG検査の他水瓶問題描画テスト色彩感覚テストなど11種の検査と血液型の関連が検討されている(被験者の最大は167名)その結果描画テストにおける描画時間でB型者はA型者より速いなどいくつかの検査及び検査の下位尺度に有意差が認められたが全体として血液型による差はないと結論されている山岡(1982)はあるテレビ番組の中で筆圧曲線を用いた実験を行って血液型と気質の関係について調べている筆圧曲線を用いて気質の類型を分類するという方法はKretschmerに由来するものであるだが千数百名(詳細不明)を対象に行った結果3つの類型に振り分けられた被験者たちの血液型の比率はいずれも4321でどれも日本人の分布と変わりがなかったという〔この研究については大西(1986)第4章の山岡と大西の対談を参考にした〕松井(19891991)はある調査機関が無作為抽出法で得たデータを複数回分にわ

たって再解析して血液型と性格に関係がないことを示そうと試みたこの調査は全国の都市部を対象にして(人数的には日本人口の34をカバーしている)3段階無作為抽出を行って毎回約3000人を対象にして行われている質問項目の中に血液型を答える項目と「性格人柄」を答える項目(24項目)があったので松井は1980198219861988の4年度のデータを利用し各年度のデータについて「性格人柄」項目と血液型のクロス表を作成して比率の差の検定(カイ自乗検定)を行ったのであるその結果各年度とも34項目が有意な差を示していたが各年度とも有意差が見られたのは1項目だけでありその1項目も一貫してある血液型の特徴を示していたわけではなかった松井(1991)は「血液型によって人の性格は異なる」という仮説はデータの代表性が統計的に信頼できる調査において結果の一般性(結果の交差妥当性)が確保できなかったという点を強調しているこの批判は能見親子のデータが彼らが設立した「ABOの会」の会員に配布されているアンケートに基づいているということやたった一度の調査のみで結果を語っているということへの批判であるただしこの研究はldquo「血液型性格学」に関する擁謹論批判論ともに立脚するデータに

- 2 4 2 -

佐藤波遥現代の血液型性格判断ブーム

は多くの問題が存在しているrdquo(松井1991)故に行われたものであり(性格)心理学的研究にも反省を促している大村や古畑(1983)などが強調しているように血液型の問題は論理的誤謬にすぎず

その意味では改めて(性格)心理学的尺度との関連を見る必要があるとは思われないのだが長谷川(1985)以下の研究においては心理学の尺度を基準として血液型と性

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ここで健血液型僅総関連説が流行しているという翼象そのIのを扱う聯究ldquo3-2社会心理学的検討つ い て

紹介するこれらは先ほどのべた第2の立場に当てはまり血液型性格関連説を否定すること自体を目的とはしておらずむしろなぜこの説が人々にこれほどまで受容され

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3-2-1血液型性格関連説の実態(内容と機能)

豊謝鍵撹磯誇擬熟議瀧雪|用しておこう

撫蝋蝋この表は無作為抽出によって作られたものではないが日しかも大学生のみならず社会人や主婦などにも血液型性格関

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表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

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被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

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調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 3: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

2血液型性格関連説の歴史的経緯

2-1古川竹二の血液型気質相関脱一一その展開と衰退性格心理学者である大村(1989b1990b)によればこのような考え方が簸初に現

れたのはldquo医事新聞に掲戦された医師による報告(原小休1916)である原粂立た

復は血液型が発見された直後のドイツに留学しており血液型の判定技術を日本に持ち帰った彼は日本で血液型の調査をするうちに何となく人柄から血液型が当てられることに気づいたという(松田1991)その後昭和の初期に教育学者古川竹二が独自の調査をもとに学説としての血液型気質相関説を体系化し活発な研究活動を行っていった原以外にも血液型と人間の個人差との関係に興味をもって仮脱をたてていたものは医師を中心に何人か存在したが松田(1991)によれば彼らは医師の領分を守ってか決して心理学的な研究を行わなかったという古川自身は自説に名前を付けていたわけではなかったので他の研究者が古川学説に言及する際にはldquo血液型と気質の問題rdquo血液型心理学rdquoldquo血液型による気質類型説rdquoなどと呼んでいた(潤口1986)彼の学

説の初出が日本心理学会の機関誌ldquo心理学研究rdquoであったこと(古川1927a)彼の論文が当時の学問先進国ドイツの学術誌や新興国アメリカのybumalqfSocml勘ノーc加jomj第1巻第4号に掲戦された(Fumkawa19281930)ことから類推すれば彼の学説は当時の学問状況においてオリジナリティが高く生産性のある優れた心理学的学説だと評価されていたようである彼の学説の特徴は当時隆盛しつつあった性格の類型論を血液型という(最新の)生物学的指標から展望したことであろうuarrb瀧口(1986)によれば1928年から1935年までの間にわが国で古川学説の影響を受けた約290の研究が発表されたという彼の主著ldquo血液型と気質rdquoの緒論第1章がldquo凡そ我が国現時の教育に於て最も慎重なる考慮を要するは訓育の問題であろうrdquoという一文で始まっている(古川1932)ことが示すように彼は元来教育学者であったが彼がとった手段そのものは心理学的色彩の強いものであったもっとも彼の目標は教育にあったため彼は自税をもとにさまざまな実践活動を行っていったその結果学童の血液検査を行おうとした古川が父母から糾弾されたり軍隊での班編成にあたって血液型別班編成が行われたりと大いに世間を賑わせることになったもちろん学界での譲論も活発に行われ焚否両論が激しく飛びかっていただが結局のところ古川の学説自体は1933年の日本法医学会第18次総会での討論を境にその学問的妥当性はほとんど否定されてしまった(溝口1987)血液研究の権威であり学問的仮説としての血液型気質相関説に大いなる興味を寄せていた法医学者古畑種基も血液型と気質が一致するという考えは心理学的錯覚であり大いに疑問をもつという断を下し雑誌ldquo血液型

uarr古川が行った気質の頚型的描写において長所と短所が併記されていることはわが国の性格心理学史上において聞く評価されるべきだという指摘もある(岡部1931大林1991)

- 2 3 6 -

佐蕗波逼現代の血液型性格判断ブーム

研究rdquoに発表したり(溝口1987)新聞紙上で発表したりした(松田1991)

2-2学脱の復活と血液型性格判断ブームの到来古川の説は作家能見正比古の著瞥ldquo血液型でわかる相性(能見1971)によって世

俗的に脚色されて(大村1989a)復活したなおこの著作は青春出版社のldquo青春シリーズrdquoの1冊であり1991年夏には239刷されるに至るほどの超ロングセラー本となっている生前の能見正比古と話をする機会があった詫摩によれば能見はその師にあたる大宅壮一からldquo古川学説はよく当たるrdquoということを聞かされて血液羽の問題に興味を持ったという(詫摩1991)能見正比古の没後は子息である能見俊賢が多くの著瞥を出版しているしldquo血液型性格学(鈴木1974)を始めとする他の著者による類替の数も多い能見や鈴木は一連の著瞥の中で気質という言葉にかえて性格という語を多用しているので以下では復活した説のことを「血液型件狢関連湖と呼ぶことにする大村が一連の研究で明らかにしたように能見の説は古川学説の影響を受けていてほぼコピー学説であると言ってもよい能見正比古の論法は古川のそれとほぼ同じであり「血液型の違いは体質の違いに等しいのであるからそれが人間の行動や性格に影響しないわけがない」という仮定のもとにある集団(例えば職業集団など)について血液副別のデータを出してそこに現れた差異をもとに論を194797築していくものである能見父子の論理については彼ら自身の著作の他大西(1986)の第2章が直接引用も多く参考になる古川が軍隊各部署の血液型を調べたように能見も企業経営者や国会譲員などの血液

型を調べているただ能見が古川と大きく違ったのは古川の団体気質(団体活動性指数uarr)を中心とした構想ではなく相性の問題を正面から大きく取り上げたことだろう古川やその賛同者も結婚や相性の問題に血液型が役立つとは考えていた(大村関1991参照)がいかんせん古川の時代は軍国時代であり男女交際よりは国威発揚こそが重大関心事であったのである一方1970年代といえば自由恋愛が一般的になった頃であり男女関係の問題が人々の大きな関心事になったということを能見正比古は巧みに捉えていたのであろうなお古川学説を復活させた能見正比古は自説が新しい人間科学であると標傍しその上他の著者が取り上げるのを嫌っていた1980年代に入って血液型性格判断がブームと言われるほど世間に浸透したのは占い師な

uarr古川はその第2の論文(古川1927b)において民族性係数なる指標を考察し後にこれを団体気質(の指標)あるいは団体活動性指数と呼ぶようになった計算は以下のようでありこの数値が大きいほどその団体には積極的進歩的な人が多いと彼は考えていた彼自身さまざまな団体を対象にこの数値を叶算して比較を行っている

O型+B型団体気質= A型+AB型

- 2 3 7 -

発行点数

Ⅱ 皿 【 且 】 ロ 胚 」 Ⅱ 皿 【 且 】 ロ 胚 」

-19691971 1973197519771979198119831985198719891991

年 代

図1題名もしくは目次に「血液型」の言葉が含まれている奮籍の発行点数の経年変化(奥田ら1992)国ウ国会図替館のデータベースからの検索

ど多くの著者が能見正比古の死後(1981年10月)に類似の著書を刊行したり女性向け雑誌に寄稿したからであるという(溝口投稿中)奥田伊藤河野福内(1992)の資料はこのことを裏づけている(図1)また能見正比古の子息俊賢が「ABOの会」主宰者あるいは「血液型研究家」として0dO7ZOなどの女性雑誌等で活躍しているのもこの頃である(諸橋1985参照)つまり古川の学説を復活させブームの素地を作ったのは能見正比古であったが実際にブームを作り出したのは子息や占い師たちと彼らを雑誌などに引きずり込んだマスコミ関係者そしてその読者たちだったのではないだろうか占い師以外にも教育評論家の阿部進がしつけや教育に血液型を応用すべきだとの著書を発表している(阿部1985)血液型性格関連説に賛成する側には学者と呼ばれる人々はおらず主として一般向けの書物を出版することに力を入れている古川の時代には古川学説に対して学界内で検証の試みが盛んに行われた結果反論が

強くなり学界における論争の末に古川学説は葬られたのだがいったい現代の心理学者はどのように血液型性格関連説を扱っているのだろうか

3現代心理学における取扱い

現代の日本の心理学界における血液型性格関連説の取扱いにはさまざまなスタンスがありうるがまず現代の血液型性格関連説は学界内の学説ではないので心理学者が取り上げる問題ではない(つまり無視する)という立場が存在する無視するのではなく何らかの対応をすべきであるという立場は大村(1988)を参考

にして大きく3つに分けることが有用である1つは血液型性格関連説を否定することを中心にしている立場でありもう1つは血液型性格関連説が流行していることを研究

- 2 3 8 -

佐闇渡過現代の血液型性格判断ブーム

する立場である言葉を変えれば前者は「血液型と性格には関連があるか」という仮説を巡る研究であり後者は「(説自体の可否はともかく)この説が受け入れられるのは何故か」という疑問を巡る研究であるといえるもちろんこの二分法は便宜的なものであり同一の著者が同じ論文の中で2つの立場から検討していることも多いそして3つ目として心理学史あるいは科学史としての古川学説という取扱いがある(例えば大村1989b1990c1991溝口1986)これら全てを通じて最も古くから研究を行いかつ現在でも最も精力的なのは大村で

ある彼は一連の学会発表(大村1984など)や論文において古川学説の追試や古川能見のデータの再解析を行い彼らの学説をほぼ否定している(大村1986a19881989a)また1990年にはその集大成として単行本を上梓した(大村1990a)大村の研究は新聞や週刊誌などにも取り上げられることが多いのだが能見(1985)は大村の研究の被験者が数百人であるのは反論には少ないとしてまともに取り上げていない全く論争になっていないのである以下ではこの3分類に準拠して心理学者の研究を紹介したいなお血液型性格関

連説の研究をリードしてきた大村の研究は多棟で多量にわたるため必要に応じて最小限紹介するにとどめる詳しくは大村(1990a1990b)を参照されたい

3-1(性格)心理学的検討能貝正比古が復活させた血液型性格関連説の基本的主張をごく簡単に述べれば人は

血液型の違いによって性格の根本が違っており職業に対する適性も違うし対人関係における相性も違っているということになるこれらの見解に対する直接的な批判についてまず見てみよう大村は1984年以来日本応用心理学会の年次大会においてldquo血液型性格学は信頼で

きるかrdquoという題目で発表(大村1984)を続けており血液型性格関連説には論理的な妥当性がなく科学というよりは偽科学であると断じている1992年現在この発表は第9報を数えている(大村1992a)彼は古川の研究の追試を行い結果が再現しないことを示し能見の説が古川学説にルーツを持つことを丹念に調べ上げさらに古川や能見のデータ解釈は目分量統計の時代の産物にすぎないこといずれの論理194797成とも事後的な解釈に過ぎず牽強附会であること能見親子が実際には正確なデータを公開していないことなどを厳しく指摘している牽強附会の例としてマラソン選手の血液型についての考察において瀬古利彦選手(血液型はo型)が頭角を現わす前後ではその説明が全く異なる様子を見てみることにしよう大村(1990a)によれば能見俊賢はある本の中で

自己との闘いのマラソンは完全に忍耐A型スポーツが近年のスピード化によっ

て42195キロの距離感が変化し短期集中のO型が抜きんでてきた瀬古がその例- 2 3 9 -

であるrdquo

などと述べているというこのような説明なら何型の選手が強くなっても説明可能であるこの説明を見ると瀬古週手の登場によって説を変更したにもかかわらずそしらぬ顔で当の瀬古選手を変更後の説の典型例として用いていることが分かる鎗理構成のトリックは簡単ではあるが見破りにくく見かけの説得力に鴎されてしまう人が多いのも仕方がないことである宮城(1982)は血液型と性格に関連があるという説は統計の誤りによるのではない

かとした上で自己が行った県民性調査の結果に鑑みて血液型と性格の関係を間接的なものとして理解する可能性について論じている坂元(1989a)はこの考え方を血液型性格判断に反対する論拠の1つとして居住県媒介説という名前で紹介している古畑(1983)は血液型の種類はABO式のみではないこと性格は決して不変ではないことrsquoなどを論拠にして血液型性格関連説の論理栂成に対する批判を行っている矢田部(1986)も性格とは何か血液型とは何かという概念の問題から解きあかし最終的に両者の関連を否定する流れをもった著書を出版しているまた血液学者の書いた血液型に関する著書の中にも血液型性格関連説を批判するものが少なくないたとえば松本(1990)はABO式血液型とは赤血球の細胞膜の糖構造の一部のわずかな違いによって型の違いを生じるものであってそのような違いで人間の性格や能力を判断しようとするのはナンセンスであるとしている高田(1992)はldquo日本の論点rdquoという本の中で脳細胞の中には血液型物質が存在しないという最新の血液学上の知見を披瀝したのちldquoわれわれの性格を決めているのは脳と考えられているrdquoのでldquo血液型と性格はまったく無関係でしかありえないrdquoと強い調子で論じているただし彼が前提としているldquo性格を決めているのは脳rdquoであるという考えは血液型性格関連説の正否以上に複雑な問題であるし彼自身が具体的な論拠を示しているわけではないことに留意されたい長谷川(1987)はコンピュータを用いて人数が10~50名であるような架空の血

液型分布を作りそれを被験者に呈示し日本人の血液型分布と比べて偏りがあるかどうかを判断させた分布を作る際には乱数を用いて日本人の血液型分布をシミュレートしたので個々の分布は比率に多少の違いがあるとしてもそれは偶然変動の域を出ないようになっていたのであるしかし被験者はほとんどの分布に対して「偏りがある」と答えていたこの結果はldquo小人数の標本に対しては見かけ上のちょっとした変動でも何か意味があるかのように受け取られがちであることを示しているrdquoと解釈された(長谷川1987)このことを統計的に考えると「ある集団における血液型の比率は日本人全体の比率と同じようである」という帰無仮説が小人数の集団に対しては簡単に棄却されやすいということ(危険率が大きい)であり大村(1990a)の「目分量統計の批判」を一部裏づけたことにもなる

- 2 4 0 -

佐蔭渡遷現代の血液型性格判断ブーム

佐藤渡遜(1991)は血液型性格関連説には反証可能性があるものの実際にはあらゆる反証を飲み込んでしまう訂正不可能な論理194797成になっていることを指摘している矢田部(1986)は自説に有利な証拠にはウェイトをかけて重視するのに不利な証拠は無視歪曲合理化などによって(自説には)とるに足らない証拠だとするような証明の仕方のことを実感的証明と命名している実感的証明に反証はありえないPopperらの影響を受けた現代科学論(cfPopper1972)によればある理論が科学たりえるのは反証可能性がある場合だと考えられている血液型性格関連説はこの基単はクリアーしているけれど反証が出てきたときにそれを採用しないのではやはり科学以前であると考えられよう方法議的論理的側面からの批判以外に性格心理学の尺度を用いて血液型との関連

を否定するという研究も少なくない長谷川(19851987)及び長島山口原野(1989)は矢田部ギルフォード性格検査(YG検査)を用いてその性格類型と血液型の関連を検討したが関連はなかったと結論づけた春日遠藤原野(1989)は実験版メンタルヘルスという自己評定質問紙を用いて性格特性や心身症状と血液型の関連について検討したこの尺度では性格特性に加えて臨床的傾向として不安劣等感などの心的傾向や睡眠食欲など身体的傾向を測査する(assess)ことができるその結果性格特性と身体的傾向には血液型との関連が見られなかったものの心的傾向の10の下位尺度のうち3つに統計的有意差が見られただが彼らはここで見られた差が能見の説とは矛盾するとして重視していない詫摩松井(1985)は特性質問紙を用いて同様のことを試みているエドワーズ個人選好検査(EPPS)とYG検査から9尺度(親和欲求追従欲求秩序欲求回帰性傾向神経質衝動性攻撃性社会的外向性支配性)を選んで各血液型ごとの平均点を比較したところ追従欲求尺度を除いて有意差は見られなかった有意差の見られた追従欲求尺度においてはO型者の得点が最も高くA型者の得点が鮫も低かったのだがその差は僅少だったという長谷川(1987)はPFスタディにおける不満反応と血液型の関係も検討しているが差は認められなかった上瀬松井古沢(1991)はYG検査自意識尺度自己認識欲求尺度刺激欲求尺度と血液型の関連を塩見清水(1992)は下田式性格検査(SPI)の7つの下位尺度(自閉神経過敏自己不全執着粘着同調自己顕示)と血液型の関連を検討したがいずれも関連は認められなかった岡村外島藤田(1992)は古川が児童を対象に研究を試みようとしたことに鑑み児童(小学56年生)の自己評価〔古川(1932)の項目を使用〕と血液型の関連を検討したが関連は見られなかった詫摩松井(1985)は能見(1984)を参考にして各血液型の特徴を表すとされる項

目を20個用意してそれを被験者に自己評定させて実際に血液型による差が見られるかという点についても検討しているその結果18項目には血液型による差は見られず有意差のある項目についても能見の説とは違う方向に差が出ていたという上瀬松井

-241-

(1991)は詫摩松井(1985)の追試を行い同様の結果を得ている長谷川(1987)も同様に能見(1986)の著書を参考にして24項目を用意して被験者に自己評定させて血液型による差が出るかどうかを検討したところ有意差が見られたのは1項目だけであったまた24項目のうち他者評定が可能な16項目について被験者にとって最も親しい人を対象に評定させた時には有意差の見られた項目はなかった奥野生月原野(1989)は他者による気質評定と血液型に関連がないと結論した春日ら(1989)は短大生の幼稚園実習時の行動評定(実習先の上司が行ったもの)と血液型との関連を検討したが差は認められなかったまたこれは学会に発表されたものではないがある年の駒沢大学における学部3年

生の課題成果がldquo血液型性格学をテストするrdquoとしてまとめられている(駒沢大学心理学研究室1985)この研究は大学生や教職員を対象に内田クレペリン精神検査YG検査の他水瓶問題描画テスト色彩感覚テストなど11種の検査と血液型の関連が検討されている(被験者の最大は167名)その結果描画テストにおける描画時間でB型者はA型者より速いなどいくつかの検査及び検査の下位尺度に有意差が認められたが全体として血液型による差はないと結論されている山岡(1982)はあるテレビ番組の中で筆圧曲線を用いた実験を行って血液型と気質の関係について調べている筆圧曲線を用いて気質の類型を分類するという方法はKretschmerに由来するものであるだが千数百名(詳細不明)を対象に行った結果3つの類型に振り分けられた被験者たちの血液型の比率はいずれも4321でどれも日本人の分布と変わりがなかったという〔この研究については大西(1986)第4章の山岡と大西の対談を参考にした〕松井(19891991)はある調査機関が無作為抽出法で得たデータを複数回分にわ

たって再解析して血液型と性格に関係がないことを示そうと試みたこの調査は全国の都市部を対象にして(人数的には日本人口の34をカバーしている)3段階無作為抽出を行って毎回約3000人を対象にして行われている質問項目の中に血液型を答える項目と「性格人柄」を答える項目(24項目)があったので松井は1980198219861988の4年度のデータを利用し各年度のデータについて「性格人柄」項目と血液型のクロス表を作成して比率の差の検定(カイ自乗検定)を行ったのであるその結果各年度とも34項目が有意な差を示していたが各年度とも有意差が見られたのは1項目だけでありその1項目も一貫してある血液型の特徴を示していたわけではなかった松井(1991)は「血液型によって人の性格は異なる」という仮説はデータの代表性が統計的に信頼できる調査において結果の一般性(結果の交差妥当性)が確保できなかったという点を強調しているこの批判は能見親子のデータが彼らが設立した「ABOの会」の会員に配布されているアンケートに基づいているということやたった一度の調査のみで結果を語っているということへの批判であるただしこの研究はldquo「血液型性格学」に関する擁謹論批判論ともに立脚するデータに

- 2 4 2 -

佐藤波遥現代の血液型性格判断ブーム

は多くの問題が存在しているrdquo(松井1991)故に行われたものであり(性格)心理学的研究にも反省を促している大村や古畑(1983)などが強調しているように血液型の問題は論理的誤謬にすぎず

その意味では改めて(性格)心理学的尺度との関連を見る必要があるとは思われないのだが長谷川(1985)以下の研究においては心理学の尺度を基準として血液型と性

をるめと

とい認い

こてがな

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ここで健血液型僅総関連説が流行しているという翼象そのIのを扱う聯究ldquo3-2社会心理学的検討つ い て

紹介するこれらは先ほどのべた第2の立場に当てはまり血液型性格関連説を否定すること自体を目的とはしておらずむしろなぜこの説が人々にこれほどまで受容され

ろ験と

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臺競熟蕊馨騨篭磯幾鵜騨|(の偏り)から検討する試みであるとも言える

3-2-1血液型性格関連説の実態(内容と機能)

豊謝鍵撹磯誇擬熟議瀧雪|用しておこう

撫蝋蝋この表は無作為抽出によって作られたものではないが日しかも大学生のみならず社会人や主婦などにも血液型性格関

もでつそなr

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表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

- 2 4 4 -

被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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ロロhelliphelliphelliphelliphelliphelliphelliplsquohellip9hellipOhellipロ

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 4: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐蕗波逼現代の血液型性格判断ブーム

研究rdquoに発表したり(溝口1987)新聞紙上で発表したりした(松田1991)

2-2学脱の復活と血液型性格判断ブームの到来古川の説は作家能見正比古の著瞥ldquo血液型でわかる相性(能見1971)によって世

俗的に脚色されて(大村1989a)復活したなおこの著作は青春出版社のldquo青春シリーズrdquoの1冊であり1991年夏には239刷されるに至るほどの超ロングセラー本となっている生前の能見正比古と話をする機会があった詫摩によれば能見はその師にあたる大宅壮一からldquo古川学説はよく当たるrdquoということを聞かされて血液羽の問題に興味を持ったという(詫摩1991)能見正比古の没後は子息である能見俊賢が多くの著瞥を出版しているしldquo血液型性格学(鈴木1974)を始めとする他の著者による類替の数も多い能見や鈴木は一連の著瞥の中で気質という言葉にかえて性格という語を多用しているので以下では復活した説のことを「血液型件狢関連湖と呼ぶことにする大村が一連の研究で明らかにしたように能見の説は古川学説の影響を受けていてほぼコピー学説であると言ってもよい能見正比古の論法は古川のそれとほぼ同じであり「血液型の違いは体質の違いに等しいのであるからそれが人間の行動や性格に影響しないわけがない」という仮定のもとにある集団(例えば職業集団など)について血液副別のデータを出してそこに現れた差異をもとに論を194797築していくものである能見父子の論理については彼ら自身の著作の他大西(1986)の第2章が直接引用も多く参考になる古川が軍隊各部署の血液型を調べたように能見も企業経営者や国会譲員などの血液

型を調べているただ能見が古川と大きく違ったのは古川の団体気質(団体活動性指数uarr)を中心とした構想ではなく相性の問題を正面から大きく取り上げたことだろう古川やその賛同者も結婚や相性の問題に血液型が役立つとは考えていた(大村関1991参照)がいかんせん古川の時代は軍国時代であり男女交際よりは国威発揚こそが重大関心事であったのである一方1970年代といえば自由恋愛が一般的になった頃であり男女関係の問題が人々の大きな関心事になったということを能見正比古は巧みに捉えていたのであろうなお古川学説を復活させた能見正比古は自説が新しい人間科学であると標傍しその上他の著者が取り上げるのを嫌っていた1980年代に入って血液型性格判断がブームと言われるほど世間に浸透したのは占い師な

uarr古川はその第2の論文(古川1927b)において民族性係数なる指標を考察し後にこれを団体気質(の指標)あるいは団体活動性指数と呼ぶようになった計算は以下のようでありこの数値が大きいほどその団体には積極的進歩的な人が多いと彼は考えていた彼自身さまざまな団体を対象にこの数値を叶算して比較を行っている

O型+B型団体気質= A型+AB型

- 2 3 7 -

発行点数

Ⅱ 皿 【 且 】 ロ 胚 」 Ⅱ 皿 【 且 】 ロ 胚 」

-19691971 1973197519771979198119831985198719891991

年 代

図1題名もしくは目次に「血液型」の言葉が含まれている奮籍の発行点数の経年変化(奥田ら1992)国ウ国会図替館のデータベースからの検索

ど多くの著者が能見正比古の死後(1981年10月)に類似の著書を刊行したり女性向け雑誌に寄稿したからであるという(溝口投稿中)奥田伊藤河野福内(1992)の資料はこのことを裏づけている(図1)また能見正比古の子息俊賢が「ABOの会」主宰者あるいは「血液型研究家」として0dO7ZOなどの女性雑誌等で活躍しているのもこの頃である(諸橋1985参照)つまり古川の学説を復活させブームの素地を作ったのは能見正比古であったが実際にブームを作り出したのは子息や占い師たちと彼らを雑誌などに引きずり込んだマスコミ関係者そしてその読者たちだったのではないだろうか占い師以外にも教育評論家の阿部進がしつけや教育に血液型を応用すべきだとの著書を発表している(阿部1985)血液型性格関連説に賛成する側には学者と呼ばれる人々はおらず主として一般向けの書物を出版することに力を入れている古川の時代には古川学説に対して学界内で検証の試みが盛んに行われた結果反論が

強くなり学界における論争の末に古川学説は葬られたのだがいったい現代の心理学者はどのように血液型性格関連説を扱っているのだろうか

3現代心理学における取扱い

現代の日本の心理学界における血液型性格関連説の取扱いにはさまざまなスタンスがありうるがまず現代の血液型性格関連説は学界内の学説ではないので心理学者が取り上げる問題ではない(つまり無視する)という立場が存在する無視するのではなく何らかの対応をすべきであるという立場は大村(1988)を参考

にして大きく3つに分けることが有用である1つは血液型性格関連説を否定することを中心にしている立場でありもう1つは血液型性格関連説が流行していることを研究

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佐闇渡過現代の血液型性格判断ブーム

する立場である言葉を変えれば前者は「血液型と性格には関連があるか」という仮説を巡る研究であり後者は「(説自体の可否はともかく)この説が受け入れられるのは何故か」という疑問を巡る研究であるといえるもちろんこの二分法は便宜的なものであり同一の著者が同じ論文の中で2つの立場から検討していることも多いそして3つ目として心理学史あるいは科学史としての古川学説という取扱いがある(例えば大村1989b1990c1991溝口1986)これら全てを通じて最も古くから研究を行いかつ現在でも最も精力的なのは大村で

ある彼は一連の学会発表(大村1984など)や論文において古川学説の追試や古川能見のデータの再解析を行い彼らの学説をほぼ否定している(大村1986a19881989a)また1990年にはその集大成として単行本を上梓した(大村1990a)大村の研究は新聞や週刊誌などにも取り上げられることが多いのだが能見(1985)は大村の研究の被験者が数百人であるのは反論には少ないとしてまともに取り上げていない全く論争になっていないのである以下ではこの3分類に準拠して心理学者の研究を紹介したいなお血液型性格関

連説の研究をリードしてきた大村の研究は多棟で多量にわたるため必要に応じて最小限紹介するにとどめる詳しくは大村(1990a1990b)を参照されたい

3-1(性格)心理学的検討能貝正比古が復活させた血液型性格関連説の基本的主張をごく簡単に述べれば人は

血液型の違いによって性格の根本が違っており職業に対する適性も違うし対人関係における相性も違っているということになるこれらの見解に対する直接的な批判についてまず見てみよう大村は1984年以来日本応用心理学会の年次大会においてldquo血液型性格学は信頼で

きるかrdquoという題目で発表(大村1984)を続けており血液型性格関連説には論理的な妥当性がなく科学というよりは偽科学であると断じている1992年現在この発表は第9報を数えている(大村1992a)彼は古川の研究の追試を行い結果が再現しないことを示し能見の説が古川学説にルーツを持つことを丹念に調べ上げさらに古川や能見のデータ解釈は目分量統計の時代の産物にすぎないこといずれの論理194797成とも事後的な解釈に過ぎず牽強附会であること能見親子が実際には正確なデータを公開していないことなどを厳しく指摘している牽強附会の例としてマラソン選手の血液型についての考察において瀬古利彦選手(血液型はo型)が頭角を現わす前後ではその説明が全く異なる様子を見てみることにしよう大村(1990a)によれば能見俊賢はある本の中で

自己との闘いのマラソンは完全に忍耐A型スポーツが近年のスピード化によっ

て42195キロの距離感が変化し短期集中のO型が抜きんでてきた瀬古がその例- 2 3 9 -

であるrdquo

などと述べているというこのような説明なら何型の選手が強くなっても説明可能であるこの説明を見ると瀬古週手の登場によって説を変更したにもかかわらずそしらぬ顔で当の瀬古選手を変更後の説の典型例として用いていることが分かる鎗理構成のトリックは簡単ではあるが見破りにくく見かけの説得力に鴎されてしまう人が多いのも仕方がないことである宮城(1982)は血液型と性格に関連があるという説は統計の誤りによるのではない

かとした上で自己が行った県民性調査の結果に鑑みて血液型と性格の関係を間接的なものとして理解する可能性について論じている坂元(1989a)はこの考え方を血液型性格判断に反対する論拠の1つとして居住県媒介説という名前で紹介している古畑(1983)は血液型の種類はABO式のみではないこと性格は決して不変ではないことrsquoなどを論拠にして血液型性格関連説の論理栂成に対する批判を行っている矢田部(1986)も性格とは何か血液型とは何かという概念の問題から解きあかし最終的に両者の関連を否定する流れをもった著書を出版しているまた血液学者の書いた血液型に関する著書の中にも血液型性格関連説を批判するものが少なくないたとえば松本(1990)はABO式血液型とは赤血球の細胞膜の糖構造の一部のわずかな違いによって型の違いを生じるものであってそのような違いで人間の性格や能力を判断しようとするのはナンセンスであるとしている高田(1992)はldquo日本の論点rdquoという本の中で脳細胞の中には血液型物質が存在しないという最新の血液学上の知見を披瀝したのちldquoわれわれの性格を決めているのは脳と考えられているrdquoのでldquo血液型と性格はまったく無関係でしかありえないrdquoと強い調子で論じているただし彼が前提としているldquo性格を決めているのは脳rdquoであるという考えは血液型性格関連説の正否以上に複雑な問題であるし彼自身が具体的な論拠を示しているわけではないことに留意されたい長谷川(1987)はコンピュータを用いて人数が10~50名であるような架空の血

液型分布を作りそれを被験者に呈示し日本人の血液型分布と比べて偏りがあるかどうかを判断させた分布を作る際には乱数を用いて日本人の血液型分布をシミュレートしたので個々の分布は比率に多少の違いがあるとしてもそれは偶然変動の域を出ないようになっていたのであるしかし被験者はほとんどの分布に対して「偏りがある」と答えていたこの結果はldquo小人数の標本に対しては見かけ上のちょっとした変動でも何か意味があるかのように受け取られがちであることを示しているrdquoと解釈された(長谷川1987)このことを統計的に考えると「ある集団における血液型の比率は日本人全体の比率と同じようである」という帰無仮説が小人数の集団に対しては簡単に棄却されやすいということ(危険率が大きい)であり大村(1990a)の「目分量統計の批判」を一部裏づけたことにもなる

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佐蔭渡遷現代の血液型性格判断ブーム

佐藤渡遜(1991)は血液型性格関連説には反証可能性があるものの実際にはあらゆる反証を飲み込んでしまう訂正不可能な論理194797成になっていることを指摘している矢田部(1986)は自説に有利な証拠にはウェイトをかけて重視するのに不利な証拠は無視歪曲合理化などによって(自説には)とるに足らない証拠だとするような証明の仕方のことを実感的証明と命名している実感的証明に反証はありえないPopperらの影響を受けた現代科学論(cfPopper1972)によればある理論が科学たりえるのは反証可能性がある場合だと考えられている血液型性格関連説はこの基単はクリアーしているけれど反証が出てきたときにそれを採用しないのではやはり科学以前であると考えられよう方法議的論理的側面からの批判以外に性格心理学の尺度を用いて血液型との関連

を否定するという研究も少なくない長谷川(19851987)及び長島山口原野(1989)は矢田部ギルフォード性格検査(YG検査)を用いてその性格類型と血液型の関連を検討したが関連はなかったと結論づけた春日遠藤原野(1989)は実験版メンタルヘルスという自己評定質問紙を用いて性格特性や心身症状と血液型の関連について検討したこの尺度では性格特性に加えて臨床的傾向として不安劣等感などの心的傾向や睡眠食欲など身体的傾向を測査する(assess)ことができるその結果性格特性と身体的傾向には血液型との関連が見られなかったものの心的傾向の10の下位尺度のうち3つに統計的有意差が見られただが彼らはここで見られた差が能見の説とは矛盾するとして重視していない詫摩松井(1985)は特性質問紙を用いて同様のことを試みているエドワーズ個人選好検査(EPPS)とYG検査から9尺度(親和欲求追従欲求秩序欲求回帰性傾向神経質衝動性攻撃性社会的外向性支配性)を選んで各血液型ごとの平均点を比較したところ追従欲求尺度を除いて有意差は見られなかった有意差の見られた追従欲求尺度においてはO型者の得点が最も高くA型者の得点が鮫も低かったのだがその差は僅少だったという長谷川(1987)はPFスタディにおける不満反応と血液型の関係も検討しているが差は認められなかった上瀬松井古沢(1991)はYG検査自意識尺度自己認識欲求尺度刺激欲求尺度と血液型の関連を塩見清水(1992)は下田式性格検査(SPI)の7つの下位尺度(自閉神経過敏自己不全執着粘着同調自己顕示)と血液型の関連を検討したがいずれも関連は認められなかった岡村外島藤田(1992)は古川が児童を対象に研究を試みようとしたことに鑑み児童(小学56年生)の自己評価〔古川(1932)の項目を使用〕と血液型の関連を検討したが関連は見られなかった詫摩松井(1985)は能見(1984)を参考にして各血液型の特徴を表すとされる項

目を20個用意してそれを被験者に自己評定させて実際に血液型による差が見られるかという点についても検討しているその結果18項目には血液型による差は見られず有意差のある項目についても能見の説とは違う方向に差が出ていたという上瀬松井

-241-

(1991)は詫摩松井(1985)の追試を行い同様の結果を得ている長谷川(1987)も同様に能見(1986)の著書を参考にして24項目を用意して被験者に自己評定させて血液型による差が出るかどうかを検討したところ有意差が見られたのは1項目だけであったまた24項目のうち他者評定が可能な16項目について被験者にとって最も親しい人を対象に評定させた時には有意差の見られた項目はなかった奥野生月原野(1989)は他者による気質評定と血液型に関連がないと結論した春日ら(1989)は短大生の幼稚園実習時の行動評定(実習先の上司が行ったもの)と血液型との関連を検討したが差は認められなかったまたこれは学会に発表されたものではないがある年の駒沢大学における学部3年

生の課題成果がldquo血液型性格学をテストするrdquoとしてまとめられている(駒沢大学心理学研究室1985)この研究は大学生や教職員を対象に内田クレペリン精神検査YG検査の他水瓶問題描画テスト色彩感覚テストなど11種の検査と血液型の関連が検討されている(被験者の最大は167名)その結果描画テストにおける描画時間でB型者はA型者より速いなどいくつかの検査及び検査の下位尺度に有意差が認められたが全体として血液型による差はないと結論されている山岡(1982)はあるテレビ番組の中で筆圧曲線を用いた実験を行って血液型と気質の関係について調べている筆圧曲線を用いて気質の類型を分類するという方法はKretschmerに由来するものであるだが千数百名(詳細不明)を対象に行った結果3つの類型に振り分けられた被験者たちの血液型の比率はいずれも4321でどれも日本人の分布と変わりがなかったという〔この研究については大西(1986)第4章の山岡と大西の対談を参考にした〕松井(19891991)はある調査機関が無作為抽出法で得たデータを複数回分にわ

たって再解析して血液型と性格に関係がないことを示そうと試みたこの調査は全国の都市部を対象にして(人数的には日本人口の34をカバーしている)3段階無作為抽出を行って毎回約3000人を対象にして行われている質問項目の中に血液型を答える項目と「性格人柄」を答える項目(24項目)があったので松井は1980198219861988の4年度のデータを利用し各年度のデータについて「性格人柄」項目と血液型のクロス表を作成して比率の差の検定(カイ自乗検定)を行ったのであるその結果各年度とも34項目が有意な差を示していたが各年度とも有意差が見られたのは1項目だけでありその1項目も一貫してある血液型の特徴を示していたわけではなかった松井(1991)は「血液型によって人の性格は異なる」という仮説はデータの代表性が統計的に信頼できる調査において結果の一般性(結果の交差妥当性)が確保できなかったという点を強調しているこの批判は能見親子のデータが彼らが設立した「ABOの会」の会員に配布されているアンケートに基づいているということやたった一度の調査のみで結果を語っているということへの批判であるただしこの研究はldquo「血液型性格学」に関する擁謹論批判論ともに立脚するデータに

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佐藤波遥現代の血液型性格判断ブーム

は多くの問題が存在しているrdquo(松井1991)故に行われたものであり(性格)心理学的研究にも反省を促している大村や古畑(1983)などが強調しているように血液型の問題は論理的誤謬にすぎず

その意味では改めて(性格)心理学的尺度との関連を見る必要があるとは思われないのだが長谷川(1985)以下の研究においては心理学の尺度を基準として血液型と性

をるめと

とい認い

こてがな

うし差れ

い功意切

と成有い

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い概計はな

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らしに1FなIれ

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とて血には

ほっに格差

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あ論度液う

くう尺血よ

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有連で慎が

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討性のあも

検型つもの

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係血こる

関にしるす

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格根たら注

ここで健血液型僅総関連説が流行しているという翼象そのIのを扱う聯究ldquo3-2社会心理学的検討つ い て

紹介するこれらは先ほどのべた第2の立場に当てはまり血液型性格関連説を否定すること自体を目的とはしておらずむしろなぜこの説が人々にこれほどまで受容され

ろ験と

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臺競熟蕊馨騨篭磯幾鵜騨|(の偏り)から検討する試みであるとも言える

3-2-1血液型性格関連説の実態(内容と機能)

豊謝鍵撹磯誇擬熟議瀧雪|用しておこう

撫蝋蝋この表は無作為抽出によって作られたものではないが日しかも大学生のみならず社会人や主婦などにも血液型性格関

もでつそなr

人興ら窺年ちと

るがえが若』

い上考姿のうい

半数以あるとつあるの当時づけよ全く無

表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

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被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 5: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

発行点数

Ⅱ 皿 【 且 】 ロ 胚 」 Ⅱ 皿 【 且 】 ロ 胚 」

-19691971 1973197519771979198119831985198719891991

年 代

図1題名もしくは目次に「血液型」の言葉が含まれている奮籍の発行点数の経年変化(奥田ら1992)国ウ国会図替館のデータベースからの検索

ど多くの著者が能見正比古の死後(1981年10月)に類似の著書を刊行したり女性向け雑誌に寄稿したからであるという(溝口投稿中)奥田伊藤河野福内(1992)の資料はこのことを裏づけている(図1)また能見正比古の子息俊賢が「ABOの会」主宰者あるいは「血液型研究家」として0dO7ZOなどの女性雑誌等で活躍しているのもこの頃である(諸橋1985参照)つまり古川の学説を復活させブームの素地を作ったのは能見正比古であったが実際にブームを作り出したのは子息や占い師たちと彼らを雑誌などに引きずり込んだマスコミ関係者そしてその読者たちだったのではないだろうか占い師以外にも教育評論家の阿部進がしつけや教育に血液型を応用すべきだとの著書を発表している(阿部1985)血液型性格関連説に賛成する側には学者と呼ばれる人々はおらず主として一般向けの書物を出版することに力を入れている古川の時代には古川学説に対して学界内で検証の試みが盛んに行われた結果反論が

強くなり学界における論争の末に古川学説は葬られたのだがいったい現代の心理学者はどのように血液型性格関連説を扱っているのだろうか

3現代心理学における取扱い

現代の日本の心理学界における血液型性格関連説の取扱いにはさまざまなスタンスがありうるがまず現代の血液型性格関連説は学界内の学説ではないので心理学者が取り上げる問題ではない(つまり無視する)という立場が存在する無視するのではなく何らかの対応をすべきであるという立場は大村(1988)を参考

にして大きく3つに分けることが有用である1つは血液型性格関連説を否定することを中心にしている立場でありもう1つは血液型性格関連説が流行していることを研究

- 2 3 8 -

佐闇渡過現代の血液型性格判断ブーム

する立場である言葉を変えれば前者は「血液型と性格には関連があるか」という仮説を巡る研究であり後者は「(説自体の可否はともかく)この説が受け入れられるのは何故か」という疑問を巡る研究であるといえるもちろんこの二分法は便宜的なものであり同一の著者が同じ論文の中で2つの立場から検討していることも多いそして3つ目として心理学史あるいは科学史としての古川学説という取扱いがある(例えば大村1989b1990c1991溝口1986)これら全てを通じて最も古くから研究を行いかつ現在でも最も精力的なのは大村で

ある彼は一連の学会発表(大村1984など)や論文において古川学説の追試や古川能見のデータの再解析を行い彼らの学説をほぼ否定している(大村1986a19881989a)また1990年にはその集大成として単行本を上梓した(大村1990a)大村の研究は新聞や週刊誌などにも取り上げられることが多いのだが能見(1985)は大村の研究の被験者が数百人であるのは反論には少ないとしてまともに取り上げていない全く論争になっていないのである以下ではこの3分類に準拠して心理学者の研究を紹介したいなお血液型性格関

連説の研究をリードしてきた大村の研究は多棟で多量にわたるため必要に応じて最小限紹介するにとどめる詳しくは大村(1990a1990b)を参照されたい

3-1(性格)心理学的検討能貝正比古が復活させた血液型性格関連説の基本的主張をごく簡単に述べれば人は

血液型の違いによって性格の根本が違っており職業に対する適性も違うし対人関係における相性も違っているということになるこれらの見解に対する直接的な批判についてまず見てみよう大村は1984年以来日本応用心理学会の年次大会においてldquo血液型性格学は信頼で

きるかrdquoという題目で発表(大村1984)を続けており血液型性格関連説には論理的な妥当性がなく科学というよりは偽科学であると断じている1992年現在この発表は第9報を数えている(大村1992a)彼は古川の研究の追試を行い結果が再現しないことを示し能見の説が古川学説にルーツを持つことを丹念に調べ上げさらに古川や能見のデータ解釈は目分量統計の時代の産物にすぎないこといずれの論理194797成とも事後的な解釈に過ぎず牽強附会であること能見親子が実際には正確なデータを公開していないことなどを厳しく指摘している牽強附会の例としてマラソン選手の血液型についての考察において瀬古利彦選手(血液型はo型)が頭角を現わす前後ではその説明が全く異なる様子を見てみることにしよう大村(1990a)によれば能見俊賢はある本の中で

自己との闘いのマラソンは完全に忍耐A型スポーツが近年のスピード化によっ

て42195キロの距離感が変化し短期集中のO型が抜きんでてきた瀬古がその例- 2 3 9 -

であるrdquo

などと述べているというこのような説明なら何型の選手が強くなっても説明可能であるこの説明を見ると瀬古週手の登場によって説を変更したにもかかわらずそしらぬ顔で当の瀬古選手を変更後の説の典型例として用いていることが分かる鎗理構成のトリックは簡単ではあるが見破りにくく見かけの説得力に鴎されてしまう人が多いのも仕方がないことである宮城(1982)は血液型と性格に関連があるという説は統計の誤りによるのではない

かとした上で自己が行った県民性調査の結果に鑑みて血液型と性格の関係を間接的なものとして理解する可能性について論じている坂元(1989a)はこの考え方を血液型性格判断に反対する論拠の1つとして居住県媒介説という名前で紹介している古畑(1983)は血液型の種類はABO式のみではないこと性格は決して不変ではないことrsquoなどを論拠にして血液型性格関連説の論理栂成に対する批判を行っている矢田部(1986)も性格とは何か血液型とは何かという概念の問題から解きあかし最終的に両者の関連を否定する流れをもった著書を出版しているまた血液学者の書いた血液型に関する著書の中にも血液型性格関連説を批判するものが少なくないたとえば松本(1990)はABO式血液型とは赤血球の細胞膜の糖構造の一部のわずかな違いによって型の違いを生じるものであってそのような違いで人間の性格や能力を判断しようとするのはナンセンスであるとしている高田(1992)はldquo日本の論点rdquoという本の中で脳細胞の中には血液型物質が存在しないという最新の血液学上の知見を披瀝したのちldquoわれわれの性格を決めているのは脳と考えられているrdquoのでldquo血液型と性格はまったく無関係でしかありえないrdquoと強い調子で論じているただし彼が前提としているldquo性格を決めているのは脳rdquoであるという考えは血液型性格関連説の正否以上に複雑な問題であるし彼自身が具体的な論拠を示しているわけではないことに留意されたい長谷川(1987)はコンピュータを用いて人数が10~50名であるような架空の血

液型分布を作りそれを被験者に呈示し日本人の血液型分布と比べて偏りがあるかどうかを判断させた分布を作る際には乱数を用いて日本人の血液型分布をシミュレートしたので個々の分布は比率に多少の違いがあるとしてもそれは偶然変動の域を出ないようになっていたのであるしかし被験者はほとんどの分布に対して「偏りがある」と答えていたこの結果はldquo小人数の標本に対しては見かけ上のちょっとした変動でも何か意味があるかのように受け取られがちであることを示しているrdquoと解釈された(長谷川1987)このことを統計的に考えると「ある集団における血液型の比率は日本人全体の比率と同じようである」という帰無仮説が小人数の集団に対しては簡単に棄却されやすいということ(危険率が大きい)であり大村(1990a)の「目分量統計の批判」を一部裏づけたことにもなる

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佐蔭渡遷現代の血液型性格判断ブーム

佐藤渡遜(1991)は血液型性格関連説には反証可能性があるものの実際にはあらゆる反証を飲み込んでしまう訂正不可能な論理194797成になっていることを指摘している矢田部(1986)は自説に有利な証拠にはウェイトをかけて重視するのに不利な証拠は無視歪曲合理化などによって(自説には)とるに足らない証拠だとするような証明の仕方のことを実感的証明と命名している実感的証明に反証はありえないPopperらの影響を受けた現代科学論(cfPopper1972)によればある理論が科学たりえるのは反証可能性がある場合だと考えられている血液型性格関連説はこの基単はクリアーしているけれど反証が出てきたときにそれを採用しないのではやはり科学以前であると考えられよう方法議的論理的側面からの批判以外に性格心理学の尺度を用いて血液型との関連

を否定するという研究も少なくない長谷川(19851987)及び長島山口原野(1989)は矢田部ギルフォード性格検査(YG検査)を用いてその性格類型と血液型の関連を検討したが関連はなかったと結論づけた春日遠藤原野(1989)は実験版メンタルヘルスという自己評定質問紙を用いて性格特性や心身症状と血液型の関連について検討したこの尺度では性格特性に加えて臨床的傾向として不安劣等感などの心的傾向や睡眠食欲など身体的傾向を測査する(assess)ことができるその結果性格特性と身体的傾向には血液型との関連が見られなかったものの心的傾向の10の下位尺度のうち3つに統計的有意差が見られただが彼らはここで見られた差が能見の説とは矛盾するとして重視していない詫摩松井(1985)は特性質問紙を用いて同様のことを試みているエドワーズ個人選好検査(EPPS)とYG検査から9尺度(親和欲求追従欲求秩序欲求回帰性傾向神経質衝動性攻撃性社会的外向性支配性)を選んで各血液型ごとの平均点を比較したところ追従欲求尺度を除いて有意差は見られなかった有意差の見られた追従欲求尺度においてはO型者の得点が最も高くA型者の得点が鮫も低かったのだがその差は僅少だったという長谷川(1987)はPFスタディにおける不満反応と血液型の関係も検討しているが差は認められなかった上瀬松井古沢(1991)はYG検査自意識尺度自己認識欲求尺度刺激欲求尺度と血液型の関連を塩見清水(1992)は下田式性格検査(SPI)の7つの下位尺度(自閉神経過敏自己不全執着粘着同調自己顕示)と血液型の関連を検討したがいずれも関連は認められなかった岡村外島藤田(1992)は古川が児童を対象に研究を試みようとしたことに鑑み児童(小学56年生)の自己評価〔古川(1932)の項目を使用〕と血液型の関連を検討したが関連は見られなかった詫摩松井(1985)は能見(1984)を参考にして各血液型の特徴を表すとされる項

目を20個用意してそれを被験者に自己評定させて実際に血液型による差が見られるかという点についても検討しているその結果18項目には血液型による差は見られず有意差のある項目についても能見の説とは違う方向に差が出ていたという上瀬松井

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(1991)は詫摩松井(1985)の追試を行い同様の結果を得ている長谷川(1987)も同様に能見(1986)の著書を参考にして24項目を用意して被験者に自己評定させて血液型による差が出るかどうかを検討したところ有意差が見られたのは1項目だけであったまた24項目のうち他者評定が可能な16項目について被験者にとって最も親しい人を対象に評定させた時には有意差の見られた項目はなかった奥野生月原野(1989)は他者による気質評定と血液型に関連がないと結論した春日ら(1989)は短大生の幼稚園実習時の行動評定(実習先の上司が行ったもの)と血液型との関連を検討したが差は認められなかったまたこれは学会に発表されたものではないがある年の駒沢大学における学部3年

生の課題成果がldquo血液型性格学をテストするrdquoとしてまとめられている(駒沢大学心理学研究室1985)この研究は大学生や教職員を対象に内田クレペリン精神検査YG検査の他水瓶問題描画テスト色彩感覚テストなど11種の検査と血液型の関連が検討されている(被験者の最大は167名)その結果描画テストにおける描画時間でB型者はA型者より速いなどいくつかの検査及び検査の下位尺度に有意差が認められたが全体として血液型による差はないと結論されている山岡(1982)はあるテレビ番組の中で筆圧曲線を用いた実験を行って血液型と気質の関係について調べている筆圧曲線を用いて気質の類型を分類するという方法はKretschmerに由来するものであるだが千数百名(詳細不明)を対象に行った結果3つの類型に振り分けられた被験者たちの血液型の比率はいずれも4321でどれも日本人の分布と変わりがなかったという〔この研究については大西(1986)第4章の山岡と大西の対談を参考にした〕松井(19891991)はある調査機関が無作為抽出法で得たデータを複数回分にわ

たって再解析して血液型と性格に関係がないことを示そうと試みたこの調査は全国の都市部を対象にして(人数的には日本人口の34をカバーしている)3段階無作為抽出を行って毎回約3000人を対象にして行われている質問項目の中に血液型を答える項目と「性格人柄」を答える項目(24項目)があったので松井は1980198219861988の4年度のデータを利用し各年度のデータについて「性格人柄」項目と血液型のクロス表を作成して比率の差の検定(カイ自乗検定)を行ったのであるその結果各年度とも34項目が有意な差を示していたが各年度とも有意差が見られたのは1項目だけでありその1項目も一貫してある血液型の特徴を示していたわけではなかった松井(1991)は「血液型によって人の性格は異なる」という仮説はデータの代表性が統計的に信頼できる調査において結果の一般性(結果の交差妥当性)が確保できなかったという点を強調しているこの批判は能見親子のデータが彼らが設立した「ABOの会」の会員に配布されているアンケートに基づいているということやたった一度の調査のみで結果を語っているということへの批判であるただしこの研究はldquo「血液型性格学」に関する擁謹論批判論ともに立脚するデータに

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佐藤波遥現代の血液型性格判断ブーム

は多くの問題が存在しているrdquo(松井1991)故に行われたものであり(性格)心理学的研究にも反省を促している大村や古畑(1983)などが強調しているように血液型の問題は論理的誤謬にすぎず

その意味では改めて(性格)心理学的尺度との関連を見る必要があるとは思われないのだが長谷川(1985)以下の研究においては心理学の尺度を基準として血液型と性

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ここで健血液型僅総関連説が流行しているという翼象そのIのを扱う聯究ldquo3-2社会心理学的検討つ い て

紹介するこれらは先ほどのべた第2の立場に当てはまり血液型性格関連説を否定すること自体を目的とはしておらずむしろなぜこの説が人々にこれほどまで受容され

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臺競熟蕊馨騨篭磯幾鵜騨|(の偏り)から検討する試みであるとも言える

3-2-1血液型性格関連説の実態(内容と機能)

豊謝鍵撹磯誇擬熟議瀧雪|用しておこう

撫蝋蝋この表は無作為抽出によって作られたものではないが日しかも大学生のみならず社会人や主婦などにも血液型性格関

もでつそなr

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表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

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被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

- 2 6 3 -

朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

- 2 6 4 -

佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

- 2 6 5 -

画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

- 2 6 6 -

佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 6: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐闇渡過現代の血液型性格判断ブーム

する立場である言葉を変えれば前者は「血液型と性格には関連があるか」という仮説を巡る研究であり後者は「(説自体の可否はともかく)この説が受け入れられるのは何故か」という疑問を巡る研究であるといえるもちろんこの二分法は便宜的なものであり同一の著者が同じ論文の中で2つの立場から検討していることも多いそして3つ目として心理学史あるいは科学史としての古川学説という取扱いがある(例えば大村1989b1990c1991溝口1986)これら全てを通じて最も古くから研究を行いかつ現在でも最も精力的なのは大村で

ある彼は一連の学会発表(大村1984など)や論文において古川学説の追試や古川能見のデータの再解析を行い彼らの学説をほぼ否定している(大村1986a19881989a)また1990年にはその集大成として単行本を上梓した(大村1990a)大村の研究は新聞や週刊誌などにも取り上げられることが多いのだが能見(1985)は大村の研究の被験者が数百人であるのは反論には少ないとしてまともに取り上げていない全く論争になっていないのである以下ではこの3分類に準拠して心理学者の研究を紹介したいなお血液型性格関

連説の研究をリードしてきた大村の研究は多棟で多量にわたるため必要に応じて最小限紹介するにとどめる詳しくは大村(1990a1990b)を参照されたい

3-1(性格)心理学的検討能貝正比古が復活させた血液型性格関連説の基本的主張をごく簡単に述べれば人は

血液型の違いによって性格の根本が違っており職業に対する適性も違うし対人関係における相性も違っているということになるこれらの見解に対する直接的な批判についてまず見てみよう大村は1984年以来日本応用心理学会の年次大会においてldquo血液型性格学は信頼で

きるかrdquoという題目で発表(大村1984)を続けており血液型性格関連説には論理的な妥当性がなく科学というよりは偽科学であると断じている1992年現在この発表は第9報を数えている(大村1992a)彼は古川の研究の追試を行い結果が再現しないことを示し能見の説が古川学説にルーツを持つことを丹念に調べ上げさらに古川や能見のデータ解釈は目分量統計の時代の産物にすぎないこといずれの論理194797成とも事後的な解釈に過ぎず牽強附会であること能見親子が実際には正確なデータを公開していないことなどを厳しく指摘している牽強附会の例としてマラソン選手の血液型についての考察において瀬古利彦選手(血液型はo型)が頭角を現わす前後ではその説明が全く異なる様子を見てみることにしよう大村(1990a)によれば能見俊賢はある本の中で

自己との闘いのマラソンは完全に忍耐A型スポーツが近年のスピード化によっ

て42195キロの距離感が変化し短期集中のO型が抜きんでてきた瀬古がその例- 2 3 9 -

であるrdquo

などと述べているというこのような説明なら何型の選手が強くなっても説明可能であるこの説明を見ると瀬古週手の登場によって説を変更したにもかかわらずそしらぬ顔で当の瀬古選手を変更後の説の典型例として用いていることが分かる鎗理構成のトリックは簡単ではあるが見破りにくく見かけの説得力に鴎されてしまう人が多いのも仕方がないことである宮城(1982)は血液型と性格に関連があるという説は統計の誤りによるのではない

かとした上で自己が行った県民性調査の結果に鑑みて血液型と性格の関係を間接的なものとして理解する可能性について論じている坂元(1989a)はこの考え方を血液型性格判断に反対する論拠の1つとして居住県媒介説という名前で紹介している古畑(1983)は血液型の種類はABO式のみではないこと性格は決して不変ではないことrsquoなどを論拠にして血液型性格関連説の論理栂成に対する批判を行っている矢田部(1986)も性格とは何か血液型とは何かという概念の問題から解きあかし最終的に両者の関連を否定する流れをもった著書を出版しているまた血液学者の書いた血液型に関する著書の中にも血液型性格関連説を批判するものが少なくないたとえば松本(1990)はABO式血液型とは赤血球の細胞膜の糖構造の一部のわずかな違いによって型の違いを生じるものであってそのような違いで人間の性格や能力を判断しようとするのはナンセンスであるとしている高田(1992)はldquo日本の論点rdquoという本の中で脳細胞の中には血液型物質が存在しないという最新の血液学上の知見を披瀝したのちldquoわれわれの性格を決めているのは脳と考えられているrdquoのでldquo血液型と性格はまったく無関係でしかありえないrdquoと強い調子で論じているただし彼が前提としているldquo性格を決めているのは脳rdquoであるという考えは血液型性格関連説の正否以上に複雑な問題であるし彼自身が具体的な論拠を示しているわけではないことに留意されたい長谷川(1987)はコンピュータを用いて人数が10~50名であるような架空の血

液型分布を作りそれを被験者に呈示し日本人の血液型分布と比べて偏りがあるかどうかを判断させた分布を作る際には乱数を用いて日本人の血液型分布をシミュレートしたので個々の分布は比率に多少の違いがあるとしてもそれは偶然変動の域を出ないようになっていたのであるしかし被験者はほとんどの分布に対して「偏りがある」と答えていたこの結果はldquo小人数の標本に対しては見かけ上のちょっとした変動でも何か意味があるかのように受け取られがちであることを示しているrdquoと解釈された(長谷川1987)このことを統計的に考えると「ある集団における血液型の比率は日本人全体の比率と同じようである」という帰無仮説が小人数の集団に対しては簡単に棄却されやすいということ(危険率が大きい)であり大村(1990a)の「目分量統計の批判」を一部裏づけたことにもなる

- 2 4 0 -

佐蔭渡遷現代の血液型性格判断ブーム

佐藤渡遜(1991)は血液型性格関連説には反証可能性があるものの実際にはあらゆる反証を飲み込んでしまう訂正不可能な論理194797成になっていることを指摘している矢田部(1986)は自説に有利な証拠にはウェイトをかけて重視するのに不利な証拠は無視歪曲合理化などによって(自説には)とるに足らない証拠だとするような証明の仕方のことを実感的証明と命名している実感的証明に反証はありえないPopperらの影響を受けた現代科学論(cfPopper1972)によればある理論が科学たりえるのは反証可能性がある場合だと考えられている血液型性格関連説はこの基単はクリアーしているけれど反証が出てきたときにそれを採用しないのではやはり科学以前であると考えられよう方法議的論理的側面からの批判以外に性格心理学の尺度を用いて血液型との関連

を否定するという研究も少なくない長谷川(19851987)及び長島山口原野(1989)は矢田部ギルフォード性格検査(YG検査)を用いてその性格類型と血液型の関連を検討したが関連はなかったと結論づけた春日遠藤原野(1989)は実験版メンタルヘルスという自己評定質問紙を用いて性格特性や心身症状と血液型の関連について検討したこの尺度では性格特性に加えて臨床的傾向として不安劣等感などの心的傾向や睡眠食欲など身体的傾向を測査する(assess)ことができるその結果性格特性と身体的傾向には血液型との関連が見られなかったものの心的傾向の10の下位尺度のうち3つに統計的有意差が見られただが彼らはここで見られた差が能見の説とは矛盾するとして重視していない詫摩松井(1985)は特性質問紙を用いて同様のことを試みているエドワーズ個人選好検査(EPPS)とYG検査から9尺度(親和欲求追従欲求秩序欲求回帰性傾向神経質衝動性攻撃性社会的外向性支配性)を選んで各血液型ごとの平均点を比較したところ追従欲求尺度を除いて有意差は見られなかった有意差の見られた追従欲求尺度においてはO型者の得点が最も高くA型者の得点が鮫も低かったのだがその差は僅少だったという長谷川(1987)はPFスタディにおける不満反応と血液型の関係も検討しているが差は認められなかった上瀬松井古沢(1991)はYG検査自意識尺度自己認識欲求尺度刺激欲求尺度と血液型の関連を塩見清水(1992)は下田式性格検査(SPI)の7つの下位尺度(自閉神経過敏自己不全執着粘着同調自己顕示)と血液型の関連を検討したがいずれも関連は認められなかった岡村外島藤田(1992)は古川が児童を対象に研究を試みようとしたことに鑑み児童(小学56年生)の自己評価〔古川(1932)の項目を使用〕と血液型の関連を検討したが関連は見られなかった詫摩松井(1985)は能見(1984)を参考にして各血液型の特徴を表すとされる項

目を20個用意してそれを被験者に自己評定させて実際に血液型による差が見られるかという点についても検討しているその結果18項目には血液型による差は見られず有意差のある項目についても能見の説とは違う方向に差が出ていたという上瀬松井

-241-

(1991)は詫摩松井(1985)の追試を行い同様の結果を得ている長谷川(1987)も同様に能見(1986)の著書を参考にして24項目を用意して被験者に自己評定させて血液型による差が出るかどうかを検討したところ有意差が見られたのは1項目だけであったまた24項目のうち他者評定が可能な16項目について被験者にとって最も親しい人を対象に評定させた時には有意差の見られた項目はなかった奥野生月原野(1989)は他者による気質評定と血液型に関連がないと結論した春日ら(1989)は短大生の幼稚園実習時の行動評定(実習先の上司が行ったもの)と血液型との関連を検討したが差は認められなかったまたこれは学会に発表されたものではないがある年の駒沢大学における学部3年

生の課題成果がldquo血液型性格学をテストするrdquoとしてまとめられている(駒沢大学心理学研究室1985)この研究は大学生や教職員を対象に内田クレペリン精神検査YG検査の他水瓶問題描画テスト色彩感覚テストなど11種の検査と血液型の関連が検討されている(被験者の最大は167名)その結果描画テストにおける描画時間でB型者はA型者より速いなどいくつかの検査及び検査の下位尺度に有意差が認められたが全体として血液型による差はないと結論されている山岡(1982)はあるテレビ番組の中で筆圧曲線を用いた実験を行って血液型と気質の関係について調べている筆圧曲線を用いて気質の類型を分類するという方法はKretschmerに由来するものであるだが千数百名(詳細不明)を対象に行った結果3つの類型に振り分けられた被験者たちの血液型の比率はいずれも4321でどれも日本人の分布と変わりがなかったという〔この研究については大西(1986)第4章の山岡と大西の対談を参考にした〕松井(19891991)はある調査機関が無作為抽出法で得たデータを複数回分にわ

たって再解析して血液型と性格に関係がないことを示そうと試みたこの調査は全国の都市部を対象にして(人数的には日本人口の34をカバーしている)3段階無作為抽出を行って毎回約3000人を対象にして行われている質問項目の中に血液型を答える項目と「性格人柄」を答える項目(24項目)があったので松井は1980198219861988の4年度のデータを利用し各年度のデータについて「性格人柄」項目と血液型のクロス表を作成して比率の差の検定(カイ自乗検定)を行ったのであるその結果各年度とも34項目が有意な差を示していたが各年度とも有意差が見られたのは1項目だけでありその1項目も一貫してある血液型の特徴を示していたわけではなかった松井(1991)は「血液型によって人の性格は異なる」という仮説はデータの代表性が統計的に信頼できる調査において結果の一般性(結果の交差妥当性)が確保できなかったという点を強調しているこの批判は能見親子のデータが彼らが設立した「ABOの会」の会員に配布されているアンケートに基づいているということやたった一度の調査のみで結果を語っているということへの批判であるただしこの研究はldquo「血液型性格学」に関する擁謹論批判論ともに立脚するデータに

- 2 4 2 -

佐藤波遥現代の血液型性格判断ブーム

は多くの問題が存在しているrdquo(松井1991)故に行われたものであり(性格)心理学的研究にも反省を促している大村や古畑(1983)などが強調しているように血液型の問題は論理的誤謬にすぎず

その意味では改めて(性格)心理学的尺度との関連を見る必要があるとは思われないのだが長谷川(1985)以下の研究においては心理学の尺度を基準として血液型と性

をるめと

とい認い

こてがな

うし差れ

い功意切

と成有い

』ね的言い

い概計はな

なは統とい

れれるいて

らしに1FなIれ

見-にがさ

どり型連視

んお液関重

とて血には

ほっに格差

はと部性意

いを一と有

る法の型な

あ論度液う

くう尺血よ

いいのはの

なと数にこ

れる多中合

らすたの場

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有連で慎が

て関究る

し格研りい

討性のあも

検型つもの

を液1とも

係血こる

関にしるす

の拠だれ釈

格根たら注

ここで健血液型僅総関連説が流行しているという翼象そのIのを扱う聯究ldquo3-2社会心理学的検討つ い て

紹介するこれらは先ほどのべた第2の立場に当てはまり血液型性格関連説を否定すること自体を目的とはしておらずむしろなぜこの説が人々にこれほどまで受容され

ろ験と

あ被た

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閲せし

田さ断

く断判

林判を

はを型

矢型液

噛-跡r血

の血て

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を漫内

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こ人説

るに連

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討学格

検大性

を女型

か男液

のは血

る彼

いは

てう者

臺競熟蕊馨騨篭磯幾鵜騨|(の偏り)から検討する試みであるとも言える

3-2-1血液型性格関連説の実態(内容と機能)

豊謝鍵撹磯誇擬熟議瀧雪|用しておこう

撫蝋蝋この表は無作為抽出によって作られたものではないが日しかも大学生のみならず社会人や主婦などにも血液型性格関

もでつそなr

人興ら窺年ちと

るがえが若』

い上考姿のうい

半数以あるとつあるの当時づけよ全く無

表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

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被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

-254-

回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

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調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 7: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

であるrdquo

などと述べているというこのような説明なら何型の選手が強くなっても説明可能であるこの説明を見ると瀬古週手の登場によって説を変更したにもかかわらずそしらぬ顔で当の瀬古選手を変更後の説の典型例として用いていることが分かる鎗理構成のトリックは簡単ではあるが見破りにくく見かけの説得力に鴎されてしまう人が多いのも仕方がないことである宮城(1982)は血液型と性格に関連があるという説は統計の誤りによるのではない

かとした上で自己が行った県民性調査の結果に鑑みて血液型と性格の関係を間接的なものとして理解する可能性について論じている坂元(1989a)はこの考え方を血液型性格判断に反対する論拠の1つとして居住県媒介説という名前で紹介している古畑(1983)は血液型の種類はABO式のみではないこと性格は決して不変ではないことrsquoなどを論拠にして血液型性格関連説の論理栂成に対する批判を行っている矢田部(1986)も性格とは何か血液型とは何かという概念の問題から解きあかし最終的に両者の関連を否定する流れをもった著書を出版しているまた血液学者の書いた血液型に関する著書の中にも血液型性格関連説を批判するものが少なくないたとえば松本(1990)はABO式血液型とは赤血球の細胞膜の糖構造の一部のわずかな違いによって型の違いを生じるものであってそのような違いで人間の性格や能力を判断しようとするのはナンセンスであるとしている高田(1992)はldquo日本の論点rdquoという本の中で脳細胞の中には血液型物質が存在しないという最新の血液学上の知見を披瀝したのちldquoわれわれの性格を決めているのは脳と考えられているrdquoのでldquo血液型と性格はまったく無関係でしかありえないrdquoと強い調子で論じているただし彼が前提としているldquo性格を決めているのは脳rdquoであるという考えは血液型性格関連説の正否以上に複雑な問題であるし彼自身が具体的な論拠を示しているわけではないことに留意されたい長谷川(1987)はコンピュータを用いて人数が10~50名であるような架空の血

液型分布を作りそれを被験者に呈示し日本人の血液型分布と比べて偏りがあるかどうかを判断させた分布を作る際には乱数を用いて日本人の血液型分布をシミュレートしたので個々の分布は比率に多少の違いがあるとしてもそれは偶然変動の域を出ないようになっていたのであるしかし被験者はほとんどの分布に対して「偏りがある」と答えていたこの結果はldquo小人数の標本に対しては見かけ上のちょっとした変動でも何か意味があるかのように受け取られがちであることを示しているrdquoと解釈された(長谷川1987)このことを統計的に考えると「ある集団における血液型の比率は日本人全体の比率と同じようである」という帰無仮説が小人数の集団に対しては簡単に棄却されやすいということ(危険率が大きい)であり大村(1990a)の「目分量統計の批判」を一部裏づけたことにもなる

- 2 4 0 -

佐蔭渡遷現代の血液型性格判断ブーム

佐藤渡遜(1991)は血液型性格関連説には反証可能性があるものの実際にはあらゆる反証を飲み込んでしまう訂正不可能な論理194797成になっていることを指摘している矢田部(1986)は自説に有利な証拠にはウェイトをかけて重視するのに不利な証拠は無視歪曲合理化などによって(自説には)とるに足らない証拠だとするような証明の仕方のことを実感的証明と命名している実感的証明に反証はありえないPopperらの影響を受けた現代科学論(cfPopper1972)によればある理論が科学たりえるのは反証可能性がある場合だと考えられている血液型性格関連説はこの基単はクリアーしているけれど反証が出てきたときにそれを採用しないのではやはり科学以前であると考えられよう方法議的論理的側面からの批判以外に性格心理学の尺度を用いて血液型との関連

を否定するという研究も少なくない長谷川(19851987)及び長島山口原野(1989)は矢田部ギルフォード性格検査(YG検査)を用いてその性格類型と血液型の関連を検討したが関連はなかったと結論づけた春日遠藤原野(1989)は実験版メンタルヘルスという自己評定質問紙を用いて性格特性や心身症状と血液型の関連について検討したこの尺度では性格特性に加えて臨床的傾向として不安劣等感などの心的傾向や睡眠食欲など身体的傾向を測査する(assess)ことができるその結果性格特性と身体的傾向には血液型との関連が見られなかったものの心的傾向の10の下位尺度のうち3つに統計的有意差が見られただが彼らはここで見られた差が能見の説とは矛盾するとして重視していない詫摩松井(1985)は特性質問紙を用いて同様のことを試みているエドワーズ個人選好検査(EPPS)とYG検査から9尺度(親和欲求追従欲求秩序欲求回帰性傾向神経質衝動性攻撃性社会的外向性支配性)を選んで各血液型ごとの平均点を比較したところ追従欲求尺度を除いて有意差は見られなかった有意差の見られた追従欲求尺度においてはO型者の得点が最も高くA型者の得点が鮫も低かったのだがその差は僅少だったという長谷川(1987)はPFスタディにおける不満反応と血液型の関係も検討しているが差は認められなかった上瀬松井古沢(1991)はYG検査自意識尺度自己認識欲求尺度刺激欲求尺度と血液型の関連を塩見清水(1992)は下田式性格検査(SPI)の7つの下位尺度(自閉神経過敏自己不全執着粘着同調自己顕示)と血液型の関連を検討したがいずれも関連は認められなかった岡村外島藤田(1992)は古川が児童を対象に研究を試みようとしたことに鑑み児童(小学56年生)の自己評価〔古川(1932)の項目を使用〕と血液型の関連を検討したが関連は見られなかった詫摩松井(1985)は能見(1984)を参考にして各血液型の特徴を表すとされる項

目を20個用意してそれを被験者に自己評定させて実際に血液型による差が見られるかという点についても検討しているその結果18項目には血液型による差は見られず有意差のある項目についても能見の説とは違う方向に差が出ていたという上瀬松井

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(1991)は詫摩松井(1985)の追試を行い同様の結果を得ている長谷川(1987)も同様に能見(1986)の著書を参考にして24項目を用意して被験者に自己評定させて血液型による差が出るかどうかを検討したところ有意差が見られたのは1項目だけであったまた24項目のうち他者評定が可能な16項目について被験者にとって最も親しい人を対象に評定させた時には有意差の見られた項目はなかった奥野生月原野(1989)は他者による気質評定と血液型に関連がないと結論した春日ら(1989)は短大生の幼稚園実習時の行動評定(実習先の上司が行ったもの)と血液型との関連を検討したが差は認められなかったまたこれは学会に発表されたものではないがある年の駒沢大学における学部3年

生の課題成果がldquo血液型性格学をテストするrdquoとしてまとめられている(駒沢大学心理学研究室1985)この研究は大学生や教職員を対象に内田クレペリン精神検査YG検査の他水瓶問題描画テスト色彩感覚テストなど11種の検査と血液型の関連が検討されている(被験者の最大は167名)その結果描画テストにおける描画時間でB型者はA型者より速いなどいくつかの検査及び検査の下位尺度に有意差が認められたが全体として血液型による差はないと結論されている山岡(1982)はあるテレビ番組の中で筆圧曲線を用いた実験を行って血液型と気質の関係について調べている筆圧曲線を用いて気質の類型を分類するという方法はKretschmerに由来するものであるだが千数百名(詳細不明)を対象に行った結果3つの類型に振り分けられた被験者たちの血液型の比率はいずれも4321でどれも日本人の分布と変わりがなかったという〔この研究については大西(1986)第4章の山岡と大西の対談を参考にした〕松井(19891991)はある調査機関が無作為抽出法で得たデータを複数回分にわ

たって再解析して血液型と性格に関係がないことを示そうと試みたこの調査は全国の都市部を対象にして(人数的には日本人口の34をカバーしている)3段階無作為抽出を行って毎回約3000人を対象にして行われている質問項目の中に血液型を答える項目と「性格人柄」を答える項目(24項目)があったので松井は1980198219861988の4年度のデータを利用し各年度のデータについて「性格人柄」項目と血液型のクロス表を作成して比率の差の検定(カイ自乗検定)を行ったのであるその結果各年度とも34項目が有意な差を示していたが各年度とも有意差が見られたのは1項目だけでありその1項目も一貫してある血液型の特徴を示していたわけではなかった松井(1991)は「血液型によって人の性格は異なる」という仮説はデータの代表性が統計的に信頼できる調査において結果の一般性(結果の交差妥当性)が確保できなかったという点を強調しているこの批判は能見親子のデータが彼らが設立した「ABOの会」の会員に配布されているアンケートに基づいているということやたった一度の調査のみで結果を語っているということへの批判であるただしこの研究はldquo「血液型性格学」に関する擁謹論批判論ともに立脚するデータに

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佐藤波遥現代の血液型性格判断ブーム

は多くの問題が存在しているrdquo(松井1991)故に行われたものであり(性格)心理学的研究にも反省を促している大村や古畑(1983)などが強調しているように血液型の問題は論理的誤謬にすぎず

その意味では改めて(性格)心理学的尺度との関連を見る必要があるとは思われないのだが長谷川(1985)以下の研究においては心理学の尺度を基準として血液型と性

をるめと

とい認い

こてがな

うし差れ

い功意切

と成有い

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とて血には

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あ論度液う

くう尺血よ

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なと数にこ

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有連で慎が

て関究る

し格研りい

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検型つもの

を液1とも

係血こる

関にしるす

の拠だれ釈

格根たら注

ここで健血液型僅総関連説が流行しているという翼象そのIのを扱う聯究ldquo3-2社会心理学的検討つ い て

紹介するこれらは先ほどのべた第2の立場に当てはまり血液型性格関連説を否定すること自体を目的とはしておらずむしろなぜこの説が人々にこれほどまで受容され

ろ験と

あ被た

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閲せし

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く断判

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か男液

のは血

る彼

いは

てう者

臺競熟蕊馨騨篭磯幾鵜騨|(の偏り)から検討する試みであるとも言える

3-2-1血液型性格関連説の実態(内容と機能)

豊謝鍵撹磯誇擬熟議瀧雪|用しておこう

撫蝋蝋この表は無作為抽出によって作られたものではないが日しかも大学生のみならず社会人や主婦などにも血液型性格関

もでつそなr

人興ら窺年ちと

るがえが若』

い上考姿のうい

半数以あるとつあるの当時づけよ全く無

表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

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被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

-248-

佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 8: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐蔭渡遷現代の血液型性格判断ブーム

佐藤渡遜(1991)は血液型性格関連説には反証可能性があるものの実際にはあらゆる反証を飲み込んでしまう訂正不可能な論理194797成になっていることを指摘している矢田部(1986)は自説に有利な証拠にはウェイトをかけて重視するのに不利な証拠は無視歪曲合理化などによって(自説には)とるに足らない証拠だとするような証明の仕方のことを実感的証明と命名している実感的証明に反証はありえないPopperらの影響を受けた現代科学論(cfPopper1972)によればある理論が科学たりえるのは反証可能性がある場合だと考えられている血液型性格関連説はこの基単はクリアーしているけれど反証が出てきたときにそれを採用しないのではやはり科学以前であると考えられよう方法議的論理的側面からの批判以外に性格心理学の尺度を用いて血液型との関連

を否定するという研究も少なくない長谷川(19851987)及び長島山口原野(1989)は矢田部ギルフォード性格検査(YG検査)を用いてその性格類型と血液型の関連を検討したが関連はなかったと結論づけた春日遠藤原野(1989)は実験版メンタルヘルスという自己評定質問紙を用いて性格特性や心身症状と血液型の関連について検討したこの尺度では性格特性に加えて臨床的傾向として不安劣等感などの心的傾向や睡眠食欲など身体的傾向を測査する(assess)ことができるその結果性格特性と身体的傾向には血液型との関連が見られなかったものの心的傾向の10の下位尺度のうち3つに統計的有意差が見られただが彼らはここで見られた差が能見の説とは矛盾するとして重視していない詫摩松井(1985)は特性質問紙を用いて同様のことを試みているエドワーズ個人選好検査(EPPS)とYG検査から9尺度(親和欲求追従欲求秩序欲求回帰性傾向神経質衝動性攻撃性社会的外向性支配性)を選んで各血液型ごとの平均点を比較したところ追従欲求尺度を除いて有意差は見られなかった有意差の見られた追従欲求尺度においてはO型者の得点が最も高くA型者の得点が鮫も低かったのだがその差は僅少だったという長谷川(1987)はPFスタディにおける不満反応と血液型の関係も検討しているが差は認められなかった上瀬松井古沢(1991)はYG検査自意識尺度自己認識欲求尺度刺激欲求尺度と血液型の関連を塩見清水(1992)は下田式性格検査(SPI)の7つの下位尺度(自閉神経過敏自己不全執着粘着同調自己顕示)と血液型の関連を検討したがいずれも関連は認められなかった岡村外島藤田(1992)は古川が児童を対象に研究を試みようとしたことに鑑み児童(小学56年生)の自己評価〔古川(1932)の項目を使用〕と血液型の関連を検討したが関連は見られなかった詫摩松井(1985)は能見(1984)を参考にして各血液型の特徴を表すとされる項

目を20個用意してそれを被験者に自己評定させて実際に血液型による差が見られるかという点についても検討しているその結果18項目には血液型による差は見られず有意差のある項目についても能見の説とは違う方向に差が出ていたという上瀬松井

-241-

(1991)は詫摩松井(1985)の追試を行い同様の結果を得ている長谷川(1987)も同様に能見(1986)の著書を参考にして24項目を用意して被験者に自己評定させて血液型による差が出るかどうかを検討したところ有意差が見られたのは1項目だけであったまた24項目のうち他者評定が可能な16項目について被験者にとって最も親しい人を対象に評定させた時には有意差の見られた項目はなかった奥野生月原野(1989)は他者による気質評定と血液型に関連がないと結論した春日ら(1989)は短大生の幼稚園実習時の行動評定(実習先の上司が行ったもの)と血液型との関連を検討したが差は認められなかったまたこれは学会に発表されたものではないがある年の駒沢大学における学部3年

生の課題成果がldquo血液型性格学をテストするrdquoとしてまとめられている(駒沢大学心理学研究室1985)この研究は大学生や教職員を対象に内田クレペリン精神検査YG検査の他水瓶問題描画テスト色彩感覚テストなど11種の検査と血液型の関連が検討されている(被験者の最大は167名)その結果描画テストにおける描画時間でB型者はA型者より速いなどいくつかの検査及び検査の下位尺度に有意差が認められたが全体として血液型による差はないと結論されている山岡(1982)はあるテレビ番組の中で筆圧曲線を用いた実験を行って血液型と気質の関係について調べている筆圧曲線を用いて気質の類型を分類するという方法はKretschmerに由来するものであるだが千数百名(詳細不明)を対象に行った結果3つの類型に振り分けられた被験者たちの血液型の比率はいずれも4321でどれも日本人の分布と変わりがなかったという〔この研究については大西(1986)第4章の山岡と大西の対談を参考にした〕松井(19891991)はある調査機関が無作為抽出法で得たデータを複数回分にわ

たって再解析して血液型と性格に関係がないことを示そうと試みたこの調査は全国の都市部を対象にして(人数的には日本人口の34をカバーしている)3段階無作為抽出を行って毎回約3000人を対象にして行われている質問項目の中に血液型を答える項目と「性格人柄」を答える項目(24項目)があったので松井は1980198219861988の4年度のデータを利用し各年度のデータについて「性格人柄」項目と血液型のクロス表を作成して比率の差の検定(カイ自乗検定)を行ったのであるその結果各年度とも34項目が有意な差を示していたが各年度とも有意差が見られたのは1項目だけでありその1項目も一貫してある血液型の特徴を示していたわけではなかった松井(1991)は「血液型によって人の性格は異なる」という仮説はデータの代表性が統計的に信頼できる調査において結果の一般性(結果の交差妥当性)が確保できなかったという点を強調しているこの批判は能見親子のデータが彼らが設立した「ABOの会」の会員に配布されているアンケートに基づいているということやたった一度の調査のみで結果を語っているということへの批判であるただしこの研究はldquo「血液型性格学」に関する擁謹論批判論ともに立脚するデータに

- 2 4 2 -

佐藤波遥現代の血液型性格判断ブーム

は多くの問題が存在しているrdquo(松井1991)故に行われたものであり(性格)心理学的研究にも反省を促している大村や古畑(1983)などが強調しているように血液型の問題は論理的誤謬にすぎず

その意味では改めて(性格)心理学的尺度との関連を見る必要があるとは思われないのだが長谷川(1985)以下の研究においては心理学の尺度を基準として血液型と性

をるめと

とい認い

こてがな

うし差れ

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ここで健血液型僅総関連説が流行しているという翼象そのIのを扱う聯究ldquo3-2社会心理学的検討つ い て

紹介するこれらは先ほどのべた第2の立場に当てはまり血液型性格関連説を否定すること自体を目的とはしておらずむしろなぜこの説が人々にこれほどまで受容され

ろ験と

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を女型

か男液

のは血

る彼

いは

てう者

臺競熟蕊馨騨篭磯幾鵜騨|(の偏り)から検討する試みであるとも言える

3-2-1血液型性格関連説の実態(内容と機能)

豊謝鍵撹磯誇擬熟議瀧雪|用しておこう

撫蝋蝋この表は無作為抽出によって作られたものではないが日しかも大学生のみならず社会人や主婦などにも血液型性格関

もでつそなr

人興ら窺年ちと

るがえが若』

い上考姿のうい

半数以あるとつあるの当時づけよ全く無

表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

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被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

-254-

回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

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調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 9: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

(1991)は詫摩松井(1985)の追試を行い同様の結果を得ている長谷川(1987)も同様に能見(1986)の著書を参考にして24項目を用意して被験者に自己評定させて血液型による差が出るかどうかを検討したところ有意差が見られたのは1項目だけであったまた24項目のうち他者評定が可能な16項目について被験者にとって最も親しい人を対象に評定させた時には有意差の見られた項目はなかった奥野生月原野(1989)は他者による気質評定と血液型に関連がないと結論した春日ら(1989)は短大生の幼稚園実習時の行動評定(実習先の上司が行ったもの)と血液型との関連を検討したが差は認められなかったまたこれは学会に発表されたものではないがある年の駒沢大学における学部3年

生の課題成果がldquo血液型性格学をテストするrdquoとしてまとめられている(駒沢大学心理学研究室1985)この研究は大学生や教職員を対象に内田クレペリン精神検査YG検査の他水瓶問題描画テスト色彩感覚テストなど11種の検査と血液型の関連が検討されている(被験者の最大は167名)その結果描画テストにおける描画時間でB型者はA型者より速いなどいくつかの検査及び検査の下位尺度に有意差が認められたが全体として血液型による差はないと結論されている山岡(1982)はあるテレビ番組の中で筆圧曲線を用いた実験を行って血液型と気質の関係について調べている筆圧曲線を用いて気質の類型を分類するという方法はKretschmerに由来するものであるだが千数百名(詳細不明)を対象に行った結果3つの類型に振り分けられた被験者たちの血液型の比率はいずれも4321でどれも日本人の分布と変わりがなかったという〔この研究については大西(1986)第4章の山岡と大西の対談を参考にした〕松井(19891991)はある調査機関が無作為抽出法で得たデータを複数回分にわ

たって再解析して血液型と性格に関係がないことを示そうと試みたこの調査は全国の都市部を対象にして(人数的には日本人口の34をカバーしている)3段階無作為抽出を行って毎回約3000人を対象にして行われている質問項目の中に血液型を答える項目と「性格人柄」を答える項目(24項目)があったので松井は1980198219861988の4年度のデータを利用し各年度のデータについて「性格人柄」項目と血液型のクロス表を作成して比率の差の検定(カイ自乗検定)を行ったのであるその結果各年度とも34項目が有意な差を示していたが各年度とも有意差が見られたのは1項目だけでありその1項目も一貫してある血液型の特徴を示していたわけではなかった松井(1991)は「血液型によって人の性格は異なる」という仮説はデータの代表性が統計的に信頼できる調査において結果の一般性(結果の交差妥当性)が確保できなかったという点を強調しているこの批判は能見親子のデータが彼らが設立した「ABOの会」の会員に配布されているアンケートに基づいているということやたった一度の調査のみで結果を語っているということへの批判であるただしこの研究はldquo「血液型性格学」に関する擁謹論批判論ともに立脚するデータに

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佐藤波遥現代の血液型性格判断ブーム

は多くの問題が存在しているrdquo(松井1991)故に行われたものであり(性格)心理学的研究にも反省を促している大村や古畑(1983)などが強調しているように血液型の問題は論理的誤謬にすぎず

その意味では改めて(性格)心理学的尺度との関連を見る必要があるとは思われないのだが長谷川(1985)以下の研究においては心理学の尺度を基準として血液型と性

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ここで健血液型僅総関連説が流行しているという翼象そのIのを扱う聯究ldquo3-2社会心理学的検討つ い て

紹介するこれらは先ほどのべた第2の立場に当てはまり血液型性格関連説を否定すること自体を目的とはしておらずむしろなぜこの説が人々にこれほどまで受容され

ろ験と

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臺競熟蕊馨騨篭磯幾鵜騨|(の偏り)から検討する試みであるとも言える

3-2-1血液型性格関連説の実態(内容と機能)

豊謝鍵撹磯誇擬熟議瀧雪|用しておこう

撫蝋蝋この表は無作為抽出によって作られたものではないが日しかも大学生のみならず社会人や主婦などにも血液型性格関

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表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

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被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

- 2 5 1 -

ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

- 2 6 4 -

佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

- 2 6 5 -

画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

- 2 6 6 -

佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 10: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐藤波遥現代の血液型性格判断ブーム

は多くの問題が存在しているrdquo(松井1991)故に行われたものであり(性格)心理学的研究にも反省を促している大村や古畑(1983)などが強調しているように血液型の問題は論理的誤謬にすぎず

その意味では改めて(性格)心理学的尺度との関連を見る必要があるとは思われないのだが長谷川(1985)以下の研究においては心理学の尺度を基準として血液型と性

をるめと

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ここで健血液型僅総関連説が流行しているという翼象そのIのを扱う聯究ldquo3-2社会心理学的検討つ い て

紹介するこれらは先ほどのべた第2の立場に当てはまり血液型性格関連説を否定すること自体を目的とはしておらずむしろなぜこの説が人々にこれほどまで受容され

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臺競熟蕊馨騨篭磯幾鵜騨|(の偏り)から検討する試みであるとも言える

3-2-1血液型性格関連説の実態(内容と機能)

豊謝鍵撹磯誇擬熟議瀧雪|用しておこう

撫蝋蝋この表は無作為抽出によって作られたものではないが日しかも大学生のみならず社会人や主婦などにも血液型性格関

もでつそなr

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半数以あるとつあるの当時づけよ全く無

表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

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被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

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氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 11: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

表1血渡翻性格関連説に興味がある人の割合

宮崎(1991)SatoandWatanabe(inpreparation)を改変して血液型性格関連脱に興味のある人の割合のみを作表した(小数点以下四捨五入)各被験者グループは概ね柵成貝の年齢が低い順になるように並べた学生生徒以外の被験者群の年齢的特徴は以下のとおり⑧=23弱が30蟻代残りが20成代⑨=約23が30歳代残りが40歳代⑩=25以上が40戯以上⑪=15が20歳代3040繊代が各25⑫=13が50旗以上3040歳代が各14⑬=ほぼ全員(97)が50歳以上

血液型性格関連説がどのような理由で受容されて(あるいは拒否されて)いるのかについて検討しているのが上瀬松井古沢(1991)である彼女らは短大生261名を対象に血液型性格関連説を肯定するかどうかを尋ねる際にその理由を自由記述回答によって集めて分類したその結果肯定する人の方が多く肯定する理由が165個否定する理由が62個得られ内容的には経験的理由と論理的理由に大別された肯定する理由としては経験的理由(「自分や周りの人が当てはまっている」や「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」など)が圧倒的に多く90を占めていたが否定する理由では論理的理由(「人間の性格が4種類になってしまう」や「性格は環境によって作られる」など)の方が多く60ほどを占めていた佐藤渡遜(1991)は現代の人々が持つ性格観が古川的気質観と類似していること

(図2)や血液型性格関連説が現在流行していること自体が説の妥当性であると考えられていることなどが血液型性格関連説の流行に与っているのではないかと考察しているまた血液型性格関連説が実証可能な仮説の形をとりながらも実際には全ての反証を併呑する形で理論が発展しうるので誰もが信じやすいという点も指摘している例えば他人の血液型を推論してそれが外れた場合血液型性格関連説の妥当性を見直

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被験者グループの概要 人数(人)

性別(人)- - - - - 一 ロ ロ q - 一 ー q ー ー ー 一 一

男 女

興味ある()

①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬

神奈川県某市立中学校の1年生東京都某私立短大生活統計の受講者

同 学 社 会 調 査 の 受 識 者北海道某国立大学心理学の受講者東京都某私立大学臨床心理学の受識者東京都某公立大学宵年心理学の受講者沖縄県某国立大学心理学専攻生神奈川県某市の子育てセミナーの参加者東京都某区家庭教育学級の参加者某教育諭座の参加者洋上研修参加者(全国各地から参加)神奈川県某市の家庭教育学級の参加者神奈川県公立学校教員退職前研修会参加者

3 7 3 3 00 1 3 3 00 4 0 03 9 3 0 01 3 1 1 08 9 6 0 1

3 9 7 2 1 61 3 3 8 03 9 2 7 6

鍋刑而鮪銘切開闘節帥銘ldquo別

全 被 験 者 1185 63953214 60

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 12: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐蕗波過現代の血液型性格判断ブーム

性 格

表に出る性格

もともとの性格

larr親のしつけなど環境の影轡rarr

適伝の影轡rarr larr血液型など

「頁一罰図2-2人々の性格観

(佐藤渡暹1991)図2-1古川の気質性格観

(古川1932)

すきっかけになっても良いはずであるがその人のことを良く知らなかったからとかその人は血液型の影響が出にくい人だからなどといった理由が後づけられてしまい決して血液型性格関連説の妥当性はゆるがないのである既に述べたように血液型性格関連説は基本的には類型論的な性格理論であると考え

られるではその類型の具体的内容についてはどのように考えられているのだろうかもともとは古川(1927a1927b)の学説から出発しているのだからその内容はかなり一致しているはずであるところが詫摩松井(1985)上瀬松井(1991)中里(1985)では被験者間にそれほどの一致がないとして触れられていない中里(1985)の場合は比較対象が民族ステレオタイプであったので相対的に過小評価されたのかもしれない詫摩松井(1985)及び上瀬松井(1991)は能見(1984)の説との整合性を重視した調査を行ったためA型については能見正比古の説との整合性は大きいものの全体として各血液型のイメージはバラバラであるという結論を出しているしかしAB型イメージが古川=能見の説から大きく離れて少数者差別のような様相を呈している(後述p255参照)ということなどから考えると能見正比古の説と比較して一貫性がないからといって現代の血液型性格関連説における血液型別の記述内容が暖昧であるとするのは早急であろうこのような観点から佐藤宮崎渡邊(1991)は研究者の側から形容詞リストを呈示するのではなく被験者に自由に回答させるという形式で血液型性格関連説の具体的内容の問題についてアプローチしている表2は彼らの研究で得られた内容である例えば几帳面という表現は111名の記述に見られたのだがそれは全てA型に対するものであったその他についても多少の重複はあるとしても血液型別にかなり明確な差異があることが見てとれる坂元(1991)は自己が行った研究(坂元1988a)を吟味して血液型性格関連説の人間分類は図3のような内容であるとしているがこれは佐藤ら(1991)で得られた内容にも類似しているただし坂元(1991)と佐藤ら(1991)は東京近辺の被験者を対象にした研究の結果であり血液型性格関連説の内容が人や地域によって異なっている可能性もある血液型性格関連説が人々にとってどのように捉えられているのかについて検討した上

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教 育

境 遇

年 齢

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

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佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

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図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 13: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

表2血液羽のイメージ(佐薗ら1991)

被醗者の回答から頻度が高かったもの(10以上)を抜き出して作成した

外向性

非協調性

協調性

内向性

図3ABO式血液型ステレオタイプの栂造と内容(坂元1991)

瀬ら(1991)によればldquo血液型性格判断は心理学者が制作しておらず科学的ではないが内容はだいたい的中しており信用できる楽しいものだrdquoと考えられているという詫摩松井(1985)は血液型性格関連説を受容することが超能力迷信星占いなどといった他の神秘的現象への信念とどのように関連するのかという点について検

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回答血液型 A型 B型 O型 AB型 合計

几 帳 面神 経 質真 面 目

明 る いマ イ ペ ー ス個 性 的い い 加 減わ が ま ま自 己 中 心 的楽 天 的面 白 いお お ら か大 ざ っ ぱお つ と り一

一 重 人 格二面性がある変 わ り 者よく分からない

11177544

記銘躯Ⅳ岨皿皿岨

1410

9025161

1118057

5942311715151813

912917

氾別Mu

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 14: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐鰯波邉現代の血波羽性櫓判断ブーム

第3軸

第2軸母里程J1

g o 」血

図4神秘現象と血液型性格関連説(姥摩松井1985)

討した図4に示されているように神秘的現象は「科学的興味をよぶ現象」「占い類」「信仰」の3つに分類され血液型性格関連説については星占い手相などと一緒に「占い類」のグループを栂成していた奥田伊藤河野福内(1991)や中島渡遇佐藤(1992)が行った同様の調査でも「血液型」は「占い」に関する因子を栂成しており血液型性格関連説を受容することは超能力を信じることや神仏を信仰するといったこととは比較的独立であることが示されたもちろん血液型性格関連説が占いと同じ因子を栂成すると言っても全く同じというわけではない佐藤渡邊(1991)は面接調査を行って被験者に星占いと血液型性格関連説のどちらが好きかということを尋ねているがその結果血液は体の中を流れているという点で星座よりも身近に感じられることや分類の数が適当であり話題にしやすいという点から血液型性格関連説の方が良いとする者がいた(星占いに比べて分類数が少ないことを欠点とするものも存在した)血液型性格関連説の機能を検討する研究も行われている詫摩松井(1985)では

血液型性格関連説はステレオタイプの一種であると規定し(後述3-2-2節参照)血液型ステレオタイプを持つ人と持たない人とを2群にわけEPPSYGから選んだ9尺度を用いて性格特徴を比較しているその結果血液型ステレオタイプを持つ人は親和欲求追従欲求回帰性傾向社会的外交性が高かったこれらの結果から詫摩松井(1985)は血液型ステレオタイプが(1)流行の話題として入づき合いの補助的機能を果たし(2)占いと同じように自分の運命や人の行動を予測する道具となる機能と(3)梱威体系に頼って複雑な思考判断を避ける機能を有していると考察した坂元は血液型信念を持つ人が認知的複雑性が単純で性別人種民族についての偏見を持ちやすい(坂元1988a)と論じている上瀬松井(1991)は日常生活

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の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 15: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

の不満度と血液型ステレオタイプの強さとの間に有意な相関を見いだしており従来の偏見研究における「欲求不満と偏見」に関する仮説が当てはまるのではないかと考察している詫摩松井(1985)のうち社会的外向性については上瀬ら(1991)の追試においても支持された塩見清水(1992)はSPIなどを用いて血液麺性格論の信者と不信者を比較しているその結果C(同調)尺度において有意差がみられ信者は不信者よりも同調性格の傾向が認められた上瀬ら(1991)の研究では自意識尺度も用いており血液型ステレオタイプを支持しやすい人は自意識尺度得点(公的私的共に)が高いという結果が得られている血液型による情報は自分がどのような人間なのか他人からどのように見られているのかということに有用だと思われ始めているのかもしれない塩見清水(1992)によると信者は他人からはやさしい親しみやすい人間だと見られたいと思っている傾向があったという佐藤(1991)も血液型性格関連説がなぜ日常生活に欠かせない話題として定着して

いるのかを考察するためにその機能を検討しているそれによれば血液型性格関連説は人間個人個人を扱う説であると同時に対人関係を扱う説でありその機能は性格判断機能性格推測(行動予測)機能血液型判断機能(行動の)原因説明機能(以上個人理論として)相性判断機能相性予測機能血液型判断機能相性説明機能(以上対人関係理論として)が考えられる(図5参照)血液型性格関連説の特徴は個人を語るだけでなく大胆にも対人関係についても語るところにあるように思われるuarrまたこのように機能豊富であるので初対面の相手に対しても安心して持ち出せる話題であり自己紹介の時に自分の血液型を語るものも増えているというさらに血液(型)は会話の成員全ての人が持っており誰もが話題の中心になって会話が弾み関係が促進されるという利点もある佐藤(1991)は血液型性格関連説の持つ社会的な機能を自己呈示機能親和促進機能と名づけている上瀬松井(1991)も血液型性格関連説の機能について因子分析的な検討を加えており娯楽関係促進行動調整の3つの機能があるとした上瀬松井(1991)のデータを再解析した松井上瀬(1991)は自分や身の回りの人にステレオタイプを当てはめてそれが有効だった経験がステレオタイプに基づく感情的反応(型の人は嫌いだなど)を引き起こし対人関係における行動をステレオタイプに沿ったものに調整するのではないかと論じている血液型は娯楽としての話題や関係を促進するための小道具であるだけでなく実際の対人関係を築く際に行動を調整しているという知見は驚きである行動調整機能に含まれている下位項目であるldquo相手の血液型によって接し方を変えるときがあるrdquoldquo人に接する時相手の血液型を考えてから行動するときがあるrdquoへの肯定率(「そう思う」「やや

uarr粒α瀞の血液型特集号の表紙キャッチコピーがldquo血液型でわかる自分の性格他人の性格rdquoldquo彼との相性もズパリわかります厨であり血液型性格関迎説のセールスポイントをしっかり言

及していることは興味深い(佐藤1990)

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佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

- 2 4 9 -

液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 16: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐蔵波遷現代の血液型性格判断ブーム

図5血液型性格関連説の内容的機能(佐蔵1991)

そう思う」と回答した者の割合)は10ほどであったのだが血液型の知識は(心理学者が反対していようと)日常生活に浸透しているだけでなく行動の指針となり実践されているのかもしれないのである佐藤(1991)や上瀬松井(1991)からは血液型性格関連説が会話を円滑にするた

めに重要な役割を果たしていると考えることができるだが血液型の話題が始まるとその話題に参加しない人が5しかない(佐藤1991)ということに注目すると血液型性格関連説は成員をその話題に束縛しているつまり会話に参加するように行動調整していると考えることもできるしかも血液型の話題に参加するといっても血

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液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

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佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

- 2 6 4 -

佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

- 2 6 6 -

佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 17: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

液型性格関連説に沿った参加の仕方しか許されていないのが現状であろう箪者らの共同研究者であった女子学生は論文あとがきの中で血液麺性格関連脱に疑問的態度をとると「場を盛り下げるへ理屈女として疎んじられてしまった」経験を綴っている(宮崎1990)これは彼女だけの事例ではあるが血液型性格関連説に反対すると仲間から疎外されてしまうことは繰り返し起こったというちなみに彼女は卒業論文を書きあげた後「普通の女の子に戻ります」と華者らに言い残して卒業して行った卒業後は血液型の会話を普通に楽しみたいということであった血液型性格関連説はどのような理由で受容されたり拒否されたりしているのかについ

て検討した上瀬松井古沢(1991)によれば血液型件轄関連鋭を肯定するのには経験的な理由が絡んでいるようであったそれは「自分や周りの人が当てはまる」「同じ血液型だと性格が似ている」「他人の血液型を当てることができる」ということなのであるがこのような経験それ自体を検討している研究も多い3-2-2血液型ステレオタイプから血液型偏見へ大村は研究開始の当初から古川学説の追試を行い血液型性格関連説の論理的欠陥を

探ると同時になぜ血液型性格関連説が人々に受け入れられるのかという点についても検討していた大村(1984)では思い込み効果ということが指摘されている中学生37名に対して誤った「血液型別性格特徴」を渡したところ892のものが「合っている」と答えたというこれが発展して大村(1986b)は人々が血液型と性格に関連があると思ってしまう理由を総称してFBI効果と呼ぶことになるFはfreesizeBはlabelingIはimprintingからとったもので簡単に述べれば次のようになる「まず人の特徴を表す言葉は誰にでも当てはまるようなものが多いだがある特徴が自分や他人の血液型に特有だと言われるとそのように思い込んでしまったりその反対に一度自分や他人がある血液型だと思い込むとあらゆる行動にその血液型の特徴を見いだしてしまいがちであるしかもそのような思い込みはあたかも刷り込まれるように持続的な影響を持ちやすい」このうちのフリーサイズ効果にあたる現象については長谷川(1985)春日ら(1989)でも検討されておりほぼ実証されていると言ってよい

宮崎(1991)及びそれを展開した佐藤(1992)はどのくらい他人の血液型を当てることができるかどのくらい他人から自分の血液型を当てられるかの確率について(0から100までの)主観的評価を被験者に求めているその結果他人の血液型を判断するときの的中率の平均値は504(N=524)判断されるときの的中率平均値は546(N=767)であった被験者たちは2回に1回は血液型判断が当たったり当てられたりしていると評価していたのである2つの質問の被験者数が異なっているのは他人の血液型を判断する経験はなくとも他人から判断される経験はある人が多いためである日本人における血液型の比率(AOBAB)が4321であること(笹川渡部1986参照)を考えると血液型が(偶然に)的中する確率の股大値

- 2 5 0 -

佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

- 2 5 1 -

ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

- 2 5 2 -

佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

- 2 5 3 -

を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

-254-

回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

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1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 18: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐圃渡遷現代の血液型性格判断ブーム

は全てA型と推論したときの40最小値は全てAB型と推論したときの10となる仮に血液型の推論に際して各型を1111で答えた場合の確率は254321で答えた場合には30となるuarrもちろんこれらの確率は理鶏に基づく数値であってある個人の的中率が60であっても不思議ではないだが多人数の平均を考えれば先の数値の範囲に落ちつくことになるはずでありこの研究で得られた主観的確率の平均値は明らかに大きすぎる当てた(当てられた)経験は過大評価されているようである実際の的中率はどうであれ他人の血液型を平均して50も当てられると思っているというのが人々にとっての主観的経験なのだから上瀬ら(1991)において経験的理由から血液型と性格に関連があると考える人が多かったのも道理である佐藤(1992)の研究では一部の被験者には血液型と性格の関連の度合いについても値で評価するように求めており(血液型と性格の関連は何ぐらいかを尋ねた)その数値と先の主観的確率の相関係数は3つとも全て正(N=257r=25~45)であったつまり人の血液型を当てる(当てられる)ことができる人ほど関連の度合いが大きいと思っている(あるいはその逆)ということである血液型判断の経験と関連度に関する信念のどちらが先行するのかは今後検討すべき問題であろうことによると正解頻度を関連の程度にすりかえている可能性もあるつまり30くらい他人の血液型が当たることは血液型と性格の関連が30あるということを意味していると考えているのかもしれないということであるこうなると1回でも人の血液型を当てることができたり1回でも他人に自分の血液型を当てられたりすると血液型と性格に少しは関係があるのかもしれないと思うようになってしまうのであるこれはまだ推測の域にすぎず今後の検討課題である詫摩松井(1985)は血液型と性格についての信念つまり血液型によって人の

性格が異なるという信念をldquoある種の個人や集団や対象について既有されている諸意見rdquoという点から捉えることで血液型ステレオタイプと命名できると論じたこれは血液型性格関連説を観察者の側から考えようという提起である血液型と性格についての問題を観察者側の問題として捉えた研究としては社会的認知の枠組みを用いた実験研究が多い外山(1986)は血液型と性格の関連性を題材にして人物情報の処理に対するステレオタイプの影響を実験的に検討している彼女は予備調査として各血液型ごとにldquoステレオタイプと呼べるほどの共有された固定的先入観が存在するかするとすればどのような内容であるかrdquoについて検討したところA型とO型についてはかなり明確なステレオタイプが存在するようであった次に本実験として人物に関する情報処理の際に血液型の情報が何らかの影響(選択的記憶や解釈の歪み)を及ぼすか

uarr卿廼繍瀧駕臘需攝詞瀞瀞渓下の通(佐顧rsquo92参照)ただしX~Xbは血液型を判断した時に出現する各血液型の割合で総和は1である

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ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 19: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

ということについて検討した結果は以下の3点である(1)性格記述情報に関してはステレオタイプと合致するもののみを選択的に記憶しているとは言えなかった(2)人物の行動予測に際しては単なる記述情報に加えて血液型の情報が大きな効果を持った似たような性格記述をされていてもその人がA型と言われるかO型と言われるかによって予測される行動が異なったのである(3)性格記述の中に相互に矛盾する情報が含まれていても与えられた血液型にふさわしいとする「型らしさ」の評定がみられたこれらの結果は人物に関する情報処理に際して血液型というラベルの影響力の強さを示すものであると彼女は考察しており大村(1986b)のFBI効果を支持する実験結果であると考えられよう一方インプリシットパーソナリティセオリー(暗黙の性格観)の研究を行っていた中里(1985)は「血液型性格判断とは人々の持っている暗黙の性格観である」と考え主にベイズ統計を利用して4つの研究を行っている第1研究によれば血液型ステレオタイプの内容には民族ステレオタイプほどの一致はないしかし人が他人の行為を原因帰属する際には特異的な要因に目をつける(第2研究)プロトタイプ的な刺激は容易に範鴎化されそれが広範な印象を生んで安定した統合像につながる(第3研究)他人に対してある仮説をたてるとその仮説を支持するような行動にしか注目しないのではないか(第4研究)ということなどが示唆されたこれらの結果から彼は血液型による性格観は環境からの悩報や刺激を適度に体制化して理解する助けになっているのではないかと考察した外山(1985)や中里(1985)の知見をさらに展開して検討しているのが坂元章の一連

の研究である彼は血液型ステレオタイプが若年層のみに浸透していると捉えた上でこのような現象に対して社会的認知研究の枠組みからアプローチしている坂元(1988

つ い

a)は20の形容詞対を用いて各血液型ごとの性格(彼は血液型ステレオタイプと呼んでいる)と自分自身の性格の2租類の評定を求めたその結果前者についてはA型とB型の血液型ステレオタイプ評定は大きく違っていた(20対中17対に有意差あり)が自分自身の性格についての評定をA型者とB型者で比較したところ6対にしか有意差が認められなかった(そのうち2対は能見的な血液型ステレオタイプの方向と逆であった)血液型ステレオタイプは他者を見る枠組みとしてはかなり明確だったが自分自身を評定した際にはそのような枠組みには拘束されていなかったのである坂元洋子(1988)は女子大生を対象にして先行惜報として血液型の情報を得た後ではその後の情報のうち血液型ステレオタイプに適合するものをよく再生することを明らかにした〔この研究については(坂元1989a)を参考にした〕坂元(1989b)では放送大学生(モード30歳台)を対象に血液型ステレオタイプを予め持たない人でも血液型ステレオタイプの説明をすればこのような現象が起こることを示した坂元(1988b)では血液型を知っているある人物についての記述文を読むときに文章が長くなるほどその人物が血液型ステレオタイプに基づいた性格に一致していると判断されやすいという結果が得られた長い文章では短い文章に比べて血液型ステレオ

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佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

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回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

- 2 6 4 -

佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

- 2 6 6 -

佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 20: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐麗波遥現代の血液麺件狢判断プーム

タイプに一致する悩報も一致しない情報も増えているのであるが被験者は一致する憎報を重視したり一致しない悩報に解釈を加えて一致する情報に変換したのではないかと彼は後に考察している(坂元1989a)坂元章らの一連の研究をみると他人についてある仮脱を持っている人(例えばあの人は型だからだろう)はその仮説にあうような情報利用記銘再生をするのではないかと考えられる坂元(1991)はこれらのプロセスを総称して知覚の歪みという言葉を使用しておりこの知覚の歪みが血液型性格関連説の流行の原因の1つであろうと論じているだが社会的認知研究の結果からだけではさまざまな考え方のうちからなぜ血液副

性格関連説だけがこれほどまでに浸透するのかという問題が明らかにならないそこで坂元(1991)はこの問題について検討するためにABO式血液型に擬したEC式血液型を創作して実験を行ったその結果ABO式血液型ステレオタイプの内容や栂造が特に知覚の歪みを引き起こすのに優れた性質を持っているわけではないことが考察されたただし被験者に突然与えられたEC式血液型ステレオタイプがABO式血液型ステレオタイプよりも知覚の歪みを引き起こさないことから考えれば日常生活において慣れ親しんでいるということが知覚の歪みに影響していると考えることができるまたこれは箪者らの憶測に過ぎないが単なる4分類ではなくその構成人員比が4321になっていることが重要なのかもしれない鹸近になって血液型に注目することが自分や他人の性格記述にどのような影轡を与

えるのかについて検討した研究が現れているこれらの研究は社会的認知研究の諸研究に比べてより現実的な場面を設定するところに特徴があるいわゆる「血液型の当てっこ」などに準じた研究場面を設定するのである佐藤(印刷中)は大学生や看謹学校生を対象に血液型性格関連説に関する調査を行った際被験者にその授業の担当者の血液型を推論させているその結果担当者の血液型推論はある血液型に集中していたとはいえ4つの型に分散していた推論の理由を血液型とかけあわせたところ同じ血液型と推論した被験者たちは担当者についての性格や行動の記述がある程度一致しておりしかも他の血液型を推論した人たちの記述とは異なっていることを見いだした各人の血液型性格関連説の内容はある程度一致しているのだがそれを実際に使用する場面になると(たとえ同一人物の授業を受けていても)その担当者がどのような人であるかという記述は各人によって異なり血液型推論も異なっていたのである血液型を推論する側とされる側の間に既にある程度の相互作用がある場合にはその推論はさまざまな要因の影響をうけてしまうのである川野尾見太田(1992)は専門学校の授業時間の般初の授業を利用して血液型の憎報が初対面時の性格記述に与える影響を検討している彼らは林(1978)が作成した15対の形容詞を用いて性格記述を求めたのだがその際に同一者が担当する5つのクラスを利用して血液型情報なし血液型悩報あり(各血液型)の5条件を設定して比較したその結果各条件の性格記述プロフィールを比べてみると「個人的親しみやすさ」の次元では血液型による影響

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を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

-254-

回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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rsquo

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

- 2 5 8 -

佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 21: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

を受けたがそれ以外の次元では影響を受けなかった担当者がo型であるという情報を与えられた群は他の群はもとより情報なし群よりも「個人的親しみやすさ」が高い人だと記述しておりA型だという情報を与えられた群はその逆だったのであるこの結果は大村のラベリング効果が(一部の性格特性ではあるけれども)現れるということを示したものと言えようまた性格記述に先だって血液型情報が与えられた群は憎報なし群に比べて被験者間の記述のばらつきが大きくなっていた(分散が大きくなった)血液型情報が与えられるとその血液型イメージの影響を受けてかえって性格記述に混乱が生じるのではないかと彼らは考察しているでは自分の性格記述を行うときに血液型を意識するときとしないときとでは違いがあるのだろうか沼崎(私信)によればプロフィール自体がかなり違ってしまうという結果を出している血液型情報が自分の性格記述に対して影響力を持つということは後に述べる自己成就現象の基礎になるということの他自分自身による性格記述がいかに不安定であるかを示しているとも考えられる血液型性格関連説の流行に少数グループへの偏見(少数者差別)を見てとった研究も

現れている佐藤(印刷中)は大学生や看護学生に授業担当者の血液型を推論させその理由と血液型の関係を検討したところBAB型と推論される担当者はその理由として社会的にネガティブな評価をされていた佐藤ら(1991)は佐藤(印刷中)の問題意識を発展させた研究を行っている彼らの第1研究では女子短大生と男女大学生(計197名)を対象にまず各血液型のイメージを求めたところ約270個ほどの記述が得られたこれらの記述の内容を類似したもの同士でまとめていくと結果的に血液型ごとにまとまっていてかなり明確な類型化が見られた第2研究では得られた約270の記述語を先の被験者とは異なる男女大学生に呈示しその社会的望ましさを評定させた被験者に対してはこれらの語が各血液型の人に対するイメージとして集められたものであるということは教示しなかったので第2研究の被験者はことばの社会的望ましさを評定しているにすぎないと思ったはずであるところが各血液型ごとにまとめて社会的望ましさを計算したところ表3のようであった蛾も望ましいのはO型であり望ましくないのはAB型であったまたB型への評価の分散は大きかったのであ

表3各血液型イメージの社会的望ましさ(佐藤ら1991)

値の小さい方が社会的に望ましいと評定されていることを示す

-254-

回答数 平均 標準偏差型型型型B

ABOA

226215220216

259281208345

080113081085

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

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調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 22: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐鰯波遷現代の血液型性格判断ブーム

るこのことは既に佐藤(印刷中)で得られた「特定の血液型の人が差別的にイメージされている」という仮説に合致するものであった日本においてはA型とO型の2つの血液型に70の人間が属するということを考慮に入れるなら血液型別イメージにおける差異は少数者差別の栂造と類似している可能性があると佐藤ら(1991)は考察しているまた独自の社会的距離尺度を用いて各血液型の否定的イメージについて検討した上瀬松井(1991)もAB型に対する否定的イメージが強いもののO型に対する否定的イメージはほとんどないことを見いだしているすなわちAB型の者が「隣には住みたくないタイプ」「結婚したくないタイプ」であるとされる率は20ほどであったがO型の者のそれはわずか2ほどだったのである詫摩松井(1985)や坂元(1988a)は血液型性格関連説を信じる人が権威主義的であったり偏見を持ちやすかったりすると論じているのだが血液型性格関連説それ自体が偏見差別的内容を含みつつあるのである古川にせよ能見父子にせよある血液型が他の血液型より優れているとか劣っているということは決して言っていな上帝彊藺禧琉庁している説ではいつしか内容が歪められてしまったのであろうここに現代のブームの怖さがあると言っても過言ではないuarr論理的に疑わしい上に内容が差別的であるのならばそのような考え方はなくなった

方がいいに違いない上瀬松井(1991)はステレオタイプの解消と変容という文脈に位固づけてそのような検討を行っている彼女らは短大の授業においてサンプリング調査の結果(松井1991)や大村(1986b)のFBI効果の説明などを用いて血液型性格関連説を否定するような説明を行いその前後で否定肯定の態度が変わるかどうかを検討したすると血液型と性格は関係ないとするものは授業前後で4から45と大幅に増加したもののなお30ほどのものが肯定的態度を維持していた肯定し続けている理由を尋ねるとそのうちの30の者は自分の経験を根拠にしており確信度も高いようであったつまりこれらの人々にとっては論理的な説明をされただけでは自らの経験に裏打ちされた血液型性格関連説の(主観的)妥当性はゆらがなかったのであるまた肯定的態度を維持していたもののうちの50はldquo関係ないと分かったが何となく信じてしまうrdquoと回答したという佐藤渡邊(1991)でも面接調査参加者に対して同様のことを行ったが顕著な効果は表れなかった血液型性格関連説には多少の論理的説明ぐらいではぐらつかないほどの(主観的)妥当性が既に確立しているのである上瀬らはその続報において女子大生に対する講義における血液型性格関連説の否定の効果が講義の直後といった短期間ではなく3カ月後でも見られるのかという点を検討しているその結果ステレオタイプの変容は認知的側面感悩的側面肯定否定理由の側面において生じやすく継続しやすいが実際の利用法と

αに

uarr昭和の初期にもある血液型を好む風潮や銀行の金即番が彼の血液型を理由に解服されたという事件が起こった古川(1931)はこのような事態に対してむしろ懸念を表明していた

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いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

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1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 23: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

いった機能認知の側面については変容が生じにくかった(上瀬松井1992)より簡略に述べると血液型性椿関連説が間違っているということは受け入れられても実際の生活において血液型の当てっこなどをやめることはできないということであろうまた彼女らは「講義で否定されたのは血液型性格判断の一部である」などとする者(サプタイプ形成者)への講義による否定の効果が限定的なものであったことからステレオタイプの変容と解消に関するいくつかの仮説のうち(cfHewstone1989)subtypingmodelが妥当なのではないかと示唆している

3-2-3新しい問題一予言の自己成就現象先に取り上げたように坂元(1988a)が形容詞による性格の自己評定を被験者に行

わせたところ血液型による差はそれほど認められなかったしかしそれほど認められないということは裏を返せば少しは違いがあるかもしれないということである本稿3-1節で取り上げた性格尺度使用による研究においてもその一部では血液型ごとに有意差が見られていたという事実もあるまた自己の性格記述をする際に自分の血液型について意識させると意識させないときの記述とは異なるという結果もある(沼崎私信)このような現象を詳しく検討したのが松井(1989)山崎坂元(1991)であるこの問題はもともと松井が1989年に提起したものであり彼は血液型性格関連説

を否定する目的で解析した複数年度分のデータの一部の自己評定項目において年を経るにしたがって血液型による評定値の差が大きくなってきたということを発見した(松井19891991)山崎坂元(1991)は彼と同じデータバンクのデータを異なる方法で再解析してこの点について確認した彼らは1978~1988年の11年分のデータに一貫して用いられていた24の性格評定項目から(大学生による予備調査の結果を用いて)A型項目を3つB型項目を3つ選んで個人ごとのA型得点B型得点を計算し2つの得点の差を「A-B」得点として解析に用いたただしサンプルにはA型者とB型者のみを抜き出している「A-B」得点を目的変数として血液型性別年齢調査年次の4変数とこれらの2次の交互作用項6変数を説明変数として重回帰分析を行ったところA型者の方が「A-B」得点が高くまた高年齢であるほど「A-B」得点が高くなり調査年次が新しいほど「A-B」得点が低くなっていたA型の者がB型の者に比べて「A-B」得点が高いということは無作為抽出された一般の人々の性格評定が大学生の血液型性格関連説の内容と合致していることを示すものでありこれだけでも驚嘆に値しようさらに重回帰分析の結果からは血液型と調査年次の交互作用が検出されているA型の者の「A-B」得点は年次によってほとんど変化していないがB型の者の「A-B」得点は年次が降るに従って低下していったつまりB型の人の性格(の自己評定)は年を経るにつれて相対的にいわゆるB型人間の性格に近づいているというのである(図6)山崎坂元(1991)はこの分析が大量データ(彼らの研究の1年分の被験者は約2000人である)でないと検出されない程度の差

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佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 24: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐薩渡避現代の血液型性格判断ブーム

09876543210副毛君到る

「AIB」得点times100

0 0 0 0 0 0 0 I

1 9 7 8 1 9791 O l 1 1 9 8 2 198319841985198619871 8

調査年(年)OA型の人+B型の人hellipA型の人の回帰直線一一B型の人の回帰直線

図6血液型別「A-B」得点の経時的変化(山崎坂元1991)

しか検出していないことや性格の自己評定を分析していることに注意を喚起している彼らのデータは自己評定であり自己に対する認識の歪みがこのような結果をもたらしたと考えるのが最も妥当であるが自分についての知識が自分の行動に影響することは充分考えられるので血液型による人間分類が妥当してしまうことになりかねないこうなるとまさに信念の自己成就である佐藤渡邊(1991)の面接調査でも血液型について雑誌などで読んだ時にその内容が自分と違っていると自分の方を疑ってしまうという被験者や新しい自分を発見したと考える被験者がいたSnyder(1984)は信念や期待が社会的現実(Socialreality)を作り出すという現象は予言の自己成就

の本質であるrdquoということを述べている血液型性格関連説も新たな社会的現実を作り出しているのだろうか今後の検討が必要な問題である山崎坂元(1992)は彼らの研究の第2報として「A-B」得点の代わりに(大学生による予備調査の結果を用いて)各血液型別の得点を設定して第1報(山崎坂元1991)と同じデータに対して同様の分析を行なったところA型得点に関してはA型の者が年次を経るにしたがってA型化していることが確認されたO型AB型については年次の効果が見られなかったB型得点に関しては確かに年次の効果は認められたのだが肝腎のB型得点

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下 一 一

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

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uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 25: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

そのものについてB型者よりも他の血液型の者の方が高くなっていたのでその解釈は難しいさて実際に行動に変化が現れているのか自己意識のみが変わっているのかは今後

の検討にまつとしても自己成就現象を考える時には性差に関する最近の心理学的識論が参考になるように思えるすなわち性差が生物学的差異によって半ば必然的に現れるという考え方は近年になってほぼ否定されている生物学的差異に加えて環境要因の重要性が指摘されているのである命名のときから男女には区別があり与えられるおもちゃも違うもちろんしつけのされ方も異なっているたとえば母親の台所仕事を手伝えと言われる率は男女で相当違っているまた文化によっては男女役割そのものが逆転しているところもあったのであるこのような諸知見を背景に性差は性別役割(の取得)という概念によって説明されることになったのであるこう考えると血液型性格関連説についてたとえ自己成就が進んだとしてもそれによって「血液型ごとに性格は異なっている場合もある」などとは言わずに「血液型役割の取得が進んでいる」と考える方が良いだろう(木元1991中の佐藤の発言を参照)さらにここで取り上げたいわゆる自己成就現象は古川や能見の理議の発想とは根本的に異なる現象であることにも注意を促したい古川たちは生得的(あるいは根本的)な気質こそが血液型と直結するのであってその後の環境からの影響で形成されたもの(性格)と血液型との関連については言及していないのである(前掲p245の図2参照)松井(1991)や山崎坂元(1991)がとりあげた現象の場合にはもともと関連のなかった血液型と性格の関連が時代的後天的に関連するようになってきたのだから古川学説的な考え方とは話が違う「時代とともに古川=能見説が正しくなってきた」と言うことは理論的に不可能である

3-3心理学史的研究厳密な比較ではないが欧米の心理学史研究に比べてもわが国の科学史研究の中で

比べてもわが国における心理学史の研究数は少ない瀧口(1986など)松田(1991)大村(1990a)などは昭和初期の論争についての考証を重ねている血液型気質相関説と世間との関係や学界内での論争など重要な史実についてかなり明らかになってきたのは彼らの研究の成果である昭和初期には血液型に関する論争は学際的にかっかなり大規模に行われていた今日の性格心理学は古川学説の否定の上にあるのだからわが国性格心理学の勃興期における画期的出来事について知ることはその後の性格心理学を知る上でも重要であり古川学説を日本や世界の性格心理学史の上に位圃づけることは重要な作業であろう(大村1991参照)しかし古川学説を巡る研究の意義については他稿に識りたいと思う(佐藤渡邊1992参照)

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 26: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

4まとめと展望

4-1現代の心理学的研究の特徴以上が能見(1971)に端を発した血液型性格関連説を巡る心理学的研究のあらましで

ある古川学説の盛衰を明らかにした歴史的研究(溝口1986大村1990a松田1991など)を参考に当時の論争と現代の心理学的研究を比較するなら注目すべきことがいくつかある1既に述べたことだが血液型性格関連説に賛成する側と心理学者とでは発表媒体

が異なるので論争にはなりえていない2被験者に対して血液型の検査を自分で行っている者がほとんどいない古川及び

その時代の研究においては被験者の血液型検査をかなり厳密に行っていたが現在では能見もその反対論者たる心理学者もほとんど血液型の検査を行っておらずuarr被験者本人の自己申告のみに頼っているもちろん現在と昭和の初期では血液型そのものについての親近性が異なるし現在では献血などを通じて個人が血液型を知る機会は多くなってきているので許容されることではあるとはいえ血液型の検査を自分で行っているものが皆無であるという事実は現代の血液型性格関連説を巡る論争では血液型と性格の関連ではなく血液型というラベルによる人間の分類の妥当性に魚点があたっているということを示していると言える詫摩松井(1985)以降の「血液型ステレオタイプ」という語はそのことをうまく捉えている血液型を話題にしている人にとっても研究者にとっても「本当の血液型」よりも「その人が思っている血液型」の方が意味を持ちそれと性格などの関連が重要になってしまっているのである

3奥野ら(1989)などを除けば性格の他者評定を用いた批判研究が見られない古川の時代と現在の性格心理学の違いをあえて1つあげるならそれが特性論の発展であることに疑義をはさむ者は少ないだろうこのことは現代の性格心理学において気質という語があまり使われていないということにも現れている性格が何であるかは別として特性論的方法論は自己の評価による性格評定に一定の妥当性と信頼性を保証したので竹賛成論も反対論も自己評定のみで事足れりとしているのかもしれないこのことは山崎坂元(1991)が限定付きであるが血液型ごとにldquo性格の差異を見いだしたrdquoと論じているというところにも影響しているもちろん彼らは性格の自己評定と性格とは違うと慎重に論じているが心理学の方法論に則る限り「性格に差が見られた」と述べることは可能だし一般的日常的生活を考えれば両者が分離されているとは言い離いこのような概念的問題については性格心理学自体が混乱しており非常に難しい問題であるが形容詞の自己評定の結果を性格と言わずに自己概念の記述と言って

uarr

uarruarr

この点については古畑和孝が注恵を促したことがあった(古畑1989)もちろんこのことについては疑問も大きいがここで扱いうる問題ではないので割愛する

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もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 27: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

もいいのではないだろうか(渡邊佐藤1992参照)山崎坂元(1992)では「性格」に差が見られたかどうかということには何の言及もなく専らステレオタイプの自己成就ということだけが述べられている4岡村ら(1992)などを除けば児童や生徒を対象にした研究が行われていない

古川的な気質観を背景に考えるならば青年期以降を対象にした結果は血液型以外の影響も含んだ「不純な」結果であるはずであるしかし能見父子たちも心理学者たちも青年期以降の人たちを研究対象に選びがちである5能見正比古の説の重要な点は相性の問題にあるはずだがこの点についての批判

がほとんど見られない2者のダイナミックな関係の検討は心理学にとって荷が重いので反論も差し控えているのであろうか

6現在の心理学的研究では説の可否そのものを問うというよりはむしろ流行現象を取り扱うという社会心理学的研究が多いこの点については既に決着した仮説のことを改めて検討することはない社会的認知研究の方法が洗練したといったことが関係していると思われる

7血液型性格関連説を巡る研究を行った者は心理学的研究への反省から始めた者や研究の結果として心理学の方法論への反省を得る者が多い前者としては佐藤渡邊(1991)が性格心理学におけるこれまでの性格概念についての疑問を発展させる形で坂元(1989a)が社会心理学における理論重視現象無視の風潮を反省して血液型性格関連説に関する研究を行っている後者では松井(19891991)が血液型性格関連説を否定するために用いた無作為抽出のデータ解析から心理学の調査研究全般のあり方について反省しているまた大村(1991)の場合には性格心理学の尺度に対して懐疑的であったこともあり推計学的統計検定による血液型性格関連説の否定は不可能であると断じつつldquo心理学の不安rdquoについて述べているさらに大村(1992a)では昭和初期のある年の甲子園大会の選手のデータを用いてカイ自乗検定を行ったところ(推計学的に)有意にある血液型の者が多いことを報告したのだが推計学だけで心理学的事実は解明できないと論じつつその考察ではldquo未熟な研究者は推計学だけに依存して研究をまとめあげる鼓近のペーパー(心理学分野における公刊論文のことhelliphellip引用者注)にはそういう未熟なものが多いrdquoと述べているこうなると血液型性格関連説の批判というよりも心理学的研究の批判に重点が移っているかのようである佐藤渡邊は木元(1991)の中でldquo血液型問題は心理学の鏡なのではないでしょうかrdquoと語っているがそれは以上のような事情を指している血液型性格関連説の問題点の多くは心理学的研究の問題点を映し出さずにはいないのである昭和初期の古川学説を巡る論争では確かに心理学は勝者の側にあったかもしれないのだがその結果構築された心理学を学ぶ者たちは古川学説の後継者に対する現代の論争を通じて心理学のあり方について疑問を持ってしまっているのであるこれはやや皮肉な事態であろうこの点は性格心理学の概念や研究法にも絡む問題であり古川学説の生成と論争外国

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佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

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てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

- 2 6 3 -

朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

- 2 6 4 -

佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

- 2 6 5 -

画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

- 2 6 6 -

佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 28: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐醸渡遥現代の血液型性格判断ブーム

における血液型性格関連説研究の論理(泌口1992参照)などと併せて他稿で詳しく検討したい

4-2展望血液型性格関連説の流行について扱った諸研究は現代の血液型ブームが「どのよう

に」始まり「どのように」受け入れられ「どのように」維持されてきたのかという問題については回答を用意できるようになってきたしそのような状況の問題点についてもかなり体系的な考察が可能になってきたしかし「なぜ日本でなぜ血液型がなぜこんなにも流行しているのか」という根本的な点については残念ながら明確な答えは得られていないこれは性格心理学の課題ではありえないが社会心理学の課題としては成立するだろう日本では占星術が流行っていない日本人は(見かけ上)単一民族でありその中で個人差を論じるときに手がかりとなる弁別変数が少ない性差について言及がないことがユニセックスの風潮に合致した各血液型の比率(4321)が知覚の歪みを作り出すのに最適であるなどの理由を考えることも可能だがいずれも思索の域を出ていないしもっと多様な要因が複雑に絡んでいるだろうことは想像に難くない今後は溝口の科学史的世相史的考察(溝口投稿中)を参考に検討を行ったり他国での状況を検討する比較文化的考察uarrが必要になるだろうまた信念や俗信の研究の成果を吸収してそのような立場からの研究も有効になると思われる社会心理学や文化(社会)人類学における文化や人間行動の研究においては研究の

視点や立場についてエティックな観点とエミックな観点を分けることがある(野村1989)野村(1989)は日本の社会心理学の研究テーマには日本独自の現象の研究が少ないことやエティック的研究が多いことを指摘しているが血液型ブームの研究に関しては研究対象の内側からのエミック的な研究が少なくない(例えば佐藤印刷中)と言うことができる血液型性格関連説の研究は言うまでもなく日本独自のものでありかつ理論的考察よりは現象それ自体の考察が重視されているそういった意味では血液型性格関連説は日本の社会心理学にとって画期的な研究テーマであるとも言えるが逆に考えると心理学全体世界の心理学の流れとは隔絶した特異的な研究に陥っ

uarr渡避が韓国からの留学生に聞いたところによると韓国でも血液型は占いに組み込まれているという韓国では星座ではなく十二支が好んで使われているのでldquo血液型十二支占い厨なるものも存在しているという大村(1992b)によれば台湾でも血液型性格関連説が流行しつつある証拠がある一方米国出身の元プロ野球巨人軍選手のクロマティはその在日体験記の中で血液型性格関連説の流行に対して軽蔑の態度を示している(CromartieampWhiting1991)一般的な印象にすぎないが同じ在日留学生でも欧米からの留学生は血液型性格関連脱に対して冷淡だが中国や韓国からの留学生は好意的で興味を持っているようである外国人におけるこれらの現象がわが国での血液型性格関連説の流行の謎を解く1つのヒントになるのではないかと筆者らは考えている

- 2 6 1 -

てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

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上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

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上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

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春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

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-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

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本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 29: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

てしまう心配もある今後は現象から理論を導いたりより広い視野をもって心理学全体に知見を還元できるような形で検討したりすることが必要である坂元(1989a)は理論と現象のバランスのとれた研究を行っていく必要性を強調している血液型と性格の関連は論理的に考えれば古畑(1983)などが指摘した通りで妥当性

は全くないまた性格尺度を用いた研究も関連を見いだすにはいたっていない(詫摩松井1985など)なぜこのような妥当でない考えが日常的に現実性を持ちやすいのかということについてもかなり解明が進んでいる(坂元1989bなど)血液型性格関連説のもたらす弊害についても指摘されつつある(佐藤ら1991など)ある説の可否は結論的に言明できるものではないことには留意すべきであり血液型性格関連説が正しい可能性もありうるが新聞など影響力の大きなメディアがこの問題を取り上げる時には心理学的研究が「血液型性格関連脱は正しくないという知見」や「正しくない説がどのように人口に贈灸しているのかについての知則を集積しているということも取り上げてほしい血液型は対人関係にとって重要であるという記事が新聞(それも大新聞)に批判もなく掲戦されればそれを疑うことは難しいだろう選挙報道のあり方などを通してマスコミ研究にも詳しい社会心理学者である池田(印刷中)は大新聞が血液型性格関連説を取り上げること自体がldquo偏見を隠微な形で助長しているrdquoのではないかと指摘しさらに当の大新聞の側がそのような可能性に対して無頓着であることに懸念を表明しているもちろん最近では新聞や週刊誌などでも血液型性格関連脱に批判的な記事も多く

なってきているだがその一方で何の疑いもなく人物紹介のプロフィールに血液型を記載している記事やインタビューなどで血液型に言及している(インタビューされた人が「ぼくは型だから~なんですよ」などと言ったのをそのまま掲載している)記事などが多いのもまた実状である佐藤渡邊(1991)は血液型の話題が一般的であることがあたかも説の妥当性を高めているのではないかと指摘しているがこの点についてマスコミの果している役割は小さくないように思える今までのところこの点について注目した研究はないのだが今後はぜひ検討すべき課題であろうしかしまた心理学の側で反省すべき点も多いこの種の調査を行うときには「血

液型と性格に関係があると思いますか」とか「相手の血液型によって態度を変えますか」などの形で行われることが多いこのような質問形式は一歩違うと一種の誘導尋問になってしまい本論文でこれまでに引用した調査でも血液型性格関連説への賛同者を過大評価してしまっている可能性があるさらにこの極の調査を行う調査者は調査のあとで血液型性格関連税の妥当性のなさを説明するのであるがたとえ説明したところで調査の実施自体が「こんな調査をするくらいだから血液型性格関連説にはもしかすると妥当性があるのかもしれない」という印象を強化する可能性もある社会的学習理論の成果によれば「子どもは親の言っていることではなくやっていることを学ぶ」のであるもちろん上瀬松井(1991)によれば血液型性格関連説を否定

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佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

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佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 30: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐蔭渡遇現代の血液型性格判断ブーム

する講義の後ではそれに沿った意見の変容が見られているし上瀬松井(1992)ではその効果が3カ月後でも概ね維持されるという結果が得られているしかしそれが行動に結び付いているかどうかは怪しかったのであるまた調査のあとの説明を全く聞かない人がいる可能性もあるのであるマスコミの影響を云々するまえに自分たちの調査の姿勢についても考察する必要があることも強調しておきたいこのように考えると血液型性格関連説についての研究などはしないにこしたことはないという意見にくみ

与するように聞こえるが決してそうではない現在の流行の様子を考えるなら我々は血液型性格関連説について検討しもしこの考え方が誤っていたり弊害をもたらしたりしているのならばそのことを解明して伝えなければならないのであるなぜならこの考え方の基本を作ったのは心理学(者)でありその誤りを指摘できるのもまた心理学(者)であると考えられるからである

5 お わ り に

血液型性格判断を巡る研究は現時点において心理学界の中で3つの立場から(穏やかではあるが)反対批判されている1つは「俗っぽい現象」を扱う研究に対する非難である「遊び(みたいな研究)はやめろ」という感じだろうか次に最近では心理学者の中にも血液型性格関連説を素朴に信じている人が意外に多い血液型と性格の関連に限らず「ない」と言い切れることはほとんどないということを背景に「間違いだと決めてかかる方が偏見だ」という論調になるそして最後が血液型と性格の関係を否定してどうするのというものである「みんなが楽しく血液型の話題でコミュニケーションしているのに何も心理学者が無粋なことをしなくてもいいではないか」という感じであろうか冒頭で述べたように本論文は朝日新聞のldquo何でもQampA-血液型の周辺一rdquoと

いうコラム記事に心理学的知見が取り上げられていなかったということを直接の契機に執筆されたものであるその結果多くの心理学者が過去10年間にわたってこの問題に関わってそれぞれの立場から研究を行ってきたということを提示できたと思う本論文は心理学界内部からの3つの反対に対して直接答えるというスタイルをとってはいないが(1)血液型性格関連説には妥当性がないこと(2)たとえ「血液型の当てっこ」であっても現代のブームには反対しなければいけないことそして(3)このような現象を扱うことが心理学の研究としても成り立ちうるということが理解していただければ幸いである

文 献

阿部進(1985)血液型気質別教育法KABA書房anan(1990)血液型でわかるあなたの性格他人の性格1990727号朝日新聞(1990)AB型社員でチーム19901121付朝刊

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朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

CromartieWampWhitingR(1991)SJz唖加gozJんPα雄TokyoKodanshaInternatiOnal=松井みどり(3I)(1992)さらばサムライ野球講談社

ダカーポ(1992)血液型件轄判断は当たるか1992318号古畑和孝(1983)よりよい学級をめざして学芸図書古畑和孝(1989)第30回日本社会心理学会ワークショップにおける発言古川竹二(1927a)血液型による気質の研究心理学研究2612-634古川竹二(1927b)血液型による気質及び民族性の研究教育思潮研究I208-234FurukawaT(1928)DieErforshungderTemperamentemittelsderExperi-

mentellenBlutgruppenuntersuchungZiZschfif戯γα7哩膠24ノαPcho-J昭彪3I271-299

FumkawaT(1930)AstudyoftemperamentandbloodgroupsJoEJmaJQfSocml彫加J昭弘I494-509

古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

InDBar-TalCFGraumannAWKruglanskiampWStroebe(Eds)Stefo心rdquo噌α壇フiCe(pp207-223)Springer-Verlag

池田謙一(印刷中)「日常的常識」と社会的現実社会のイメージの心理学サイエンス社

上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

k麺由美子松井豊(1992)血液型ステレオタイプの変容と解消について日本社会心理学会第33回大会発表論文集34ケ349

上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

関西大学社会学部社会調査室(1986)〈血液型ブーム〉研究一人間関係ゲームの流行を探る社会調査報告書

春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

- 2 6 4 -

佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

- 2 6 5 -

画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

- 2 6 6 -

佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 31: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

朝日新聞(1991)何でもQampA血液型の周辺①~④199186~1991810付朝刊

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古川竹二(1931)血液型と気質の問題の批評に対して優生学812-26古川竹二(1932)血液型と気質三省堂原来復小林栄(1916)血液ノ類族構造二就テ医事新聞No954937-941長谷川芳典(1985)「血液型と性格」についての非科学的俗説を否定する日本教育心

理学会第27回総会発表論文集422-423長谷川芳典(1987)血液型と性格長崎大学医療技術短期大学部紀要I7789林文俊(1978)対人認知栂造の基本次元についての一考察名古屋大学教育学部紀要

25i233-247林春男(1985)「サザエさん」ちの血液型日本グループダイナミックス学会第33

回大会発表論文集23-24HewstoneM(1989)Changingstereotypeswithdisconforminginformation

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上瀬由美子松井豊(1991)血液型ステレオタイプの機能と感憎的側面日本社会心理学会第32回大会発表論文集26牙299

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上瀬由美子松井豊古沢照幸(1991)血液型ステレオタイプの形成と解消に関する研究立川短大紀要鍵55-65

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春日作太郎遠藤公久原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性の実証的研究その1日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集106-107

川野健治尾見康博太田恵子(1992)血液型推論の持つ機能日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)

木元俊宏(1991)再び広まる血液型性格判断科学朝日5I()50-53

- 2 6 4 -

佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

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本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

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3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

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坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

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鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 32: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐藤波邉現代の血液型性格判断ブーム

駒沢大学心理学研究室(1985)3年次課題(小野浩一指導)-血液型性格学をテスト す る -

松田薫(1991)「血液型と性格」の社会史河出書房新社松井豊(1989)血液副件櫓学に関する統計的検討日本社会心理学会第30回ワーク

ショップ配布資料松井豊(1991)血液型による性格の相違に関する統計的検討立川短大紀要2451

-54松井豊上瀬由美子(1991)血液型ステレオタイプの認知的側面と感情的側面日本

グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集107-108松本秀雄(1990)血液型は語る裳華房溝口元(1986)古川竹二と血液型気質相関説一一学説の登場とその社会的受容を中心

として-生物科学廼俳20溝口元(1987)古川竹二「血液型人間学」事始め科学朝日47(7)62-67溝口元(1991)智能学業成績と血液型気質相関説生物学史研究ldquo33-42溝口元(1992)Eysenckにおける血液型とパーソナリティの関係日本性格心理学会

第1回大会発表論文集(論文集印刷中)溝口元(投稿中)血液型人間学の出現とその社会的受容過程宮域音弥(1982)性格と血液型多湖輝(編)現代人の心理と行動事典講談社宮崎さおり(1990)現象としての血液型性格論東京都立大学心理学専攻特別研究

論文(未公刊)宮崎さおり(1991)現象としての血液型性格論(2)東京都立大学心理学専攻卒業

論文(未公刊)諸橋泰樹(1985)大衆雑誌にみられる「人間関係術」-心理性格行動等に関す

る記述の実態と問題点について女性誌を中心に-その1臨床心理学研究2361-71

長島良夫山口正二原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研究その2日本カウンセリング学会第22回大会発表論文集108-109

中島定彦渡邊芳之佐藤達哉(1992)日本社会心理学会第33回大会自主企画配布資料

中里浩明1985暗黙裡の血液型性格観に関する研究神戸女学院論集3211-40NewsWeek(1985)Typecasting-Byblood198541野村昭(1989)文化と社会の心理学北大路書房能見正比古(1971)血液型でわかる相性青春出版社能見俊賢(1985)ゆうかん特報(サンケイ新聞1985_925付)での発言能見俊賢(1986)学習まんが血液型なぞとふしぎ小学館沼崎誠(私信)自己の血液型情報が自分の性格記述に及ぼす影響について岡部彌太郎(1931)個性調査教育科学第4巻岩波書店岡村一成外島裕藤田主一(1992)児童の自己評価と血液型との関係について日

本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1991)俗信の栂造へのアプローチ日

本グループダイナミックス学会第39回大会発表論文集155-156奥田達也伊藤哲司河野和明福内裕喜恵(1992)日本心理学会第33回大会自主企

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画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

- 2 6 6 -

佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 33: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

画配布資料奥野茂代生月誠原野広太郎(1989)性格と血液型との関連性についての実証的研

究その3日本カウンセリング学会第22回大会発表誌文集111111大村政男(1984)「血液型性格学」は信頼できるか日本応用心理学会第51回大会発

表論文集23大村政男(1986a)血液型気質説の回顧と展望日本大学心理学研究Z27-42大村政男(1986b)「血液型性格学」は信頼できるか(第3報)日本応用心理学会第

53回大会発表識文集106大村政男(1988)血液型気質相関説についての研究日本大学人文科学研究所紀要

3553-77大村政男(1989a)古川竹二の「血液型気質相関説」-埋もれた心理学史を尋ねて

-日本教育心理学会第31回総会(小講演)L34大村政男(1989b)血液型気質相関説の批判的研究日本大学人文科学研究所紀要

ml75-199大村政男(1989c)血液型性格学の虚194797性日本応用心理学会第56回大会講演発表資

料大村政男(1990a)血液型と性格福村出版大村政男(1990b)血液型性格学藤田主一他著心理学アスペクト福村出版大村政男(1990c)人格心理学者古川竹二人とその思想日本心理学会第54回大会

発表論文集8大村政男(1991)「血液型気質相関税」と「血液型人間学」の心理学的研究一一古川竹

二教授牛誕百年を記念する-日本大学人文科学研究所紀要4271-92大村政男(1992a)「血液型性格学」は信頼できるか(第9報)日本応用心理学会第

59回大会発表論文集112大村政男(1992b)性格検査の妥当性とはなんだろう-「ココロジー現象」の流行

に関連して-日本大学人文科学研究所紀要446牙91大村政男関忠文(1991)血液型気質説の創始者古川竹二生誕100年を記念する

日本心理学会第55回大会発表論文集566大西赤人(1986)血液型の迷路朝日新聞社PopperKR(1972)jecsc7Eio7IsThegwQscie7ztiiじんo抑一

jg鞄(4thed)LondonRoutledgeampKeganPaul藤本隆志石垣涛郎森博(訳)(1980)推測と反駁法政大学出版局

坂元章(1988a)対人認知様式の個人差とABO式性格判断に関する信念日本社会心理学会第29回大会発表論文集52-53

坂元章(1988b)ABO式血液型ステレオタイプによる選択的知覚日本教育心理学会第30回大会発表論文集604-605

坂元章(1989a)社会的認知研究を身近に「血液型性格判断をめぐって」日本心理学会第30回大会ワークショップ配布資料

坂元章(1989b)「血液型ステレオタイプに関する知劉と記銘の歪み日本社会心理学会第30回大会発表論文集29-30

坂元章(1991)血液型ステレオタイプの構造と知覚の歪み日本社会心理学会第32回大会発表論文集292-295

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佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

Adesieffme7mlsocmjpSj肥加j咽ノVりJI8(pp247-305)NewYorkAcademicPress

鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

- 2 6 7 -

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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Page 34: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

佐麗波遷現代の血液麺性熔判断ブーム

坂元洋子(1988)血液型による記憶の歪み聖心女子大学文学部心理学科卒業議文(未公刊)

笹川しげる渡部単之助(1986)身近な血液ゼミナール調談社ブルーパックス佐藤連哉(1990)血液型ブームの起源地方自治職員研修錘16佐藤連哉宮崎さおり渡過芳之(1991)血液型性格関連説に関する検討(3)-ス

テレオタイプから偏見へ-日本発達心理学会第2回大会発表論文集147佐藤連哉(1991)血液型性格関連説について日本社会心理学会第32回大会発表論文

集30酢303佐藤連哉(1992)血液型性格関連説について(2)日本社会心理学会第33回大会発

表論文集172-173佐藤連哉(印刷中)血液型性格関連説について社会心理学研究8佐藤達哉渡邊芳之(1991)血液型性格関連説と人々の性格観人文学報(東京都立

大学)No223153174佐藤達哉渡遥芳之(1992)日本における性格心理学の歴史を考える-血液型気質

相関説からの展望一日本性格心理学会第1回大会発表論文集(論文集印刷中)SatoTampWatanabeYBlood-typingsyndromeinJapan(inpreparation)週刊朝日(1984)血液型性格分析症の困った病巣1984817号週刊朝日(1990)ここまできた「血液型狂時代」19901214号塩見邦雄清水匡人(1992)血液型と性格-SPI性格検査を中心にして日本教育

心理学会第34回大会発表論文集165SnyderM(1984)WhenbeliefcreatesrealityInLBerkowitz(Ed)

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鈴木芳正(1974)血液型性格学三笠曹房高田明和(1992)論点94血液型性格判断の正否文蕊春秋(編)日本の論点

832-837詫摩武俊(1991)第2回性格心理学研究会における発言詫摩武俊松井登(1985)血液型ステレオタイプについて人文学報(東京都立大

学)No17215-30外山みどり(1986)人物傭報の処理におけるステレオタイプの影響青山学院大学短

期大学紀要第40号121148渡遜芳之佐藤連哉(1992)パーソナリティの一貫性をめぐる視点の問題日本心理

学会第56回大会発表論文集13山崎賢治坂元章(1991)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第32回大会発表論文集288-291山崎賢治坂元章(1992)血液型ステレオタイプによる自己成就現象日本社会心理

学会第33回大会発表論文集342-345山岡淳(1982)箪圧による性格類型と血液型の関連についての実験大西赤人(著)

血液型の迷路朝日新聞社矢田部順吉(1986)性格とはなにか-血液型を信じるのはhellipだ太陽出版

-受付1991 12 3 -

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Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

- 2 6 8 -

Page 35: 東京都立大学簔鬘菫菫univ.obihiro.ac.jp/~psychology/pdf/satonabe1993.pdf · 2016. 3. 29. · る。女性向けの占い雑誌などでも血液型を利用したものは相変わらず多い。さらに,

Abstract

PsychologicalStudiesonBlood-TypinginJapan

TATsuYASAToandYosHIYuKIWATANABE7bAyoWimpo虹刀UMfsf

ManyJapanesepeoplebelievethatbloodgrouppolymorphismsoftheABOsystemarerelatedtopersonalitydifferencesOnceNEWSWEEK(1985)reportedcynicallythatJapanesediscoveredaratherstrangewaytograspperso-nalityNEWSWEEKcalledthenewwayblood-typingModernJapanesePsychologistshavecriticizedblood-typingThispaperaimstointroducetodayspsychologicalstudiesonblood-typingAfterabriefoutlineofthehistoricaldevelopmentofblood-typingthefollowingthreeissuesonblood-typingarereviewed(1)Personalitypsychologicalissues(2)socialpsychologicalissues(3)issuesderivingfromthehistoryofpsychologyPersonalitypsychologicalstudiesusingpersonalityscalesdonotfindtheassociationofpersonalityandbloodgroupSocialpsychologicalstudiespointoutthatblood-typingseemstobeasomestereotypingratherthanapersonalitytheoryandblood-typinghasthesomefunctionsintheJapanesedailylifeAfterreviewingthesestudiesthelimitationsofthesestudiesandimplicationstopsychologicalstudiesarediscussed

Keywordsblood-typingstereotypebloodtypepersonality

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